9-13 逃避行


     × × ×     



 翌日。

 相手方は早朝から砲撃を仕掛けてきた。

 前日のように猛烈なものではなかったけど、思い出したように砲弾が降ってくる。

 家屋の屋根が破壊され、城壁の瓦礫が道行く人々に降り注ぐ。


 ラミーヘルム市民の忍耐は限界に達しつつあった。

 何故、和睦に応じないのか。

 公女様はなぜ有利な条件での和平案を切り捨てたのか。


 瓦礫まみれの噂が勉強部屋まで伝わってくる。

 おそらくアウスターカップ兵営の間諜が流言を流しているのだろう、とモーリッツ氏は朝の会議で推測していた。

 このままでは城内の内紛が原因で落城してしまいかねない、とも。


 空飛ぶユリアの報告によると、北街道の戦闘は未だに散兵同士の小競り合いに留まっているという。

 どうやら双方が「強力な魔法使い」を多数揃えているために、どちらも被害を恐れて果敢な行動を取れず、相手の出方をうかがい続けているようだ。

 小さな村の取り合いだけで二日も費やしてしまうなんて。兵士たちの士気が保たないだろうに。

 かといって、下手にかして負けたら元も子もない。


 任せた以上は名将ケーヘンデ公の判断を信じるしかなさそうだ。

 あのせっかちなヨハンに独断専行ぬけがけを許していないあたり、部隊の統率は執れているだろうし、まさかサボっているわけではあるまい。


 うーん。でもあんまり余裕をかましすぎているとアウスターカップの戦列歩兵にサンドイッチにされてしまうぞ。

 やっぱり催促の手紙を送ったほうがいいのだろうか。悩ましい。


「はは、ちちはどこ」


 ベッドで遊んでいた幼児が訊ねてくる。

 それなりに話せるようになってきて、微笑ましい。


「お父さんは北にいるわよ」

「いつ戻るの」

「すぐに帰ってくるわ。きっとね」

「たいくん、たいくんな」


 小ヨハンは好意的な形容詞として「大君」を使う。

 何となくキーファーの血を感じさせてくれる。


 さて手紙をどうしようか。

 公女は悩んだ末に筆を置き、息子を抱き上げる。


 ──南から砲撃の音。

 何となくイヤな予感がしたので勉強部屋を出ると、背後から猛烈な音がした。

 廊下の床が揺れる。立っていられない。あやうく子供を落としそうになる。本能的に抱きしめる力が強くなった。


「いたいいたい」

「ああ、ごめんね。もう大丈夫だから」


 揺れが収まった。

 部屋に戻ると、天井とベッドに穴ができていた。

 木製の床は今にも崩れ落ちそうだ。

 幸いにして公女付きの女中さんは洗濯で席を外しており、下の階は誰もいない倉庫だったけど……逃げていなければ公女おれと子供は死んでいたはずだ。


「公女様、ご無事で」


 廊下に控えていたティーゲル少尉は憔悴しきっていた。


 死が間近にあった。

 不思議と現実味がない。

 困ったな。大広間も自室もなくなってしまった。その程度の感覚だ。


 昨日もそうだった。

 あれだけの猛砲撃を受けながら、息子を抱きしめつつ、他人の様子を気を配るくらいの余裕があった。

 むしろ城が落とされて全てが終わってしまいそうな時のほうが怖かった。


 なるほど。もはや自分は己の死を恐れていないのかもしれない。

 あと一年で終わりだと、ずっと前から知っていたせいかな──砲撃の音。今度は七連発。城のどこかに落ちていく。

 ほんのりと射手の意図を感じる。


 嫌がらせではないとすると、もしかすると「合図」か。

 何の?


「お逃げくだされ!」


 壮年の将校が走ってきた。ベーア大尉だ。

 彼は「御免!」と公女の子供をティーゲル少尉に預け、こちらの身体を強引に抱き上げると、なぜか廊下から階段を上がっていく。


 向かう先は今はなき尖塔ではなく城壁の屋上通路だった。

 中世期には胸壁の狭間に弓兵を並べていたが、今は板金鎧の兵士が一人で立っているのみ。間違いなくオストプリスタ卿だな。


「おうベーア、ティーゲル! あの塔の向こうは火砲で崩されておる。側防塔の階段を降りるしかないぞ!」

「わかった!」「了解しました!」


 三人は城壁の上を走りだす。公女おれと子供は運ばれていく。


 右手には三日月湖が見えた。

 よく見ると例の『レンガ道』を紺服の兵士たちが歩いている。

 そうか。タオンさんの割れ目が突破されてしまったのか。何らかの手段によって。

 あそこから中庭に入られたらラミーヘルム城は陥落したも同然だ。中枢部を落とされたことになる。


 まあ大広間も公爵家の居住区も崩壊しているから、いまや中枢とは呼べないかもしれないけど。

 どちらにしろ落城に近い。

 そうか。


「……ベーア大尉、あの」

「はあ、はあ、何でしょう公女様。はあ、はあ」

「わたしは歩けますよ」

「走っていただかねば、ならんのです。後ろをご覧くだされ!」


 ベーア大尉は息を切らしながら、公女のために上半身をねじって後方を見せてくれる。

 紺服の将兵が追いかけてきていた。

 もうあんなところまで来ていたなんて。


「ええい! オストプリスタ卿、すまん!」

「構わぬ!」


 板金鎧の老人は立ち止まると、手持ちの槍を紺服の兵士たちに向けた。

 上古いにしえの戦士のごとき立ち姿にアウスターカップ兵は困惑している。誰も小銃で狙おうとしていない。


 老人は古式ゆかしく名を名乗った。


「我こそはヒューゲル家臣、ミヒェル・フォン・オストプリスタなり! 騎士にして砲術師範・槍術免許皆伝。腕に覚えがある者と一つ手合せ願いたいが、よろしいか!」

「応!」


 彼の呼びかけにアウスターカップの中年下士官が応じる。

 サーベルを抜いて老人に斬りかかったが、穂先で捌かれてあっさり突き刺されていた。早い。


「次ィ!」

「おおう!」


 別の下士官がサーベルを抜く。

 老人は狩人のように槍を構える。


 ああやって公女おれたちが逃げるための時間稼ぎをしてくれている。

 申し訳ない。


 ベーア大尉は城壁の塔を降りていく。

 城内町の北三番街あたりの路地に出てきた。路地には詳しいから大体わかる。


「公女様。南門と中庭は落とされました。北門は健在ですから、そちらでご家族と合流いたしましょう」

「お父様たちは無事なのね」

「地下牢に避難されておりましたから」


 大尉はようやく公女を降ろしてくれた。

 城壁の塔から追いかけてくる影は見当たない。発砲音。急いだほうが良さそうだ。


 路地には市民が避難していた。身なりが良いのは芋成金。そうでないのはたぶん地元住民。

 目の前にいるのが公女えらいひとだと気づいてか、鋭くにらんできたり、平伏してきたりと様々だった。

 そんな彼らを掻き分け、大通りに出ることなく北門に向かう。


 門の周りに多数のヒューゲル兵の姿が見えた。まだ健在のようだ。

 北門衛兵の詰所ではモーリッツ氏が外套を羽織り、自ら指揮を執っていた。


「……おお。パウルの子女。行方をくらましたのかと心配していたぞ。どこにいた」

「勉強部屋に」

「自殺行為だな」

「戦況はいかがですか」

「見たらわかるだろう。それがしどもに残された道はたったひとつ。なぜか敵の姿がない北門から逃げるしかあるまい」


 赤茶毛の乙女は窓の外に目を向ける。

 ラミーヘルム城の北には敵兵の姿が見えなかった。あからさまに逃げ道が用意されている。


「きっと散兵隊が潜んでいて、わたしたちが逃げたところを寄ってたかって捕らえるつもりでしょうね」

「馬車ごと大砲で吹き飛ばされる可能性もあるぞ」

「恐ろしいわ」

「まあ敵兵の逃げ道を作っておくのは攻城戦の手法でな。古典に『窮鼠猫を噛む』というが、誰も追いつめられた兵とは戦いたくないものだ。現に兵営から脱走者が相次いでいる。今、北門に留まっているのは二百余りといったところか」

「たったの二百名……」

「もっと減ることになるぞ。だがヨハン公から吉報が届くまで矛を収めるわけにもいくまい」

「はい」

「……お前には引き続きティーゲル少尉をつける。宿屋で息子たちと逃亡の用意をしておけ。多少の時間なら稼いでやる」

「わたしが逃げてどうするのです」


 元よりヨハンにはラミーヘルム城が落ちても「シベリア」狩りに注力するように告げてある。

 出来れば落城前に済ませて欲しかったけど、落ちてしまうなら仕方ない。なるべく時間を稼いでから降伏させてもらう。


 アウスターカップは同じ新教派だから歴史ある公爵家をむやみに辱めることはないはずだ。

 むしろ下手に逃げたら送り狼にあう可能性がある。

 

「馬鹿者が。お前の旦那が嫁を見捨てて戦えるはずあるか」

「約束しましたわ」

「約束がなんだ。あれほど単純で誇り高い男を知らんと言っているだろう。お前と子供が捕まったとわかれば、すぐに両手を上げるに決まっている。あれはそういう男だ」

「……そうかもしれませんね」

「ああ」


 少し釈然としないけど、そのとおりだった。

 あいつならやりかねない。


 逃げるしかないのか。

 うちの城から。


「モーリッツ卿、あなたも行きますか」

「某は城代だぞ。半世紀前と同じだ。勝者のお出迎えをせねばならん。色々と交渉もある。小作人より忙しい」

「では……」

「ああ。また会おう」


 モーリッツ氏に詰所から追い出される。

 大通りの向こうではヒューゲル兵とアウスターカップ兵が建物や物陰に隠れながら射撃戦を行っていた。早くもベーア大尉が戦線に加わっている。

 もはや長くはいられそうにない。


 公女おれは傍らのティーゲル少尉に告げる。


「少尉。馬車を出してもらえるかしら」

「はいっ!」


 少尉はすぐに二頭立ての快速馬車を連れてきてくれた。

 よりによって我が家の誇り「親不孝号」だ。

 うちの子には早すぎるかもしれない。色んな意味で。

 まあ、母親の膝に乗せてやれば大丈夫か。


「行きまする!」


 御者のマルセル(公社の丁稚)が鞭をしならせる。

 少尉は随伴騎兵として付いてくれているので、馬車の中には公女と子供しかいない。


「ははどこいくの」

「お父さんのところよ」

「たいくん、たいくんなー」

「そうね」


 北門から北街道に向かう。

 北街道の一里塚を抜けたところで背後に三騎ほど近づいてきた。巧妙な襲歩で追いかけてくる。

 あれは──イングリッドおばさんじゃないか。周りにいるのは衛兵の馬乗りたち。


「待ちなさい! マリー!」

「おばさま!」

「ヨハン様というものがありながら、御家の苦境に乗じて、若手将校と子持ちで駆け落ちなんて、家庭教師として許さないわよ! 今すぐ戻りなさい!」

「わたしたちはヨハン様のところに行くの! ええと、会いたくてたまらないから!」

「えっ……そ、外は危ないでしょう! 何より男と二人きりなんて!」

「子供もいます!」

「員数外よ!」

「では、おばさまもご一緒に!」


 四騎と馬車は北街道を駆け抜けていく。


 すると、当然のようにアウスターカップ兵営の検問に突き当たった。

 紺服の将校が立ちふさがる。

 街道の左右では五十名以上の兵士がマスケットを携えている。


「止まれ! それなりの身分の方と存じ上げるが、女子供・銃砲は通すわけには参らん!」

「押し通る!」


 ティーゲル少尉の馬は脚を止めずに、馬止めを飛び越えた。その際に鉤爪付きの縄を馬止めに引っかけ、あっというまにひっくり返してくれた。

 馬車と他の三騎が部材を蹴散らしながら続く。


 紺服たちが慌ててマスケットで狙ってきたとしても、すでに距離が開きすぎて弾丸が届かない。


 後ろから敵騎兵が二騎ほど追いかけてきたけど、衛兵が陶製の手榴弾で追い払ってくれた。

 直撃しなくても馬は爆音を怖がるものだ。


「ぼーん」


 子供は喜んでいた。逞しい子だ。


 ふと前におばさんと追いかけっこした時を思い出す。

 あの時はおばさんに少し怒られただけで済んだけど、今回は──現実的に考えるともう城には戻れそうにないな。

 市民にしてみれば「戦争を煽った挙げ句に逃げた公女」になるわけだ。酷すぎる。一周目のブルネンよりも処刑に相応しい。


 そうなると戦後の公女はどこに行くのか……ああ、あの世だったか。

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