9-10 決戦前夜


     × × ×     


 ラミーヘルム城はそれほど広くない。

 来客室の数にも限りがある。

 よって上流階級の捕囚が移送されてくるたび「どの部屋を宛がうべきか」と廷臣たちは苦悩していた。

 礼儀作法の観点から地下牢には送れない。かといって城内町の民家を宛がうと人混みに紛れて逃げられてしまう。

 城外の古城や別荘は街作りの建築材として解体してしまった。


「どういたしましょう?」


 廷臣たちは時折当主のカミルに訊ねる。

 弟はそのたびに「逆賊など地下牢にぶち込んでおけ!」と指示していたけど、さすがに大領主のトーア侯や枢機卿を牢屋に送り込むことは出来なかったようだ。

 来客室はいよいよ満室となり……あろうことか狂犬エミリアが公女の勉強部屋に居候する流れになった。

 絶対に耐えられない。


 仕方がないので、公女おれは城の工務方に地下牢を改装するように命じた。

 あのジメジメした半地下の回廊も、中世期から存在する牢の数々も、みんなまとめて明るくて過ごしやすい空間に変えてもらう。

 高所に天窓が作られ、内装も剥き出しの石ではなく漆喰等で壁を飾らせた。

 天窓の他には燭台しかないから夜は薄暗いけど、囚人には十分な部屋になったはずだ。


 落成式の後……公女おれは新しくなった廊下の床に花を添えておいた。

 あの子が好きだったアカシアの花だ。


 廷臣の一人がわざわざ拾い上げてくれる。


「公女様。お花を落とされましたよ」

「置いたのです」

「それは失礼いたしました。戻しておきます!」


 廷臣はきびきびと話しながらも、少し怪訝そうにしている。

 あれは二周目の話だから公女の気持ちが伝わるはずもない。


 こうしてラミーヘルム城の部屋不足問題は一応の解決を見た。

 ところが空き部屋が出たら入居者が殺到してくるほどに、我が城は超人気物件だったらしい。


 一六七三年。十月。

 ヴィラバのコンセント城からルドルフ大公が移送されてきた。



     × × ×     



 かつての宿敵は痩せこけていた。

 でっぷりとしていた体格はあちこちの肉を失い、必要以上に背中を曲げているために余計に小さく見えてしまう。

 鈍色の髪は乾ききって枝毛だらけになっている。

 あごのあたりはもはや凶器のごとき鋭利さだ。


 二年以上の囚人生活、一時は神聖大君に即位したという自負に由来する「絶望」、単純に長旅の疲れ……彼をここまで衰弱させた原因は何なのか。エマがいないので読み取れない。

 彼が大君になろうとした理由や、いつぞや「破滅」を引き起こした原因さえも。


 そこで公女おれとモーリッツ氏は一計を案じた。

 脳内を読み取れないなら、喋らせてしまえばいい。


 すなわちルドルフ大公には「古くからのお知り合い」の方々と同じ来客室に入ってもらうことにした。


「……マティアス、アントン。ああ、お前たちもヒューゲルにいたのかい」

「ルドルフ様……おいたわしや……」

「………………」


 ルドルフの前に二人が跪く。

 トーア侯は心の底から悔しそうにしていたけど、ロート伯のほうは無言だった。

 ちなみに彼らの会話は鉛製の伝声管により全て我々に筒抜けとなっている。工務方に急いで取りつけてもらった。


「ルドルフ様、戦況は如何ともしがたく、僕らの旧教派南部連合はもはや……」

「知っているとも。我は敗れた。大君にはなれなかった。治天の君にさえなれば、我の愛する城に生涯引きこもれたというのに」

「申し訳ございません。このマティアスの力不足でございます」

「お前には同盟の国政を任せるつもりだったよ。我のエーデルシュタットに大君政府と議会を設け、ゆくゆくは……終わった話だったね」

「誠に申し訳が……!」


 トーア侯は泣いている。ヒューゲル家に対する恨みだけで戦っていたわけではなく、彼なりに大君同盟の未来を考えていたらしい。少し意外だった。


 ルドルフ大公のほうは話しぶりから察するに大君の権能で居城を守りたかったようだ。大君になれば諸侯に出兵を命じられるからね。

 彼の領地には何度も異教徒が攻め込んできている。すぐに援兵を呼び出せるようにしておきたい気持ちは理解できないでもない。引きこもれたというのはよくわからないけど、インドア派なのかな。


 わりと平凡な「動機」だったものだから、伝声管で聞き耳を立てていた公女おれとモーリッツ氏は拍子抜けしてしまった。

 そんなありきたりな思考で、あのような大戦争を仕掛けてきていたのか。


「何もかも皮算用だ」


 老将が呟く。

 部屋の空気が固まる。

 トーア侯は声を荒げた。


「……何だと貴様! 下賎な傭兵上がりの分際でずいぶんな口を叩いてくれる。身を弁えるべきではないか!」

「ヘレノポリスだ。あそこで勝てていれば、こんなことにはならなかった。あの局面ではルドルフ様が陣頭指揮を取られるべきだった。総指揮官が戦場にいないから軍を寸断された。状況を読み違えた結果だ」

「そのとおりだね。ああ。アントンの言うとおりだよ。我が出不精だった……ふう」


 ルドルフは息をつく。

 ベッドの軋む音。やはり疲れているらしい。

 やがて中年男性の寝息が聞こえてくる。


 トーア侯は鼻をすすった。


「……おいたわしや。旧教徒の光となられた方が。このような狭苦しい部屋で」

「同意だ」

「何が同意だ。傭兵上がり、お前がヒューゲル兵営に作戦指南しなければ今頃ボーデン兵がラミーヘルムを、ヒューゲルのクズどもを皆殺しにできたというのだぞ!」

「極めて野蛮だ。一宿一飯の恩を返した。もはや戦は無用だ」

「逆臣め! ルドルフ様に引き立ててもらいながら!」

「あなたの怒りは私怨だ。私怨で大切な兵を殺すか」

「成り上がりのお前に何がわかるか!」


 言い争いがエスカレートしていく。

 ついには、いい年こいたおじいさんたちが力づくで喧嘩を始めてしまった。


 止めに入るわけにもいかず反応に困っていたら、彼らと同年代のモーリッツ氏から耳打ちされた。


「おい。どちらが勝つか、五マルクほど賭けないか」

「ひゃっ」


 いきなりだったから変な声が出てしまった。どうも耳が弱い。前より弱くなっている気がする。

 伝声管の向こうから喧嘩の音がしなくなった。


「明らかに女の声だ」「若い女だったな」


 不味い。隣の部屋から聞き耳を立てていたのがバレてしまう。

 公女おれたちはそそくさと逃げ出した。


 結局ルドルフ大公が一周目で世界を「破滅」させた直接的な原因はわからなかったけど、モーリッツ氏は彼らの会話から一つの推測を立てていた。


「お前がいうところの一周目ではあいつらが勝っていたわけだろう。前回と今回はアウスターカップ辺境伯が有利な状況だ。それがしが思うに「破滅」の魔法使いはその時、もっとも有力な勢力に加わっているとみた」

「それって……」

「ああ。こう言っては何だが、某どもの北部連盟が同盟最強だったならば、「破滅」対策は存外あっさり終わっていたかもしれんな」


 赤茶毛の乙女は何とも言えない顔をしていた。

 たぶん公女も同じだったはずだ。



     × × ×     



 ラミーヘルム城までルドルフ大公を連れてきたのはシャッハ隊だった。

 かつてヨハンがコンセント城の守りとして、在地領主の次男坊以下を徴用して設立させた「遊び人部隊」だ。


「大君陛下の騎士団・シャッハ隊のアメルハウザー大佐と申します。ヒューゲル家の方が何用ですかな」


 彼らの駐屯地に出向いたら、いかにも世間知らずそうな髭面の中年男性が出てきた。

 右耳に麻雀の点棒を引っかけている。エマが木工の株仲間に作らせた麻雀セット、けっこう出回っているなあ。

 それはさておき。


「挨拶をさせていただきたくて。ようこそ我が城にいらっしゃいました。はるばるヴィラバから来られたそうね」

「ええ。ええ。ストルチェク方面からアウスターカップの大兵団が近づいてきましたので、ヨハン様の指示どおり捕囚を連れて逃げてきました。それがまた峠の道がボロボロで歩きづらくて」

「大変でしたわね」

「まあ。戦うよりマシですよ。当然たった二千名では正面きって戦えませんし、別に戦うつもりもありませんでしたけど」


 一部隊の指揮官とは思えない軟弱な発言が続く。

 ただ二千名という兵力自体は大きい。先日の交戦で我が家の兵営も疲弊しているし、援軍として考えるとありがたいな。


 もっとも彼らが逃げてきたことでヴィラバ王冠領が敵に落とされてしまった。

 南のヘレノポリス、東のヴィラバ、北部の前線……何やらアウスターカップにじわじわと包囲されているような気分になってくる。


「ところでラミーヘルム城って堅そうですね。お嬢さんも身持ちが固そうだ。へへっ、そんなことねえって?」

「わたしはマリー・フォン・ヒューゲル、キーファー公ヨハンの夫人です」

「大変失礼いたしました!」


 大佐は慌ててジュストコールのスカーフを整え始める。

 若い生娘だと思われたのか。ふふふ。嬉しいといえば嬉しいかもしれない。


「あっぶねえ。やべえとこの人妻に手を出すところだった……この話は内緒にしておいてくだせえ」

「シャッハ隊は楽しげな方が多いようね」

「部屋住みの暇人ばっかで遊び方を知ってますからね。低地語でいうところの『ええしのこ』って奴です。へえ」

「戦いは苦手なのかしら」

「そうそう。死んだら元も子もない。梯団組んで銃口向けあうなんて自殺行為でしょ。マリー様には申し訳ありませんがね、ウチの部隊は数に入れんでくだせえ」

「考えておきますわ」


 公女おれは駐屯地を後にする。

 彼らは弱いかもしれないけど、一般兵より頭が回りそうだ。複雑な命令をこなせるとするなら、ふむふむ。

 あとでモーリッツ氏に相談してみよう。


「……あら。マリーがどうしてここに」

「イングリッドおばさん」


 なぜか駐屯地からの帰り道におばさんとすれ違う。お供の衛兵に袋を持たせていた。

 あれはもしや。


「おばさんったら、もしかしてシャッハ隊の殿方と……」

「勘違いしないでちょうだい。昨日負けた分を渡しに行くのよ。もちろん絶対に取り返してやるわ」


 おばさんは腕まくりしながらテントに入っていく。

 そうか。麻雀が流行るとギャンブルに発展してしまうのか。他のカードゲームも同じだけど、あんまり風紀的に良くない気がする。個人間の取引まで取り締まるつもりはないけどさ。


 おばさんがああいうのにのめり込むのは意外だなあ……と考えていたら、城内の大広間にいたお父様から思いもよらないお願いを受けてしまった。


「マリー。イングリッドの病気がぶり返してしまった。お前から何とか抑えてやってくれないか」

「病気ですか?」

「親族の恥を晒すのは可哀想だから教えていなかったが……あいつがスカンジナビアの実家を出たのは未亡人の傷心旅行ではなく、実家の金を賭場で乱用して追い出されたからだ。あれで金や儲け話には目がなくてな……」


 パウル公は首を左右に振る。

 自分の中で記憶が繋がっていく。そういえばおばさん、宝石より現金のほうが好きだったな……。

 シャルロッテが主催していたネズミ講まがいの儲け話にも出資していた気がする。

 あれはそういうことだったのか。三周目の終わり近くになっても知らなかったことって出てくるなあ。


 エマが教えてくれなかった点については、逆にあの子なりの慈しみを感じる。


「わかりました。シャッハ隊の方とは取引材料がありますから、おばさんを駐屯地に入れないように伝えておきます」

「……一人で男所帯に近づくものではないぞ」

「ご心配なく、お父様」


 公女おれはパウル公に別れを告げ、赤ん坊のいる育児部屋に戻る。

 首が座り、ハイハイもできるようになったヨハン四世はどことなく父親に似ていた。



     × × ×     



 一六七四年(破滅まであと二年)。二月。

 ヘレノポリスを占領していたアウスターカップ第二軍団が南街道を北上してきた。原因はクルヴェ川を行き交う敵輸送船を我が家が拿捕したからだ。

 今までは相手を下手に刺激しないためにあえて見逃してきたけど、モーリッツ氏の提案で状況を変えてみることにした。


 世界の「破滅」まであと二年なのに、なかなか戦争の構図が動いてくれない。

 アウスターカップは相変わらず北部連盟の領土を遠巻きに包囲している。虎の子の第四軍団をヴィラバに送り込んできたけど、そこで歩みを止めてしまった。

 第一・第三軍団は北部連盟軍の反転攻勢によりキーファー公領の国境まで押し戻せたものの、バンブス公領など元北部造反組から補給を受け、今は一進一退の攻防を繰り返している形だ。


 モーリッツ氏に言わせれば「膠着こうちゃく」してしまっている。こんな時は停戦の話になりやすいらしい。

 でも今の段階で停戦してしまったら「破滅」を止められない。


「あえて和睦を結び、例のシベリアから来た男には暗殺者を差し向けては……ダメだな。某なら平時の魔法使いは城に閉じ込めておく。下手すると『漁師の指輪』よりも価値のある存在だ」


 赤茶毛の乙女は悩み抜いた末に、公女やブッシュクリー中佐と相談し、状況を変えるためにアウスターカップを挑発することにした。

 ラミーヘルム城の水道橋のあたりで小船を潜ませておき、ブルネン老人が育てた『改革中隊』を輸送船に乗り込ませて制圧する。穀物や武器類がたくさん手に入った。

 何度か繰り返すうちに船内の兵を増やすなど対策を取られてしまったけど、その時は我が家の砲兵に船ごと片づけてもらった。


 補給線を断たれる形となったアウスターカップ第二軍団はヘレノポリスを出るしかなかったようだ。二万名以上の兵士を駐屯させるには相応の穀物が必要となる。今のヘレノポリス近郊は食べ尽くされてしまっていた。

 彼らは空腹に怒り狂い、「予告通り水道橋を爆破する」と我が家に手紙を送り付けてきた。古代帝国の時代から使われ続けてきた水道橋は河川の水流には耐えられるものの火薬には弱そうだ。


 ヒューゲル兵営はラミーヘルム城での包囲戦ではなく南国境の関所付近で戦うことにした。

 北関所のガトリング砲を南まで持ってきて、二門の火力と作り立ての堡塁で敵兵を食い止めるつもりだった。


 ところが二月下旬から三月にかけて、まるで玉突きのように次々と状況が変わっていく。

 まずヴィラバ駐屯のアウスターカップ第四軍団がシュバッテン方面に近づいてきた。

 彼らは北上し、ゲム=ストルチェク街道を進んでくる。このままではヒューゲルは南東の二方面から攻め込まれてしまう。


 こうした敵の進出を知ったヨハンたちは約一万名の本国守備隊をヴェストドルフ大臣に任せ、約二万五千名の兵力でヒューゲルを目指した。

 するとアウスターカップ兵営も第一軍団にヨハンたちを追走させてくる。


 相手の巨大な包囲網が、ラミーヘルム城を中心点にじわじわと狭まってきた。


「──諸君。合わせて七万名もの敵兵が迫っている。非常にまずいが、捉え方によっては千載一遇の好機でもある!」


 公女の弟カミルは大広間の評定で並み居る家臣・有力者たちに告げた。

 当主として力強く。明らかにお父様とヨハンの語り口に倣いながら。


「余は断固抵抗する。味方も近づきつつある。我が兵営とシャッハ隊を合わせて七千名、ヨハン公を合わせて三万二千名。相手の出方をうかがい、三方の敵を各個撃破してしまえば勝利できる!」

「簡単な話ではありませんぞ。ここは大局的にみて和睦を結ぶのも……」

「空飛ぶユリアがいるかぎり先手を取れるのは余だ。ハイン宰相、和睦については「破滅」の予言があるかぎりありえんと思え!」

「はあ……」


 カミルの言い分に廷臣や家臣たちは納得できていない。ボルン卿やブッシュクリー中佐は傍聴席の公女おれに目を向けていた。あまり見ないでほしい。


 ざわつく空気をカミルが大声でまとめる。


「出るぞ! これはヒューゲル公たる余の命である。異論あるか!」

「…………」


 家臣たちはそれぞれなりの表情を浮かべたまま、立ち上がって大広間を出ていった。

 先代公の頃からの伝統です。命令となれば何も言わずに戦の用意をするのですよ。それで勝ててからずっとです。無邪気に引き継がれております……タオンさんがずっと前に語ってくれた話が、ふと思い出された。

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