エピローグ


     × × ×     


 一六七五年。一月末日。キーファー公領の宮殿別館。

 大君御台所の間。


「久しぶりだね、エマ」

「半年ぶり」

「エマがヒューゲルに戻っちゃったから寂しかったよ。キーファーにいてくれたらいいのにさ」

「どこかのお姫様が領民に恨まれまくって実家に帰れないのが悪い」

「そりゃそうだけどさ……ねえ、まだ恨まれてるのかな」

「あと十年は戻らないほうがいい」

「じゃあ、もう駄目だね。尖塔にも登れないのかあ」

「折れてるけど」

「そうだったね」


「旦那が頂点に登り詰めた気分はどう」

「別に……大君になったところでヨハンはヨハンのままだし。あんな性格だから他国と揉めなきゃいいけど、いつかライム国王とは戦争になるだろうね。誰か止めてくれる人がいたらいいのに」

「自分が大君の御台所になった気分は」

「公女だろうが公妃だろうが、御台所になろうが、何も変わらないよ。わたしは今までどおり」

「毎日食べて寝るだけ」

「まあね。特にやることもないし、今は安静にしていないとおばさんに怒られるから」

「そう」


「ヒューゲルはどんな感じなんだい」

「今は三日月湖を埋めてる」

「あれ、埋めちゃうの。水堀の代わりだったのに」

「ラミーヘルムの城内町は手狭。居住区を広げて、大きな都市に作り直す」

「城壁はどうするのさ」

「取り壊してる。加工場とか施設の材料にする」

「昔の面影がなくなっちゃうなあ。寂しいよ」

「アルフレッドみたいなことを言ってる」

「今なら仲良くなれるかもね」

「公社はクルヴェ川の対岸にも新しい町を作るみたい。シャルロッテたちが張り切ってた」

「すごいプロジェクトになりそうだ」

「兵営のブッシュクリー中佐は両岸の都市を星形の堡塁で取り囲むつもり。お金が足りないから困ってる。魔法使いを三人もルートヴィヒ伯に売ってた」

「それはそれで大丈夫なの……」

「知らない」


「お父様やお母様、カミルたちは元気なのかな」

「エヴリナは実家に帰った」

「え、なんでまた」

「末娘のマルガレータの結婚に反対して出ていった。たぶんストルチェクの実家にいる」

「大叔父のところかぁ」

「四十年ぶり二回目の家出」

「ふふふ。それくらいになるかもね。あの人には手紙を出しておくよ。カミルたちは?」

「カミルは毎日暇そう。奥さんと乳繰りあってる」

「愛を深めるのもいいけど、当主の務めを果たすように言っておいてよ。わたしから手紙も出すけどさ……本来なら傍らの宰相がしっかり注意するべきだよね」

「モーリッツが全部やっちゃうからカミルが暇になる」

「あの人のせいだったか」

「半分くらいは」


「モーリッツ卿はまだ生きているんだね」

「今年で合計七十八。もうすぐ喜寿」

「魂の命数があと何年残っているのかな。見た目は赤茶毛の乙女だから死にそうにないけど、ぽっくり逝ってしまったら悲しいよ」

「大丈夫。モーリッツはマリーが死んだ後、密かにヨハンの継妻を狙ってる。先に死ぬつもりは一切なさそう」

「ヨハンがドーラになびくもんか」

「本妻は自信たっぷり」

「まあね。もうすぐ二人目も生まれるわけだし……すごく愛されてるから」

「すっかり母の顔。メス堕ちの末路」

「うっさいな。仕方ないだろ。人生のほとんどを公女として生きてきたんだから。性別を問われたら女だよ、もう」

「開き直った」

「長生きの秘訣さ」


「ところでエマにお願いがあるんだ」

「なに」

「前にも言ったかもしれないけど、君の本当の名前を教えてほしくて」

「却下」

「いやいやいや。お腹の子のためにも教えてよ。出産祝いでいいからさ」

「別に女の子が生まれるとは限らないでしょ」

「この子は女の子だよ。何となくわかる」

「……子供に付けたい名前があるなら自由に付けるべき。エマはエマ。本当の名前なんてない」

「でも新大陸の村ではちゃんと」

「エマはエマなの。今も昔も。七十五年間、一番大切な友達にそう呼ばれてきた。他に名前なんていらない」

「……妊婦を泣かせてくれたね」

「狙ってた」

「あはは。まんまとやられちゃったなあ」

「チョロすぎ」


「七十五年間、色々あったよね」

「めちゃくちゃあった」

「一周目の頃は大変だったよ。反乱は起こされるわ、城を明け渡すことになるわ。何をやっても上手くいかなくてさ」

「ヨハンの毒牙にかからずに済んだ」

「それはたしかに」

「井納はまだ井納だった。ずっとくるくる空回り。ヒューゲルも弱いまま」

「シャルロッテの使い道に困って、ティーゲル少尉と二人で世界旅行させたりね」

「バカなの」

「まずは世界の情報収集だと思ってね。知らないことばかりで五里霧中だったし、あの時の公女は外に出してもらえなかったから。その分、イングリッドおばさんとタオンさんには色んなことを教えてもらったなあ」

「エマとは疎遠だった」

「あはは。久しぶりに会えたと思ったら、また別れてしまったりね。懐かしいな。本当に寂しかったんだよ」

「一周目のエマはどんなエマだった?」

「……いや、たぶん今と変わらないかな」

「そう」


「二周目のことは……あんまり思い出したくないや」

「途中まで上手くいってた」

「エマが殺されてから、何もできなかったし」

「三周目の基礎にはなったでしょ」

「まあね。タルトゥッフェルが生み出す財力で富国強兵できた。大不作にも対応できた。あとは……二周目まではタオンさんと仲良くできていたな」

「でもアルフレッドはあんまり役に立たなかった」

「そんなことないよ。さっきも言ったけど、たくさん学ばせてくれたし……シャルロッテがヒューゲルに来たのはあの人のおかげなんだから」

「大商人引換券?」

「酷いこと言わないで。本当に頼りになる人だったし、いつもわたしの味方になってくれて、大好きだったんだよ」

「エマは今回のあの人としか会ってないから」

「そりゃそうか。あとで記憶を読み取ってくれてもいいよ。南方出兵の時がオススメ」

「別にいい」


「マカロン、なかなか美味しいでしょ」

「もっと食べたい」

「ジョフロア料理長に追加をお願いしよっか」

「むしろジョフロアをヒューゲルに返すべき」

「それはまだ無理かな」


「マリーは三周目こんかいの結果に満足してるの」

「あははは。エマったら。無我夢中でやってきて、やっと「破滅」を止められたのに、それ以上を望んだらバチが当たっちゃうよ」

「嘘つき。もし四周目があったら、もっと上手くやれてたと思ってるくせに」

「えっ……いやいや。部屋に入ってから一度も触れ合ってないじゃないか。引っ掛けるのはやめてよね」

「ただの推測。疑りすぎ」

「本当に? うーん。もし次の人生があったら──やっぱりタオンさんとは仲良くなりたいな」

「他には」

「モーリッツ卿を低地から連れてくるのは決まりでしょ。あの人のおかげですごく助かったわけだし。シャルロッテにはスネル商会を経営させたまま。他も同じく適材適所で……変えるべきところあるかな」

「いくらでもあるでしょ」

「あっ。そうだ。アウスターカップ兵営の不意討ちに注意する。まずはルドルフ大公を倒して、しっかり用意を済ませてから彼らに挑みたいね」

「南北の二正面作戦は大変だった」

「そうそう。あの時は詰みだと思ったよ。ヨハンたちがヒンターラントを落として、すぐに北まで戻ってきてくれたから助かったものの……下手したら舌を噛みきるしかなかったもん」

「あと五・六年の余命で四周目に入るつもりだったの」

「エマに会う前に終わっちゃうね」


「あっ。もう一つあった」

「うん」

「もしもやり直せるなら、シベリアからやってくる男をストルチェクあたりで待ち伏せしたいな」

「で、返り討ちにされるのがオチ」

「ヒューゲルに来てもらうだけだよ」

「あの男が仕えるのは『同盟でもっとも強い王』だけ。うちの力には従わない。殺すしかないけど、万全の状態ならまず殺せない」

「でも戦列歩兵の斉射なら……」

「ヨハンの家臣がアジャーツキを殺せたのは相手のカロリーが足りなかったから。お腹いっぱいの時は自己修復や自己強化の魔法を使える」

「そんな技まで持ってたのか」

「マリーには秘密だったけど、ヨハンたちはアジャーツキを完全には殺せてない。次の日まだ息をしているのがわかって、あの馬小屋ごと身体を燃やした」

「えっ」

「心配しなくていい。灰を完全に処理したからもう大丈夫」

「処理って何をしたのさ」

「秘密」


「まあ、何だかんだ言ってもさ。次回なんてありえない話なんだけどね。管理者の御要望に応えてしまった以上は」

「あれから出てこなかったの」

「一度も。三周目が始まる時も出てこなかったし、よほどエネルギーとやらをケチっているみたいだね」

「その理屈だと日本にも戻れない」

「えっ?」

「まさかの考えてなかった人」

「たしかにそれはありえたかも……うわあ。今さら戻されても困るなあ。あっちのあの世にはタオンさんがいないだろうし。いつかエマやヨハンを迎えられない。そんなの寂しいよ」

「管理者がズボラで良かった?」

「ズボラというか、何もかも必要最低限すぎるというか……今回出てこなかったのも、何も言わなくても「破滅」を止められるってわかっていたからじゃないかな」

「そもそも始めからアジャーツキを殺せと教えるべき」

「本当にそれだよね……ひょっとしたら前任者の時に何か失敗したのかも」

「だからといってルールを教えずにポーカーをやらせたらダメ。バカなの」

「ふふふ」


「エマはこの先、何をして生きていくつもりなんだい」

「新大陸に戻る」

「言ってたね」

「あっちで長老たちに技を教えてもらう。エマは杖の村じゃない。杖の使い方も知りたい」

「あれって生まれた村によるんだっけ」

「いずれは魔法使いの学校を作る。生徒に教える。そのために読心術の他にも魔法を使えるようになる」

「気絶技を使えるじゃないか」

「あれは読心術の応用。相手の体内に『空白の記憶』を入れてるだけ」

「なんか今さら恐ろしいことを聞いてしまったような」

「実は記憶操作もできる」

「ほ、本当に?」

「嘘」


「マリーはその子を産んだら何をするの」

「予定なんて組めないから。わかってるくせに」

「なら、何をしたいの」

「また仮定の話か。そうだね。この子を一人前の淑女に育ててあげたいな。イングリッドおばさんみたくビシバシしごいてやってさ」

「そう」

「息子はヨハンが鍛えるからいいとして。ああ。あと二人くらい産んでおきたいかも。病気で死んでしまうかもしれないし」

「他には」

「また旅がしたい。おばさんやエマたちと。赤茶毛の女の子も入れてあげようか。大君の奥さんだから外交も兼ねてね。きなくさくなりそうな西部や南部に。ストルチェクにも行こうよ」

「うん」

「ライム国王と対峙中の西部はフラッハ宮中伯にまとめてもらう」

「今までどおり」

「ヒンターラントは未だにルドルフ大公の帰還問題で揉めてるらしいから反対派に肩入れしよう」

「当然の流れ」

「ストルチェクではマクシミリアンが大叔父の荘園を相続したから、しばらく様子見かな」

「アウスターカップを怒らせないように」

「ヒューゲルはまあ心配いらないね。あの面子ならきっと。たまには評定で小言をぶつけてやりたいけど」

「わかった」

「まさか、代行しないでよ」

「エマに出来るわけないでしょ。ヨハンに伝えておく」

「愛してるって付け足しておいてね。子供たちにも」

「自分で言え」


「ふふふ……はあ。まだ死にたくないなあ」

「良かったね、井納」

「さっきから酷くない?」

「別に」


 エマは気ままな笑みを浮かべる。

 それを見て、わたしはやっぱり娘の名前にもらいたいな、と思った。



(二十五年契約公女・完)




――――――――――――――――――――――――

 生気ちまたです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。カクヨムでの掲載は一時期以降連日となりましたが、実際の執筆には二年半くらいかかっています。お楽しみいただけましたら幸いです。


 次頁以降は簡易な人物リストと設定資料集となります。

 よろしければご覧ください。

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