9-1 魔法使いの復讐(1)


     × × ×     


 一六三八年・六月。

 当時飛ぶ鳥を落とす勢いであったスカンジナビア皇帝の戦死は、奥州大陸ヨーロッパに衝撃を与えた。

 大君同盟の宗教戦争に介入してきた田舎者。新教徒の金槌となり旧教派の主力兵団を叩きつぶした。盤上の駒を蹴散らした末に独りで没した。

 アレクサンドラ・カレラ宰相が残存部隊を北の帝都に引き上げさせたため、奥州大陸の中央には「力の空白」が生まれることになった。


 絶対的王者が去り、闘技場コロシアムには誰も立っていない──。


「今ならヒューゲルの兵力でも天下を狙えるだろうか」

「不可能でしょうな」


 ヒューゲル公コンラート六世の諮問にアルフレッドが答える。当時の彼らは北部の教会領の守りについていた。

 水気のない涼風が主従の間を通り抜けていく。


「アルフレッドはそう言うがな。今からヘレノポリスへ走れば、新教派みかたの勝利に貢献できるかもしれんぞ」

「我らの戦力では一時的に占領できたとして保持できません。おそらくロート伯に攻め落とされます」

「うぬぬ。あの男。皇帝ヨルゲンの鉄槌を跳ね返すほどとは」

「今となってはヒンターラント大公に残された唯一の手駒です。これ幸いとばかりに中央まで出張らせてくるでしょう」

「何とかならんか。味方と手を取り合い、立ち向かうのだ」

「フラッハ宮中伯……我らの元『新皇』が号令をかけておられるとの噂は存じておりますが、どうなることやら。どの家も疲弊しておりますゆえ」

「以前のアルフレッドならば、がむしゃらにヘレノポリスを目指したろうに」

「お言葉ですが、もう私も四十前ですぞ」


 アルフレッドが疲れた様子で目を伏せた。

 彼は前年に実弟を失っている。不幸中の幸いというべきか、葬式を執り行うために本領に戻った際、妻の身体に跡継ぎとなる嫡男を仕込むことが出来た。主君が許してくださるのなら、すぐにも騎兵鎧を脱ぎたいところだ。子供に会いたい。


「そうか。いやはや。思えば長い戦争になったものだな……どうにか勝ちたいものだが……」


 老公爵は竹筒の水をすすった。


 当時のヒューゲル家中には徒労感があった。

 必死に戦い続けてきたが、このままでは何も手に入りそうにない。

 東西南北。各地を転戦する中で築かれた人脈は、アルフレッドの耳に冷たい現実を投げつけてくる。


「コンラート様……此度の戦争、おそらく引き分けに終わります。せいぜい新教徒の信仰容認を勝ち取れれば御の字でしょう」

「ならぬ。余は諦めんからな。せっかく取り戻したコモーレン、シルム、クラーニヒ領を手放すつもりもない」

「ふう」


 主君の頑固な物言いにアルフレッドは呆れ半分、感心半分の吐息をもらした。

 であれば。どこまでもお供させていただこう。

 彼は懐中から封書を取り出す。封蝋ごと燃やすつもりだった便箋には配達人の説明どおり、元『新皇』による檄文がしたためられていた。


「コンラート様にフラッハ宮中伯から親書が届いております」

「なぜアルフレッドが持っておるのだ」

「先ほど宮中伯の伝令から預かりました。どうぞご覧くださいませ」

「このところ老眼が酷い。お前が読んでくれ」

「では……」


 アルフレッドは腹筋に力を込め、雄々しく読み上げる。


 ──聖書を奉ずる騎士たちよ! 諸州の戦う者たちよ!

 今こそ好機なり! 最後の好機なり!

 我らは異郷のいかづちを得たり! 現世において魔眼の女を得たり! 天下無双・史上最強の魔法使いを得たり!

 血まみれ伯爵、もはや恐るるに足らず!

 心ある諸侯、再び手を携えるべし! 再び『新皇』の元に集うべし!

 輝かしき勝利の暁には、褒賞は切り取り次第とする!


 永世選定侯・三職 フラッハ宮中伯マルセル(花押)

 追伸 ヘレノポリスにて待つ!


「切り取り次第……切り取り次第かぁ! ははぁ!」


 アルフレッドの傍らで、コンラート六世の血色がみるみる良くなっていく。

 血潮が燃えたぎっていらっしゃる。


「行きますか、我が君」

「まずは目の前のフリューリンク伯を叩く! 万全の態勢を整え、教会の守りを友邦ジーレンフリーデン兵に委ねようぞ!」


 コンラート六世には生真面目な一面があった。助けを求められたからには完遂せねばならない。


 そんな主君の性分をアルフレッドは好ましく感じた。

 彼は立ち上がり、脇に控えていた衛兵に指示を飛ばす。


「殿が決断なされた! ブッシュクリー少尉、各梯団に出陣の用意をさせい!」

「はっ」


 目つきの悪い若武者が駐屯地を駆け巡る。

 ヒューゲル公コンラート六世の、最後の戦いが始まろうとしていた──。


「「史上最強の魔法使い?」」


 わたしとヨハンの発言が被った。

 他の人たちも首を傾げたり、隣の客に小声で訊ねたりしている。


 ちなみに今日の談話室サロンには常連しか来ていない。歴史語りの噂を聞きつけ、遠方からヨハンの元にやってきたミーハーな客人たちには、別の部屋でイングリッドおばさんの独演会を楽しんでもらっている。

 ゆえにエマの物語は「初めから」を繰り返すことなく大変順調に進んでいた。

 わたしたちが問うまでは。


 エマは眠そうにあくびを噛み殺している。


「茶番。マリーは知ってるくせに」

「知らないよ。例のアジャーツキはまだシベリアにいる頃だろ。まさか『大玉転がし』のこと?」

「あれはトーア家の家人」

「だったら『迅雷のクリスティン』か。苦しめられたし」

「まだ生まれてない。しかも旧教派の手先。フラッハ家の魔法使いは歴代で一人しかいない」

「印象が無いなあ」


 わたしは返答に詰まった。

 現在のフラッハ宮中伯ジギスムントは魔法使いを保有していないとされる。当人曰く財力に欠けるからだ。

 ましてや戦争中のフラッハ家は基本的に領地を奪われていた。年貢や夫役を取り立てられず、他国の助力なしには満足に戦えなかった。

 そんな状態で魔法使いを購入できるわけがない──ああ。そうか。


 わたしは1周目の記憶を思い出した。


「そうだ。ハッタリだった。フラッハ家が相手をビビらせるために創作した架空の魔法使いだから、そもそも存在しないんだ。たしか名前は」

「『殺戮のフロレンティナ』だな」


 ヨハンが自信たっぷりな眼差しを向けてくる。

 わたしより先に答えてくれちゃって。元々キーファー家の資料にあった名前だから、知ってて当然だけどさ。

 何となく背中を叩いてやったら、力強い指先で後頭部を撫でられた。髪型が崩れるから止めてほしい。


「史上最強の魔法使いは実在した」


 エマが授業中の先生のような威圧めいた口ぶりで、わたしたちを暗にとがめてくる。

 ごめんなさい。私語は慎みます。わたしは旦那の手を払いのける。


 しかしヨハンのほうは(大君なので)反省の色を見せたりしない。

 愛する后妃マリーを抱き寄せ、語り部に見せつけるようにしながら反論する。


「オレの知るかぎり本物の『殺戮』を見たという奴はいないはずだが?」

「当たり前。本物と目が合ったら死ぬ。対価はパン三つ」

「そんな奴をどうやって奥州ヨーロッパに連れてきたんだ、奴隷ギルドは」

「そこまでは知らない。エマは彼女の記憶を読んでない。ただ『血まみれ伯爵』には『殺戮』に立ち向かった記憶があった。年月と思い込みに歪められてない、世にも恐ろしい思い出。今から大君陛下にも教えてあげるね」


 エマは近くに控えていた女中に目配せする。すると使用人が一枚の油絵を持ってきた。

 そこには雨模様の薄暗い草原と、丘の上に佇む女の影と、おびただしい数の戦死者が描かれていた。

 おそらく当時のロート伯が見た光景をそのまま描き写したものだろう。

 仮にそうでなければ……わたしの国語力では『悪夢』以外のタイトルを付けられそうにない。

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