9-7 アウスターカップ戦役(2)


     × × ×     


 エマの失踪が明らかになったのは、ヨハンたちが出陣してから三日後のことだった。

 いつまで経っても城に戻ってこないので、北門付近の宿屋まで迎えに行ったら、どの宿にも彼女の姿はなかった。

 周りの市民に聞き込みをすると、地主が「全身甲冑姿の兵隊さんと出ていきましたよ」と教えてくれた。

 そんな奴はオストプリスタ卿以外にいない。

 てっきりエマは新大陸に逃げたのかと思って、パニックになりかけていたけど、うちの家臣が同行しているなら──そうか。

 公女おれはすぐにティーゲル少尉を大広間に呼んだ。


「突然ですが、少尉には北に行ってもらいます」

「北とは、手紙でも送られるのですか」

「ヨハン様の陣地からエマを連れ戻してきてちょうだい。大至急です」

「なるほど。了解いたしました。馬なら二日で追いつけましょう!」


 少尉は快諾してくれた。

 ところが彼は城を出てから何日経っても……季節が秋になっても戻ってこなかった。誠実な性格の彼が任務から逃げるとは思えず、謎は深まるばかりだった。


 原因が判明したのは約二ヶ月後。

 ようやく右脚の骨折が完治した『空飛ぶユリア』がシュバルツァー・フルスブルクまで飛んだ際に、現地の少尉から手紙を受け取ってくれた。

 どうやら少尉はエマを説得しようとするたびに気絶術をかけられ、翌日またヨハンの陣営を追いかけるという繰り返しの状況にあったらしく、そのうちにシュバルツァー・フルスブルクに辿りついていたらしい。


 ヨハンたちはヴェストドルフ大臣の留守部隊(約二千名)と合流し、寄せ手のアウスターカップ第一軍団から街を守りきった。

 残念ながら攻防戦の中で敵の魔法使いを捕らえることはできなかったようだ。


 実はエマがヨハンたちについていったのは、前線のほうが「破滅」の魔法使いに近づけると考えたからだった。

 中でもエミリアの記憶に出てきた『シベリアから来た男』には強く関心を寄せていたらしい。

 そのあたりの話は少尉の手紙が届くよりも前に、エマの共犯者から聴取できていた。赤茶毛の乙女だ。


 勉強部屋で酒を飲ませたら、あっさり吐いてくれた。


「……つまりモーリッツ卿があの子を北に送ったのですか?」

「相談の上でな。ここにいるより北のほうが敵の情報は手に入りやすかろう。破滅の原因と接近できるやもしれん。捕虜から機密を読み取れる可能性もある」


 たしかにそうかもしれない。判断の妥当性は否めない。

 けれど心の底から納得できなかったのは、やはりあの子が気がかりだったのと……何より自分には一言も相談してくれなかったから。

 大切な話なのに。君たちはいつもそうだ。


「……あの子はわたしの大切な友人です。行くなら行くとして、一言くらい通してくれてもいいではありませんか!」

「一言? あれだけ旦那と一日中ベタベタくっついてて隙あらばイチャついてたお前に、赤の他人のそれがしからどうやって伝えろと?」

「一日中は言いすぎですわ」

「某は何度も会いに行ったが。正直、見ていて辛かったぞ」


 モーリッツ氏なりに伝えようとしてくれたらしいけど、実際はかなり疑わしい。

 少なくとも「一日中」ではなかったし、そんなにベタベタくっついていたわけでもない。いくらでも話しかけかける時間はあったはずだ。

 手紙という手段だってある。


「一応ヨハン公には従卒のエーリッヒ大尉を通じて伝えておいた。あの方がお前に伝えなかった理由までは知らんよ」

「そうですか」

「なんだその訝しげな目は。言っておくが、某も忙しいのだぞ。城代と公社代表・官房長を兼任せねばならん。すなわち外套姿の時は城代、可愛いドレスの時は公社代表。部下にどちらの仕事をしているのか端的に示すための仕組みを作ってだな……」

「別に公社代表は辞めていただいて、他の方に任せてもらっても構いませんよ」

「それも一つの手段だが、某以外に適任者はおるまい」

「育児中のシャルロッテにやらせましょう。決まりですね」

「んなっ!? ……あああっ!?」


 赤茶毛の乙女は紅色のドレスにワインをこぼしていた。


 実のところ、我らが公社の経営は危機的状況に立たされていた。

 モーリッツ氏は二周目での成功体験の模倣・拡大には成功したけど、現状の苦境──戦争による芋の供出、耕作不足などには上手く対応できていなかった。利益どころか損失が膨らんでいるらしい。

 これは彼の努力や能力が足りないわけではなく、単純に状況が厳しすぎるためだ。

 こうした苦境を天才的な創意工夫で乗り切れそうなのは……あの人しかいないのかな、と前々から思っていた。

 出店で芋を売るほど余裕があるなら、我が公社を立て直してもらいたい。


「お、おい。某では公社を統治できないと言うのか。パウルの子女、よもやエマの件を恨んでいるわけではあるまいな。某はちゃんと……」

「前々から思っていたことです。適材適所と言いますし」

「失敬な。公社をここまで大きくしてきたのは某なのに……今ならトプラク帝国の大宰相パルガルの気持ちがよくわかるぞ」

「あなたの功績には感謝していますわ。ただ、あなたは商売人というより役人ですもの」

「ぐぬぬぬ……」


 モーリッツ氏は承服できない様子で、政府とのコネや、公社内部の幹部連中に手を回すなど、あらゆる手段をもって辞任を回避しようとした。

 しかしながら、そもそも『タルトゥッフェル専売公社』自体が法的には公女の持ち物なので抵抗できるはずもなく。

 かくして二周目以来のシャルロッテ体制による公社の経営が始まった。


 一方でモーリッツ氏に新たな役職を与えることは忘れていない。変なことで恨まれたくないからね。

 一応、自分の中では友達のつもりだし。


 彼にはハイン宰相の後任を務めてもらうことにした。カミルに提案したら二つ返事で許可が下りた。

 ハイン宰相がまだ現役なので、ひとまずは『宰相代理』扱いになるけど、将来の就任は約束された形だ。

 モーリッツ氏にとってはまた一つ生前の地位を取り戻したことになる。


 カミルから辞令を受けた彼は、一転して公女に親しげな笑みを向けてきた。わかりやすい。


「これで城代と宰相位。あとは兵営中佐と軍事総監だな」

「そちらはブッシュクリー大尉が任されるようですね」

「えっ……某の忘れ物が……」


 彼はものすごく悔しそうにしていた。

 自分としても大尉のことは好きではないけど、兵営の中では他に適任者が見当たらなかったのだろう。

 モーリッツ氏=ドーラ女史はあくまで女性だから兵営には入れないし。 


 そもそも君主のカミルに代わり、今まで各地の戦場で四千名のヒューゲル兵を指揮してきたのはブッシュクリー大尉だった。

 同格の大尉たち(梯団指揮官)を相手に指示を飛ばすのは不都合も多かったろうし、中佐昇進は妥当といえる。

 当のブッシュクリー「中佐」も当然の任命だと思っていたようで、ごくごく平然と辞令を受けていた。

 あの白髪の壮年将校があたふたするのは、おそらく後にも先にも城内の来客室でロート伯から古今の兵法を教わっていた時だけだ。




 十月末日。

 新たな人事が決まり、ヒューゲルでは急速に国土防衛の体制が固まっていく。

 公社幹部たちが話していたように、今のヒューゲルには芋が足りない。領内で芋の栽培を再開しなければ「破滅」を止める戦争を続けられなくなる。何ごともカロリー抜きには進まないからね。

 ゆえに今後は国境の防衛が肝要になる。

 今までは天下の堅城・ラミーヘルム城で敵兵を迎えていたけど、国内の芋畑を守るためには国境で食い止める必要が出てくる。


 そこでモーリッツ氏は南街道・北街道に関所を設け、秘密兵器のガトリング砲を配備させた。

 さらに敵に破壊されていた馬車鉄道の整備を行い、公社に兵隊輸送用の車両を作らせ、何かあれば城内から南北の関所に駆けつけられるようにした。

 また旧ヒューゲル三人衆の城館跡に駐屯地を設け、西側国境の防御体制を整えた。


 本来なら駐屯地の設営などは兵営の領分なのに宰相代理のモーリッツ氏が指示を飛ばせたのは、ひとえに彼が当主のお気に入りだからだ。

 ブッシュクリーたちにも根回しを欠かさなかったため、かなり円滑に話は進んでいったらしい。


 公社のほうでもシャルロッテ代表の手腕により、敵に荒らされていた芋畑や村落の再整備が進められていった。

 畑の持ち主を問わず、人手が足りていないところにまんべんなく百姓たちを派遣していく体制が作られ、種芋の作付けは極めて順調に行われたという。

 シャルロッテによると兵営や城内からも手伝いの人足が回されてきたそうだ。


 いずれ来るであろう、アウスターカップ第二軍団の来訪に怯えながらも、ヒューゲル国内は俄かに活気を帯びてくる。


 その一方で公女おれの心は晴れなかった。

 城の周りが忙しそうにしているほど、ここにいない人たちの安否が不安になってきた。

 それは何も言わずに北に行ってしまった愛すべき魔法使いだけでなく……ヨハンについても。


 ものすごく今さらだけど。あいつに死なれてしまったら困る。安全なところにいてほしい、近くにいてほしい。

 そんな気持ちがふわふわと去来する。心理的に抵抗しようにも否定できない。

 もう染まってしまっている。きっと拭えない。


 さらに近頃は……何もないのに吐き気がしたり、頭が痛くなったり、身体の調子も良くない日も出てきた。

 乳房も張ってきている。

 月のものも来ていない。

 二周目での経験を思い出せば、ひょっとするとありえてしまう。


「ふふふ。どれだけ相性がいいのやら……」


 窓の向こうでは早めの雪がチラついていた。

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