4. Emptiness color flower.
私は、授業中の自分の机で、小さく、長く息を吐いた。意識せず、それは溜め息となって私の周りの空気を重くする。
お泊まり会をしたあの日から数日が経ち、六月に入った。ニュースによるとまだ梅雨には入っていないようだが、今にも降り出しそうな厚い雲を抱えた窓の外の空を見て、私も同じような気持ちだよ、と思う。涙の落ちそうな瞳を手で拭うと、この心境になるに至ったあの夜のことを思い出す。
あの出来事によって、私は、彼女への恋心に気づいた。気づいてしまった。
苦しかった。
胸が切なくなった。
嘘だと思いたかった。
彼女はただの友達で、本当にそれだけなんだと。
私は『おかしくない』んだと、思い込みたかった。
でも、私の心臓の鼓動は意識なしに早くなり、私の瞳は彼女を追う。彼女への想いは止めることができない。
彼女はきっと『そう』じゃない。きっと彼女は『普通』の人なのだ。私のことを友達だと思っている。私も『そう』なら良かった。ただの友達なら良かった。
でも、今の私はそれを踏み越えようとしている。それを見た空想の彼女は、いつも私に背を向ける。その瞬間、私の世界から彼女は消え、広い空間の中で、ただひとりだけ取り残されるのだ。見上げることが出来る空はいつでも青いはずなのに、厚くかぶさる灰色。透き通る光は、私には見えない。そして、彼女の消えた場所には、いつも毒々しい鮮蒼紫色をしたオダマキの花がたった一輪、咲いている。花言葉は『愚か』。そういう景色を夢や妄想で再生する度、私は怖くなる。私のこの気持ちが、どれだけ恐ろしく、愚かであるかを知るから…。
「…花浜さん、大丈夫…?」
ビクッと首を竦めて、オダマキの花から目を離すと、私は声の主へと向いた。隣の席の彼女はハンカチを差し出しながら尋ねる。
「どうしたの?腕もさすってるみたいだし、何かあった…?」
「ありがとう…少し考え事を…」
囁くような声で言ったのは、おそらく授業中であったからだろう。私はお礼をしながらハンカチを受け取ると、白髪を不安そうに揺らす彼女の瞳を見た。彼女の名前は、
制服の色も相まって、全身を真っ白い雪の衣装で包んだような彼女は、私には異世界の妖精であるかのように思えた。そこに年相応の可愛らしさと、同時に美しさとを内包させる彼女は、クラスメイト全員の瞳を惹きつけながら壇上へと上がると、優しげに微笑み、人好きのする声で自己紹介をした。
「私の名前は白花一華です!誕生日は十二月三十日、血液型はAB型です。趣味は漫画読んだり映画観たりって感じかな」
そこまで話して、あ、と気づいたように手を叩く。
「まあ、皆が聞きたいのはそういうのじゃないか、もったいぶっていても仕方ないし。私はこの見た目の通り、先天性色素欠乏症という遺伝子疾患を持っています。皆にわかりやすく言うなら、アルビノってやつだね」
皆薄々気づいてはいたが、事実として発されたその言葉に教室がザワつく。
「と言っても、こんな見た目で、日向に出るときは日傘を差さないといけないくらいだから、あんまり気にしないで話しかけてくれると嬉しいな!」
彼女は皆の雰囲気を察したのか、明るく告げる。その後、だから屋外のときの体育とかは出来ないけど、と付け足した後、
「よろしくお願いします!」
と、元気に言った。そこで起こる拍手。こういう風に上手く話すことが出来ると、第一印象はおそらく誰にとっても良いものになっただろう。
私は彼女の自己紹介を聞いて、花屋の娘として二つの単語に引っ掛かりを覚えた。
まず、『花一華』。これは和名で、一般的に言えばアネモネだ。アネモネは色とりどりの色を咲かせる、可愛らしい花だ。ちょうど入学式の時期のような、春の初めの穏やかな風が吹き始める頃に花を咲かせることから、別名『Wind flower(風の花)』と呼ばれる。
そして、日当たりを好み、寒さに当てなければ蕾が出来ない特殊な花。
私は頭の中で花の図鑑を広げながら、皮肉な花だなと思う。
アネモネは毒を持つ。彼女にとってのそれはアルビノだろう。
図鑑の別の項を開く。
私の引っ掛かった単語の二つ目、苗字の『白花』だ。花の中にも、色素が形成されず、白い花を咲かせる個体が存在する。それを一般に「白花変種」と言うのだ。その花弁の細胞は普通、葉緑体が発達せず透明に近く、雪と同様に光の乱反射で白く見える。こういう原理だと、不謹慎ながら、私の最初の印象はあながち間違いでもないということだろう。
図鑑をひと通り読み終え、私は一息ついた。半端な知識しか持ち合わせてはいないが、アルビノの症状は彼女の言ったのとは別にいくつかあるはず。しかし、彼女は自己紹介のときもその後にもまるでおくびに出さずにクラスメイトと会話している。その様子を見て、私は彼女に心優しく気遣いの出来る良い人という印象を受けた。他の人も大抵同じような感想を抱いただろう。
実際、そういう性格であったのか、入学してすぐ、彼女の周りには人だかりが出来た。最初は興味本位で近づいた調子のいい人達も、彼女の明るく優しい人柄を知ることで、引け目を感じたのか、からかうようなことはすぐになくなった。
この二ヶ月の間にファンクラブなるものが出来ているみたいで(そこでの呼称は『天使』だそう)、告白された回数は数知れずという程らしい(たった二ヶ月で…?と戦慄を覚えた)。ただ、そのどれもを断っているらしく、まさに高嶺の花だと一部で囁かれているようだ。
そして、今、何故彼女が隣の席であるのかということだけれど。中間試験が終わり、席替えが起こった際、日向に居られないために窓ではなくドア側の一番端へ行った彼女、そして平等なるクジの結果によって唯一の彼女の隣へ行くことになったのが私だった。若干名(はたして両手で数えられるだろうか)からの恨みがましい視線を受けたのは言うまでもない。
「ふふっ」
笑う彼女に現在へと戻された私は、頭にクエスチョンマークを浮かべるように、彼女の唯一と言っていいだろう、色の付いた薄茶の瞳を見た。
「…どうしたの?」
「いやあ、ハンカチを渡したのに涙も拭かずにぼーっとしてるから、ほんとに悩み事してるんだなあと思って!」
それを聞いて私は自分の手を見た。そこには彼女と同じく白色のハンカチ。焦りで顔に熱が集まると、彼女はクツクツと可愛らしい忍び笑いを漏らした。
「やっぱり花浜さんは面白いよね〜」
「え…?」
「前、と言っても少しだけど、気になっててさ、ずっと話してみたかったんだよ〜」
かすみらが前に言ってくれたことと同じようなことをクラスのアイドル的存在の彼女に言われ、明らかに赤面してしまう。
「そんな…私は期待されるような…」
「いやいや、謙遜だなあ、私は自己紹介のときから狙いをつけてたんだよ?」
私の眼鏡の奥の瞳を見詰めると、
「花浜さんは『普通』じゃない感じがしたの」
悪気は無いのだろう彼女の言葉に別の意味を思い浮かべ動揺した私は、彼女の髪色に似た瞳から逃れるように目を逸らした。白花さんはそんな私をじっと見たあと、
「まあ、そういうことだから、仲良くしてくれると嬉しいな!せっかく隣の席になれたんだし」
と言った。その間に私は必死に心を落ち着けて、もう一度彼女の瞳を見た。その瞳の奥は、まるで闇が支配しているかのように暗く、そこからはいかなる感情も見出すことは出来なかった。
「…よろしくお願いします」
努めて小さな声で言うと、彼女は華やかな笑顔で頷き、私の耳に顔を近づけ、囁いた。
「よろしくね?」
ゾワゾワと、未知の感覚が背中を通り抜ける。三度羞恥に頬を赤くした私が彼女を見遣ると、楽しそうに揺れる彼女の白い髪が、周囲の光を集めてキラキラと輝いている光景が瞳に映った。
…入学してからの密やかな憧れだった彼女の近くにいることで、私の中の何かは変わるのだろうか。他人頼りな私の心は、身勝手にも期待してしまった。
…いつの間にか、窓の外では雨が降っていた。
エーデルワイスの花束を 薄雪リオ@受験生 @hakusetsu
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