2 伝説の夜明け


     × × ×     


 十五年戦争では民間の傭兵団が活躍した。

 中世の騎士団・従士団が銃火器の普及により梯団編成に切り替えられ、戦列歩兵による集団戦が勝敗を決するようになった時代。奥州各地の傭兵団長たちは同盟諸侯と契約を結び、地位や金銭と引き換えに兵営に加わった。

 中には兵営の運営自体を代行してしまう「戦争屋」のような存在まで現れた。

 その先駆けとされるのが、旧教派の名将・ドライバウム伯だった。


 一六二六年・四月。東方で異教徒と戦っていた彼は、当時のヒンターラント大公・ヨーゼフにより奥州へ呼び戻された。

 大公の居城・宝石のにて、両者は数年ぶりの対面を果たす。

 華やかな空間にはヨーゼフ大公の支持者が詰めかけており、さながらライブ会場の様相を示していた。

 天井のダイヤモンド地球儀が断続的に回転し、調度品の数々に彩光を散らしている。


「ドライバウムよ。お前をヒンターラント兵営の総司令官に任命する。我が兵と草莽の志士を率い、奥州の異端勢力を討ち果たすのだ」


 歴戦の名将はヨーゼフ大公から元帥杖を受け取った。木製の杖には多数の宝石が埋め込まれており、キラキラした空間の中で一際ひときわ煌びやかだった。


「承りました。それが正しき道ならば、信心深き我らは必ず勝利できるでしょう。ああ聖母よ。主があなたと共におられます」

「教皇猊下の支持は取り付けてある。短剣と免罪符もたまわった。存分に暴れてくれたまえ」


 ヨーゼフ大公はルドルフ大公の叔父にあたる。エマが読み取った記憶によれば、外見はルドルフとよく似ていたらしいが、やや中性的とのこと。

 その鋭利な立ち姿は『血まみれ伯爵』ロート伯──当時まだ何者でもなかったアントン氏の目に、ひたすら神々しく映っていた。


「志士の諸君も総司令官の指揮に従い、より良き未来のために戦ってくれたまえ!」


 ヨーゼフ大公が詰めかけた支持者たちに檄を飛ばす。


「大公殿下万歳!」「大公殿下万歳!」「旧教絶対主義万歳!」「大君独裁万歳!」「未来の大君陛下に万歳!」


 すぐさま空間が男たちの叫びで埋め尽くされる。

 アントン氏も例外ではなかった。両手を突き上げ、喉を枯らした。

 大公から『草莽の志士』と持ち上げられた彼らの大多数は地下人じげにんの名ばかり騎士、あるいは次男坊以下の部屋住みだった。貴族の子弟として教育だけは受けているため、地域で私塾を主宰していたり、場末の酒屋で論争に明けくれたり、親の金で設立した新聞社を勢いよく倒産させたりしていた。

 何より熱心な旧教徒の集まりだった。


「新教徒に死を!」「相応しい死を!」


 彼らは叫び続ける。

 宗教改革の嵐が吹き続き、飢饉と疫病が社会秩序を揺るがす中、古来の支配構造に立ち返ることで社会体制を立て直すべきだ──旧教絶対主義者のヒンターラント大公が大君になれば、全て上手くいくに違いない。そのために必要なのは戦果だ。華々しい戦果で大公殿下を飾りつけよう。


「諸君、開戦である!」


 ヨーゼフ大公が手の平を北方に向ける。

 志士たちの歪んだ主張を都合良く取り入れることで、彼は使い捨てられる手駒を数多く確保できた。

 若きアントン氏が主君の思惑に気づくのは、まだ先のこと──。


「不届き者のヒンターラント家め! この時から大君の座を狙っていたのか!」


 エマの語りを遮る形で、わたしの弟・カミルが怒りをあらわにする。

 今をときめく大君ヨハンの義弟おとうとになったせいか、このところ弟にはトゥーゲントの血脈に臣従したような発言が目立つ。昔から権威に弱いんだよなあ。

 カミルには立派にヒューゲル家を守ってもらいたいのに。


「お姉様! エマに命じ、ヒンターラント大公がボコボコにされるシーンを早く語らせてください!」

「あの家、十五年戦争では比較的勝ち組だったはずよ」

「僕はスカッとしたいのです! 作り話でも良いですから!」


 なかなか面白いことを言い出したな、こいつ。

 当のエマはわかりやすくイヤそうな顔をしていた。用意してきた筋書きを乱されたくないみたいだ。

 仕方ない。人前ではあるけど、ここは姉として弟をたしなめておこう。


「カミル。語り部に敬意を持ちなさい。歴史を学ぶ上でまたとない機会なのですよ」

「それはそうですが! 少しくらい脚色があってもよろしいではないですか! 聞き手を楽しませるのも大切でありましょう!」

「ドラゴンに乗った先代公がヒンターラントに攻め込んだり、尖塔より大きな甲冑同士が殴りあったり、墓地から蘇った古代帝国の戦士団レギオンを倒すために新教派と旧教派が手を組むような御伽噺おとぎばなしが読みたいのなら、流行りの劇作家に書かせなさい」

「うっ……そうさせてもらいます!」


 カミルは親指の爪を噛みそうになるも、すぐに指先を襟で隠した。

 ヨハンや赤茶毛の乙女が笑っていることに気づいたらしい。

 少しでも恥ずかしいと感じたなら、今後は七頭・選定侯に相応しい振る舞いを身につけてほしいところだ。お前だけが頼りなんだからね。


「儲け話の匂いがしましたよ!」


 勢いよく開け放たれるドア、甘えるような声。手触りが心地よさそうなブラウンヘア。

 わたしの談話室サロンにお客さんがどんどん集まってくる。


「本場クレロの歌劇作家や俳優との繋がりが必要でしたら、不肖シャロが仲立ちできますれば! いやぁドラゴン殺しの巨大甲冑、荒唐無稽、衣装係泣かせですねえ!」

「今後談話室で商談したら出禁にする」


 エマの冷たいひと言で、女商人が悲しそうに口をつぐむ。

 ちなみにここはキーファー公領、シュバルツァー・フルスブルク宮殿別館。一応わたしの談話室だ。



     × × ×     



 一六二六年。初秋。

 北方のスカンジナビア帝国から同盟領内の情勢調査に来ていた外交官ナウマン伯が、南部の丘陵地帯にてヒューゲル公コンラート六世と出会い、毎晩のように盗品のワインを飲み交わしていた頃──。


「あっ。たしかこの時にイングリッドおばさんを授かるんだよね」

「コンラート六世はナウマン伯の次女との秘密の逢瀬を楽しんでた。ナウマン伯に男気の一気コールを繰り返して、徹底的に酔いつぶすのがアルフレッドの仕事だった。マリーの発言権は残り二回」

「いいコンビだなあ……発言権って何?」


 わたしの問いかけに応じず、語り部は歴史の話を続ける。


 酒席での任務を終えたアルフレッドは、千鳥足で野営地の外へ歩き出した。

 松明の向こうには満天の星空が広がり、三日月の光が焼け落ちた村の垣根を照らしている。垣根の影に、ヒューゲル兵をお得意様とする遊女たちの姿は見えない。


「みんな、もう誘われちまったか。どっかのテントに混じるしかねえなァ……」

「兵がビックリするからやめてやれ」

「うおおっ!?」


 突然話しかけられ、慌ててサーベルを抜いたアルフレッドだったが、相手が知り合いだとわかるや、すぐに刀身を鞘に収めた。


「モーリッツのアニキ! ご無沙汰してます!」

「ご無沙汰にも程があるぞ。どれだけ探したことか」


 モーリッツは傍にいた従者に馬の手綱を渡し、小石を蹴る。


それがしに行き先を告げず、何をしているかと思えば、兵営ぐるみで夜盗の真似事とは……当主様は何をしておられるのだ!」

「スカンジナビアの外交官の娘とヤリまくってますが」

「本当に何やってんだ!? 男児が出来たら相続やらで国際問題だろう! アルフレッドも止めないか!」

「アニキ。それは無粋ってもんでしょうよ」


 アルフレッドはヤレヤレとため息をつく。火薬と剣戟と流血にまみれた日々、束の間の甘い秘密に口出しするつもりには到底なれない。

 一方のモーリッツは頭を抱えていた。


「全く呑気な……今、ラミーヘルム城の周りは敵だらけで大変なのだぞ。このままではアレシアの王のようになりかねん」

「アニキが全裸で旧教派に土下座するんスか。見てみてえ」

「言ってろ。そうならないために城代の某がわざわざ南部の前線まで探しに来たのだ。来月には全軍でヒューゲルに戻ってもらうぞ」

「それがそうもいかないんですよねェ」


 アルフレッドは松明の近くまで戻ってくる。先日入手したばかりの手紙を疑り深い兄貴分に手渡し、しばし反応を窺う。

 モーリッツが何も言わずに野営地の指揮所へ駆けだすと、それを笑顔で追いかけた。


 机の上に手紙を広げ、両者は向かい合う。


「……アルフレッド。こんなものをどこで手に入れた?」

「街道上に怪しげな旅人がいたもんで。部下がカツアゲしたら落としました」

「お前らの素行不良が功を奏したか。旧教派の大黒柱・トーア侯に宛てた救援要請。差出人はウルフルス伯……」

「旧教派のフラッハ占領部隊司令官でさァ」

「開戦当初に『新皇』の本拠地を抑えた傭兵団長だな。そいつがトーア侯に助けを求めているとなると」

新教派連合みかたが西部方面に攻勢をかけているんですよ! まさに俺らの出番じゃねえですかァ!」


 アルフレッドはパチンと指を鳴らし、そのまま卓上の地図をなぞる。

 彼らの野営地からフラッハ宮中伯領の中心地・フェルゼンベルクまで徒歩で四日の距離があった。

 フェルゼンベルクは山岳と河川に囲まれた西部の要衝だ。

 たった二千名程度のヒューゲル兵では攻略不可能だが、敵の拠点に奇襲をかけることで旧教派に警戒心を抱かせ、前線の敵戦力を分散できるかもしれない。


 当時のアルフレッドには上手くいく自信があった。なぜなら今まで半年以上にわたり、後方攪乱おなじことを繰り返してきたからだ。

 時には地元の騎士たちに追撃されたり、怒り狂った村人たちに野営地を包囲されたこともあったが、銃剣とサーベルで切り抜けてこられた。


「今はコンラート様があの調子ですが、近いうちにフェルゼンベルクに向かいます。ヒヒヒ。土産話に期待してくだせえな」

「……そうだな。弱い者いじめの話より余程楽しめそうだ」


 モーリッツの台詞にアルフレッドの眉間がピクリと反応する。


(アニキめ。留守番のくせに偉そうにしやがって。絶対に成功させてやろうじゃねえか)


 アルフレッドは右手の拳を握りしめる。

 そんな弟分の反骨心にモーリッツが気づかないはずもなく、小さくため息をつき──唐突に机をひっくり返した。

 地図と手紙が指揮所の土間に散らばる。


「可愛い弟分をむざむざ死なせてたまるものか。某の兵営中佐・軍事総監の権能をもって、お前の奇襲作戦は中止とさせてもらう」

「オイオイオイオイ! 何を言うんですかァ! お味方を助けないことには、ヒューゲルのお家に未来はねえでしょうが!」

「そのヒューゲルに敵兵が迫っているのだ。お前たちが戦果を挙げたとて、ラミーヘルム城が焼きつくされたら終わりだろうに。ともすれば、当主様やお前の家族も吊し上げられるとわかっているのか!」

「旧教派の天下になったら、どうせ新教派おれらは皆殺しにされます。戦場にいれば肌で感じますよ。あいつらの憎悪ってもんが!」

「それはお前があちこちで村を襲っているからだ! 宗派のせいではない!」

「略奪なんぞ、どの軍隊でもやってんだよ! アニキなら何も盗まずに二千人の胃袋を保てるんですかァ!?」

「むっ……だから本国に戻れと言っている! それにフェルゼンベルクを攻めたら、胃袋どころか肉体も保てなくなるぞ!」

「あそこは今、新教派おみかたの接近を受けて、城内がガラ空きに……」

「なっているとまでは手紙に記されていないだろう。考えてみろ。ラミーヘルム城はまだ攻め込まれていないが、某はお前たちに助けを求めに来た!」

「あッ……」

「お前たちは数万の敵兵が詰める城に突っ込むつもりか。さながら滑稽本の風車に突撃する偽騎士のごとく。そんなこと、某が許さん」

「ぐぐぅッ……戦果が。目に見えた戦果がないと、俺らは本当に野盗で終わっちまうんですよ、アニキィ!」


 アルフレッドは床に伏せる。

 彼自身も今のやり方が完全に正しいとは思っていなかった。彼らにとって想定外だったのは、南部の旧教派領主たちが領民の被害にあまりにも無頓着だったことだ。いくらヒューゲル兵が村落や教会・在地騎士の居館を襲っても、ボーデン侯やフロイデ侯の遠征軍が戻ってくることはなく、結果的にやりたい放題が続いてしまった。

 おのずとヒューゲルの兵卒は日々の「役得」を止められなくなり、将校のアルフレッドが制御できなくなりつつあった。

 だからこそ今、兵営を束ね直し、世間体の良い戦果を挙げたい。


「ふむ」


 弟分の嘆きにモーリッツは下唇を噛み、人差し指を添えていた。かつて大金を賭けたチェスの対戦で追い詰められた時のように。

 あの時は良い手が浮かばず、アルフレッドが当座の飲み代を立て替えた。


 今回はどうですか。アニキ。

 アルフレッドから期待の眼差しを向けられたモーリッツは、地図を拾い上げ、ある地点を指差した。


「……このあたり。フェルゼンベルクの南、街道上に罠を張れ。フェルゼンベルク救援に向かう旧教派の兵団を叩いてやれば、立派な戦果になる」

「オオオ……なるほど。そのあたりなら峡谷になってまして、川沿いに往来の道があるだけ。狭いし守りやすそうですねェ」

「森に隠れ、相手の行列の脇腹を突くこともできる」

「そいつはまた楽しそうだァ……いやーさすがはモーリッツのアニキ! 冴えてますねェ!」

「これでも遊学中に兵法を学んだ身だ。上手くいったら、すぐに本国に戻ってくるんだぞ」

「もちろんでさァ!」


 二人は笑みを浮かべ、固く手を握り合う。

 かくしてヒューゲル兵営の新たな方針が決まり、彼らは開戦以降初めて『強い者』と出会うことになる──。


「フェルゼンベルクの戦いか。飛ばしてくれていいぞ」


 赤茶毛の乙女が涼しい顔で緑茶を飲み干す。モーリッツ氏にとってはあまり振り返りたくない記憶らしい。

 エマがそんな彼に配慮するわけもなく、歴史は一六二六年・冬の大会戦に差し掛かる。

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