家庭的な主人公は好きですか?料理の出来ない美少女は駄目ですか?

暗蔵暮らし

プロローグ

「兄さんって、私の好きなゲームジャンルの主人公みたいだよね」

 

 夕飯の用意が出来たので二階の部屋に妹を呼びに行くと、椅子から振り向きながら俺を見て呟いた。

 妹の名前は、古河朱莉ふるかわ あかり。同じ高校に通う一年生だ。

 腰まであるシルバーグレーのストレートヘアーに、化粧をしていないのに人目を惹く端正な顔立ち。良く言えばスレンダー、少し悪く言うとフラットと呼べる体型は、今後の選手自身の将来性に期待したい。どこかぼんやりとした瞳が物憂げで、ミルク色の肌が合わさって、どこか妖精じみた儚げな少女だ。

 デフォルメされたカピバラの着ぐるみパジャマが、その繊細な雰囲気をぶち壊してしまっていることを除けば。



――主人公ねぇ……



 朱莉の兄である俺、古河葵ふるかわ あおいは自分で言うのもなんだか平凡な高校二年生だと思う。

 流行りの音楽を聴くし、メジャーどころの漫画や小説だって読む。

 趣味が家事全般なのは少し変わっていると認めるが、それも小学生の頃に両親が円満離婚し、出て行った母さんの代わりに家事を一手に引き受けたのが切っ掛けだ。

 自宅から徒歩三十分圏内にある高校でも窓際の一番後ろの席ではなく、教卓から目の届きやすい最前列。腐れ縁の幼馴染は自分の知る限り存在せず。隣の席に綺麗な転校生の姿はなく、男子生徒で埋まっている。中学の頃に問題を起こしたこともないし、入学式前に事故に遭って高校デビューに失敗し、ボッチである訳でもない。

 まあ、放課後はバイトや家事があるので、帰宅部なのに付き合いが悪いせいで、友達が少ないのは確かだけど。

 だから自分に特質した才能も、波瀾万丈な人生も、人に誇れる経歴も一切ないことを自覚している。

 主人公らしさとの関係は正に水と油、決して交わらない存在だろう。

 しかし、朱莉の見解は違うらしい。真っ直ぐと俺を見つめる二つの瞳には揺ぎ無い確信が宿っている。

 嫌な予感がするが、ここは認識のすり合わせをしておく必要があるだろう。

 

「一応確認しておくけど、お前の好きなゲームって、女の子の主人公が男の子と恋愛するゲームだった気がするんだが……違うよな?」


「乙女ゲーなんだからそうに決まってるでしょ、何言ってるの?」


「兄貴に向かって、何言ってるのはお前だよ。馬鹿なこと言ってないで、早く降りてこないと夕飯のシチューは冷めるし、カリカリフランスパンが、カチカチになっちまうぞ」


「え、今日はシチューなの?やったー!」

 

 頭に掛けていたヘッドホンを放り投げ、駆け足で階段を下りていく実に現金なカピバラ。

 出て行った部屋には俺と、クルクルと回っているキャスターチェアーの前に置かれたデスクトップ型パソコンに映る、目元涼しげな金髪のイケメンだけがとり残された。


 いや、二人じゃない。


 周りを見回すと、壁には清涼飲料水のCMで使われるような爽やかな笑顔をした二次元のメンズや、パステルカラーで描かれた可愛い少女達のポスターが一面に張れているし。本棚には漫画やライトノベルと一緒に、キーホルダーやデフォルメされ二頭身になった人形が並んでいる。


 朱莉はオタクだ。

 それも女性向け男性向け関係なく食指が動く雑食性のオタクであり、特に女の子が主人公の男性と恋をする乙女ゲーが大好きな、少し残念な妹だ。

 俺は小さく溜息を吐き、ベットの上に脱ぎ捨ててある制服の皴を伸ばしハンガーラックに掛け、足元に転がっている空のペットボトルを拾って部屋後にした。



 今日はシチュー用の牛肉が安かったので、デミグラスソースのビーフシチューをメインに、根菜と茄子のみそ炒め、蒸し鶏のコールスローサラダだ。

 おっと、昨日の晩につけておいたミニトマトとカリフラワーのピクルスを出し忘れていた。

 栄養やいろどりにも気を遣った自信作だ。


「さっきも言ったけど、やっぱり兄さんって乙女ゲーのヒロインみたいだよね」

 

 シチューを付けたフランスパンを幸せそうに頬張りながら、先程の話題を朱莉はまた口にする。

 あれで終わりじゃなかったのか。


「どこをどう見て男の俺が、朱莉の好きなゲームの主人公に似てるって言うんだ?」

 

 高校に入学してから一年で男臭くなってきた顔立ちは、女形が出来るほど可愛らしくはない。身長だってぐっと伸びたし、髭だって剃れる、腋毛だって頼りないが生えている立派な男子だ。


「だって、高校生の家事能力軽くカンストしてるし、土筆みたいに踏まれてもへこたれないし、友達少ないし、無神経だし、顔は……まあ、平均点ぐらいならありそうだし、どう考えても生まれる性別間違えてると思う」


「……実は俺の事嫌いなの?」


「勿論、世界で一番愛してるよ!」


 ニコニコと笑顔を向けてくる朱莉に自分の皿から牛肉を二つ移してやる。

 別に嬉しかった訳じゃないよ、うん。


「やっぱり兄さんはチョロアマだな~、そんな所も素敵だけど。あ、乙女ゲーのヒロインに似てるって言っても、攻略対象が男性だとか、男性から見て魅力的なヒップをしているとか、そんな訳で言ったんじゃないからね」


 さっと、尻を両手で押さえる。違っててもそういう事は言うなよ、夜一人で帰れなくなるだろ。


「親父も出張ばかりだし、お前も一切手伝わないんだから、自然と家事が得意になるのは当たり前の事だろ」


「……わかってると思うけどね、普通の男子高校生は休みの日にキッチンを重曹で磨いたり、排水溝のぬめりを嬉々として取ったりしないんだよ?」


「それじゃあ、どうするんだよ。クエン酸使って汚れを落とすのか? あれ、綺麗に洗わないと酸味が残るから面倒なんだけど」


「うん、その考え方は私嫌いじゃないけど、高校生の答えとしては赤点だからね?」


 朱莉から生暖かい視線を向けられ、気まずくなり視線を逸らす。

 仕方ない、仕方ないんだ。家の大黒柱たる親父は自動車メーカーの技術職として海外や地方への出張が多く基本家に居ない。

 そもそも親父も朱莉も家に居たとして全く役に立たない。

 料理を作ればボヤを起こし、洗濯をすれば家の中を泡まみれにし、掃除をすれば更に汚す。

 才能の全てを、見た目と頭脳に振り分けてしまった二人の家事不適合者は、座っていてくれた方が正直助かる。自分はその才能の不足を補うように、残念な見た目と頭脳をもちながら、人並みの家事能力があっただけなのだ。

 そう考えると、仕事をしながら家事をしていた母さんの苦労が身に沁みる。

 元々仕事人間であった母さんは、現在アメリカのコンサルタント会社でバリバリ働いているみたいだ。

 親父を縛り付けたくないと離婚はしたが、涙を浮かべて俺や朱莉との別れを惜しんでいた。そんな母さんを空港で送り出した時の事は、今でもはっきりと思い出せる。


『僕が居なくなると、父さんと朱莉が生活できなそうだから残るよ。母さんも仕事頑張ってね』


 今思うと母さんの潤んだ瞳は、別れの悲しみによるものではなく、ダメ男を養う同性へ向ける同情の涙だった気がするが、思い出が汚れるので深く考えるのを止めておこう。



「兄さんも家庭に籠らずに、もっと友達と遊んだり出掛けたりしようよ。折角の高校二年の春なんだよ?」


 シチューの皿から、食べ易い様に小さく刻んだニンジンを、小皿に避けながら朱莉は熱弁を続ける。


「俺だって友達と遊びに出かけたりしてる。この間だって宗助そうすけ達とカラオケに行ったんだぞ」


「胸を張ってるとこ悪いけど、夕飯を作るために六時に一人で帰って来るのは、私でもナンセンスだと思うんだ」


「だって、遅くなるとスーパーのタイムセールに間に合わなくなるだろ」


「タイムセールを優先してる時点で普通じゃないからね?」


 目を伏せながら溜息を吐く姿は駄目な生徒を叱る教師のような態度だ。

 意外と朱莉に合うのかもしれないと、パンツルックのキリリととした姿を想像してみる。


 駄目だ、三日で学級崩壊を起こした。


「確かに、兄さんが居ないと私は五日と生きていけないし、これからも飼い馴らされたカピバラの如く、怠惰たいだを貪る方針を変えるつもりはないよ?だけど、楽しい高校生活は送ってほしい」


 朱莉は生粋の趣味人間であるが、学内でも友達は多いし、オフ会等も頻繁に顔を出しているらしい。リアルだけでなく、ネットにも友人がいる社交性の高さには素直に感心する。

 それと比べてしまうと、俺の交友関係は月とスッポンレベルに狭い。

 分かってても言うなよ、ちょっと悲しくなるじゃんか。


「つまり、友達や彼女を作れってことか?」


「あ、彼女は駄目。まだ経験値足りてないし」


 経験値って何だよ、モンスターを倒せば彼女が出来るのか?スキルか何かなの?


 「兄さんはヒロイン体質なんだから、彼女に関しては本当に気を付けた方がいいよ。じゃないと、いつの間にか私みたいに取り返しがつかない、面倒な娘のルートに入っちゃうからね」


「取り返しつかないって分かってるなら、少しずつ家事を手伝ってくれてもいいんだぞ?」


「治らないから取り返しがつかないの。いい?乙女ゲーは一筋縄ではいかないんだよ?」


「さっきから乙女ゲーって言ってるけど、確かギャルゲー?も、同じじゃないのか?対象が男性か、女性かの違いだけだろ?」


 朱莉は落胆した表情で頭を振り「分かってない、分かってないよ……」と呟き、俺を指さす。

 え、何。何か変な事言った?


「兄さんは知らないみたいだから教えてあげる。……女の子は面倒なの」


「知ってるよ。お前のせいで身に沁みてるよ」


「ギャルゲーも色々あるけど、何だかんだ言って、可愛い女の子に囲まれてキャッキャデュフフしてれば成立する」


「擬音に悪意を感じる」


「だけど乙女ゲーは攻略対象の男の子が闇を抱えてることがデフォだから、それを一緒に乗り越えてこそ真実の愛が芽生えるみたいな、ドラマ性が必要なの!甘いだけじゃ満たされないの、スパイスが効いてないと満足できないの!」


 目を閉じながら拳を震わせて熱弁を奮う姿は、格闘技の勝利者インタビューさながらの熱量だ。

 その間に、朱莉が懸命に避けていたニンジンをシチューの皿に戻しておく。

 好き嫌いはいけない、成長期にバランスよく食べるのは、身体作りの基本だぞ。


「でも、それってゲームの話だろ。俺には関係なくないか?」


「そうだね、ゲームだったら失敗したらローディング出来るけど、兄さんの人生にニューゲームはないし。だから慎重に行動してね、切っ掛けの選択肢はホント些細な事だからね?ってあれ!?」


 朱莉が、何時の間にか戻って来たニンジンに目を白黒させてるのをしり目に、俺はフランスパンにかぶりつく。

 小麦の香ばしい香りが鼻を抜ける。


――別に、俺は今のままでも十分楽しいけどな


 確かに、青春を謳歌しているかと聞かれれば、答えはNOだろう。

 人によっては勿体ないと思われる過ごし方かもしれない。

 だけど、涙目でニンジンを飲み込んでいる朱莉との生活だって捨てたものじゃないと思うし、こんな変わり映えのしない毎日が続いていくだろうなと感じていた。



 今思うと、あの時は自分のヒロイン体質を甘く見過ぎていた。


 切っ掛けはアルバイト先の喫茶店へ、一人の場違いな野良猫が迷い込んで来た、ただそれだけ。物語のイベントとしては地味で些細な出来事。


 しかし、その日を切っ掛けに俺の青春は平穏を置き去りにする様に、加速度を上げて走り出した。

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