9-3 魔法使いの復讐(3)


     × × ×      


 自らの手で『殺戮のフロレンティナ』を狩る。

 決意を固めたロート伯の行動は早かった。

 斥候たちに新教派兵団の行方を追わせつつ、彼自身は『殺戮』狩りに向けた作戦計画を一晩で練り上げた。


「全方位攻撃だ」


 人間の視界には限界がある。同時に複数方向から攻めたてれば、いずれ相手の背中を狙える。

 いくら新大陸の人間でも後頭部には目が付いていないだろう。

 ロート伯は理想的な決戦地を地図上で複数選定する。相手を誘引するのは容易たやすい。


 問題は駒不足だった。

 彼の手元に残された兵力はわずかに五個梯団。騎兵と砲兵を含めても四千名に満たない。

 翌日にはロート伯自ら付近の村に出向き、男たちを兵営に誘ってみたものの……すでに領主に働き手を奪われた家が多く、反応は芳しくなかった。

 砲兵隊が野戦砲の大半を敗走の際に捨ててしまったこともあり、全体的な戦力不足は否めない。


 そこで白羽の矢を立てたのが、自軍の魔法使いだった。

 当時ロート伯の配下には三人の魔法使いがいた。そのうち一人は使い物にならないため──。


「ねえエマ。ちなみにその使い物にならない魔法使いって?」

「『暦回しのワルター』。自分の手が届く範囲だけ季節を変えられる」

「冬場の寒い日には役に立ちそうだね」

「一時間あたりパン七百個」

「省エネ精神に欠けるなあ」


 わたしは日本時代のエアコンを想起する。あの壁に掛かってたやつ。コンビニの棚にあるパンを全部突っ込んでも数分しか使えないのか。


「実際『暦回し』はロート伯の前で一度も魔法を使ってない。記憶に残してくれていたら、生徒に教える時の参考にできたのに」

「教える時、ね」

「他の二人は興味深かった」


 エマはまたもや使用人たちに油絵を持ってこさせる。新大陸出身らしき男女が杖を持ち、不敵な笑みを浮かべていた。

 我が家の魔法使いが油絵に触れる。


「不細工な男のほうは『鉄茎のウルリッヒ』。草木をカチンコチンに硬化できる」

「建設業で役立ちそうだね」

「表面だけ。中身は木のまま。すぐに折れる」

「ダメじゃん」

「若い女のほうは『砂喰いのヒルダ』。土砂を美味しく食べられるように加工できる」

「兵糧問題を解決できそうだけど」

「所詮は砂。強烈に胃もたれするし、下手したら腸が詰まる時もある」

「ダメじゃん……ロート伯はそんな能力をどうやって活かしたのさ」

「ふふん」


 わたしの問いにエマは得意気に微笑むばかり。

 そういえば、物語の途中で話しかけたのに怒られなかったな。何故だろう。


「罠だ」


 しわがれた声に聴衆が反応する。

 ヨハンは怪訝そうに振り返り、新教徒は恐怖と羨望の入り混じった面白い顔を見せ、旧教徒は静かに頭を垂れ、赤茶毛の乙女は親しげに名前を呟いた。


 アントン・ロート・フォン・シェプフング。


「罠を仕掛けた。朝飯前だ」


 物語の主人公は談話室の扉を閉めると、老いた体を壁際のソファに沈める。

 その古傷まみれの容貌に興味を持ったらしい。

 わたしの息子が「おばけ?」と目を輝かせ、老将の隣に座ろうとする。


「おい、やめろ。そいつは仮想敵国ヒンターラントの人間だぞ。人質にされたらどうする」


 すかさずヨハンが駆け寄り、子供を力強く担ぎ上げた。

 ロート伯は慈愛に満ちた笑みを向ける。


「今は追放された身だ」

「信用ならん。オレの父の恩人ではあるが……素浪人なら尚更、城に入れるわけにはいかん。そもそもどうやって入ったんだ」

「マウルベーレ伯の案内だ」


 老将の口から出てきた名前にヨハンの目つきが険しくなる。なにせ彼の実弟だからね。


 当のマウルベーレ伯フランツは早くも兄の足元で跪いていた。仮面が床に落ちている。


「すみません僕が連れてきました……今、ウチの城で暮らしてもらってます……その、父の恩人ですから……」

「フランツ……お前は、世界征服でも成し遂げるつもりなのか」

「へ?」


 フランツが素っ頓狂な声を上げる。

 たしかに一介の地方領主のわりには旗下に人材を集めすぎている。

 公女わたしの戦争を勝利に導いてくれた名将ケーヘンデ公だけでなく、血まみれ伯爵まで加わるとなれば、もはやマウルベーレ家単独でも兄のキーファー家を倒せてしまいそうだ。冗談抜きで。ロート伯なら兵士をいっぱい募兵できるし。


 そんな兄の懸念に気づいたのだろう。

 フランツは慌てて釈明を始める。


「あ、兄上。違います。アントンのおじいさんを呼んだのは、個人的にお話を聞いてみたくて……いや、そのですね。ケーヘンデ公もライム王家と仲直りできそうですし……我が家は……」

「エレトン公爵家を追放されたグローセインゼル大佐を匿っているそうだが、あれも高名な兵法家だったな」

「あれは……ヴェストドルフ家の分家筋で縁がありますし……か、可哀想でしたから……」

「他にも経験豊富な浪人を召し抱えたと聞くが?」

「カルステン大尉は元々我が家の家臣、いわば出戻りなんです……どうかお許しを……」

「もしオレを追い落とし、新たな大君になるつもりなら、オレにも考えがあるぞ。減封、いっそ改易してやろうか」

「うっ……」


 フランツが返答に詰まっている。

 あれは釈明のネタが尽きたというよりは悩んでいるみたいだ。

 えっ……何を?

 わたしは何だか怖くなり、義弟フランツの肩を持つことにする。


「ヨハン様。そこまでにしてください。温和なフランツ様が野心など抱くものですか」

「后妃なら旦那の味方になったらどうだ。マリー。まだ教育が必要らしいな」

「仮にフランツ様が反旗を翻すことがあれば、原因はあなたの舌先と利き足でしょうね」

「なっ。公衆の面前でよくも大君オレを面罵してくれたな……こうなったらフランツの野心を調べさせてやる。おいエマ!」


 ヨハンが呼びかけた先には誰も座っていなかった。

 椅子の背もたれに『エマの話を聞きたい人だけついてきて』と記された張り紙が見える。

 いつの間に出て行ったのやら。


「クソッ! どこに逃げた!」


 廊下に向かったヨハンに続く形で、聴衆がぞろぞろと談話室を出て行く。

 残されたのは跪いたままのフランツとソファにもたれる老将のみ。


「……ああやって人を誘い出せば、罠に嵌めるなど簡単だ」

「実際『砂喰い』と『鉄茎』が役に立ったのですか、ロート伯」


 気になったので直接訊ねてみた。

 すると老将はこちらの身体をジロジロと見るなり、ぽそっと「貴女あなたの魔法使いのほうが好みです」と吐いてくれた。


 いや……それは好みの問題だろうに。というか丁寧語なのに非常に失礼だな。こちとら天下の大君陛下の嫁だぞ。舐めとんか。


 わたしがにらんでも歴然の強者はビクともしない。


「出店です。フラッハ兵が進んでいた街道沿いに出店を設けました。商品は汚泥で作らせたクッキーです。腸閉塞多数、死者多数です」

「さらっとエグいこと言いますね」

「『鉄茎』には会戦予定地の草原を一部固めてもらいました。敵の梯団は転倒の嵐です。顔面に葉先が刺さった敵兵もいました。壮観でした」

「それはまた……想像したくない……」

「それでも戦力差は不利でした。秘密兵器です。相手も持っていました」

「気になりますね」

「話していいですか」

「気になりますけれど……あとはわたしの相棒から聞かせてもらいます。変に拗ねられると困りますから」

「そうですか」


 老将がソファから立ち上がろうとする。

 フランツに手を引かれ、背中を押し上げられ、ようやくわたしと同じくらいの高さになった。


 ヒューゲル家には元々チビが多い。

 ロート伯の方は生来の低身長ではなく、狭苦しい牢獄にいた五年間で背骨が曲がりきってしまったらしい。

 誰より傷つけ、誰より傷つけられてきた男の姿には生暖かい悲壮感があった。


「……フランツ殿のチャンスだ。反乱の際は自分に任せるべきだ。作戦の要は帰参した奴だ。カルステン大尉だ。あれを陽動部隊の指揮官に任命するべきだ。敵主力を引きつける役だ。あとは簡単だ。自分がルートヴィヒ伯の城を、ケーヘンデ公の主力部隊が大君の御親兵を……」


 しかしながら彼の心身は尚も戦争を求めているらしい。


「冗談はおやめなさいロート伯。フランツ様にはその優しさでヨハン様の治世を支えていただくのです」

「ははは。それは僕より御台所マリー様の役目でしょうに」


 なぜかフランツに笑われてしまう。

 彼は仮面を拾い上げ、目の周りの古傷をわたしから見えなくする。


「わたしの死後も苛めを受けるようなら、次にフランツ様を蹴ったら『あの世』で離縁しますと遺言状に記しておきますから」

「子供の頃からずっと……素敵な姫君ですね、あなた様は」


 フランツは兄には決して見せない冷めた目つきのまま、談話室を出て行った。老将の背中を支えながら。


 おいおい。もうすぐ死ぬんだから余計な心配事を増やさないでほしい。本気でエマに彼の脳内を覗いてもらおうかな。


 わたしも彼女を追うことにする。

 行き先に目星はついていた。もし彼女が「敵」だったら、わたしは罠にかかったことになる。



     × × ×     



 フラッハ宮中伯マルセルについて、彼の甥──現当主のジギスムントは「実直な人だった」と語った。

 つまり家柄と人柄の他には取り柄のない人物だったらしく、ヴィラバ人や新教派が『新皇』『新教派の星』と祭り上げたのも「神輿は軽い方が良い」という古来の格言に倣っただけであり、マルセル本人の指導力は期待されていなかった。


 ところが十五年戦争終盤の土壇場で、宮中伯は自身の評価を塗りかえてみせた。


 一六三八年・十一月上旬。

 ブリッツブルク郊外の会戦でロート伯を破った宮中伯の軍勢は、返す刀で同盟西部に雪崩れ込んだ。


「我が本領を取り戻す! 諸将、村々に伝えぃ! そなたらの主人マルセルが帰ってきたと!」


 新教派の将兵は分進してフラッハ領の各都市を落とし、中心地・フェルゼンベルク郊外で合流した。

 一気に落とす。父祖の地を奪回する。十二年前の雪辱を晴らしてやる。

 宮中伯はフェルゼンベルク城に総攻撃を仕掛けた。


 対する旧教派の守将はエレトン公。

 古代人の気風を今に残す、強者揃いの家中を統率する智将だった。宮中伯とは親戚でもある。


「叩き割れーーッ!!」


 エレトンの将兵は城門から打って出てきた。

 粗野な服装で両手剣ツヴァイヘンダーを携えた兵士たちが、死を恐れぬ突撃で相手方の戦列に穴を穿ち、槍騎兵の突入が致命傷を与える。

 早々に戦意を失い、バラバラに後退していく敵部隊を、背後で待ち伏せていた散兵隊が射殺する。エレトン伝統の殲滅戦法である。


 これを宮中伯は跳ね返してみせた。

 始めに突っ込んできた抜刀隊を銃弾と『殺戮』で薙ぎ倒し、槍騎兵の突入も頓挫させた。


 エレトン公は『殺戮』の宣伝を全く信じていなかったものの、形勢不利と判断した。早々に城を捨て、城内の穀物庫に火を放ち、追いかけてきた新教派を何度か返り討ちにしながらフラッハ領を去っていった。


 勝者となった宮中伯は十数年ぶりに帰宅を果たした。


 ところがフェルゼンベルク入りから数日も経たないうちに、北の街道上にトーア侯(旧教派)の兵団が現れたとの報告がもたらされる。

 さらに東からロート伯の部隊も向かってきており、当時の宮中伯は諸将から判断を迫られた。


「マルセル殿、いかが致す!」「城に籠りますか!」

「こうなれば……仇敵アントンを完膚なきまでに叩きのめすのみ! 皆の衆、出るぞ! 各個撃破である!」


 彼の采配は決して間違っていなかった。

 フェルゼンベルク城には千五百名の兵を残し、北から迫りくるトーア兵の攻勢に耐えてもらう。

 自身は約六千名の主力部隊を率い、ロート伯を国境沿いで迎え撃つ。

 全体の戦力差と城内の食糧事情を鑑みた上で、宮中伯は「会戦」という判断を下したのだろう。

 あるいは籠城戦では『殺戮』が役に立たなかったのかもしれない。

 宣伝カタログ通りの能力ならば、城内に隠れ、窓から遠くの敵兵を「目撃」するだけで圧勝できるはずなのに、彼らはそうしなかった。


 いずれにしても宮中伯の判断は妥当なものだった。

 彼にとっての不幸は、相手の方が一枚上手だったことだ。


 同月二十日。両軍はネッカー川沿いのブライターフルス村を挟む形で向かい合った。

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