8 暁の覚醒


     ◇ ◇ ◇     


 むかしむかし……といっても、あなたのおじいさんがまだ元気でピンピンしていた頃。

 北のみやこにそれはそれは美しい皇子が生まれました。

 その姿を見た者は、まるで雷に打たれたような気持ちになったといいます。


 彼のお父さんは愛する皇子にヨルゲンという立派な名前を授けました。

 それだけではありません。お母さんのおっぱいを吸い尽くしてしまいそうな皇子のために乳母ばあやを連れてきてくれました。

 これで毎日お腹いっぱいです。

 ところが乳母ばあやの娘はお母さんを取られたような気持ちになります。皇子と娘がヤイヤイとケンカしたのは、おそらく乳母ばあやの腕の中だけでしょう。


 美しき皇子はすくすくと成長していきました。

 やがて独りで立てるようになりますと、彼は乳母姉のアレクサンドラ・カレラちゃんをお供に、お城のあちこちを走り回るようになりました。

 まるでどこかの誰かさんのようですね。


「ヨルゲーン、どこに行ったのー」

「当ててみてカレラ」

「また台座の下。私の傍から離れたら駄目じゃない」

「次は見つからないよ」

「待ちなさーい」


 皇子は隠れんぼが大好きでした。大好きな乳母姉をビックリさせてやろうとあちらこちらに隠れました。ところが乳母姉にはすぐに見つけられてしまいます。

 どうしたら見つからずに済むのかな。皇子は衛兵さんの詰所に匿ってもらいます。ここなら乳母姉も入ってこれないはずです。


「うわーん。ヨルゲーン、わたし寂しいよー」


 お城の方から乳母姉の泣き声が聞こえてきます。

 皇子は仕方なく詰所を出ました。

 するとビックリ。乳母姉がニマニマと「したり顔」で待ち構えていました。

 泣き声は皇子をおびき寄せるための罠だったのです!


「ずるいよカレラ」

「もうどこにも行かないことね」


 乳母姉は皇子を家庭教師の所に連れていきました。

 北の都を治めるためにはたくさん学ばなければなりません。いつも民の手本となれるように。いざという時には民を守れるように。


     ◇ ◇ ◇     


 やがて幾年月が過ぎて。

 北の都に新たな皇帝が立ちました。


 臣民は口々に叫びます。


「ヨルゲン皇帝万歳」


 北の都の住民たちは美しき皇帝を自慢に思っていました。その姿を朝日の光に例える人もいました。

 皇帝の傍らには皇妃が寄り添います。大君同盟から招かれた、とても可愛いお姫様でした。


「即位おめでとうございます」

「ありがとうカレラ」


 お似合いの両陛下を支えるのは宰相のカレラちゃんです。

 聡明な宰相は若き皇帝のために力を尽くします。手始めに即位式を全力で盛り上げました。パーティーにお呼ばれしていた外国の人たちは北の都のおもてなしにビックリしたそうです。


「さすがカレラだね」

「これくらい当たり前でしょ」


 カレラちゃんは愛する皇帝に褒めてもらえました。それだけでもっともっと頑張れてしまうのです。


「私は陛下の乳母姉おねえちゃんなんだから」


 大好きな気持ちを胸の中に閉じ込めて、彼女は北の都をどんどん盛り上げていきました。

 すると冷たい氷の世界にちょっとずつ人がやってくるようになります。


 美しき皇帝は新しくやってきた人たちを快く迎え入れました。時には自分の宮殿に招くこともあったようです。

 身分を問わず様々な人と触れ合うことは実り多き未来をもたらします。

 皇帝は低地の軍人から砲術学を学び、北の都に銃の工房を作らせました。そうそう。今もスカンジナビアは武器の輸出で有名ですね。


 皇帝には大きな夢がありました。

 大君同盟の偉い人になり、いつか文明の後継者に選ばれたい。

 北の都を世界の中心にしたい。


「僕のために強い国・強い兵隊を作ってほしい。カレラなら出来るよね」

「わかったわ」


 カレラちゃんは二つ返事で引き受けました。愛する皇帝のためなら出来ないことなんてありません。

 彼女は昔ながらの仕組みを取り払い、西の王国のような指示の伝わりやすい決まりを取り入れました。

 皇帝の言うことを聞かない家臣には罰を与えました。

 お金のない庶民には年貢を払わせない代わりに兵舎に入ってもらいました。

 低地や大君同盟から戦争に慣れた男たちを招きました。

 彼らにお給料を払うため、美食の国からお金を貸してもらいました。


 皇帝は宮殿前の広場で何千人、何万人の兵隊さんを目にします。


「すごいや」


 勤勉な宰相の働きぶりに皇帝は大満足です。

 宰相も久しぶりに抱きしめてもらえて大満足でした。


「陛下。次は何をしたらいいの?」

「世界中の悪い奴らをやっつけに行こう。カレラも来てくれるよね」

「もちろんよ」


 二人は北の都を出発しました。

 子々孫々に語り継がれる、二人三脚の旅の始まりです。


     ◇ ◇ ◇      


 美しき皇帝には生意気な弟がいました。

 弟は大変な欲張りさんでした。せっかく平原の国の国王に選んでもらえたのに、満足できずにいたのです。

 彼は何度も北の都に現れては、兄の帝冠を盗もうとしました。懲らしめないといけません。


 勇敢な皇帝は使い慣れた胸甲に身を包みます。馬に跨がり、平原の国を突き進むのです。


「ごめんなさい」


 弟は怖がりでもありました。彼は強欲な性格を改め、平原の国の王冠だけで満足するようになりました。それだけではありません。世界中の悪者を倒す兄のために海沿いの土地を明け渡してくれたのです。

 美しき皇帝は大いに喜び、弟と仲直りできました。


「カレラ。次は漁師の国だよ」

「かしこまりました」


 二人は太陽が沈む方に向かいます。

 北の都と漁師の国は気が遠くなるほど昔からケンカが絶えません。今度こそ懲らしめてやりましょう。


 さっそくカレラちゃんは港町の臣民に船を作らせようとします。漁師の国は海の向こうにありました。

 ところが港町には船を作れるほど木材がありません。

 カレラちゃんは悩んでしまいます。


「どうしたらいいのかしら」

「船なんていらないよ。代わりに牛を連れてきてよ」

「お昼はステーキなの?」

「ソリを引っ張らせるのさ」


 美しき皇帝にはひらめきがありました。

 北の都では冬になれば海の上でスケートが出来るようになります。皇帝は漁師の国まで牛ソリで進もうというのです。


 カレラちゃんは近くの村から牛の群れを連れてきました。

 冬の短い夜を待ち、牛のツノに松明たいまつをくくりつけます。いざ出発です。


 漁師の王様は氷上の火列にビックリしました。

 おしっこをもらしてしまい、お城の床に茶色の水たまりが出来たそうです。もちろん拭き取る前に凍りつきました。冬におもらしすると大変ですね。


「どうか助けてください」


 漁師の王様は哀れにも皇帝の前に跪きます。

 王様の話では少し前から大君同盟の悪者たちに命を狙われている、とのことでした。

 悪者を追い払おうにも上手くいかず、今の漁師の国には兵隊さんがほとんど残っていません。


「わかった。僕たちが悪者を倒してあげるよ」

「ありがとうございます。お礼に街を一つ差し上げます」

「それは嬉しいな。ついでに君たちの船もちょうだいよ」


 心優しき皇帝は漁師の王様を許してあげました。


 次は船旅です。王様からもらった船団で海を渡ります。

 どんぶらどんぶら。ざぶざぶざぶ。

 カレラちゃんは北の都に戻りたくなってきました。しかし大好きな皇帝の傍を離れるわけにはいきません。


「陛下ったら。どこまで行くつもりなの」

「地平線の向こうまで」


 美しき皇帝は宰相を抱き寄せ、対岸の港町を指差します。

 ほら。私たちのよく知る町、インネル=グルントヘルシャフトですよ。


     ◇ ◇ ◇      


 大君同盟では助けを求める声があふれていました。

 若き皇帝は目の前の弱者を見捨てられません。

 地元の騎士たちと力を合わせ、悪者に立ち向かいます。


 ヴァイスハイト平原では悪の裁判官を倒しました。

 アオトマート峠では悪の修道士を崖から突き落としました。

 どちらも高名な悪者でした。

 やがて皇帝の采配は神がかりと恐れられます。味方の大司教から『暁将軍』の称号をいただいたほどです。


 若き皇帝に助けを求める声はどんどん広がっていきます。

 ある時、皇帝は悪者が従えていた異邦の精霊を拾いました。

 精霊には特別な力がありました。数キロ先の隣村まで届くほどの大声です。

 皇帝は仲間たちに自分の指示を届けやすくなりました。早馬を飛ばすより早く。的確に命令を下せるようになったのです。

 もはや若き皇帝にやいばを向ける者は少なくなりました。


「カレラ。僕は大君になりたい」

「わかったわ」


 カレラちゃんは主君から封筒を受け取ります。

 味方の宮中伯に大君即位のお手伝いをお願いするためです。

 カレラちゃんは気が進みませんでしたが、愛する皇帝の傍を離れることになりました。


「行ってくるわね、私の陛下」

「行ってらっしゃい」


 二人は別れの抱擁を交わしました。



     × × ×     



 一六三八年。

 エーデルシュタット城の地下牢。

 ヒンターラント大公ヨーゼフは焦燥していた。


「ウルフルス伯がやられた」


 ヨーゼフ大公は懸命に声を振り絞る。現実を認めたくなかったのだろう。なにせ歴戦の勇士を失ったのだから。


「ドライバウム伯も殺された。あの者には『夜更かし』を与えていたというのに。あっさり負けよった……」


 加えて総司令官と高価な魔法使いまで喪失した。

 もはや大公には戦場で頼れる者がいない──たった一人を除いて。


「アントン・ロート。お前だけだ。お前だけが頼りなのだ。お前ならスカンジナビア帝国を倒せるだろう、血まみれならば」


 薄暗い牢屋から囚人が連れ出されてくる。衛兵たちに肩を担がれ、久方ぶりに日の目を浴びた『血まみれ』の姿は枯れ木のようだった。

 今にも朽ちてしまいそうな右手にブレスレットが掛けられる。

 荒地のような頭皮には伯爵の宝冠が授けられた。大公自らの手によって。


「オルミュッツの領地を返してやる。称号も全て返す。アントン・ロート伯。お前を大公領の総司令官に任ずる」

「殿下、お言葉ですが」

「な……なんだ。恨み言ならば、いくらでも言ってくれて良いぞ。今さら虫の良い話なのは承知している」

「自分は六年前からずっと総司令官です」


 ロート伯の言葉に、ヨーゼフ大公は何も言えなくなった。



     ◇ ◇ ◇     



 悪者の親玉を倒そう。

 若き皇帝は大君同盟を南に進みます。白い花が咲き誇る高原を抜けると目的地が見えてきました。

 北の都とは比べものにならないほど巨大な城です。


 皇帝は怯みません。悪の大公がを上げるまで城の周りを取り囲むことにします。

 皇帝の家臣たちは北の都から大砲を持ってきていました。どんどん。ドカンドカン。昼も夜も撃ち込み続けます。ドカンドカン。まるで花火大会のようです。

 若き皇帝は異邦の精霊に命じます。


「悪者に降伏を呼びかけてほしい」

「わかりました。悪者たちよ。今すぐ城から出てきなさい」


 精霊の声が響き渡ります。

 若き皇帝は気がつきました。もしかすると悪者たちは大声を待っていたのかな。

 答えとばかりに城方から砲弾が飛んできます。

 皇帝の周りにいた人たちが吹き飛んでしまいました。


 泥まみれになった皇帝は兵隊さんに担いでもらい、巨大な城から北の都に戻ろうとします。

 しかし白い花の平原には血まみれの旗が立っていました。

 悪の大公は地下牢から魔王を呼び起こしていたのです。


「相手にとって不足なし」


 勇敢な皇帝は剣を取ります。何があっても自ら突き進む。その姿は兵隊さんたちを大いに勇気づけました。

 皇帝は待ち構えていた魔王軍の前衛を打ち破ります。


「伝説ほど強くない。僕たちなら勝てる」

「お待ちなさい」


 美しき皇帝の前にカレラちゃんが現れました。彼女は宮中伯から兵隊さんを借りていました。心強い援軍です。


「陛下。ここは深追いせずに北の都に戻るわよ」

「僕は魔王を倒したいんだ」

「相手が悪すぎる」


 乳母姉の指先がヨルゲンの袖を掴みます。

 しかしはやる皇帝は宰相の制止を振り払いました。


「カレラはそこで見ているといい。血まみれ伯爵、恐るるに足らず」

「陛下っ」


 皇帝は再び剣を掲げます。突き進みます。砲弾に吹き飛ばされても何度でも立ち上がります。

 カレラちゃんは必死に追いかけますが、どうしても追いつけません。

 悪しき魔王は巧みに兵隊を操り、自分の手元に皇帝だけを引き入れようとしていたのです。


 やがて美しき皇帝が魔王の前に立ちました。


て!」「て」


 皇帝の周りには誰もいませんでした。


 魔王が立ち去った後、カレラちゃんは倒れたままの皇帝に抱きつきます。心臓の音が聞こえません。

 彼女は泣き崩れてしまいました。


「あ……ああ……ヨルゲン……私の傍から離れたら、駄目じゃない……」



     × × ×     



 スカンジナビアに伝わる、若き主従の物語。

 イングリッドおばさんの感情が込められた語り口は評判を呼び、アウスターカップからやってきた辺境伯夫人も満足そうにうなづいていた。


 こういう時に抜け目がないのが低地の大商人だ。


「へいへい。イングリッドのおばちゃん、随分と良い調子じゃないの。不肖シャロと組んでクレロ半島の劇場で一発当ててみない?」

「はい出禁」


 エマの指示でシャルロッテが談話室の外に放り出される。

 彼女の歴史物語もいよいよ大詰めを迎えつつあった。

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