野良猫と仲良くなる方法 ――1
男子高校生にとって、大変不名誉なレッテルを貼られた翌日。
今日は朝から順調だった。お弁当用の卵焼きは綺麗なきつね色の楕円形になったし、天気は快晴で干した洗濯物がよく乾くし、3回目のモーニングコールで朱莉もちゃんと起きてきた。
高校も余裕をもって登校できたし、半分ぐらいしか理解出来なかった数学や英語も、黒板の文字は全てノートに書き写せたから、なんとかなるだろう。
気分よく放課後を迎えた俺は、現在バイト先でコーヒーカップを磨いている。
店名『Perch』
学校近くの商店街の路地を一つ二つ曲がった先にある、入り口に鳥を模した木製看板が目印の小さな喫茶店だ。レトロ調の装飾を施した店内に、挽かれたコーヒー豆の香りが合わさって、落ち着いた空間になっている。
「今日は随分とお客さんが少ないですけど、どうしたんですかね?」
「それだけ皆さんが忙しいのですから、喜ばしい事ですよ」
俺の心配を
本名は俺も常連のお客さんも知らない。
灰色掛かる頭髪を後ろに流し、鼻下にヒゲを蓄え、スラリとした細身の体躯に黒いベストの格好でコーヒーを淹れている姿がマスターとしか言い様がないので、誰も疑問を持たずマスターと呼んでいる。
壁際に掛けられていた時計を見ると、現在は午後五時。何時もであれば常連達である携帯片手のサラリーマンや、舟を漕いでいる老人グループが居る筈なのだが、今日に限って席は全て空席。
閑古鳥が鳴いてる状態はバイトとして有り難いが、やれる仕事がなくなるのは正直、心地が悪い。
カップも洗い終わり、折角だから店内の床を拭こうかと考えていると、ドアベルがけたたましく鳴った。
「いらっしゃいま……せ?」
来店を歓迎する挨拶が個性的な語尾の様になってしまったが、けっして妹が喜ぶキャラ付けとかではない。
息を切らせながら乱暴に入店してきたお客が、今まで店内で見たことがない客層だったからだ。
ワイシャツを第二ボタンまで開け、赤いラインの入ったチェックのスカートを膝上で履いている姿は、表通りのお洒落なテラスカフェで、クリームやヘーゼルナッツで可愛く彩られたフラッペを、SNSに上げる様な見た目の女子高生。
肩よりも少し長いブラウンの緩いウェーブヘアーをした自分と同い年位の女の子だった。
「くそっ、あいつらしつこいのよ」
悪態を吐く様子から、どうも訳ありで入店してきた様子。
マスターも珍しく呆気にとられているみたいなので、とりあえず席に案内するため声をかける。
「カウンターとテーブルどちらが宜しいですか?」
ただ、席の確認をしただけだ。
それなのに苛立たし気な視線を向けた女の子は、息を整えた後俺の横を素通りして、勝手に一番奥のカウンター席に座った。
「こっちでいい」
……落ち着け、大丈夫。少し口元が引きつってる気がするが十分笑顔は出来てる筈だ。
これぐらいで、イライラするな。何年面倒な妹の世話をしてると思うんだ。
「隠れるんだったらテーブル席の方がいいですよ?」
追われているなら、面倒事は困る。出来るだけ目立たない席に移る様に勧めた。
「……ただナンパがウザかっただけだし、流石にこんな所まで追いかけて来ないでしょ」
確かに、壁にコーヒーの香りが染み付いたモダンな喫茶店に、一人で訪れる
歪んだ景色を映すアンティークガラスの窓は、光は通しても中に居る人の様子迄は分からないので、路地を通った人に気付かれる心配はないし、彼女の言った通りだろう。
おっと、礼儀を
レモンを一切れ入れたよく冷えたピッチャーから水をグラスに注ぎ、つまらなそうに携帯を操作する女の子の前に置く。
「オレンジジュース」
オーダーを聞こうとしたら、携帯の画面を操作しながら、視線も合わせずこれである。
マスターに顔を向けると、両手を前に出して落ち着いてのジェスチャー。
流石、様々なお客の応対をしてきた経験者だ、人が出来ている。
大人な対応を形から見習おうと、ジュースを素早く提供し背筋を伸ばしマスターの隣に立った。
それから無言の状態で三十分程経っただろうか。
女の子は来店当時と変わらない刺々しい雰囲気のまま、スマホを操作しながらジュースのストローを噛んでいる。
何だこの苦行は。
流石のマスターも眉をひそめ少し困り気味だ。俺を心配して付いてくれるのは有り難いが、マスターには豆の焙煎や、ネット販売するコーヒー豆の注文の確認、帳簿付けなど、やるべき仕事が幾つもある。
「ここは俺だけでも大丈夫ですから、マスターは溜まっている仕事をして下さい」
「……そうですね。私は奥の部屋に居ますので、何かあれば呼んで下さい」
目線を一切合わせない女の子にも律義に軽く頭を下げ、マスターは奥の部屋に入っていった。
俺に出来ることと言えば、掃除に、調理、接客や、荷物運び位だが、生憎お客が居る手前、掃除をする訳にはいかなし、運ぶものもない。
調理や接客は言わずもがなだ。
「ねえ」
軽く溜息を吐いていると女の子から声が掛かった。
料理の注文か、それとも気晴らしの話し相手か、仕事をさせてくれるならどちらでも構わない。
マスターの期待に応える為に、美味しい料理とウェットに富んだ会話の準備はできている。
「どうしましたか?」
先程迄の荒んだ気持ちを落ち着け、優しい声と笑顔に努めて、女の子に応えた。
「オレンジジュースおかわり」
携帯に視線を固定したまま伝えられた追加注文に、俺は無表情で新しいグラスにジュースを注いだ。
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