野良猫と仲良くなる方法 ――2

 今日は本当に静かだ。何時もだったら閉店間際でも、常連のお客さんがコーヒーカップを傾けてる筈なのに、彼女が来てから一度もドアベルが鳴らない。

 もしやこいつは、貧乏神なんじゃないか。

 オレンジジュースの追加注文を受けてから再び手持ち無沙汰になってしまい、俺はボケーっと、片肘をつきながらレジ横の椅子に座っていた。

 天井に吊るされたランプ型の照明をみて、なかなか進まない時計をみて、女の子に目を向ける。

 人の視線に慣れているのか、俺が人と思われていないのか、向けられ注目に何の反応も返さない。


―この制服、多分うちの学校だよな。


 学年ごとに色分けされているリボンを外しているので、何年生かは分からないが、顔を見ても名前が浮かんでこないので、クラスメイトではないだろう。 

 俺と大して変わらない身長だから170センチ近くはあるだろうか。

 小さな頭に、女性らしいボディーラインを持った、黄金比率の八頭身。

 美少女は普段妹を見飽きているが、系統が違う人目を惹く容姿に、整った顔立ち。

 ナンパされるのも納得だ、夕日に照らされる整った輪郭は確かに綺麗だった。

 ポスターにして恋愛映画の広告にすれば、集客が見込めるぐらい、華がある女の子だ。

 

―そろそろ帰ってくんないかな…


 逃げ先として入ってきただけなら、もう十分に時間は経った筈だ。

 嫌々居るぐらいなら、さっさと帰ればいいだろう。

 流石に携帯にも見飽きたのか、時間と共に外が暗くなり、人の影がガラスに映ると顔を上げ、その姿を見ていた。

 ナンパ相手を警戒しているのかと思ったが、どうも違う。

 だって、俺に向けていたような、威圧さが欠片もなかった。


「誰か待ってるんですか?待ち合わせならこの場所は分かりにくいと思いますよ」


「ウッザ。別に誰も待ってない、話しかけないでよ」


「そ・れ・は・失礼しました」


 チラチラ外を見ているから、教えただけだろ。

 喧嘩を吹っ掛け続けないと、死んじゃうの?マグロかよ。

 俺だって男だ、好きな子だって居るし、可愛い子とすれ違う時は目で追うし、体育の時間に、ボールと一緒に弾む胸に鼻を伸ばす。

 しかし、目の前の女の子に対しては、女性としての興味が全くわかなかった。

 この年で涸れ果てたか。いやまて、毎朝元気に立ち上がっていた筈だ、俺はまだやれる。

 胸はそこそこ大きいが、壊滅的なほど嫌な性格が、俺のストライクゾーンから地球一個分ぐらい外れているせいだろう。

 初対面の時、人の印象は顔や容姿で七・八割決まるらしいが、こいつに限っては圧倒的劣勢を跳ね除けて、性格の悪さが印象の決まり手だった。最悪のジャイアントキリングだ。

 ポケットに入れておいた携帯が突然震える。カウンターに背を向けて、画面を確認すると朱莉からメッセージが入っていた。


『今日は友達と『推しが尊くてつらたん会議・春の陣』をするから、夕飯は大丈夫。そう言えば、兄さんの好みってどんなだっけ?』


『胸の大きな、』と送ると、直ぐに返信がきた。


『雄っぱいの大きな爽やか系とは、いい趣味してるね!』


 手許てもとのスマートフォンがミシリと鳴った。

 トチ狂ったメッセージの内容を忘れようと、夕飯のメニューを考える。

 一人分だと簡単な炒め物と、明日の弁当のおかずに出来る、生姜焼き辺りでいいか。それとも少し時間はかかるけど、揚げ物にしようか。

 その前に洗濯物も取り込んでおかないと、風呂掃除も料理の間に済ませておくか。

 あれこれ、家の事を考えていると気分が段々と落ち着いてくる。

 やはり、家事はいい。荒んだ心を癒してくれる。



 く~


 カチカチと時計の進む音しかしない店内に、場違いな可愛らしい鳴き声が聞こえた。

 視線をカウンター席に向けると、顔を真っ赤にしながら、両手でお腹を押さえている奴がいる。

 来店してから二時間近く経つ、確かにそろそろ夕飯の時間だ。


「お腹すいてるなら、何か頼みますか?」


 メニュー表を向けると、ひったくる様に奪われた。誰も取らねえよ。


「……これで全部なの?全然食べたいのがないんだけど」


「申し訳ありませんが、食事はこれで全部です」


 丁寧に謝ると、舌打ちが返された。

 こいつ、サンドイッチやナポリタン、ホットケーキの何が不満だ。


「だったら、どんな洒落た料理が食べたいって言うんですか?」


 嫌気がさして、非難する言い方になってしまっても、仕方ないだろう。

 俺は両腕を組んで、苛立ちを隠さない態度を向けた。

 一体どんな料理だったら満足だって言うのか。お洒落なビーフシチューやハンバーグ、オムライスが食べたいのなら他の店に行ってくれ。場所が分からないなら地図だって書いてやる。

 

しかし、キッと睨んでくる彼女の口からこぼれたのは、意外な料理だった。








「……粕汁が食べたい」








――かすじる?





 多分、俺は相当間抜けな顔をしていたと思う。

 俺のアホ面を見て、女の子は口を手で隠し、後悔の表情を浮かべている。

 一瞬聞き間違いかと思った。

 もしかして、『カス死ね』と言ったか。言いそうだけど、流石にないか。

 粕汁って、酒粕を使った豚汁みたいな田舎料理だよな、作ったことないけど。

 表参道のテラスカフェは勿論のこと、商店街の食堂でも恐らくメニュー表に載ってないだろう。


「……冗談だし、真に受けないでよ。馬鹿じゃないの……」


 冗談だったら、もっと楽しそうに言えよ。

 彼女は気まずそうに視線逸らし、結局メニュー表をカウンターに置いて、黙りこんでしまった。

 どこか拗ねた様に両手をカウンターの下で握り、オレンジジュースを見つめている。


 この表情には見覚えがある。


 朱莉が小さい頃、食べたい物を我慢している時に同じ仕草をしていた。

 最近は、夕飯の要望があれば携帯にメッセージを入れてくるので、随分と見ていない。

 あの頃は人の後をくっ付いて、家事を手伝おうと一生懸命で可愛かった。

 それがいつの間に、カバの様な生活を送るようになってしまったのだろう、俺の教育が悪かったんだろうか。

 俺が洗濯物を畳んでいる時、ソファーに寝転び、テレビのチャンネルをお腹を掻きながら替えている姿を見たときは、ちょっと泣いた。涙の味は塩辛かった。

 容姿に似通った箇所はない。

 なのに、表情が重なった見えた。

 時計を見るともう少しで七時になる。商店街は七時頃から閉まりだすから、あと十分ぐらいか。



――……まあ、一度くらいならいいよな。


 今日は少し寒かったから俺だって温かいものが食べたいし、汁物の時期としては悪くない筈だ。そうだ、料理のレパートリーを増やしたいと思っていたし、たまには変わった料理を作るのもいいじゃないか。

 いや、言い訳じゃない、本心だよ。


「どうかしましたか、葵君?」


「すみませんマスター、今日は早上がりさせてください。あと、少し厨房をお借りしてもいいでしょうか?」


 奥の部屋のドアを開け、頭を下げながらの俺の唐突なお願いに、マスターは顎に親指を当てた。そして瞳を閉じて数秒考えこんだ後、何時もの様に目を細くした笑顔で頷いた。


「いいですよ、葵君の好きなようにしてください。後のことは全部お任せします」

 

 よし、場所は確保できた。携帯を取り出し、必要な材料を確認する。特に変わった材料でもないので商店街で十分揃う。

 マスターにもう一度頭を下げ、部屋を出る。

 カンター席には相変わらずうつむいたままの女の子。


「おい」


 俺の声に反応して上げた顔は、先程までより幼く見えた。


「少し待ってろ。いいか、絶対帰るなよ」


返事を聞く前に店を出ると、外は完全に日が落ち、見上げると幾つか星が光り始めていた。


「よしっ」


 両手をポケットの中に突っ込み、財布と携帯が入っている確認して、俺は商店街に向け走り出した。

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家庭的な主人公は好きですか?料理の出来ない美少女は駄目ですか? 暗蔵暮らし @kuragurakurasi

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