第7話 筋肉と雨音の不協和音 その7

 1年生の教室は1階に属しており保健室も同じく1階にある。紅葉は保健室のドアを軽くノックすると返事を待たずに中へ入った。


 中にはイスに座り事務仕事だろうか、眼鏡をかけてて画面に食い入るようにパソコンを覗きこみ何かの仕事をしている男性がいた。


 紅葉に引きずられるように入ってきた蓮華にイスに腰掛けていた男性の保険医は顔を引き摺り、面倒な物がきたと言わんばかりにイヤな顔を隠さなかった。


「面倒事は嫌いなんだが?」


 短く切り揃えている黒髪の頭を掻きながらやってきた紅葉と蓮華を見て保険医はぶっきらぼうに答えた。


「すみません……蓮華ちゃんが暴れそうでしたので……。」


 紅葉は保険医である木谷 松久に頭を下げた。松久は溜息をつき明らかにやる気が無かった。


 それを現すよように服装も白衣はシワだらけで中は赤いアロハシャツを着てズボンはジャージときている。


 とても保険医とは思えない服装をしているが彼は紛れもなくこの学校の保険医である。


「はぁ……ま、授業が終わるまでそこで眠ってけ。体調不良ってことにしておいてやるから。」


 松久は空いているベッドを指さし連れてこられた蓮華に休むよう進めた。


「私は平気だよ!紅葉ちゃんと松ちゃん先生見てよ!ほらこんなに元気なんだから!」


 どこも悪くないのに授業をサボって寝るのに抵抗感があった蓮華は元気と示すように両手を振り回しどこも悪くないのをアピールした。


「ああ、手の消毒だけするから手だせ。」


 蓮華が両手を振り回した瞬間手の平から血が見えた松久は目を変え、消毒液と脱脂綿を準備すると対面に座るようにイスを準備した。


「え!?い、いやそんな……。」


 蓮華は少しの痛みを右手の手の平から感じていた。そして改めて右手を見るとちょうど爪が当たる4箇所から血が滲み出ていた。


 先程の怒りのせいでこうなってしまったのが恥ずかしく蓮華は渋った。


「いいから診せろ。」


 渋っている蓮華に目の色は変えても面倒臭い表情は変わらないまま語尾を荒げ右手を掴み座らせた。


「うぅ……はい……。」


 観念した蓮華は大人しく座り血が滲む右手を松久の前に差し出した。


「はぁ……イヤなことでもあったのか?」


 右手に消毒液を湿らせた脱脂綿で血を拭き出している手の平に当てながら松久は軽いカウンセリングに入った。


「まあ……そんな感じですね。先生からちとウザいことを言われて……。」


 今では感情が納まっているが思いだすとまたあの気持ち悪い感情に支配されそうだった。


「そうか、怒るのはいい。だが時と場所を考えろ。授業中に怒ってみろ色んな奴らに迷惑がかかる。その中には部員だって入っているんだぞ。」


 松久の言葉に授業中で言われたことを思いだし再びあの嫌な気持ちが溢れかえりそうだ。


 思いだそうとすれば胸の中の水が沸騰寸前になってきたが、松久からの言葉で水をかけられその怒りは静まり返った。


「感情ぐらいコントロールしろと言いたいが……年頃の子供じゃ無理か。」


 呆れた顔を見せ半目を開いたまま気怠そうに処置を続けていた。


「松ちゃん先生珍しく優しいね!なんか先生って感じが……っていてててて!?」


 ワザと脱脂綿を強く押しつけ染みるように力を入れた。急にやってきた痛みに蓮華は涙目になり思わず松久を睨んでしまった。


 睨まれた松久は何の悪気も無く脱脂綿を仕舞うと救急箱から絆創膏を4枚取り出し4箇所の傷に貼り付けた。


「一応お前らの顧問だからな。部員に怪我人や問題児がいると面倒臭いんだよ。特にあのハゲは……ったく朝から嫌な気分だったよ。」


 松久は保険医であると同時に悠莉達が存続しているMM部の顧問も務めている。どうやって保険医が顧問になれたのかは本人しか知らない。


 前に聞こうとしたがはぐらかされてしまった。それ以降も何度か挑戦したが頑なに言わない松久に聞いてはいけない事なのではないかと暗黙の了解が出来上がった。


「そう言えば……蓮華ちゃん朝はどうしたの……?」


 いつもなら菫と同じぐらいの時間には部室へ来ている。


 それなのに今日は遅刻ギリギリで尚かつ悠莉と一緒に職員室から来たのが気になっていた。悠莉の方の理由はわかるが蓮華の方はわからなかった。


「え?うーんと……なんて言うかね~……。」


 紅葉からの質問に蓮華は頭を掻きながら口に言葉を含んでは出せずにいた。どう説明したらいいのか思いつかない様子を見せた。


「コイツがある事件に関わっている疑いが出来たんだ。」

「ちょっと!?何ハッキリ言ってるんですか!?もっとこうオブラートに包むとかあるでしょう!?」


 見かねた松久は時間の無駄と言いたげに代弁した。


「事件、ですか……?」


 不穏な言葉に紅葉は体を竦ませた。友人が事件にあっている可能性があるなら放ってはおけない。紅葉はその全貌を知るため横で騒いでいる蓮華を無視して松久に情報を求めた。


「それって、どういう事なんですか……?」

「ああ、ハゲ…じゃなくて生徒指導のじじいが勝手に言っているだけだけどな。先に言っておくと確証は何一つ無い。現状ハゲの妄言だ。」

「あの……それで一体……何に巻き込まれたんですか……?」


 前置きが長くなりなかなか本題に入らない松久に紅葉は痺れを切らした。そんな紅葉の様子に無視されていた蓮華は誤魔化すのを諦め、その話題の本質の説明があった。


「あはは……それがね……。なんというかですね……。」


 いざ言おうとするとまた言葉が口から出るのを拒み言い淀んでしまった。煮え切らない態度の蓮華に紅葉は小首を掲げ次に出てくる言葉を待った。


「桂木蓮華と思われる人物が夜の繁華街を歩き回っている。という写真が今朝職員室のパソコン全部に送られてきたんだ。」

「だっから!ハッキリと言いすぎですよ!?」


 またもや蓮華から言葉を取った松久は後頭部を力強くかき乱し溜息を吐きながら説明した。それに対して蓮華は文句の一つでも言おうとしたがその言葉は紅葉の質問によって打ち消された。


「夜の……繁華街……?」


 高校生が夜の繁華街に出かけていると聞くとあまり良いイメージを持つことはできない。援交や飲酒、最近ではパパ活といった女子高生を狙った悪いイメージが紅葉の頭の中で現れていた。


「それであのじじいがコイツに『こんな制服なんてお前しかいない!お前だろ!』ってキレてたんだよ。」

「私じゃ無いって言ったのに全然聞く耳持たなくて困ったのよ。」


 蓮華は頭を下げ両手を上げ降参の真似事をとった。その送られた写真に写っていたのは制服にフリルをつけて改造しているように見えたため蓮華がその人物では無いかと疑いがかかった。


「はぁ……、んでちょうどそこに我が部きってのアホがきて事態をややこしくしたんだよ。」


 松久は今朝の出来事を思い出して呆れた様子で深く溜息をついた。名前を一応伏せたが意味を成すことは無いだろう。


「それって……櫻井先輩ですか……?」


 紅葉は見事その人物の正解を当てた。普段からどう思われているもか気になるところがあるが紅葉はツッコまないようにした。したと言うよりツッコんでしまったら何か負けた気がしていた。


「さっすが紅葉ちゃん!大正解!」


 蓮華は複雑な気持ちな状態で正解した紅葉を褒め称えるよう抱き締めて頭を撫で繰り回した。


 体の小さい紅葉はスッポリと蓮華の胸元に入り同年代とは思えない胸の柔らかさに紅葉は歯がゆい思いをさせられた。


 紅葉の胸の大きさはこの前計った時はAAで少しずつだが成長しているのに喜びを感じていた。


 だが今当たっている蓮華の胸はCカップはあるであろう大きさと柔らかさに紅葉は胸囲の格差社会を見せつけられた。


 少しで良いから分けて欲しいと虚しい願いは届くこと無く塵となって消えていった。


 そんな二人が戯れている間にも松久は空気を読まずその後起こった面倒事を話しだした。


「はあぁ……んで、そのアホがコイツの身の潔白を証明してやるってスイッチが入ったんだよ。」


 背もたれに思い切り体重を預け今朝の出来事を思い出すようにして天井を見上げ唸った。松久自身も部員が勝手な決め付けで疑われるのの納得できるはずが無い。


 それが誰がなんのために送ってきたのかわからない以上ヘタに動くことは出来ない。調べるにしても保険医と兼任しての両立は難しい。


 しかし悠莉はそんな小難しいことをなど考えず部員の身の潔白を証明するため動いた。理由は至極簡単であり、部員に危機が及ぶ可能性がある。それだけの理由が悠莉の原動力になっていた。


「顧問としてこれ以上問題を大きくしたくないんだがな……。」


 部の問題は顧問に責任問題が生じる。そうなってしまうと上から嫌みや皮肉を言われる未来が見えていた。それを現実にしないよう考えたが悠莉が介入したことによりどれもいい案が無くなった。


「部長がスイッチ入ったなら無理ですよ。」

「諦めた方が……いいと思います……。」


 面倒事の未来にならないように願ったがこの場にいる3人満場一致でその願いは潰えた。


「そうだよなぁ……。ッチ!クソ、犯人わかったら教えろよ。」


 見上げていた顔を前へ戻し眉をひそめ舌打ちが出てきた。保険医に有るまじき言動に紅葉は苦笑いをした。


「縄で巻いて放り投げますよ。」


 当人である蓮華は怒りがあるため過激な発言が出てきた。身に覚えが無いのに変なイメージを植え付けられるのは納得できず静かな怒りがそこにはあった。


「先生……蓮華ちゃん……やり過ぎはダメだよ……。」


 この場の唯一の善意である紅葉は効果が無いとわかっていながら一応注意はした。どれだけ効果があるのかはわからない。だが言っておかないと越えてはいけない一線を越えてしまいそうで紅葉は怖かった。


「それでお前ら授業どうするんだ?もうすぐ1限目終わるぞ。2限目も休むか?」


 時計を確認すると時刻は1限目終了5分前だった。1限目は最早行っても行かなくとも変わらず2限目はどうするのか確認をとった。


「え!?休んで良いの!?休む休む!」


 退屈な授業を受けずにすんで、ずる休みが出来ると聞くと蓮華は真っ先に食い付いた。


「んじゃ2限目は仮病って書いておくな。」


 食い付いた蓮華を叩き落とすように言葉を乗せた。


「それ怒られるやつだから!止めて松ちゃん先生!?」


 うまい話には裏があり蓮華は見事に釣られた。しかも釣り上げてからはたき落とされ、一度みた希望が絶望に変わる瞬間を味わった。


「それがイヤならさっさと戻れ、こっちは暇じゃ無いんだからな。さっさと帰れ。」

「帰りますよーだ!べーっ!」

「失礼しました……。」


 手で追っ払うように退室を促すと厄介者扱いに蓮華はあっかんべーと舌を出した。そしてもうすぐ1限目が終わる静かな廊下を紅葉と二人で歩いた。

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