第4話 筋肉と雨音の不協和音 その4


 リビングに行く前に悠莉は仏間に寄り亡き母へ挨拶をすると、紅葉も後を追うように線香を立て一緒に挨拶をした。


 挨拶が済むと楓が待っているリビングへ向かい、リビングのテーブルの上にはご飯と味噌汁と焼き魚が準備されていた。


 そして先にリビングへ来ていた楓は頬杖をつきイスに座り待っていた。


「遅いわよ、何をしてたの?」

「い、いや別に何もないぞ。それよりご飯を食べよう!」

「そ、そうですね……。楓先輩のご飯楽しみです……。」

「怪しいわね、まあ言いたくないならいいけど。時間も無いしいただきましょう。」


 悠莉と紅葉は思わず先程のキスを思いだし辿々しくなり秘密を隠せない二人に楓は追求するのも馬鹿らしくなり朝食を食べ始めた。楓からの追求が無いことに胸をなで下ろすと悠莉と紅葉も同じく席について朝食についた。


「モグモグ……ところで今日って雨降るのか?」

「急にどうしたのよ。私が来るときは雲一つ無かったけど?」


 何の脈絡も無い悠莉の質問に楓は来たときのことを思いだし、雲一つ無い晴天であった事を答えた。


「さっき外みたら曇り空が広がってたから雨降るのか気になったんだ。」

「天気予報は、午後から雨が降るそうです……。」

「最悪、私傘持ってきて無いんだけど……。」


 スマホで天気予報を調べた紅葉は二人に画面を見せた。そこには午後から雨マークがついて降水確率が80%と記されている。その情報に楓は朝来るとき快晴だったため傘を持ってこなかったのを悔やんだ。


「楓の傘なら家においてあるだろう。」

「え?そうだっけ?置いていった記憶無いけど。」


 記憶の入れ違いに楓は置いている記憶を発掘するが何も思い浮かばないでいた。


「前に家出してきた時に土砂降りで傘さしながらでっかいバッグ持って押し掛けてきたの忘れたのか?」

「……ああ、あの時ね。そう言えばあの後帰るときには晴れてたから置き忘れたんだった。完璧に忘れてたわ。」


 楓は眉をひそめあからさまにイヤな顔をした。その記憶は思いだしたくない過去の一つであり楓はその話題が広がらないうちに別の話題へと話を変えた。


「紅葉はどうするの?傘持ってきてる?」

「学校に置き傘があります……。」

「準備がいいな。行く途中雨が降られたら一緒の傘で行けばいいしな。」


 悠莉の発言にリビングが凍り付いた。そんな空気を気にせず悠莉の箸は止まらず朝ご飯を食べていると、楓は頭を抱え呆れた様子を見せた。


「アンタ何言ってるかわかってる?」

「ん?だからもし登校中雨降ったらどっちかの傘と一緒に行けばいいだろう?」

「相合い傘……。」

「あ……そうなるか……。」


 紅葉に言われるまで気付かず楓が呆れた理由がようやく理解できた。やっと自分の発言を理解した悠莉に楓は首を横に振り「このバカは……」と言いたげそうに溜息をついた。


「アンタねえ、紅葉も女の子なのよ?そうやって異性って意識しない発言していると何時か痛い目見るわよ。」

「そ、それはわかってる!紅葉も女の子だよな!」

「何そんなに慌ててるのよ。さては昨日何かあったのね?」

「えっ!?」

「……っ!?」


 楓からの発言に悠莉と紅葉はキスの件が鮮明にフラッシュバックした。そして2人は同時に顔を赤くし、手に持っている箸は手から離れテーブルへと落ちていった。


「そそそ、そんなことないぞ!?何も無かった!な、なあ紅葉?!」

「は、はい……な、何もやましいことは……。」

「ふ~ん……言えないことがあったのね。ま、別にいいけど。」


 相も変わらず隠し事ができていない二人に楓は興味を失い朝食を再開した。悠莉と紅葉も落とした箸を拾い直しかき込むように朝食を食べ始めた。


 そんな二人の様子を盗み見している楓の顔には薄ら影が差し込んでいた。


 口では興味が無いように言ったが本音は問い詰めてでも聞き出したい。一体昨日の夜何があったのか、どうして悠莉の紅葉への態度が少しよそよそしいくせに相合い傘の提案をしたのか……。


 聞きたいこと知りたいことが多いが、一番に気になっているのは紅葉との距離感が変わっていることだ。


 紅葉から懐かれているのは知っていたが、それはあくまでペットというと紅葉に失礼だがそんな愛玩動物に近いモノだった。


 だが今は愛玩動物よりまるで恋人、少なくとも友達以上恋人未満の関係に見える。


 たった一夜でここまで変わるのは変だ。きっと紅葉から何かしらのアプローチをしてそれが見事悠莉に効果があった。そう考えるのが自然だ。


 一緒に寝ていたのも悠莉が疲労困憊で寝惚けていたとしても寝ることを無意識のうちに承諾するほど悠莉との距離を縮める事ができたのもアプローチの結果だろう。


 本当は二人が一緒に寝ているのを見た時、楓の胸は引き千切れる想いだった。昔フラれていても幼馴染みという立場を利用して側にいることができている。


 しかしそれは何時でも使えるほど便利なモノじゃ無い。悠莉にもし世話を焼いてくれる彼女ができたら楓の今の立場はすぐに失われる。それが楓は恐ろしかった。


 側にいられない、今までのような関係になれない、それは自分の必要性が無くなるのと同じだ。そんな事を思い始めたら自然と箸が止まってしまった。


「楓?どうした腹一杯なのか?」


 ご飯がまだ残っている中箸を止めた楓にどこか憂いを感じた悠莉はお節介とわかりながら気になり声を掛けた。


「え……。ああ、何でも無いわ。ちょっと考え事をしてただけ。」

「考え事?何か悩みでもあるのか?悩みがあれば何でも聞くぞ!」


 何か力になれるかと思い悠莉は明るい口調で右手で胸を叩いた。


「相談するならアンタじゃなくて菫先輩に相談するわよ。」


 悠莉の気合いを一気にそぎ取った楓の発言に悠莉は思わず声を強くなってしまった。


「何だと!?俺じゃ力不足なのか!?」

「女子には女子にしかわからない悩みがあるのよ。」

「そうか……。あ、もしかして体重が増えたとかか?」


 異性には異性の悩みがあると言われてしまえば何も食い付きはしないが、悠莉は幼馴染みで昔から一緒にいるためデリカシーの無い質問をしてしまった。


「ふんっ!」

「いってぇ!」


 当然ながら悠莉は立ち上がった楓から脳天に拳を受けた。重い衝撃に脳が揺れたように視界がグラつき、纏わりつく衝撃が後から襲ってきた。


 悠莉はあまりの衝撃に脳天を押さえ痛みに堪えていた。痛みに悶えている悠莉を放っておき楓は残り僅かの朝食を胃に詰め込んだ。


「まったく、本当にデリカシーが無いのね。次は無いわよ。」


 睨みを利かし悠莉へ追い打ちとばかりに目線で圧をかけた。痛みと殺気から悠莉は頷く以外の行動がとれなかった。痛みはまだ引かないが我慢できるまでは引いたため悠莉も朝食へ戻った。


「いてて……確かにデリカシーは無かったと思うがここまで強く撃つか……。」


 非は自分にあるとわかっているが脳が揺れるほどの衝撃を受けるほどの罪なのか不満があった。


「櫻井先輩、体重はタブーです……。」


 珍しく紅葉は悠莉の味方では無く楓の味方についた。今回は悠莉のデリカシーの無さと女性の中のタブーを土足で踏み込んできたため情状酌量の余地がない。紅葉が味方になってくれないのが意外で悠莉は胸に小さな痛みを感じた。


「そういうモノなのか……。ってもう時間がねえ!?急がないと遅刻する!」

「ごちそう様でした。」

「ご馳走様でした……。」


 胸に感じた小さな痛みが何を示しているのか考える時間が無く、刻々と登校の時間が迫っていた。悠莉は残っていたご飯を味噌汁で流し込み急いで鞄の準備と制服に着替えるため自室へと向かった。


「忙しないわね。紅葉も準備してきていいわよ。洗い物は私がやっておくから。」


 紅葉は悠莉と自分の分の食器を重ね台所へ運ぶ途中楓から声がかかった。


「でも、何もしてないのは…… 。」


 昨日から何もできていないのを気にしていると楓は紅葉の頭を撫で始めた。急に頭を撫でられどうしていいか「え、え……」と戸惑っていると楓は微笑みを見せた。


「いいのよ。紅葉はお客さんなんだからお持てなしされてたらいいのよ。それが紅葉のお仕事。」

「わかりました……。すいません、食器を洗い……お願いします……。」

「ふふっ、任されました。ほら紅葉も準備してきなさい。遅刻したら大変よ。」


 最後に背中を軽くポンッと叩き紅葉は身嗜みを整えに洗面所へ歩いた。紅葉の背中を見送り楓は食器を流しに持っていき洗い物に手をつけた。


「……何よ。お楽しみだったんじゃない悠莉のやつ。見せつけて……ムカつく。何かあったのか教えてもくれないし、何回もお互い顔を赤くしちゃって……。私の気も知らないで……。このままあの二人、付き合うのかな……。」


 リビングに1人で洗い物をしていると溜まっていた思いが捻った蛇口から出る水のように流れ出た。ずっと昔に無くしたはずの悠莉への想いは全て失っておらず胸の中に種を残している。


 気にしないように、見ないようにと誤魔化し続けてきた種は成長を止めることは無かった。むしろ悠莉が誰かと仲良くしているのを見ていると、その種は『それ』を肥料として育っていた。


 何度も我慢はしてきた。悠莉が部活メンバーと楽しそうにしている顔や誰かを守ろうと大嫌いな『魔法』を使い身を削って守ってくれている。


 悠莉が魔法を嫌っている理由を知っているのは部活メンバーでは楓しか知らない秘密。 


 その秘密は幼馴染みという立場と悠莉にとって自分は特別だと思える楓にとっての生命線となっている。


 だが、今回の紅葉が泊まった事で誤魔化してきた種は栄養を十分に貰い、楓の胸の中に根を深く歪に張り巡らせた。


 今まであった自分の優位性が失い欠けている。おそらく悠莉と紅葉の間に新しい種が埋められている。


 それがこれからどう育っていき、どんな花を咲かせ、どのような結末に繋がっていくのか楓の不安は消えない。この新たな種の成長は楓の不安は大きく膨れ上がらせていた。


ならどうすればこの不安は消える?

また気持ちに蓋をする?

それとも本音を打ち明ける?

幼馴染みであり続けるため側にいる?

植え付けられた種を根まで取り除くにはどうしたらいい?

もしかすると自分はもう……必要無い?


「バカバカしい……。そんな訳ないわよ。悠莉には私がいないと……私が側で幼馴染みをしていないとダメなのよ。」


 自分に言い聞かせるよう呟くと洗い物から手を止め、胸に手を当て自己暗示のように何度も同じセリフを唱えた。


「悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要、悠莉には私が必要……。」


 不安があった心にベールを掛け種は再び楓の胸の奥深くへと姿を消した。種が姿を消し去った後からは楓はいつも通り悠莉の『幼馴染み』に戻り洗い物の続きを始めた。


 だが、種は見えなくなっただけで存在は消滅していない。


 また何かあれば根を張っている楓の心から栄養を奪い狂い咲き乱れる。それはまだ誰も知らない楓の悠莉への想いだった。


 洗い物が終わる頃に悠莉と紅葉の準備も終わり3人は2つの傘を持って曇り空に変わった通学路を歩いて行った。

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