9-15 破滅


     × × ×     


 男は馬小屋に収容されていた。

 両手両足を錆びた鎖で繋がれ、土間に尿を垂れ流している。清掃は許されていない。

 保安上の理由から食物は与えられず、水分は天井に吊るされた布を通じて、ほんのわずかながら補給されている。


 むごい扱いは恐怖の裏返しだった。

 他者の心臓を「ひっくり返して」しまう人物を安全に捕らえておくには、ああするしかなかったようだ。


 公女おれが案内されたのも馬小屋の入口まで。

 鉄格子により内部には誰も立ち入れないようになっていた。

 三〇メートル以上向こうに彼の姿が見える。

 顔立ちを確認したい。

 鉄格子に近づこうとしたらヨハンに制止されてしまった。


「やめろ。体内に力を残しているかもしれん」

「それは……そうですわね」

「本来なら今すぐにも射殺してやりたいが、エマがお前に見せたいというから水を与えてやっている。どうだ。もう始末していいか」


 ヨハンは側近から騎兵用のマスケットを受け取る。

 不安と焦りを隠しきれていない。


「そのエマはどちらに?」

「アウスターカップ兵営の幹部どもを尋問させているが。相手の公使と停戦合意を結んだから、そろそろ連中も解放してやらんとな」

「その前にあの方を殺しておきたいのですね」

「物分かりがいいな」


 彼に髪の毛を撫でられそうになり、寸でのところで避ける。

 今はそんな気分じゃない。

 ヨハンは「ふん」と鼻を鳴らし、馬小屋の中に向けてマスケットを構えた。


「マリー。お前がためらってもあの男の処刑は変わらん。あれを殺すために多くの犠牲を払ってきた。お前もそうだろう」

「わかっています」

「なら、オレを止めてくれるな」


 彼の指先が引き金に触れる。


「……エマはあの方について、なにか」

「殺すべきと言っていた。気絶術と読心術を繰り返した末の結論だ」

「だったら……!」


 俺が来るまでに殺しておいてくれたら良かったのに。

 そう言いかけて、公女おれは口をつぐむ。


 それではダメなんだよね。エマ。

 二人でやると決めたからには。


「わたしがやります」


 ヨハンからマスケットを受け取り、筒先を標的に向けた。

 照星が震えている。自分の非力な両手では小銃を支えきれない。

 銃架の代わりに筒先を鉄格子に引っ掛けようとしていたら、ヨハンが後ろから抱きついてきた。


「何ですかこんな時に!」

「手伝ってやる」


 彼の指が公女の右手を支えてくれる。照星が揺れなくなる。

 さらに撃ちやすいように姿勢の整え方、狙い方まで教えてくれた。

 あとは引き金を引くだけ。


 照星の向こうにはボヤけた男の姿がある。

 ごめんなさい。


 ──発砲の反動は背中のヨハンが抑えてくれた。

 銃床を受け止めた右肩が少し痛む。


 馬小屋の中からは男性の悲鳴が聴こえてきた。

 当たらなかったみたいだ。シベリアの言語はわからないけど、痛がっているようには思えない。

 良かった……?


 舌打ちが聞こえる。


「所詮は騎兵銃カラビナーだな。ブロクラットに止めを任せる」

「ははっ! 第一列、撃てぇ!」


 ヨハンの家臣たちが小銃を一斉に放つ。


「第二列、撃てぇ!」


 交代で次々と放つ。

 何度も何度も。


 潔癖症の人間が手を洗う時のように。執拗に。

 馬小屋に黒煙が充満し、手持ちの早合が無くなるまで。


 ヨハンは左手で煙を払った。


「これでアメルハウザー大佐の仇は取れたか」

「殿下、亡骸くらいはアウスターカップに返してやりますか!」

「まだ少しくらいは生きているかもしれん。亡骸の回収は夕方とする。燃やしてから河原に埋めてやれ」

「仰せのままに!」 


 ブロクラット少佐は達成感たっぷりの笑みを浮かべていた。

 彼の胸元には双眼鏡がある。砲兵用の奴だ。

 公女おれは貸してくださいとお願いしかけて、やめておいた。


 多少ぼやけていても「反転」が人間の形を保っていないのは窺えたから。


「やったな、マリー」

「はい」

「もう銃はいいだろう」

「はい」


 ヨハンはマスケットを側近に返却すると、公女を再び背中から抱きしめてきた。


「もう心配事はないな。お前の言う「破滅」はなくなったな」

「はい……」

「よし」


 彼は頷いている。心底噛みしめるように。


 はたして本当に終わったのだろうか。

 いまいち現実味を感じられないのは、きっと傍らにあの子がいないからだ。

 あの子が証明してくれないと信じられない。


「ヨハン様、エマのところへ」

「そうだな。駐屯地では大したものは出せんが、お前らのために盛大な祝宴を催してやる。ついてこい」


 ヨハンに手を引かれる。馬小屋が遠ざかっていく。

 公女おれは指先で涙を拭った。



     × × ×     



 男は孤児みなしごだった。

 早くに両親を亡くし、奇妙な能力から親戚に疎まれた彼は、七歳の時に村の祈祷師に預けられた。

 全身を装飾品で飾りつけた老女だ。

 村では祈祷師は先祖の霊魂と交信できると信じられていた。

 実際、彼女は様々な伝承を男に教えてみせた。


『我々の先祖は海を渡り、この地に辿りついた』

『我々には他の村にはない不思議な能力がある』

『お前は特別それが強い』


 男は自らの能力の由来を知った。

 おそらく彼らは何世紀も前に新大陸から海峡を渡り、シベリアの寒村に辿りついたのだろう。

 ゆえに彼らの先祖は「魔法」の存在を知っていた。


 祈祷師は男に「先祖が持ち込んできた」という木の枝を与え、能力の使い方を学ばせた。

 あらゆる物を反転させる力を研ぎ澄ませ、他の技法も伝えた。


 そして今から二十七年前──一六四七年。

 祈祷師は長時間の祈祷の末、酩酊状態に近い様子で男に先祖からの伝言を託した。


『十年後、村を出よ。二十年後、遥か西の強大なる王のために力を示せ。二十八年後、己の力の源を反転させ、大いなる恐れを引き起こせ。父祖の弁、よく解せよ』

『わかりました』


 男は先祖に誓いを立てた。

 これが全ての始まりだった。


 彼は少なくとも六回以上連続で、一度も失敗することなく世界に「破滅」を引き起こしてみせた。

 前任者のハンナ・シュナイダー、インド系の女性、アジア系の女性、ゲオルグ、井納(一)、井納(二)は彼を止められなかった。

 神様が不確定要素のサイコロを振り続けても彼はシベリアで凍死せず、奥州で病死せず、戦場で戦死しなかった。

 いくら強力な魔法使いでも異様な生命力だ。


 エマは彼の存在を「バグ」と表現した。

 ──必ず世界を終わらせてしまう不都合なプログラム。排除しないかぎり先に進めない。

 祝宴の席で彼女は言い切った。どこか自分自身に言い聞かせるように。


 ともあれ「バグ」は井納純一という修正パッチにより消し去られた。

 マリーが叫び続けた「破滅」は妄言となり、この世界はようやく掛け替えのない歴史を刻んでいく。

 その先の未来に何が待っているのか、誰も知らない。

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