第2話 筋肉と雨音の不協和音 その2
昨日の夜、悠莉は紅葉への返事を考えながら食器洗いを終わらせると風呂掃除にむかった。悠莉が風呂掃除に行っている間リビングのソファで手持ち無沙汰になっている紅葉は悠莉にだけ仕事をさせて指を絡めながら落ち着けなかった。
何か手伝いをしたいと思っていたが水回りでは手伝いをしたくても魔法のせいで危険を与えてしまう。気を利かせてお風呂掃除でもと考えたが万が一水に触れてしまうと有害な物質へと変えてしまうため現状では紅葉の仕事は無かった。
泊まり込んできて何もしないのに気が引けたが、自分勝手の満足感のために悠莉を危険に晒すわけにいかない。やるせない気持ちが紅葉の中に入ってきた。
「はぁ……本当に、役立たず……。」
何もできない自分に溜息をつきをつきやるせない気持ちを晴らすようにクッションを抱き締めた。水が関係する以上不用意に触れず紅葉の魔法が邪魔をしてくる。どうしようも無いのはわかっているが自分だけ何もしない現状がむず痒い。
ポフッポフッとクッションに頭を打ち付けると少量の埃が宙を舞い散り僅かな悠莉の匂いも辺りに漂った。
紅葉にとっては嗅ぎ馴れた少し汗臭いお日様の匂い。それはいつもなら学校や登校中でしか感じることができる安らぎの香り。それを今は悠莉の家で感じている。いつもと違う空間で感じていると、その香りは豹変して紅葉に特別な想いを与えた。
同じ家で同じ匂いを共有しているとその匂いは自分の匂いと絡まり、取り込まれていき体の隅々に行き渡り同化していく。そして匂いが同化していくと紅葉は悠莉の生活の一部になっていく錯覚を覚え、悠莉と同棲している気分を味わっていた。
「櫻井先輩の……匂い……気持ちいい。」
悠莉の匂いから紅葉は逃げる素振りを見せず、もっと深い匂いを体が求めクッションに顔を蹲めた。クッションからの匂いは求めていた以上に深いモノで瞬く間に紅葉の頭は悠莉の匂いに包まれた。幸せを感じられるこの空間に紅葉の脳は考えるのを破棄し思考能力は低下の一方を辿った。
「好き……櫻井先輩……側に、いたいよ……。」
「いっつつ!やっぱり屋上から落ちるのにはまだ筋肉が足りないか。」
「っ!?さ、櫻井先輩……おかえりなさい……です。」
クッションからの誘惑に完全に負けてしまう前に風呂掃除を終してきた悠莉が肩を押さえながらリビングへ戻ってきた。匂いを嗅いでいたのがバレていないか紅葉の心臓は速まったが悠莉の素振りを見る限りではバレてはなさそうだった。
だが、一応の確認をして気持ちを安心させたかった紅葉は顔を真っ赤に染め頭から煙りを上げながら悠莉に話しかけた。
「あ、あの……見ました……?」
「ん?見たって何をだ?」
「い、いいえ……何も無いなら……大丈夫です。……よかった。」
一先ず紅葉は匂いを堪能していた痴態を見られていないことに胸を下ろし安堵した。何に対して安堵したの傾げたが、あまり追求しない方がいいかと紅葉が座っているソファの隣に腰掛けた。
「ふぅ……全身の筋肉が痛え痛えってうるさくて参った……。」
「櫻井先輩の、魔法って……どういう風に、聞こえてくるんですか……?」
「ん~……耳から聞こえてくるんじゃなくて、頭に直接響いてくる感じだな。だから周りの音が酷くても筋肉の声は頭に直接くるから騒音と筋肉の声の不協和音ができあがる……。」
紅葉からの素朴な疑問に悠莉はどう言葉にして表すといいのか難しいようで感覚的な答えしか出なかった。悠莉の魔法「筋肉の声が聞こえる」は自分及び相手の筋肉から直接頭を叩かれるように声が飛んでくる。
何も無い静かな場所でも悠莉は筋肉の声が頭に響き外音を関係なく筋肉は筋肉から声をだし静かな場所にいても静寂を感じることができない。反対に周りが騒音だらけでも、筋肉の声は頭に直接響いてくるため騒音と筋肉の声両方が頭に響き渡る。
それは休まる事無く色々な声や音を一斉に頭に入れる事で長時間その状態が続くと悠莉は頭痛を起こし吐き気や目眩などの症状が現れる。
「櫻井先輩も……大変なんですね……。なんて、大変なのは当たり前ですよね……。」
「スイッチみたいにON/OFFハッキリできたら楽なんだけどな……。」
「私もです……。」
お互い魔法で苦労している部分が共感できてしまいタイミングを合わせた訳ではなかったが同時に項垂れた。
魔法で気苦労が絶えない二人は手が届かない高望みだとわかっていても欲しいと思っていた。それこそ魔法でどうにかして欲しいが魔法はそんなおとぎ話のように優しいモノでは無く実害を与えてくる夢も希望も無い悪夢だった。
疲れがある体では些細な事で沈みやすく呆然としていると、給湯器から「ピピピ…」とお風呂が湧いた知らせが鳴った。意気消沈していた二人の空気を変えるように鳴らされた知らせに二人は音の方を向き合い目が合った。
「風呂が沸いたみたいだな。紅葉から入ってきていいぞ。」
「いえ……私からだと、魔法で……。なので櫻井先輩から入って下さい……。」
「そうか、じゃあすぐ上がってくるから。」
ソファから立ち上がり入浴の準備のため部屋に戻り、下着の替えを持ってそのまま風呂場へ向かった。またリビングで一人になった紅葉は悠莉がお風呂に入っている間クッションに顔を蹲めあがってくるまで匂いを堪能した。
20分程してから悠莉がお風呂からあがってくると次は紅葉がお風呂へと向かった。洗面所に入るとカゴに脱ぎすてられた悠莉の服が入っているのを見つけた。
「これ……櫻井先輩の服……。……いやいや、そんなことしたら引かれる……。でもちょっとだけなら……。」
紅葉はカゴの中に入っているYシャツを取り出し恐る恐る顔に近づけた。脱いだ洗濯物をカゴから取り匂いを嗅いでいるなんて変態だとわかっていても好きな人の脱ぎたての服があったら嗅いでしまう。
「ダメ、本当にやったら……嫌われちゃう……。でも……。」
それがどれだけ変態的な行為で見られたら縁を切られても文句は言えない。だが、湧き上がる欲望は留まる事を覚えてくれない。嫌われるかもしれない、でも匂いは気になる。
そんな葛藤の中Yシャツを遠ざけたり近づけたりを繰り返していた。いく数分間の葛藤を得て導かれた答えは……。
「すん、すん……すぅ……はぁ……良い匂い……。脱ぎたてでクッションより、匂いが深い……。」
変態の衝動を抑えきれずYシャツの匂いを嗅いだ。世間体も人としての尊厳も捨てた紅葉は欲望の赴くままにYシャツの匂いを求めた。
クッションよりも新鮮で深い匂いに紅葉の頭は再び悠莉の匂いに浸食された。今回は新鮮の匂いでクッションに負けず劣らずの匂いはあったが直脱ぎの新鮮な匂いには勝てない。
「あ……はぁ……はぁ……ダメ……抑えないと、でも……触りたい……。」
頭が匂いに浸食されまともな判断ができなくなった紅葉は本能の赴くままに指を伸ばそうとした。そこに指が到達すれば今よりも大きなモノを得られるだろう。理性を捨て本能に従えばそれを感じることができる。
だが紅葉は最後に残っている抵抗力が理性を捨てるとっかかりになっていた。これ以上進めば本当に後戻りできなくてなる。もしも見られてしまったら悠莉からの返事を聞くまでも無く嫌われるかもしれない。そんな考えが紅葉の最後の抵抗力の源になっていた。
「うぅ……やっぱりダメ……!本当に嫌われちゃう……。」
なんとか匂いの誘惑に打ち勝ちYシャツをカゴの中に放り投げた。荒くなった呼吸を整え、また匂いに屈する前に紅葉は身に纏っている服を急いで脱ぎ制服は畳んで洗濯機の上へ置きYシャツと下着はカゴの中へ放り込み浴室へ入った。
「はぁ、はぁ……危なかった……。うぅ……ちょっと湿ってる……。エッチな子は嫌いかな……。」
まだ使い終わって間もないため浴室には湿り気が残っていた。曇っている鏡に写っている紅葉は顔が赤く女性らしい体付きとは遠く、胸は平らで膨らみは見られるが見てすぐにわかるものでは無い。
腰周りやお尻には贅肉は無く、逆に痩せすぎて骨が薄ら見えている。低身長に貧乳で成長期の高校生とは思えない体付きに溜息が止まらない。
「私以外みんな大きいのに……。同い年の蓮華ちゃんなんて……最近また大きくなったって言ってたし……。なんでかな、蓮華ちゃんはCカップは、ありそうなのに私は……。」
薄い胸に手を当てると柔らかい感触は伝わってこなかった。かわりにまな板のような固い感触が伝わってきた。
両手で胸を真ん中に押し寄せ谷間を作ろうとしたが、寄せられるほど肉は付いていなかった。出来上がったのは谷間では無く下まで見下ろしの良い絶壁が誕生していた。
「はは……、胸も無ければ、根性も無いか……。……見てても悲しいだけだから速く上がろう。」
虚しい胸が今の自分にピッタリな例えに自虐しながら紅葉は勝手の違うシャワーを浴びた。
肩より少し長い黒髪が水分を受け艶やかに汚れを落とし、病人のように白い肌と合わさり奇麗な白と黒の縞模様を体に浮かびあげた。
「温かい……久しぶりかな……。」
髪を洗い流し体も洗い終わると湯気が残っている湯船に片足を入れ温度を確認した。足先から熱すぎず冷めていない丁度よい温度を感じとった。久しぶりの温かい湯船に紅葉はゆっくり肩まで浸かると思わず声が漏れてしまった。
「ふぅ……温かい……こんなに早い時間も久しぶり……。……でもこれでこの水は『毒』に変わったんだよね。こんな……透き通る水でも……私のせいで……。」
紅葉は温かい湯船に入ったのはいつ以来なのか覚えていない。いつも家では最後に入っているため湯船は冷め切っていた。
追い炊きができたらいいが、一度寒くて追い炊きをした時に親から酷く怒られた。金がかかる、お前が触って毒がついたらどうする、毒物を家に置いている身にもなれ、等言われてしまい、それ以降は寒くても追い炊きをしないようにしている。
お風呂に入る時間も家族全員が終わった後に入るため必然と遅い時間になっている。紅葉が先に入れないのを知っている家族だが紅葉の事情を考えずいつも自分の都合で入っているため紅葉が入るのは23時過ぎになることが多い。
それでも紅葉は文句を言わず過ごしていた。魔法が悪い、こんな危険な魔法を持っている自分が悪いと言い聞かせ耐える生活をしている。
「今日は、一緒にご飯食べて、温かいお風呂に入れて……幸せな日……。き、キスもしちゃったし……。」
今日のように悠莉と話しながらの食事や温かいお風呂は紅葉にとって大きな贅沢だった。当たり前の生活がこれほど満たされるとは思わなかった。
湯気が上がっている湯船から両手一杯に水を汲むと顔にかけた。ジンワリと暖かさを感じると顔から水の雫が滴り落ちた。
水の雫は顎まで来るのに顔を縦横無尽に駆け巡り落ちてくると重力に負け湯船へと帰っていった。数滴が湯船へと戻ると頬を伝って落ちていく雫が湯船へと混じった。他の水の雫とは違いその雫は真っ直ぐ頬を伝っていき落ちていった。
「あれ?……なんで私、泣いてるの?あれ……?なんで……?どうして止まらないの……?」
紅葉は目から溢れてくる雫に困惑していた。悲しいと感じるのは魔法がわかった時からとうの昔に無くしていた。今更悲しくて泣いているわけではない。今日は嫌なこともあったが良いことの方が沢山あった。それなのにどうしてなのか……。
紅葉は涙の理由がわからないまま落ち着くのを待ってからお風呂を上がった。治まった後から考えたがどうして涙が流れたのかわからなかった。
悠莉にこれ以上心配をかけるわけにいかないため治まるまで待った。それから10分程待つと、少し目が赤く腫れていたがよく見ないとわからないほどだったので紅葉は鞄に忍ばせていた寝間着に着替えリビングへ戻った。
「ここが部屋で布団はもう出しておいたけど何か必要な物はあるか?」
「いえ……大丈夫です。櫻井先輩はもう寝ますか……?」
「ああ、筋肉から疲れたって疲労の声がうるさくてな……。」
お互いお風呂も終わり悠莉と紅葉は2階の空き部屋に来ると、部屋には一組の布団が敷かれていた。先にお風呂から上がっていた悠莉が予め布団の準備を終わらせておいた。当然ながら一緒に寝ようと考えておらず枕は一個だけ準備している。
準備された布団を見ながら一緒に寝れるかもしれないと願望があった紅葉はしっかり枕を1個だけ置かれて遠回りに一人で寝るように言われた。それでもダメ元で聞いてみようと両手を絡ませながら上目遣いで問いかけた。
「い……い、一緒に……、ね、寝ませんか……?」
紅葉は両手を絡めている手に力が隠り震える指を押さえつけた。持てるだけの勇気と気合いを引き出しても喉から声を出すのに何度も突っかけた。
断られたら?嫌われたら?拒否されたら?マイナスなイメージしか出てこなくても、勇気と気合いを振り絞り紅葉はその一言を絞り出した。
「……はっ!スマン眠気にやられていた。何か聞いたか?」
「いえ……何でも無いです。櫻井先輩、今日はありがとうございます……。お休みなさい……。」
「ん?そうか、じゃあお休み紅葉。何かあったら隣の部屋にいるからいつでも来て良いからな。」
「はい……お休みなさい。……いつでも行っていい……それじゃあ……。ふふっ……。」
紅葉の勇敢な行動を無にした悠莉は部屋から出て行くと、紅葉は悠莉の言葉を繰り返し唱えた。『いつでも来て良いからな』この一言が紅葉にある行動を原理を与える。
あれだけの勇気と気合いを振り絞ったにも関わらず眠くて聞き流した事に紅葉の中では怒りが膨れつつあった。その怒りが悠莉の一言で噴き上がりある作戦を決行した。
その作戦が後に戦慄の朝を迎える結末になるとはこの時は誰も思いもよらなかった。
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