第9話 筋肉と雨音の不協和音 その9


(どうしよう……俺は一体どうすればいいんだ?!)


 紅葉が授業に集中できていない頃もう一人授業に集中できていない人物がいた。その人物は教科書も出さずに机の上で頭を抱え唸っている。


「さ、櫻井、何か授業でわからないところでもあるのか?」


 男教師からの声も聞こえていないようで唸り声は止まらなかった。この繰り返しをもうすでに10分以上続けていた。その頭を抱えている人物、それは紅葉の思い人である悠莉であった。


 最初は男教師もキツく注意したが頭がキャパオーバーしている悠莉の耳には入ってこずに意味を成さなかった。


 幾度かの注意を受けながらも唸り声を挙げ続けているせいで男教師の話しより唸り声のほうが耳に入り込んでいる。


 そんな状態で授業など出来るはずもなく教室には悠莉の唸り声が響きわたっていた。


 その唸り声が大きいせいで悠莉だけでなく教室全体が授業を出来る状態では無かった。

「櫻井!悩み事があるのはいいが今は授業に集中しなさい!」

 男教師は命令形に言葉を換えて言ってみるとクラスメイトの若干名は肩を振るわせ姿勢を正したが肝心の悠莉には何の効果は無かった。


(いや待て、昨日の夜のはアレだが……。朝のキスは挨拶だったのかもしれない?外国とかだとキスが挨拶って聞くからな……。うん、そうだあれは挨拶なんだ!)


 全くといって良いほど頭の思考回路は仕事をしてなかった。そのせいでよくわからない変な答えに行き着き無理矢理納得させようとしていた。


 そんな悠莉をクラスメイトと男教師は腫れ物を扱うように嫌煙した。ただでさえMM部というワケのわからない部活の部長で、あらぬ噂が数多い悠莉ではその様に扱われても仕方が無い。


(って、んなわけあるか!?紅葉は日本人だぞ!?なら日本人らしい挨拶をするだろう!?)


 何をどう考えていいのかすらわからなくなった悠莉は余計頭を抱え、両手でこめかみを押さえ押し潰すように力を入れた。


 より奇行がすすんだ悠莉にクラスメイト達は一線を引いていた。というより元々クラスからは一線置かれているため今に始まった訳ではない。


 そもそも悠莉にはクラスに友達と呼べる人は誰もいない。


 それもそのはず、悠莉には纏わり付いているあらぬ噂が多いためである。だがそれだけが原因では無く、そうなってしまったのは2年に上がってすぐに魔法のせいで孤立せざるを得なかった。




 あれは今から数ヶ月前の入学式の時、新たなクラスで始めてみる人もいれば去年同じだった人もいた。この時にはまだMM部は設立されて間もなく知っている人は部員と顧問の松久ぐらいだった。


 新たに始めた部活に新しいクラス。当初の悠莉にはこのどちらも輝いて見えていた。今年こそは友人を作るという目標を胸にいざ新たな地の教室へ向かっていった。


 そして教室の前に来ると中からは「同じクラスだね!」や「アイツと離れられて良かった。」、「悪くないな。」等の話しで盛り上がっていた。


 悠莉も笑顔で挨拶をしようとこの日のために柔らかい笑顔を練習してきておりいつもの悪人面の笑顔は無くしていた。入学式前日の夜に楓に泣きついて練習した成果を出す時だ。


 そしていざ行こうと教室の扉を開け、新たな学園生活の扉をくぐり抜け青春をスタートさせた。


 心機一転して扉を開けてすぐに幾つもの声が聞こえた。


 去年まで友人がいなかったのが嘘の様に幾つもの声が我が一番と積極的に話しかけてきてくれた。


 ここから新しい学生生活が始まると胸を躍らせていた。


『おはよう、おはよう、おはよう、おはよう、おはよう』

『痛い痛い痛い痛い痛い』

『固い固い固い固い固い』

『痙る痙る痙る痙る痙る』

『怖い怖い怖い怖い怖い』

『捻れる捻れる捻れる捻れる捻れる』

『震える震える震える震える震える』


 何故こんなに声を聞かせてくれたのかその正体は筋肉だった。その声は頭に直接響いてきた筋肉達の声だった。


 新たな環境で体に大なり小なりストレスがかかっている。その反動で筋肉達にも自然と負荷がかかって様々な訴えをしていた。


 悠莉は中へ入れたのは良かったが頭に響いてくる何重層もの筋肉達の声に頭を押さえ壁にもたれかかった。


 これは耳を塞いだところで聞こえなくなるものでは無く頭に直接響かせてくる。それはわかっていたが悠莉は耳を塞げずにはいられなかった。


 頭が鈍器で殴られた様に揺れている中壁や黒板を伝って何とか自分の席を見つけ出し座るとそのまま机に突っ伏した。

『緊張する緊張する緊張する緊張する緊張する緊張する』

『どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう』

『イラつくイラつくイラつくイラつくイラつく』

『寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい』


 終わることの無い筋肉達の声は音を落とすこと無く鳴り響いた。この声は悠莉にとって耳元で無理矢理ヘタクソな演奏を聞かされている感覚に等しい。


 そんな演奏は人が増えていくにつれ不協和音を奏でるオーケストラに変わり果てた。好き勝手な音を出して演奏にもならない汚い音を耳元で聞かされる悠莉は限界を迎えそうだった。


 これまでも何度かこのような状況になったことがある。その時はその場から離れるか、別の物に集中して紛らわすか何かして対策していた。


 だが今回はもうすぐホームルームも始まってしまうため逃げることも、他のことに集中しようにも本等持っていないため何も動く事も出来ない。


 そんな八方塞がりの悠莉に容赦なく筋肉達の声は更に音を上げ不協和音を奏で続けた。新学期早々で悠莉も緊張し体にはストレスが溜まっておりそれが最悪なタイミングでついに限界を迎えてしまった。


「っるせぇ!!もう喋るな!!!」


 担任が入ってきた瞬間悠莉はイスから立ち上がり怒声を挙げてクラスは冷水をぶちまけられた。


 先程までのお祭り騒ぎはどこか遠くへ行ったのか静寂が訪れた。今の教室には冷たい水面が写っているだけだった。


 声を荒げた悠莉は頭を押さえながら筋肉達の声がようやく消えた。だがストレスが限界まできていた悠莉は目眩と息切れが激しかった。フラつく体を机の上に右手を置き倒れないようにバランスを取った。


 それから数秒誰も何も言わず悠莉に視線が集まった。落ち着いてきた悠莉もようやく状況が飲み込め始めて、自分が何をやらかしてしまったのか、今の教室の惨状を見て背中に冷や水を感じた。


「何?あの人?急に叫んで……。」

「おいバカ見るなよ。目付られたら何されるかわからねえぞ。」

「急に叫んで怖いんだけど。しかも目付きも悪いし。」

「目立ちたかったのか?バッカみてえだな。」

「委員長気取り?マジでウザいんだけど。あと顔コワ!」


 静まり返ったクラスからボソボソと聞こえてくる陰口。その殆どが悠莉に対するモノだ。その証拠にクラスメイト達の視線は完全に異端者を見る目をしていた。初日にドデカイ失態をかましてしまった。


 人の第一印象は見た目で8割決まるという。悠莉の第一印象は『急に怒声を挙げてキレた危ない奴』よいう肩書きを貰えただろう。この時点で悠莉はその印象を変える術を思いつかずその印象のまま今年は過ごしていく事になる。




 そんな経緯から悠莉はクラスで危ない奴、危険人物、関わると碌でもない事に巻き込まれる、不良等様々な不名誉を受けている。


 そして更には前にレスリング部と柔道部を病院送り、紅葉と楓と一緒に登校中でのロリコン宣言、最新のは屋上からの紐無しバンジー等でクラスではますます孤立していた。


 そんな悠莉が授業中に唸っていても誰も何も言えないのだ。何か言ったら何をされるかわからない。そんな恐怖心から先生すらも言えないときがある。


(待て待て、俺は紅葉をそういう対象として見たことがあったか?)


 意図しない授業妨害に気付く事無く悠莉は紅葉の事を女性として見ていたのか根本的な箇所から考え直した。


(紅葉はアヒルの子みたいにいつも側についてきてたな。俺も腕に抱き付かれても特に抵抗なくそれを受け入れていたな。ん?ちょっと待てよ?男女が腕組みして一緒に歩いていた……?)


 悠莉の頭では何かが繋がりそうだった。それに気付くことが出来たら恐らく今の問題の打開策を考えることが出来る。そう確信した悠莉は考えが止まらないうちに思考を進めた。


(客観的に見たら男女腕組んで歩いてるなんてカップルがしている代表格じゃないか。……っは!?それってすでに紅葉と付き合っていたのか!?俺が気付かなかっただけですでにカップルになっていた!?)


 ようやく今まで自分が紅葉としてきたことが普通では無い事に気が付いた。それに気が付いてしまったら後は意識の問題になる。


(今同じ事をやれって言われたら恥ずかしくて出来ないぞ!?)


 普通に出来ていたことが恥ずかしさから出来なくなると、それはもう女性として意識してないとは言えない。バッチリ意識している、意識しまくっている。言い訳が出来ないレベルまでそういった対象として認識している。


(俺は……紅葉のことが好きだったのか……?懐いてくれてると思っていたけど俺は……。)


 気持ちに踏ん切りがつかない悠莉は最後の一押しで躓いていた。認めてしまえば楽だが何故か心のどこかで否定している。どうして否定しているのかわからない。でもそれを理解しないと紅葉としっかり向き合ったことにはならない。


 新しい悩みの種が増えたが嫌な悩みでは無かった。それを育てきり見事花を咲かせたらきっと今の紅葉との関係は良い方に進展するだろう。


 逆にその種を枯らせてしまえば修復が困難なレベルで紅葉との関係は終わってしまう。悠莉はそう確信できた。


 なぜなら同じ種の種を一度枯らしてしまったことがあり、その後の関係を修復できるまで時間がかかったのをすでに体感している。そう、今の楓との関係はその種を枯らした後の物でここまで修復するまで2年の月日を捧げたのだ。


(まだ、楓の事を引き摺っているのか……。もしかしたら、紅葉と恋人になろうとしないのはそれがあるからなのか……?)


 一向に尽きない悩みに悠莉はただただ唸るだけしか出来なかった。

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