9-14 タイクンバウムの決戦


     × × ×     


 一六七四年。四月一日。

 タイクンバウム村は燃え尽きていた。

 焼け焦げた木材が散乱し、教会の尖塔には人工的な穴が穿たれている。

 人の気配を感じられない。


 公女おれは馬車に息子を残して、衛兵と共に廃屋の中に入ってみる。

 見捨てられた死体が砲弾の隣に転がっていた。


「ひっ」


 思わず目を背けてしまう。

 ティーゲル少尉が「どこかの傭兵です」と教えてくれる。


 廃屋の周りは泥濘が踏み荒らされ、所々に靴型の黒い血溜まりが出来ていた。

 砂利道を歩いていると時折酷い臭いが漂ってくる。


「風通しの良い所に行きましょうか」


 村はゆるやかな丘陵地帯の台地にあった。見晴らしが良い。

 周辺の丘には破り捨てられた梯団旗や物品類が散乱している。価値のあるものは持ち去られ、残っているのはゴミばかり。


 状況から勝敗を推測できない。

 ヨハンたちはどこに行ったんだ。

 生きているのか。

 使命を果たせたのか。


 イングリッドおばさんが恐る恐るといった足取りで近づいてくる。


「マリー。この先はどこに行くつもりなの。まだ北に?」

「ご覧のとおり戦いは終わりました。もう逃げなくても平気です」

「なら城に戻りましょう」

「そうですね」


 城内には入れないかもしれないけど、あれからどうなったのか気になる。

 他に行く宛もない。


 馬車まで戻ると、衛兵の傍らに低地人の少女の姿が見えた。

 疲れ果てた様子で馬車の踏台タラップに腰を据えている。


「ユリア!」

「あたし、奥様をたくさん探しましたよ……空を飛び回って……」

「ありがとう。敵兵に見つからないように脇道を使っていたのよ」

「なるほどぉ……馬車なんて豆粒ですね……」


 彼女はゆっくり膝に手を突いて立ち上がった。

 よく見ると飛行服のズボンのポケットから封筒がはみ出している。飛行中に落ちなくて良かった。


「その封筒はわたし宛かしら」

「いえ。こちらはキーファー本国のヴェストドルフ様にお渡しするものです。奥様には旦那様から別の封筒を」

「はい」


 公女おれは身構える。

 ユリアから受け取った手紙には全ての成否が記されているはずだ。

 公女の七十四年いままでの結果が、たった一通の手紙に。


 ……緊張で胃が痛くなってきた。

 学生服の受験生になった気分だ。封筒が薄かっただけに余計に辛くなる。


「お、おばさま」

「あなたが読みなさい」

「ううっ」


 イングリッドおばさんに手紙を突き返される。

 やっぱり自分で読むしかないのか。


 ふと、手元から視線を逸らすと──我が家の飛行娘は満面の笑みを浮かべていた。

 それってつまり。


「……勝った? 勝った! 勝ったのね!!」

「わわわっ! 奥様、急にくっついちゃダメですよぉ!」


 抱きついたら、そのまま二人で芝生に倒れ込んでしまった。地面が柔らかい。お互いのドレスが泥まみれになる。

 ああ。空が青い。


 公女おれは確認のために手紙から泥を拭き取る。

 ヨハンの文章は相変わらず単調だ。本当にわかりやすい。


『マリーへ。あの「シベリア」を捕らえた。今すぐ北ヒューゲルのミッテ村に来い』

「わかりましたよ」


 旦那が呼んでいる。行ってやろう。すぐにも会いに行こう。たくさんキスをしよう。

 公女は立ち上がる。


 イングリッドおばさんはこちらのドレスを心配そうに見つめていた。馬車の息子は首をかしげている。

 ふふふふふ。あはははは。


「ばんざーい! ばんざーい!! ばんざーい!!!」

「ははがおかしい」

「元からよ」


 子供とおばさんの言い分は酷いものの、ものすごく気分が良い。髪の毛まで泥まみれになっていても全然気にならない。

 ちなみにユリアのほうは飛行の疲れも相まってか、泥濘に身を委ねたままだ。それもまた良い。


「よっしゃあ! やったぁぁーー!! ……ああっ!?」


 ほとばしる喜びをバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクのように駆け回って表現しようとしたら途中で転んでしまった。

 大丈夫。もはや全身泥だらけでも平気だ。ちょっと足を捻挫ぐねったけど問題ない。


「いい加減にしなさい! マリー! あなたそれでも二十四歳なの!」

「もう九十九歳ですわ、おばさま!」

「……アルフレッドの気持ちが少しわかったような気がするわ」

「タオンさん、やったよーー!! 大叔父もやったよーー!!」


 めちゃくちゃ大声で叫んだら喉が辛くなってきた。

 あはは。これくらいにしておこう。

 ふう。


 公女おれは一息ついて、足元の飛行娘を引っ張りあげる。彼女もまた泥だらけになっている。


「ユリア。詳しい話は馬車で聞かせてちょうだいね」

「はい……」

「二人ともその前に着替えなさい。全く。子供の前でみっともないったらありゃしない。それでも母親ですか」


 イングリッドおばさんはカバンから別のドレスを持ってきてくれる。


「おばさまもありがとう!」


 泥まみれのまま彼女に抱きついたら、彼女は晩御飯の時間までひと言も口を利いてくれなかった。



     × × ×     



 大空から全てを見ていた少女は語る。


 三日前。三月二十九日。

 すなわち公女がラミーヘルム城を脱出した日の午後。

 タイクンバウム村を巡る、南北の攻防戦に転機が訪れていた。


 取って・取られての繰り返しに業を煮やした相手方が、ついに切り札を切ってきたらしい。


「うわああっ!?」


 強靭な紐が生き物のように揺らめき、村の中にいた味方兵士に巻きついていく。絞殺が相次ぐ。

 下手人は能力リストから「糸巻きのロジーナ」と推測された。指先に結んだ紐や糸を手足のように操る女だという。

 魔法の有効距離は約二十メートル。屋内戦に特化した魔法使いだった。


 さらに敵将は「逆上がりのテレサ」「二段飛ばしのカミラ」と複数の魔法使いを惜しみなく投入し、紺服の歩兵梯団を突入させてタイクンバウム村を完全に制圧してみせた。


 あの村は丘陵地帯の台地にあり、周囲の戦場を俯瞰できた(たしかに見晴らしは良かった)。

 民家は防壁として活用可能だ。

 前線の橋頭堡に相応しく、戦略的に重要な拠点と見なされていた──少なくとも相手方にとっては。

 だからこそ両兵営の兵士たちは三日間も緩慢な争奪戦を繰り広げてきた。


「おおおおおっ」


 村の中央に梯団旗を掲げ、勝鬨かちどきを上げる紺服たち。魔法使いたちも拳を突き上げていたらしい。若い女の子だったそうだ。


 ユリアは上空から彼女らの姿を確認すると、手筈通り赤色の吹き流しを大空にたなびかせた。

 三月の空は風が強い。

 彼女が広げたばかりの吹き流しがすぐにも垂れてしまったのは、どこかの老人が「そよ風」に変えてしまったからだ。


「砲兵諸君、もう待たなくていい」


 吹き流しの様子を眺めていたケーヘンデ公は、愛用品のラッパに息を吹き込んだ。

 あらかじめタイクンバウム村に向けられていた約一二〇門の野戦砲が、容赦なく砲弾の雨を降らせる。

 味方の砲弾は横風に煽られることなく村の家屋に突き刺さった。鉄球が落ちるたびに天井が崩れ、兵士たちが巻き込まれていく。


 ヒューゲルの砲兵隊(約四〇門)は低地製の『柘榴弾ざくろだん』をぶちまかした。

 砲弾が空中で炸裂し、地面に釘や尖石が降り注ぐ。地位も血統も関係なく人間が殺傷されていく。 

 魔法使いも例外ではなかった。

 たとえ紐を操れようが、他人の平衡感覚を逆転できようが、透明の箱を生み出せようが、遠方から飛来する砲弾には敵わない。

 それをわかっていたケーヘンデ公は、相手方が村の攻防戦に魔法使いを投入してくるまで、ずっとずっと待っていた。

 せっかちなキーファー公のイチャモンを説き伏せ続けながら。


 鉄の雨が止んだ後、ユリアは双眼鏡で三名の魔法使いの死体を探し当てた。崩れた建物の下敷きになっていたり、瓦礫に巻き込まれていたらしい。生き残った紺服たちが必死になって掘り起こしていたという。

 そんな数少ない生き残りも「北斗七星」の梯団旗を掲げて突進してきたインネル=グルントヘルシャフト家の部隊、ゲルハルト隊とヒュンフ=ファルベ隊に射殺されていった。


 かくして戦力の均衡は崩れた。

 ケーヘンデ公の従者が緑色の旗を掲げ、ユリアも同色の吹き流しを広げる。


「鼓笛隊始め! 梯団前進!」


 北部連盟の戦列歩兵が三日ぶりに前進を始めた。

 彼らは泥だらけの丘陵地帯を踏み越え、紺服の歩兵梯団に筒先を向ける。


 相手方も阿呆ではないので戦況の立て直しを図ってくる。

 北部こちら側の野戦砲兵がタイクンバウム村──戦場の右翼に集中していると踏んだのか、ゲレティヒカイト大将は反対側の左翼部隊を果敢に押し出してきた。

 アウスターカップの精鋭部隊は統率の取れた交代射撃で、北部諸侯の梯団を次々と打ち破っていく。


 この状況に対して、北部側の左翼指揮官・イディ辺境伯は騎兵突撃を選択した。

 彼の周りには家臣団とストルチェク騎兵隊が付いていた。


「やあやあ! 我こそは!」

「ひいいっ!」「有翼騎兵フサリアじゃねえか!」「なんで同盟側にいるんだ!」


 ストルチェク騎兵隊の指揮官・公女の弟マクシミリアンが名乗りをあげただけで一部の紺服たちは腰を抜かしたという。

 アウスターカップの住民には隣国の有翼騎兵隊の恐ろしさが伝承されていたのかもしれない。

 イディ辺境伯がマクシミリアンに「いつの時代だ! 名乗りはいらん!」と叫び、彼らは先頭をきって紺服の戦列に突入していった。


 中央戦線ではヒューゲル兵とキーファー兵が、それぞれ強力な魔法部隊をもって相手方の梯団を崩していた。

 ヒューゲルのライスフェルト隊とベルゲブーク隊は競い合うように戦線を押し上げていったという。

 あまりに突出しすぎて敵兵に半包囲されそうになった時には、後ろからフルスベルク中将の騎兵隊が駆けつけていたとのこと。


 右翼戦線では焼け野原のタイクンバウム村を突破したゲルハルト隊が激しい砲撃を受けていたが、すぐにシュテルン中佐がグリュンブレッター砲兵隊を前進させて応戦を始めていた。


 左右の戦線が固まり、中央がどんどん押し上げられていく。

 やがてアウスターカップの兵団は二つに切り分けられた。

 中央を突破した北部連盟兵は左右に分かれて味方部隊と半包囲を試みる。紺服たちはどんどん追い詰められていく。


 すでに大勢は決した。

 あとは「シベリア」を探すのみ。

 ユリアは死体だらけの戦場を飛び回る。地上に近づきすぎると銃弾が飛んでくるので、なるべく高所から双眼鏡で眺めていく。

 まだ生きている人間、死体。どちらも見て回る。


 もっとも怪しいとみられた第二軍団の司令部は撤退の用意を始めていた。

 ゲレティヒカイト大将は歯ぎしりしていたらしい。


「我ながら早まった! あと数日耐えていれば、南から来た味方と挟み撃ちにできたものを! なんと無様な! グリツィニエに笑われてしまうぞ!」

「司令官閣下、ひとまず馬車でお逃げください。我々も後から後退致します。アハツィヒあたりで部隊の立て直しを」

「そうだな。よし。ノイギーリゲ村で合流しよう。残存の魔法使いは先に連れていくぞ! 御館様の持ち物だからな!」

「了解しました!」


 残存の魔法使い。

 ユリアは「シベリア」の生存を確信した。捕らえるためにはゲレティヒカイト大将の馬車列を追いかけなければならない。

 彼女はまだ残っていた黄色の吹き流しを広げ、馬車の直上を飛ぶ。

 次第に戦場から離れていく。このままでは北街道に逃げられてしまう──彼女の心配は杞憂に終わった。


 ケーヘンデ公はあらかじめ戦場の北側の森に騎兵隊を潜ませていた。

 やる気のない遊び人ばかりで戦争では役に立たないが、上流階級の次男坊以下なので馬には乗れちゃう男たち。シャッハ隊だ。

 彼らは三日間をギャンブル三昧で過ごした後、砲声を耳にして森の中で即応体制を整えていた。


「止まれ止まれ! 司令官と魔法使いは出てこい! とっとと褒美をもらって昨日の借金を返してやる!」

「くそっ!」


 二百騎以上で追走してきたシャッハ隊に対し、ゲレティヒカイト大将以下アウスターカップ兵営の幕僚たちは降伏の道を選んだ。


 一方で、東洋人の魔法使いは停車した馬車から独り逃げ出そうとした。

 シャッハ隊が追いかけたが、彼らの馬が次々と倒れてしまい、数名の次男坊も胸を押さえたまま動かなくなってしまった。

 どうにか捕らえられたのは相手が能力の使い過ぎでカロリー不足に陥ったからだ。


 ユリアもまた疲れ果てていたけど、目的の達成をヨハンたちに伝えなければならなかった。


「──ほんっとに大変でした。あたし、その時に旦那様にもらった干し肉だけで奥様を探し回っていたんですよぉ」

「よく三日も飛べたわね」

「えへへ。ちょっと話を盛っちゃいました」


 飛行娘は立ち寄った城館で夕飯を食べながら、ぺろりと舌を出す。

 彼女の話を聞いたかぎりでは、彼女こそがタイクンバウムの戦いの功労者だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る