9-5 報い
× × ×
夜になり、帰還兵たちの酒宴が始まる。
俺は行く宛がなくて、エマと共に勉強部屋に戻っていた。
気分的に大広間にも兵営にも街にも顔を出しづらい。
エマがベッドに座りながら、色んな人から読み取ってきた情報を教えてくれているけど、いまいち頭に入ってこなかった。
「ルドルフ大公はエーデルシュタットからヴィラバのコンセント城に連行された。アウスターカップが『敵の敵は味方』理論で救出に来たら守備隊は西に……井納、聞いてるの」
「聞いているよ」
「ヒンターラントの魔法使いは四人捕まえた。残りは行方不明。ルドルフの家臣とアラダソクに逃げたのかも……井納!」
「ごめんエマ。なんか集中できないや」
「どうしたの」
「ちょっとね。色々と申し訳なくって……」
我が家の将兵たちに対しても。
ヨハンに対しても。
世界を救うためとはいえ、彼らには公女の都合で命をかけてもらっている。他にも相当な負担をかけてきた。ブッシュクリー大尉の抗弁は当然だ。家や土地を守るならともかく、彼らにとっては定かではない予言のために命をかけられるはずがない。偉い人の指示なんだから従え、では理屈が通らない。士気に影響してくる。
破滅を止めるための戦争をやめられない以上、せめて彼らの貢献に報いてやるべきだ。
兵士たちには追加の給金を。死者の遺族には年金を。公社の収益力が改善したら支払うようにしよう。戦争が終わったら希望者に社有の芋畑を分け与えてもいい。
ヨハンには……。
抱かれてやってもいいかなって。
一人くらいなら産んでやっても……まだ我慢できると思う。
「頑張ってくれた分の報酬は払ってやりたいからさ」
「そうじゃないでしょ」
「他に払えるものあるかな」
「井納。エマにごまかしても通用しない」
彼女はいつものようにこちらの右手を掴もうとして、なせか触れずに引っ込めた。
その手は彼女自身の胸に添えられる。
何がしたいのかな。
「──
……はあ?
「今日の昼だってエマがいたから抵抗してたけど、いなかったらどうなっていたか、自分でもわかっているでしょ」
おかしい。
あれからエマとは触れあっていない。
なのに思考を読まれている。
猛烈な羞恥と恐怖が沸き上がってくる。あらゆる邪な考えに、振りきったはずの虚妄に包み込まれていくような、冬の底冷えにも似た感覚。
肉体のほうは紅潮していた。熱を感じる。
冷静な思考は逃げ回った末、唇に辿りついた。
「冗談、嘘だね」
「エマは心が読める」
「外形的な証明にはならないよ」
「そう。だからエマを信用しないなら、エマは何の役にも立たなくなる」
彼女は目を伏せる。
小さな唇が一文字に結ばれていた。
そんなこと言われても困る。
困るよ。
「……どうすりゃいいのさ」
「あと四年の余命しかない、可哀想な公女には幸せになってほしい。死を迎えた時に悔いが残らないように。でも「破滅」を止めるには井納には井納のままでいてもらわないと駄目。前任者たちのようになる」
前任者たち。
井納純一の前にマリー役を演じてきた死者たちはみんなマリーに染まっていった。ある者は役目を忘れて幸せに破滅し、ある者は役目を果たさんとして幸せに失敗した。
管理者が教えてくれた数少ない情報の一つだ。
「エマなりに井納を保てるように発破をかけてきた。井納はチョロい。すぐに堕ちそうになる」
「いや、そんなことは」
「一周目の井納より三周目の井納のほうが柔らかい。溶けてしまわないように頑張ってきた。苦労ばっかり。でも、もう終わり」
「終わりじゃないよ!」
自分は井納純一だ。
何があっても揺らぐことはない。二周目の辛い時期だって自分を見失うことはなかった。
こちらの言葉に、目の前の女性は首を左右に振る。
「エマにとっては終わり。もう弄ったりしない……なるべく触れないようにしてあげる」
「だから、どうすりゃ、何をしてあげたらいいんだよ!」
「戦争が終わったら、エマは新大陸に戻るつもり」
「……なんで?」
「エマに監視されないほうが、きっと井納は幸せになれる。あとはまあ、家族に会いたいから」
彼女の本心は読めない。
だから家族に会いたいのは本当なのか、妥当な理由を立てることで井納の反論を抑えるつもりなのか、判然としなかった。
「……シャルロッテに頼んであげるよ。マリーが死んだらエマを連れていってあげてって」
「独りで来たから独りで帰れる」
「逃がさないからね。ティーゲル少尉を付けてやる」
「好きにしたら」
エマはため息をついた。
自分は本気で言っている。それを伝えるために彼女に手を伸ばした。
すべすべしていて、丁寧に扱わないと壊れてしまいそうな手首を掴む。
彼女は笑みを浮かべてきた。
「……井納、全然ビックリしてない」
「何が」
「本心を突かれてすごく動揺してたけど……ちっとも驚いてない。多少は自覚してたんでしょ」
「何のことだか」
何となく寂しい。
「失礼します! ジョフロア料理長よりお二人に小皿料理を預かっておりまする!」
「ドアを開けるわ。待ってて」
「はいっ!」
公社のスタッフがドアの前に立っていた。かなり若い。たしかマルセルとかいう子だ。
衛兵や使用人たちがどんちゃん騒ぎしているから、代わりに持ってきてくれたのかな。ありがとう。
少年から小皿を預かろうとしたら、エマが待ったをかけてきた。
「待って。エマの皿は北門近くの宿屋に持っていって。そこでゆっくり食べるから」
「わかりました! 路上の酒飲みに盗まれないように気をつけまする!」
少年はもう一つの小皿を抱えて、走り去っていった。
あれで転んだら大変だな。
そんなことより。
「エマ。どういうつもりなんだい。城内町に出るなんて」
「別に」
「まさか新大陸に……」
「バカなの。まだ戦争が終わってない。気をつかってあげてるだけ」
彼女はベッドから立ち上がると、こちらの耳元に近づいてきた。
いつもながら、こそばゆい。二人きりだし日本語なんだから耳打ちしなくてもいいだろうに。
「……エマは来週まで宿屋。絶対に城には戻ってこない」
「な、なんでさ」
「今夜の酒宴でヨハンはベロベロ。きっと前みたいに酔いに任せて、夜分に公女の部屋を訪れてくる。たぶん強引に求められる」
「なっ!?」
「そこにエマはいないから」
この子は何を考えているんだ。
そんなことになったら。
「バ、バカはやめてよ」
「井納が演じているつもりのマリー・フォン・ヒューゲルは薄汚い女。兵士を案じるふりをしながら旦那のことしか考えてない」
「は、はあ?」
「だから終わり。あとは……みんなエマに任せるべき」
彼女はこちらの手元にある小皿の魚料理をつまみ、そのまま立ち去ろうとする。
行かせるわけにはいかない。
「ちょっとエマ! どの宿屋なんだよ!」
「追いかけてみたら」
エマは早足で廊下を去っていった。
俺はとりあえず小皿を室内の勉強机まで持っていき、再びドアを出たところで左右の廊下を見回す。
新大陸の女の子の姿は見当たらない。
北門付近の宿屋。数軒だから大体の予想はつく。
だけど。
「……どうすりゃいいのさ」
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