9-12 公女の戦争


     × × ×     


 三月二十八日。

 ラミーヘルム城の大広間に砲弾が撃ち込まれた。

 成人男性の頭部大の鉄球が天井を突き抜け、二名の使用人が瓦礫の下敷きになって死亡したらしい。

 伝聞なのは実際には見ていないからだ。


 ゲム=ストルチェク街道から西進してきたアウスターカップ第四軍団は、強烈な砲火力をもってラミーヘルム城を圧倒してきた。

 夜の吹雪のごとき砲弾の嵐が絶えず城内に撃ち込まれ、公女おれたちは地下牢から出られずにいた。

 半地下の回廊には一部の市民も避難してきている。


 破裂音、落下音、地鳴りのような振動がいつまでも続く。

 狂犬エミリアが泣きながら抱きついてくる。

 発砲音。混乱に乗じて脱獄を図った捕囚が衛兵に射殺されたらしい。ティーゲル少尉のお手柄だという。

 山崩れのような音。


「おい! 尖塔が倒れたぞ!」

「大通りが瓦礫で塞がれた!」

「どうなってんだよ!」

「水道橋も吹き飛ばされたって!」

「三日月湖の水を飲めってか!」


 回廊の市民が叫んでいる。

 今の公女は恐怖に怯える息子を抱きしめることしかできない。そんな公女の背中をエヴリナお母様がさすってくれる。

 狂犬のような義妹はイングリッドおばさんに寄生先を変えていた。おばさんは頼られると責任感が増す人なので恐怖で泣きそうになるのを必死で堪えている。

 シャルロッテはなぜかいつもの笑みを浮かべていた。両手で彼女の息子と公女の末妹マルガレータを抱きかかえている。

 パウル公はハイン宰相と何やら話し込んでいた。砲撃音に掻き消されて、よく聞こえない。


 赤茶毛の乙女は彼らの会話に時折耳を傾けながら、地図を片手に冷静に分析している。


「第四軍団はヴィラバのコンセント城を落とすために多数の攻城砲を連れていたようだな。まるで大雨のようではないか」

「超大国に相応しい火力だ」


 なぜかルドルフ大公の家臣・ロート伯がモーリッツ氏の隣にいた。

 その人を味方扱いしていいのかな。たしかに少し前には助言してくれたけど。


 赤茶毛の乙女は老将の台詞に頷いている。


「ああ。これだけの砲火力がヨハン公の主力部隊に向けられなかったのは大きい。元気な第四軍団をラミーヘルム城に引きつけ続ければ……!」

「問題は南から来る第二軍団だ」

「そのとおり。あいつらを北の主戦場に向かわせてはならん。さすが『血まみれ』の『傷だらけ』だなアントン」

「なれなれしい呼び名だ」

「そうとも」


 モーリッツ氏は笑みを浮かべる。

 そういえば大昔に同窓生だったらしいね、君たち。


 ──突然、砲撃の音が止む。

 外に出ると、もう夕方の空になっていた。

 黒煙が風になびいている。街のあちこちで火事が起きているようだ。

 尖塔は根元から崩れていた。

 呻き声と嘆き声、子供の泣き声が大手門まで伝わってくる。

 これが本当にラミーヘルムなのか。


 愕然としていたところに伝令の兵士が走ってきた。


「寄せ手に南門を落とされました! 城内町に敵兵が入り込んできております!」


 深刻な報告にモーリッツ氏の目つきが一段と険しくなる。


「ボルン隊に対応させろ! 押し返せと!」

「すでに対応しております!」

「それとガトリング砲を出せ! 南の検問所から馬車鉄道で運んできただろう! ボルンが手一杯ならばカーキフルフト少尉、お前が面倒を見てこい!」


 赤茶毛の乙女の命令を受け、伝令と少尉たちは南の前線に向かった。


 今のラミーヘルム城内には約千名の兵しか残していない。他はみんな北街道の戦場にいる。

 エマを含めて魔法使いも全員送り出した。弟マクシミリアンの有翼騎兵フサリアも北に出ている。

 城内で切り札と呼べるのは一門のガトリング砲だけだ。

 本当はあれも北に持っていかせるつもりだったけど、カミルには「お姉様が何と仰ろうが片方は残しておきます!」と断られてしまった。

 あれだけ姉の予言を信じていたくせに。

 いざとなると居城や家族を心配してくれちゃって。


 南門の方向からミシンのような音が聴こえてきた。

 味方がガトリング砲を撃ち出したようだ。

 敵味方の発砲音も断続的に伝わってくる。

 だんだん近づいてくる。音が大きくなる。


 女中さんたちが我が家の子供たちを城内に連れていった。

 モーリッツ氏は冷や汗を流している。


 これって相当やばいんじゃないか──焦る心を抑えていたら、相手方のラッパを境に発砲音はピタリと止んだ。

 引いてくれたようだ。助かった。


 周りの廷臣が安堵の息をもらしている。

 城代たちも同じだ。


「敵将は城内に橋頭堡を築けないとみたか」

「賢明な敵だ。夜を怖がった」

「某なら大手門まで突っ込ませていたがな。今なら落とせたろうに。全く臆病な敵ではないか」


 赤茶毛の乙女はわざとらしく笑ってみせる。きっと周りを元気づけようとしてくれているのだろう。笑えないけど。

 そんな彼の元にまたもや伝令が走ってきた。


「ご報告! 大通りの書店前にてボルン卿が討ち死になさいました!」

「ボルンの太っちょが死んだ!?」

「頭部に銃撃を受けたとの由。次席指揮官も戦死され、ボルン隊は将を欠いております」

「当面はカーキフルフト少尉にまとめさせろ。ボルン家の嫡男はまだ五歳だったはずだ……!」


 モーリッツ氏は伝令に指示を飛ばしてから膝をつく。紅色のドレスは元々汚れている。

 かける言葉が見つからない。


 城内の面々も見知った人物の戦死にショックを受けている。

 先方三家・守りのボルンが死んだ。小太りの根暗な若者がこの世を去った。気の良い奴だった。

 どこかの誰かが虚妄をふりまき、無謀な本土決戦を推し進めたせいだ──みんな口には出さないものの、冷たい目線を向けられているのは肌で感じる。


 何も知らないくせに。こちとらお前たちがみんな死ぬところを二度も見てきた。お前たちを救うためにやっているのに、たった一人の死のために恨まれる筋合いは……なんて心にもない反論をぶちまけたところで、余計に狂人扱いされるだけだ。


 全部受け止めて、その上で素知らぬふりをしておこう。

 今は耐えるしかない。

 ヨハンから吉報が届くまで。待つのは「なれっこ」だ。


 馬の走る音。いななき。


「城代様。相手方が外交官を寄越してまいりました。公使のカーゲル卿より封筒を預かっております」

「読ませたまえ」


 衛兵が持ってきた封筒をモーリッツ氏は『伝家の宝刀』で開封する。

 中身が気になるので近づこうとしたら、その前に近くの松明に放り込まれてしまった。

 紙はあっというまに燃え尽きてしまう。


「なぜですか!」

「パウルの子女。あれは目の毒だ。他の奴らにはとても見せられん。ステータス・クオ・アンテ。古代語はわかるだろう」

「戦争前の原状……領地割譲を求めない……」

「賠償金もなし。ただしストルチェクの国王選挙から手を引くこと。落城寸前の某どもには砂糖菓子のように甘すぎる……おのれアウスターカップ! よくもかように屈辱的な降伏勧告を!」


 ささやくような声から一転して、彼は周りの面々にも聞こえるようにあからさまに叫んでみせた。


 少しでも味方の戦意を向上させようという努力は今のところ実を結んでいない。

 兵士も市民も城内の人たちもみんな戦いに疲れている。

 この分だと明日が怖い。


「ご報告! ガトリング砲が破損! 機関部が弾詰まりで破裂いたしました!」

「うおお……ぬああっ」


 モーリッツ氏は頭を抱えていた。

 公女おれは夕空を見上げる。星が輝き始めている。待ち人の姿は見えない。

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