6 新教派の攻撃
× × ×
ヒューゲル公がラミーヘルム城を取り戻した頃。
前年のフェルゼンベルク会戦で大敗北を喫した新教派諸侯は、雪解け前にそれぞれの領地に逃げ戻っていた。
元『新皇』マルセルは再度の攻撃を訴えたようだが、諸侯が戦力の立て直しを優先した形になる。
逆に勝者となった旧教派は攻勢に転じた。彼らは同盟西部から新教徒の多い北部へ突き進んでいく。
平原・農地・村落・川辺・教会・街道上。あちこちで小さな前線が形成され、一進一退の攻防が繰り返された。
戦列歩兵の梯団が前進し、野戦砲の砲弾が弧を描き、騎兵が隙を窺う。教本通りの交戦が続けば、兵力の多寡が物を言う。旧教派が少しずつ版図を広げていく。
窮地の新教派連合には低地地方から歴戦の民兵団が応援に入った。
低地の住民は抑圧的なオエステ王国(旧教派)の支配を嫌い、新しい教えが広まってからは宗教的・文化的な相克も相まって『打倒
中でもシーウェルト・ファン・スミット伯なる低地人が、オエステ王家の官僚から『海乞食』海賊団の首領に転じて以降は、海陸を問わず熾烈な武装蜂起が繰り返されていたらしい。
そうした経緯もあり、低地の新教徒の中には以前から「大君同盟の新教派連合と手を組むべきだ」との主張が根強くあったという。
フェルゼンベルクの大敗北はあくまできっかけにすぎず、低地人が新教徒共通の敵であるベッケン家打倒のために立ち上がるのは時間の問題だった。
「であれば。ヒンターラント大公家とオエステ王家、東西ベッケンの血族も手を取り合うべきだ」
当時のアントン氏は陣中にて門下生たちに旧教派の結束を説いた。
オエステ王国に低地領の統制強化を依頼し、低地人の反乱を鎮圧してもらうべきだと。
当然ながら一介の梯団指揮官に過ぎない彼の訴えが、東西の宮廷におわす方々に伝わるはずもなく。
旧教派の諸隊は同盟北部において神出鬼没の低地民兵に翻弄されることになる。
熱心な『志士』数百名による精鋭部隊「パトラーシュ」は草原地帯で待ち伏せにあい、約半数が草むらに引きずりこまれて喉笛を掻き切られた。
エレトン出身の『志士』たちは低地民兵が仕掛けた「偽物の命令書」により幾度となく同士討ちを経験した。
ヒンターラント出身の『志士』ヨルン・キルヒナー伯は砲兵隊の視察中、野戦砲の腔発事故に巻き込まれて死亡した。調査の結果、低地民兵が不良砲弾を混入させていたと判明し、旧教派は全砲弾を点検しなければならなくなった。
ボーデン出身の『志士』ニクラス・ジンゲル大尉は指揮下の傭兵団を丸ごと低地商人に買収されてしまい、味方を逃がすために囮を演じた末に射殺された。
他にも未熟な『志士』出身の指揮官があちこちで罠に嵌り、命を失い、梯団を壊滅させていった。
指揮官が街角や
必然的に『志士』の生き残りはどんどん出世していった。
アントン氏が武勲により伯爵に叙された時、彼の指揮下には歩兵九個梯団と騎兵隊・砲兵隊が付いていた。
大部隊をまとめきれない若手将校が多かった中で、彼の場合は裁量権が大きくなるたびに戦果を巨大化させてみせた。
その存在が綺羅星のように輝いて見えたのだろう。
時のヒンターラント大公ヨーゼフは、アントン氏を本国に呼び戻し、居城に宮廷貴族を招いて盛大な叙爵式を執り行った。
そして宝石の間の壇上において、若き英雄は新たな命令を下される。
「オルミュッツ伯アントン・ロートよ。お前を北方軍司令官に任命する。北方より来たる背教者を討ち果たすのだ!」
「畏まりました」
「お前が案じていた低地の件はオエステの分家に手紙を出しておいた。忌々しいが
「ははぁっ」
アントン氏──ロート伯は恭しく頭を下げた。
(旧教派の希望であられる大公殿下より直々の指令だ。目標必達だ。亡くなった仲間たちのためにも、だ)
彼は右眼の眼帯をさすり、同輩たちの無念に想いを馳せる。
時に一六三〇年。
大君同盟の北方・ユラン半島のセルヴヌマ王国は内戦の末に新教派に傾いていた。
新たな国王は領土拡大の野心を抱き、バルト海沿岸部に進出。旧教派の大領主キーファー公の背後を脅かした。
当時のキーファー公は空位であり、シュバルツァー・フルスブルクは大混乱に陥ったという。
生き証人のヴェストドルフ大臣曰く。
<恐ろしい時代でした。当主が流れ弾に当たり、後継を巡りキーファー家の兄弟が殺し合い、傍系の野心家が反乱を起こし、家臣団が宗派で割れました。跡継ぎも将兵も消えた。そこに外国軍の上陸と来ました。私などよく生き残れたものです>
当時フルスブルク城代だったという彼は、セルヴヌマ側からの「キーファー公を自刃させろ」との物理的に無茶な要求に困り果てたという。
切れない首は切れない。
仕方なく家臣団と籠城していたところ、南の峡谷からロート伯の救援部隊が現れた。兵力は約八千名。
対するセルヴヌマ王国軍は戦列歩兵だけでも一万五千名を数えた。
まともな会戦にはなるまい。一方的にやられるだけだ……とヴェストドルフは頭を抱えたらしい。他の将兵も同じように落胆していた。
当のロート伯も同様だった。
ゆえに彼は一旦引き上げた。生家のあるヴィラバ王冠領に戻り、あっというまに約三万もの大部隊を作り上げてみせた。
その中の多くが数年前の『新皇』騒ぎの際に没落したヴィラバ人の元騎士たちだったという。
彼らは大逆罪で領地を没収され、新たにやってきた旧教派同盟人に城館を追い出されていた。
ロート伯は敗者たちに「一発逆転」の機会をちらつかせた。
さらに数年来の部隊経営で築き上げた各種サービスの提供を訴えた。
それは門下生出身の御用商人による手厚い生活保障であり、行く宛のない騎士にとっては魅力的な待遇であった。
具体的には大麦パンの配給、厩舎、従軍司祭、酒保商店、郵便制度、公平な戦利品の分配など。
すでにロート伯の本分たる「兵営の経営手腕」は卓越しつつあった。
そして彼の名声は翌月の会戦において確固たるものになる。
シュバルツァー・フルスブルク城の南方に広がる河原が鮮血に染まった。
ロート伯は彼我の梯団を自在に操り、敵を引き寄せ、味方で挟み、逃げ出した敵兵団に騎兵隊をけしかけた。
詭道ではなく正攻法でセルヴヌマ国王・エーリク八世を
あまりに一方的な殺戮に人々は
そしてロート伯の武威を称え、恐れ、時に陰口のように呼ぶのだった──血まみれ伯爵、と。
× × ×
ロート伯に救われたキーファー政府は、御家の立て直しに奔走する。
大君ハインツの次男を当主に迎えることで初代以来の悲願であった「親藩」の家格を手に入れた。
内紛で族滅扱いとなった分家の所領を回収し、財政基盤を確保した。
出征中だった家臣たちを当主の代替わりを理由に呼び戻し、領内の治安回復と徴税任務に従事させた。
どうにか秋を迎え、冬を越えた矢先。
シュバルツァー・フルスブルク城に奴隷ギルドの商人が現れた。
ヨハン二世の前には異民族の男性が引き出された。家族と共に鎖で繋がれ、同盟語を少し話せるという。
「袋叩きのベンとお呼びください。彼の能力は……」
「おおっ」
オエステ商人の説明を受けた若き当主は驚きを隠せない。
ヴェストドルフたち家臣団が「信仰に反します」「高価すぎる」と制止したが、ヨハン二世は気にも留めず契約書に筆先を走らせた。
「我が家には勝利が必要だ。大君陛下の藩屏が、手を尽くさずにいられるか!」
彼は手に入れたばかりの
一方の『袋叩きのベン』は終始不安げだったという。
× × ×
同じ頃。
ヒューゲル公領は兵営の再建に成功していた。
なにせトーア侯から受け取った身代金でラミーヘルム城の財政は笑いが止まらないウハウハ状態となり、ヒューゲル家の主従は連日てんやわんやの乱痴気騒ぎの末に、残った金を全額兵営にぶち込んだのである。
アルフレッドが南方の山岳地方やチザルピナ方面の傭兵団に声をかけ、コンラート六世が外国から立派な
「これでは同じことの繰り返しではないか」
モーリッツは武器庫に納品された火薬の袋を眺めながら、独りごちる。
敵襲に備えるなら追加の輓馬など必要あるまい。当主様は再び出征されるつもりだ。博打狂いのように当たりが出るまで、目立った戦果を上げられるまでサイコロを振り続けるのか。将兵の死をベットして。
あの大金があれば、城壁や城内町の修繕にも困らなかったのに。
それこそ新大陸の魔法使いを手に入れることさえ、出来たかもしれない。噂では一部の奴隷商人が
「魔法使いを持てば、抑止力になる。バンブス公が持つという『地ならしのペーター』などは土木作業に転用できよう……」
「宰相殿は魔法使いに興味がおありですか」
年相応の落ちついた声。
城内教会の牧師が話しかけてきていた。数年前に旧教派の略奪を受けていた教会からコンラート六世が救い出してきた人物で、神職ながら
モーリッツは火薬の検品を老け顔の部下に任せ、牧師との会話に応じる。
「いかにも。世の道理から外れた存在、
「信仰の守護者を称する連中が売りさばいているのですから、きっと大丈夫でしょう。あいつらに判断を任せたくはありませんが」
「なるほど」
「我らの戦いぶり次第ではオエステ王国から新大陸を切り取れるやもしれませぬ。今は夢物語ではありますが、いつかヒューゲルにも魔法使いが訪れましょう」
「その時まで某が生きていられたら良いが」
「それはお互い様でありますな。フハハハハ」
牧師が豪傑のような笑い声を飛ばし、教会の方へ去っていく。
モーリッツは手を振りつつ、終わりの見えない戦争の先、いずれ
いつか本物の魔法を見せてもらえますように──。
「良かったね」
「まあ……そうかもしれんな」
エマの言葉に赤茶毛の乙女は照れくさそうにしている。
気づけば、窓の外が明るくなりつつあった。夜通し話し込むなんて何年ぶりだろう。
気力の限界を迎えたのか、我が家の魔法使いは「疲れた」と椅子の背もたれに身を預けてしまっている。
こりゃ寝かせてあげたほうが良さそうだ。
モーリッツ氏のほうはまだピンピンしていた。柔らかな手つきでエマの膝に毛布をかけてやっている。
「……某が『地ならしのペーター』を知ったのはもう少し後なのだがな。エマの奴め」
「ふふふ。細かいことでも気になりますか」
「こうして伝承が神話に変わっていくのだろう。せめて後世まで語り継がれる名作になることを祈るばかりだ」
彼は椅子から立ち上がる。次いでネグリジェの中に手を突っ込んで脇腹のあたりを掻きながら勉強部屋から出ようとするが、扉の外にヨハンが立っていたせいで「ひゃあっ」と悲鳴を上げてしまった。
随分と可愛い声だな。
一方のヨハンは赤茶毛の乙女の柔肌をガン見しつつ、眠たそうに目をこするエマに対し注文をつけ始める。
「おいエマ。先行でやるならオレも呼べ。これでも楽しみにしてんだぞ」
「そうなの……次はそうする……」
「それと必要以上に我が家の醜態を晒すな。たしかにキーファー家中では内紛が起きた。セルヴヌマにも攻め込まれたが、あれはオレの親父が」
「詳細を読み取らせて」
「いいだろう」
記憶の読み取りを請われたヨハンはエマの椅子に近づき、指先に触れ合わせ──そのまま床に突っ伏した。例の気絶術だ。
エマのほうも気絶したように眠ってしまう。
わたしとモーリッツ氏は顔を見合わせ、ひとまず彼らに合わせることにした。
おやすみなさい。
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