7 ホリデー・スペシャル


     × × ×     


 鍛え上げられた戦士であっても、朝から晩まで戦い続けることは難しい。

 欲望の小休止と呼ばれた年があった。これは戦線の膠着と死傷者の増大、村落の荒廃に伴う深刻な穀物不足が引き起こした「束の間の平和」であり、同時に諦めの言葉でもあった。

 あくまで小休止に過ぎない。欲望は止まらない──。


 穀物が足りないなら、もっと搾り取ろう。

 強欲な統治者たちは焼き払われた田畑の持ち主にさえ人頭税の支払いを命じた。


 北部の某侯爵は戦災で地図から消えた村に徴税官を送り込んだ。徴税官は村の近くに独りで住んでいた老婆から麦粥を取り上げ、主君に献上したという。侯爵が冷めた麦粥を口にしたかどうかは定かでないが、徴税官がブライに改姓させられたとの逸話が伝わる。


 苛烈な徴税に刃向かう者は君主直属の傭兵団に刈り取られた。全ての収穫は次の戦闘に備えるために活用された。

 こうした飢餓の制度化に耐えきれず、都市部や他国に逃げ出す百姓が続出した。食い扶持のない男たちは傭兵や人夫となり、兵営の戦力を補填することになる。

 縮小再生産の繰り返し。大君同盟の国富は穀物の輸入増に伴い目減りしていく。前世紀以来の蓄積が溶けてしまう。


「戦争を終わらせるべきだ」


 ロート伯が門下生たちに終戦論を訴えるようになったのは、ちょうど「欲望の小休止」一六三二年の春先だった。

 彼らは北方の新教派を片付けた後、ヒンターラント大公のお膝元・エーデルシュタット城に戻っていた。

 壮麗な礼服と元帥杖を下賜され、兵営総司令官に任命されたものの、ロート伯の目線は戦地に向けられたままだった。


「このままでは全員が敗者だ。手元に残るのは単なる砂だ」


 彼は城内のあちこちで熱弁を振るう。

 時に宮廷の上流階級から功名話を求められることがあり、その場においても持論を唱えてみせた。


「同盟の危機だ。民族の危機だ」


 ロート伯は奥州の中核にあたる大君同盟が弱体化すれば、周辺国の攻勢に耐えきれなくなると危惧していた。

 先年のセヴルヌマ程度なら押し返せても、列強が相手となれば、押しつぶされかねない。


「我らの内乱で笑うのは誰だ」

「ストルチェク人、スカンジナビア人、ライム人です」

「そのとおりだ」


 門下生との端的な問答は宮廷の話題を呼んだ。


「血まみれの英雄が臆病風に吹かれたか」「戦うことしか知らぬ成り上がり者が、戦いたくないとは笑わせる」「不気味な隻眼男には宮廷より泥まみれの戦場が似合うというもの」「大公殿下の方針に口出しするなど許しがたい」「何も得られぬまま、新教派と和平など出来るものか」


 ロート伯は稀代の軍略家だが、純朴な人物でもあった。合理主義的カリスマゆえに身内の悪意に無頓着だった。

 血統を重んじる名門ヒンターラントの廷臣・家臣団が、地主上がりの新参者にどのような視線を向けるのか、正しく理解できていなかった。


 やがて彼にまつわる「良からぬ噂」の数々が、他ならぬ主君ヨーゼフ大公の耳に届くことになる。



     × × ×     



 両陣営の諸侯が示し合わせたように出兵を控え、居城や所領で戦力回復に努める中。

 空気を読まない男たちが勲功のために激突する。

 同年八月。大君同盟の中心地ヘレノポリス近郊に『長梯子』の梯団旗が掲げられた。

 ヒューゲル公コンラート六世は馬上より街の様子を眺めた後、後ろに控える約二千名の将兵に呼びかける。


「あの廃墟が同盟の心臓である! 我ら槍となり、あの街を突き刺すのだ!」


 戦列歩兵と野戦砲が前進する。

 彼らの攻城戦は上手くいかなかった。敵方の堡塁群には多数の銃兵が詰めており、寄せ手の接近を許してくれない。


「予想より敵が多い。あれはかないませんなァ。引き上げますか」

「うむ」


 アルフレッドの進言を受け、コンラート六世は包囲を取りやめようとする。

 その隙を『ヨーロッパアカマツ』の旗印を掲げた騎兵隊が突いてきた。


「あれはキーファー公の!」


 アルフレッドは方陣の指示を飛ばすが、間に合わない。

 少なからぬヒューゲル兵が敵騎兵隊のサーベルに切り刻まれてしまう。

 さらに梯団指揮官のクランツ大尉が騎兵銃で射殺されるに至り、ヒューゲル側は一時的に恐慌状態に陥った。

 戦列の結束が崩れ、個々の兵士たちがバラバラに敗走していく。敵騎兵隊にとっては絶好の「狩り場」であった。


 どうにか近隣のクッヒェ男爵領まで逃げ延びたコンラート六世は、クランツ大尉の戦死を嘆いたという。


「あやつめ。生きていれば何度でも挽回できたものを。あろうことか敵の蹄鉄に怯えて戦場で膝を突くなど。格好のまとではないか」

「クランツ大尉ほどの猛者が……死期を悟られたとは思えませんがねェ」

「アルフレッド。家臣の死地は余が決める。無断で死んでくれるな」

「ははっ」


 アルフレッドは恭しく頭を下げながらも、内心では早々の死を覚悟していた。

 これから我が君は弔い合戦を催される。相手は旧教派の大領主だ。戦力差は歴然としている。いざとなればオレが盾になるしかねえ。

 その時は愛する妻を弟クレメンスに託し、タオン家の血脈を次代に繋ぐ。

 彼は陣中にて壮絶な遺言状をしたため、ヒューゲル家の縁戚にあたるクッヒェ卿に預けた。弟本人に直接伝えるつもりにはなれなかったようだ。


「者ども、行くぞ!」


 九月某日の早朝。

 ヘレノポリスまで戻ってきたアルフレッドたちは、夜中のうちにマイン川のほとりにある雑木林に潜み、日が昇る前に対岸の駐屯地へ渡河攻撃を仕掛けた。

 ヒューゲル兵にしてみれば、もはや十八番おはことも言える奇襲戦法。

 彼らは息を殺し、テントの中に銃剣を突き刺し、敵の歩哨をサーベルで斬り殺していった。

 敵側が攻撃に気づいたと見れば、ヒューゲルの各隊はすぐに仮設兵舎に向けてマスケットの一斉射撃を行い、全力疾走で駐屯地から逃げていった。


 前触れなく現れ、対応される前に立ち去る。

 一撃離脱ヒットアンドアウェイ。当時のヒューゲル兵営の戦術は確立されていた。


 だが、この時ばかりは「それでは気が済まなかった」。

 アルフレッドは主君コンラート六世の逃走を見送った後、タオン家の私兵隊二百名のみを率いて再び駐屯地に突入する。


 当時の彼を駆り立てていたのは、積もり積もった悔しさだった。

 戦友を失い続けてきた。戦果に見合った名声を得られずにいた。他家からは盗賊団と蔑まれてきた。

 大国と正面からぶつかれずにいた。敵の名将に待ち伏せを跳ね返された。

 何より全体の戦局を変えられず、常に新教派みかたは劣勢のままだった。血を流し、流され続けて、あがき続け、もがき続けても何も手に入れられない。いつか家さえ失うかもしれない。


 アルフレッドは配下の将兵に指示を飛ばす。


「駐屯地の厨舎に火を放てェ! 当主様を送り狼に遭わせるなァ! 緑服を皆殺せェ!」

「あれが指揮官だ!」


 木組みの兵舎からキーファー家の将校と共に、異様な風体の男が出てくる。

 アルフレッドは反射的に腰の短銃を抜いた。本能が「危険」を察知していた。あれは魔法使いだったかもしれない。しかし頭を撃ち抜けば死体に過ぎなかった。


 程よい満足感が彼に撤退を決断させる。


「退くぞォ」


 こうしてヒューゲル家はクランツ大尉の仇討ちを果たしたが、多くの兵を失った。


 一方のキーファー兵営は約一割の兵と『袋叩きのベン』を失うも、北部の本領に戻ることなくヘレノポリス駐屯を続けた。


 彼らの戦いが十五年戦争の大勢を揺さぶることはなかった。


 戦況は旧教派優位のまま膠着が続く。

 わずかではあるが、同盟社会に終戦の空気が流れ始めていた──。


「やっぱりクランツ大尉は『ベン』の魔法を受けたのかな。たしか金縛りの能力者だったよね」

「別に匂わせてるだけ。アルフレッドが殺したのも『ベン』の家族かも」


 わたしの疑問に謎が付け足されてしまう。

 エマはイタズラっぽく口元を緩める。


「マリーが真相を選べばいい」

「信頼できない語り手だなあ。モーリッツ卿はどう思いますか」

「クランツは途中で戦いを投げ出すような奴ではなかったぞ。某がトーア侯に城を明け渡すと決めた時、真っ向から反発してきたのがあの老大尉だった」


 モーリッツ氏は窓の外を見つめていた。彼の評価は一次史料となる。

 わたしは小さく手を叩いた。


「であれば。クランツ家の忠節に報いるべきですわね、赤茶毛の宰相殿?」

「承知した。すぐに褒章の手配をさせてもらおう」

「ヒューゲルに手紙を送るならついでにエマの手紙も書いて」


 どこか嬉しそうな様子で机の引き出しから文房具を取り出したモーリッツ氏に、エマが極めて愛想のないお願いごとをする。

 当然ながら赤茶毛の乙女の反応は芳しくない。訝しげに魔法使いをにらんでいた。


「手紙くらい自分でしたためたまえ。読み書きは達者だろうに」

「マリーの名前でイングリッドを呼びつけてほしい」

「おばさんを?」「あの方を?」


 わたしとモーリッツ氏は同時に声を上げる。

 おばさんにはラミーヘルム城で悠々自適の生活を送ってもらっている。

 うちの娘が生まれた後、彼女には御礼と慰労を兼ねて奥州ヨーロッパ旅行をプレゼントしたんだけど、どうもクレロ半島の港町で持ち金をギャンブルに注ぎ込んだらしく、あえなく出戻りとなってしまった。

 おばさんったら、身近に格好つけたい相手がいないと堕落しちゃうんだから。いっそ、わたしの祐筆になってもらおうかな。短い間になってしまうけど。


「イングリッドがいたほうが話が早い」


 エマは椅子から立ち上がり、世界地図のバルト海沿いを指差した。

 そうか。あの国はおばさんの出身地だった。



     × × ×     



 一六三三年。

 ロート伯は主君から出頭を命じられた。

 すぐにエーデルシュタット城の『宝石の間』に来ること。


 いくら大公殿下の命令とはいえ、いささか唐突すぎる。

 門下生や部下たちには「危険です」「仮病を装いましょう」と引き止められたが、ロート伯としてはやましいことなど何もなかった。


 旧教派の矛となり、信仰のために尽力してきた。

 ヨーゼフ大公のために幾多の敵を滅ぼしてきたのだ。

 まさか『宝石の間』に入った途端に衛兵に取り押さえられ、謀反の罪で全ての称号を剥奪されるなど想像できなかった。


 ロート伯は居並ぶ廷臣たちの満足げな様子を、かつての上司・ドライバウム伯の冷徹な目つきを、何より心酔していた主君・ヨーゼフ大公の理不尽な振るまいを──全て受け入れないことで精神の安寧を保った。

 自分がエーデルシュタット城の地下牢に幽閉されたことを認めない。

 認知しなければ現実にはならない。


 粗末な食事、劣悪な寝床、外出の禁止、会話の欠乏、情報の欠落。

 そうした日々の苦しみに独自の折り合いをつけ続け、彼の内心は『血まみれ伯爵』のままであり続けた。


 ヒンターラント兵営の総司令官となったドライバウム伯に『夜更かしのイリス』という魔法使いが与えられたらしい。なるほど自分の指示どおりだ。

 北部の旧教派連合が名門オーバーシーダー公の進出を防いだらしい。なるほど自分の指示どおりだ。

 旧教派のガルテン伯が、グリュンブレッター公爵家の隠居を生け捕りにしたが、グリュンブレッター公は身内ごとガルテン伯を射殺したらしい。なるほど自分の指示どおりだ。

 ドライバウム伯とウルフルス伯が、バルト海を越えてきた新教派の兵団を退けるために出陣したらしい。なるほど自分の指示どおりだ。


 …………。

 ……。

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