9-2 魔法使いの復讐(2)
× × ×
十五年戦争中、
大抵の魔法使いには「
奴隷ギルドの閉鎖性により実数は明らかではないものの、地方の町くらいの住民が強制的に移送され、少なくとも百名余りの魔法使いが戦線投入されたことは忘れないでほしい。
おそらく『殺戮のフロレンティナ』もそうした魔法使いの一人だった。
あるいは奥州に来てから魔法が使えるようになったのかもしれない。見つめた相手を殺してしまう能力。初めからわかっていたなら、奴隷ギルドの目玉商品になっていただろう。そうならなかったのは家族が彼女の魔法を隠していたから? いつか牢屋から逃げ出す時のために?
残念ながら
彼女はきっと不幸だった。
部族の長に売却され、もしくは奴隷業者に拉致され、見ず知らずの土地に移送されてきた。
同盟人は異教徒の奴隷をもてなしたりしない。彼女たちは牢獄同然の部屋に閉じ込められ、粗末なライ麦パンを分け合う生活を延々と強いられたはずだ。そのパンさえも戦争末期には満足に与えられなくなった。
「安全装置なら一つで十分だろう」
一部の領主は
父が。母が。兄が。姉が。弟たちが。時には自分自身が。
同盟人の手で土の下に埋められていく。
殺してやりたい。敵も味方も関係ない。あいつら全部を消し去りたい。
そんな気持ちが、彼女の体内で固めのバターのように、力強く練り込まれていたとしたら。
× × ×
一六三八年。初秋。
ロート伯は苛立ちを隠せずにいた。
彼は平らげた皿を指先で
長机の左右では元服を迎えたばかりの育ちの良い青少年たちが、実家の教育係から習ったとおりの優雅な手つきで「しょっぱい肉」を刻んでいる。
ロート伯は地主が出してくれた赤ワインを勢いよく飲み干した。血色の液体が唇の端から零れ落ちる。以前なら門下生の一人がすかさず拭いてくれたものだ。今となっては一人も残っていない。
「不合理だ」
彼の小さな呟きに少年たちの目線が吸い寄せられる。
どいつもこいつも早く実家に帰りたくてたまらないという内心を
かつて我が手足となり、各級の現場指揮官を務め、自分が描いた作戦を忠実にこなしてくれた私塾時代の門下生たちは
詳細は不明。予想するに「上司の汚名をそそぎたければ功をあげろ」と無茶な作戦を押しつけられ、味方部隊の弾避けにされてしまったか。
ヨーゼフ大公には生き残りの門下生を自分の手元に戻すように懇願したが、代わりに宛がわれたのが目の前にいる子供たちだった。
あいつらがいてくれたら。先日のメイデン高原ではスカンジナビア帝国の女宰相を取り逃がさずに済んだものを。
「出発だ」
ロート伯は立ち上がり、各自の皿に残っていた「しょっぱい肉」に銀製のフォークを突き刺し、次から次に平らげてみせた。
少年たちが唖然としているが、歴戦の名将は気にも留めない。
悠長に昼食を楽しむような習慣など捨て去れ。
お前たちにはあいつらの代役を務めてもらう。初陣の時の失敗を繰り返すな。旗持ち・伝令・下士官・梯団指揮官の役目を果たせ。
「仕事は大切だ」
ロート伯の端的な物言いには複数の意味が込められている。
それが出会ったばかりの青少年に全て伝わるはずもなく、以前なら「通訳」を担ってくれた門下生のタール大尉も姿が見えず。
地主屋敷の食堂は中身のない緊張感で満たされていった。
「申し上げます!」
扉が開け放たれ、外気が入り込んでくる。
斥候の兵士がロート伯の足元に跪いた。
「総司令官、新教派に先を越されました! フラッハ兵がヘレノポリスに
「敵の戦力は?」
「およそ五千から七千!」
「片手間だ」
「加えて強力な魔法使いを従えているようです!」
伝令の報告にロート伯の目つきが険しくなる。
魔法使い。両軍の作戦計画に不確実性をもたらす存在。
ロート伯の旗下にも少しばかり配備されていたが、余程のことが無いかぎり投入しないつもりだった。
彼はサーベルの柄を握る。大公殿下から頂いた銘刀だ。宝石だらけで実用性には欠けている。
じわじわと抜き、尖った剣先を近くに座っていた子供の首筋に突き立てる。
一押しすれば容易に殺せる程度の力加減。
以下、ロート伯の本意を括弧内にて補足する。
「ユリウス少尉……(お前の)父親(が招いた状況)だ」
「ヒイッ!?」
「(お前の父親である)リンクス伯が(北の皇帝を討伐したからロート伯は用済みではないか、と言い出したために)我々の(進発を遅らせたことでヘレノポリスを先取できなかった)戦犯だ」
「ぼ、僕は何も知りません! 三男坊ですし!」
「(殺してやる)命乞いの時間だ」
「ヒエエッ!!」
ユリウス少尉は斥候の兵士を押し退け、泣き叫びながら食堂を出て行った。
ロート伯には追いかけられるほど元気がない。何より八つ当たりは不合理だと感じた。
気持ちを鎮めるようにサーベルを納めると、全身の力が抜けてしまった。
足元がよろけたロート伯を支えるべく、門下生が駆け寄ってくることは二度とない。
であれば。作るしかなかろう。
ロート伯は傍らに控えていた下士官に指示を飛ばす。
「イルムシャー伍長。ユリウス少尉を捜索だ」
「えっ……いや、それは……」
「少尉に砲撃(の作法)を叩き込む」
「た、叩き込むんですか?」
「状況にもよるが(希望者がいるなら)他の者にも、だ」
「ひいっ」
伍長が慌てて飛び出していった。
あまりの行き違いぶりを見ていられなかったのだろう。
門下生ではないが、元配給騎兵で御用商人の男性が「副官をやらせてください」と申し出てくれた。
以降、戦場に辿りつくまでの短い期間ではあったが、旧教派貴族の令息たちはロート伯から技術と経験を叩き込まれたという。
× × ×
フラッハ宮中伯が『殺戮のフロレンティナ』を宣伝するようになったのは、彼らがヘレノポリスを占領した頃だと言われる。
『殺戮のフロレンティナ』
『見つめた相手を殺す』
『対価はパン三つ』
『フラッハ宮中伯の宣伝による。虚偽の可能性大』
当時の軍事資料が語るように、旧教派の指導者たちは宮中伯の宣伝をまともに受け取らなかった。
ロート伯もまた同様に「虚偽だ」と否定的に見ていた。
しかしながら実際の戦場において──すなわち同年十月のブリッツブルク郊外で彼の左目に映ったものは、まさしく『殺戮』の現場であった。
新教派の戦列歩兵と正面からやり合っているはずなのに。
矢面に立っていない、三列目や四列目の銃兵、草原を駆け回る散兵たちがあちこちで倒れていく。
彼我の兵力は同等のはずなのに味方の損失が多すぎる。
将校や下士官が倒れた梯団では銃兵たちが動揺を引き起こしていた。不味い。前線が崩れる。
ロート伯は望遠鏡で敵陣の様子を観察する。
フラッハ宮中伯と思しき中年男性が、しきりに手を叩いていた。
周りに新大陸出身者の姿は見えない。同盟人ばかりだ。
少し視線を移すと、野戦砲の砲列の近くに時代錯誤な全身板金鎧が鎮座しているのが見えた。
両腕を後ろに回され、衛兵の銃床で跪かされ、容易には動けそうにないが──容貌は窺えないのに、尋常ではない存在感を放っている。
「あれは……あれだ」
「あれとは何です?」
「撤退だ!」
ロート伯は咄嗟に望遠鏡から視線を外した。そして全部隊に敗走を命じ、自らも敵兵団に背を向けた。
「振り返らずに全力疾走せよ!」
副官の叫びが味方将兵に波及していく。
ほどなくしてヒンターラント兵は総崩れとなった。
すかさず新教派のイディ辺境伯が騎兵突撃を仕掛けてくる。
少なからぬ兵士たちがサーベルの餌食となったが、ロート伯は気にも留めずに撤退を続けた。
「ブリッツブルク城だ」
ロート伯は味方の星形要塞に潜むことで『殺戮』の視線から逃れられると考えた。
実際、堅牢な稜堡に隠れてしまえば、追いかけてきた新教派の将兵は手も足も出ない様子だった。
夜のうちに寄せ手のフラッハ宮中伯の梯団旗は見えなくなった。
ロート伯はユリウス少尉から報告を受ける。
「申し上げます。現在ブリッツブルクまで辿りつけた梯団はミッテルベルク大尉、オプスドルフ大尉、ヴルカン大尉の梯団のみ。それぞれ三割ほど脱落者がいます。他は指揮官が行方不明でバラバラです」
「使える奴から死ぬものだ」
「どうなさいますか、先生」
「五つ合わせて三千名だ」
「五個梯団に再編成と……了解いたしました。伝えてまいります」
少年がテントから出ていった。
ロート伯は独りで思索にふける。
恐ろしい『殺戮』の存在を将兵に伝えるわけにはいかない。教えた途端、兵営から人影が消え失せてしまう。ユリウス少尉なら小便をチビリかねない。
主君・ヒンターラント大公ヨーゼフにも報告できない。敗北の責任逃れだと追及され、敵前逃亡の罪状で処刑待ったなし。
生き残りたければ、自分の手で『殺戮』を
「……魔法使いだ」
彼は初めてサイコロを振ることにした。
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