9-9 大玉転がしのリヒャルト


     × × ×     


 ヒューゲル兵営は前線の各部隊に国境死守を厳命していた。

 敵兵に刈畑狼藉を許してはならない。どんな手を使ってでも敵の進軍を食い止めるべし。すぐに城の主力部隊が駆けつける。

 各部隊は兵営本部の言葉を信じ、塹壕を掘り、トーア兵とボーデン兵の波状攻撃に備えたが──半日も保たずに突破されてしまった。


 味方の兵士たちは第二防衛線の要塞群まで後退する。例の旧ヒューゲル三人衆の城館を再利用したものだ。

 各城館に梯団規模の兵が詰めており、他の城館が攻められた時には助けに行くように指示されていた。

 一日ほど歩けば他の城館には辿りつけるので、防衛戦では緊密な連携を取れるはずだった。


 ところが第二防衛線もすぐに突破されてしまう。


「ボーデン兵は南のシルム砦を陥落させ、ラミーヘルムに進路を向けています! こっちに来ます! 大ピンチです!」

「早すぎる」「そんなバカな」「ありえません」


 ラミーヘルム城内の兵舎。空飛ぶユリアから報告を受けた将校たちは、焦るより前に困惑していた。

 彼らは話し合い、程なく一つの推測に辿りつく。


 ボーデン兵営には未知の魔法使いがいる。

 それも相当に強力な奴だ。

 そうでなければ、たった三日でシルム砦まで進出できるわけがない!


「ユリア。同郷の者を戦場で見かけなかったか」


 城代のモーリッツ氏は飛行少女からポテトケーキの皿を取り上げた。


「ふぇっ!? すみません……あんまり近づきすぎると兵隊さんから鉛弾が飛んできちゃいますので……ごめんなさい!」

「些細なことでもいい。敵に怪しい動きがあったら、某に教えてくれたまえ」

「怪しい……そういえばボーデンの人たちは射石砲を使っていました。今どき珍しくないですか。しかも石がとっても大きいんですよ! これくらい!」


 彼女は両手を広げる。

 射石砲は中世末期に使用された初歩的な火器だ。大砲の祖先にあたる。

 とはいえ古い形式の大砲でも十分な強度さえあれば鉄球を飛ばせるので、あえて石を飛ばしてくるのは不可解だった。

 どう考えても石より鉄のほうが強いからね。


 赤茶毛の乙女はあごに指先を当ててから、左手で少女の頭を撫でる。


「……本当に大砲だったか、ユリア。それは人ではなかったか?」

「えっ! あっ……たしかに火薬の音はしなかったです。あんなに大きな石なのに……」

「そういうことだ」


 モーリッツ氏はポテトケーキを返してやり、外套のポケットから手帳を取り出す。

 机上でペラペラとめくり、ボーデン侯のページで手を止めた。

 そこには『大玉転がしのリヒャルト』の文字があった。

 能力は「岩石を指先だけで転がせる」とある。対価は不明。生年月日は一六〇三年の七月。出身地は新大陸ヌエバ・オエステ副王領……。


「ブッシュクリー中佐。こいつは十五年戦争期にボーデン侯が保有していた魔法使いだ。往時には多くの敵兵が神話のヒッポリュトスのようにひき殺されたという」

「城代殿は興味深い資料をお持ちのようだ」


 白髪の壮年将校は手帳自体に興味を示していた。

 赤茶毛の乙女は咳払いをする。


「キーファー政府の秘密文書だが。一周目のマリーの記憶から引っ張りだしてきた。部外秘でよろしく頼む」

「鵜呑みにできませんな」

「転がせるなら、投げられるだろう!?」

「内容ではなく出典が気に入らないのです」


 白髪の中佐はしばらく考え込むような仕草を見せた。

 全く本人おれがいないからって辛辣だな。後から知り合い経由で話は聞かせてもらっているのに。

 やがて中佐は机上の地図を叩いた。


「……出撃中の主力部隊を下がらせます。むやみに『大玉転がし』にぶつかると不味いことになる」

「だが中佐。正面対決を避けると領内で長期戦になってしまうぞ」 

「城の近くで決戦を仕掛けましょう。城内の戦力や魔法使いを全て出せます。大玉は……むむむ」

「某にも対策が思いつかん。そうだ……ここは一つ、あの者に知恵を借りるとするか」

「公女様ですかな」

「まさか。我が城におわす『稀代の名将』に力添えいただく。そのためにあいつを今まで生かしてきたのだからな」


 モーリッツ氏の言葉に、白髪の壮年将校は溢れんばかりの笑みを浮かべたという。

 実際に見てみたかったな。



     × × ×     



 七月三日。

 ラミーヘルム郊外の牧草地。


 ボーデン兵は四個梯団を前面に押し立て、左右に騎兵隊、後方に砲兵隊を配するという典型的な布陣を敷いていた。

 例外的なのは砲兵隊の傍らに六つの巨石を並べていることだ。小型の野戦砲には到底入らない石は一人の老人のために運ばれてきた。

 老いてなお樹木のように鍛え上げられた両腕が、ゆっくりと巨石を持ち上げる。

 そして槍投げの要領で助走をつけ、前方のヒューゲル主力部隊に向けて投げつけた。


 大玉転がしのリヒャルト。

 彼の魔法は「どんな石でも小石のように扱える」というものだ。

 よって「投げつける」といっても老人の筋力では八〇メートル飛ばすのがやっとであり……当たり前だけど、そんなに近づいたらウチの兵に銃殺されてしまう。


 だから巨石は平原を転がって、さながらボウリングのように兵士たちを薙ぎ倒していった。

 あっというまにヒューゲル兵の戦列が崩れていく……かのように見えたのだろう。


「梯団前進! 騎兵隊突入用意! リヒャルトにはあと二つ投げさせろ! ヒューゲル兵は石の下でこそ考え方を改められるのだ!」


 ボーデン兵営のヴォルフ・シュタイナー大尉は興奮を抑えきれない様子で、後方の本営から望遠鏡で巨石の威力を眺めていたらしい。

 彼の望遠鏡がもう少し高性能だったら、会戦の結果は変わっていたかもしれない。


「あれ?」


 巨石の投擲が終わった後、鼓笛隊の演奏に合わせて交戦距離まで前進したボーデン兵たちを待ちうけていたのは、何もない草原だった。

 つい先ほどまで前方にいたはずのヒューゲル兵の姿が前ぶれなく──まばたきの間に消えてしまった。

 巨石に踏み潰され、薙ぎ倒されたはずの死体すら見当たらない。


 シュタイナー大尉はまず望遠鏡の故障を、次に自身の目を疑ったという。


「これは……ヒューゲルの魔法部隊だ! 例の『虚像のメルセデス』の仕業に違いない! ラッパ手、すぐに方陣ラッパを!」


 大尉は騎兵突撃の来襲を予想し、前線の各梯団に方陣を組ませた。

 草原に四つ、菱形の模様が浮かび上がる。

 何もない平原では周りがよく見えるものだ。

 ボーデン兵たちは銃剣先を四方に向け、ヒューゲル騎兵の出現を待った。

 夏風が牧草の葉を撫でる。もし風に乗って馬のいななきが伝わってきたなら、兵士は死なないために筒を握り・支える手を保ち続けなければならない。自然、指先が強ばるものだと往年のタオンさんは語っていた。


「どこから出てくる。正面から戦わない新教徒の奴ら。資料では『虚像』は音まで消せないはずだが……」


 大尉は後方から望遠鏡を振り回す。


 緊張が続く。何も起こらない。前線の方陣は次第に生ぬるい空気になってくる。

 各隊の下士官が叱咤するが統制は長持ちしない。

 叱咤と弛緩が繰り返された末、大尉は耐えきれずに全梯団を自分の近くまで引き上げさせた。

 各方陣は三列横隊に組み直される。

 約四千名の部隊が当初の布陣に戻っていく。


 その時をヒューゲル側は待っていた──前線の各所に取り残されていた三つの巨石が忽然こつぜんと消えた。

 まるで元から何もなかったかのように。


 ボーデン兵たちはパニックに陥った。相次ぐ怪奇現象に精神が耐えられなかったようだ。


「ひいい!」「またヘレノポリスの時みたくやられるぞ!」

「どうする」「あの女の子が出てきちゃう」「勘弁してくれえ!」


 女の子とは『人気者のシルヴィア』のことだ。

 彼らは三年前のヘレノポリス会戦で彼女の能力に敗れており、あの時の恐怖がぶり返してきたとみられる。


 すかさずシュタイナー大尉が檄を飛ばした。


「収まれ! 気を確かに持て! うろたえるな! ここは地獄のヘレノポリスではない! アハト騎兵中尉は石を見てこい!」

「いや消えましたやん」

「消えるわけないだろうが! 虚像に隠されているだけだ! いっそ敵の魔法使いを殺してこい!」


 大尉に馬の尻を叩かれたボーデン騎兵は、速歩で平原を駆け抜ける。

 彼らが現地で見つけたのは、バラバラに砕かれた石片の数々だった。

 後にも先にも爆発音は聴こえていない。


「何が起きているんだ……」


 騎兵将校は頭を抱えた。


 あえて種明かしをしてしまうと、三つの巨石は我が家の魔法使いによって密かに粉砕されていた。

 その名は『揉みほぐしのドミニク』。

 彼は肩凝りを揉みほぐす達人として重宝されてきたが、実際はあらゆるものをほぐしてしまう能力の持ち主だった。

 本人も常連客のロート伯に指摘されるまで気づかなかったという。

 公女おれやお父様、お母様といった面々は恐ろしい男に肩を晒していたわけだ。


 ともあれ。

 ドミニクは虚像で身を隠しながら巨石を粉砕ほぐしてまわり、相手に見つかる前に草原から走り去っていった。


 代わりにやってきたのはヒューゲル兵営の主力部隊。約二千七百名。

 ベルゲブーク隊、ボルン隊、タオン隊の精鋭梯団を前面に押し立て、平原を突き進んでいく。

 灰色の兵士たちは堂々たる三列横隊を組み、先頭の旗手は弾痕だらけの梯団旗をはためかせていた。


「来たかヒューゲル! どうせ珍奇な魔法を使うつもりだろうが! 愚かな新教徒め、二度も同じ手を……むむむ……」


 シュタイナー大尉は唸りながら望遠鏡の目を凝らす。


 相手側から魔法をかけられる前に巨石を投げて「封殺」するのが彼の基本戦略だった。

 しかしながら──前方の三個梯団がまたも虚像だったら。同じことの繰り返しになる。

 手持ちの巨石はあと三つしかない。全て粉砕されたら『大玉転がし』はただの力持ちの老人だ。ラミーヘルム城を攻め落とすのは困難となる。

 かといって投石せずにまともに敵とぶつかると、それこそヒューゲル魔法部隊による地獄のヘレノポリスの再演となってしまいかねない。

 全滅すらありえる。


 大尉は悩み抜いた末……全部隊に一時撤退を命じた。


「騎兵隊は敵騎兵の妨害! 歩兵隊と砲兵隊は西に走れ! 野戦砲は捨てていい! ああ巨石は持ってこい!」


 ラッパが吹かれる。

 約四千名の兵士たちが慌ただしく西方面に逃げ始めた。


 その様子を見ていたベルゲブーク卿は、シャー芯のような髭を一本抜いてから、自ら騎乗して追走を試みる。


「追うぞ! あいつらを国境の向こうに追い払え!」


 そこから先は追いかけっこだった。


 ボーデン兵たちは過去『人気者』により一網打尽にされた戦訓から部隊を分散して逃走、追っ手のヒューゲル兵の進路も枝分かれした。

 各地で小規模な交戦が起こり、勝ったり負けたりした。

 そうしているうちに両軍の兵士たちは……トーア侯が占領中のコモーレン砦まで到達した。


 ボーデン兵とトーア兵が合流すれば約一万名となる。

 まだ戦局を巻き返せるとシュタイナー大尉は考えていたらしい。


 しかしながらヒューゲルには切り札があった──魔法使いではない。何を隠そう、かつて公女おれがコモーレン伯にケンカを売るために使った「縄張図」だ。

 兵営に古くから保管されてきたもので、あの砦の構造が詳細に記されている。

 当然、いざという時のために設けられた脱出路さえも。


 七月七日。夜中。

 若タオン率いる数十名の決死隊が枯れ井戸から砦内に侵入し、居館や倉庫に火を放った。同時に外側ではヒューゲル主力部隊による総攻撃が開始される。

 砦内は大混乱に陥った。

 すやすやと眠っていたトーア侯や枢機卿は燃え盛る居館からほとんど裸のまま飛び出してきて、命からがら助かったところを若タオンたちに拘束された。


「おのれぇ! ヒューゲル! またしても卑怯な方法で私に恥辱を与えるか! 卑怯者がぁ! 正々堂々戦ってみせろ!」

「トーア侯マティアス様。誠に僭越ながら、このヴィルヘルム・フォン・タオンがあなたの捕虜としての待遇に責任を持たせていただきます。どうかご安心なさいますよう」

「タオン! あのタオン! またしても……当てつけのつもりか、貴様ら! いっそ堂々と殺したらどうだ!」

「愛娘のコンスタンツェ様が悲しまれますよ」


 タオン隊は捕虜たちを枯れ井戸まで連れていった。


 砦の外では火災に合わせて、ヒューゲル兵による大規模な夜襲が行われていた。

 燃え上がる炎が駐屯地を照らす。兵士の銃剣がテントを切り裂いていく。敵の抵抗は散発的だった。


 ボーデン兵営のシュタイナー大尉は部下たちに撤退を命じたが、自ら殿軍しんがりを務めたためにライスフェルト隊によって捕らえられた。

 指揮官を人質に取られた敵部隊は降伏するしかなくなり──かくしてヒューゲル領内から敵兵の姿は消え去った。

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