9-2 アウスターカップ戦役(1)


   × × ×    


 六月下旬。

 エミリアを追いかけてくるような形で『鷲菱』の梯団旗が迫ってきた。

 北街道を藍色の制服がひしめき合っている。馬車の列は数えきれず、騎兵と砲兵も不足ない。


 アウスターカップ。二周目の終盤では頼もしい味方だった。敵に回すと恐ろしい奴らだ。数が多すぎる。

 クルヴェ川の下流では敵方の補給船が往来していた。

 敵指揮官は現地調達では全兵士の胃袋を満たせないとみて、本国から船便で穀物や芋類を持ち込んでいるようだ。


 ヒューゲル兵営としては相手の食卓を困らせるために補給船を沈めてやりたいところだけど、いかんせん我が家にはまともな船がない。


 歴史の生き証人、モーリッツ氏曰く。


「十五年戦争の頃は河川砲艦『マルクグラーフ・フォン・ランゲ』が水道橋を守っていたが、戦後にお前の父が金策のために売り払ってしまってな」

「世知辛い話ですわね」

「得るものがない戦争だったからな。落穂拾いのルツのごとく金に困っていた。今回の戦争では何か得られるといいが……」


 赤茶毛の乙女は公女の耳元でため息をつく。

 こそばゆいから止めてほしい。


 尖塔の展望台にはラミーヘルム城内の主だった面々が集まっていた。

 公女が呼び出したわけではない。城代の彼が司令部を移したから。地上とは鉛製の伝声管や糸電話で連絡を取り合うという。


 伝声管は元々、エヴリナお母様がスネル商会から取り寄せたものだ。布団の中から廊下の女中に指示を出したいとの要望を叶えてくれていた。

 かなり気に入っていたらしい。モーリッツ氏が強引に持ち出した時、お母様の怒り狂い方は尋常ではなかった。


『クールヴァ! 死ね死ね死ね! 死にさらせ!』

『お母様!』『お祖母様!』


 末妹マルガレータとカミルの娘たちが何時間も抱きついて、ようやく言葉が通じる程度まで収まってくれた。


 回想、現実逃避はこれくらいにしておこう。

 公女おれたちは展望台から北街道の敵兵団を眺める。


「ざっと二万五千人」

「三万以上いるだろ」

「二万七千名かな」


 兵営将校たちの見立てはバラバラだ。

 いずれにせよラミーヘルム城兵の十倍以上。まともに立ち向かえる相手ではない。


 モーリッツ氏は地上の将校に城門の閉鎖を命じる。


「ベーア大尉! 相手が強攻を仕掛けてきたらガトリング砲を使いたまえ! 手段を選ぶでない! どうぞ!」

『了解しました、どうぞ』


 伝声管から大尉の年老いた声が伝わってきた。

 平民出身の彼を伍長から昇進させたのは指揮系統を整えるためだ。

 ハーフナー卿とブルネン老人には梯団指揮官を任せたいので、必然的に上席の大尉を作るしかなかった。

 本当は「先方三家」のボルン卿がまとめ役をやるべきなのだけど……あいにく一揆の対応で自分の領地に戻ってしまっている。

 ボルンは城を守る、なのに。家訓を忘れてくれちゃって。


「アウスターカップの先鋒が来ます!」

「砲兵隊、用意!」


 兵営将校が悲鳴を上げ、モーリッツ氏が砲兵隊に指示を飛ばす。


 戦いが始まる。

 敵兵団は北街道から脇に逸れると、ラミーヘルム城の北門前に約千五百名、南門前にも約千五百名を差し向けた。

 そして本隊は──そのまま南街道を進んでいった。


 素通りされた。わずかな包囲部隊だけ残して。

 今までにない状況だった。


「……城代、追撃しますか?」

「出来るものか! くそう、してやられた! 引きつけられなかった!」


 将校の問いかけを突き放し、モーリッツ氏は右手で赤毛を掻き回す。狼狽している。

 あの様子だと彼にとっては好ましくない流れのようだ。下唇を噛み、人差し指を添えている。


 対照的に周りの将校や廷臣たちは「強攻されずに済んだ」「今日は助かった」と安堵していた。

 どちらかといえば、自分の心持ちも彼らに近い。でもモーリッツ氏の感覚のほうが信頼できる。


 公女おれは少し考えてみる。

 アウスターカップの大兵団・約二万五千名が南街道を進んでいくとしよう。一ヶ月でヘレノポリスに辿りつく。

 あの街を落とせば、同盟南部の諸勢力に睨みを利かせられる。交通の要衝だからね。

 あとは……ヒンターラントから戻ってきた時のヨハンたちを待ち伏せできる。

 なるほど。かなり不味いぞ。


 ヨハンの兵は疲れているはずだ。なにせ半年以上もルドルフ大公の城を攻め続けて、未だに吉報が届かない。

 敵地では穀物不足にも苦しめられているだろう。士気が下がり、魔法使いを十分に活用できない。

 もしルドルフの居城を落とせたとしても、そんな状況でアウスターカップの大兵団・魔法部隊とぶつかったら。

 終わりだ。


 気づけば公女の手がスカートの裾を掴んでいる。

 尖塔の風が肌寒く感じられた。六月なのに。モーリッツ氏も付き人から古ぼけた外套を受け取っている。


『司令部。南門のハーフナー卿から連絡が』


 風の音に混じって、伝声管から声が聞こえてくる。


『敵兵団の副司令官が交渉を求めているそうです。どうぞ』

「交渉……南門衛兵の詰所に通してやりたまえ。某もすぐに降りる」


 赤茶毛の乙女は外套に袖を通しながら、駆け足で階段を降りていった。

 将校たちも追いかけていく。


 俺はこっそり伝声管に近づいてみた。


「ベーア。副司令官というのは……」

『これは公女様。たしかアウグスト・ウンターシュタート中将と名乗っていたそうです。どうぞ』

「やっぱり」


 二周目でヨハンに喧嘩を売っていた奴だ。印象的だったから覚えていた。

 あの男と交渉したところで何にもならないな。

 おそらく前回と同じで、名将ロート伯を倒した城を見物したいだけ。形式的に降伏を求めてくるかもしれないけど、モーリッツ氏が応じるわけがない。

 相手方としてもラミーヘルム城を本気で落とすつもりなら、初めから素通りなんてしないはずだ。


 交渉は成立しない。ならば。


「……ベーア。公女として命じます。中将を捕らえなさい。アウスターカップを怒らせるのです」

『パウルの子女。某は端からそのつもりだぞ』


 伝声管から女性の声がした。もう地上に降りたらしい。


「気が合いますわね」

『合わせてくれたのだろう。公女の命令、しかと承った。エマを借りるぞ』


 彼の周りで廷臣たちが「外交問題になりますよ」と騒いでいるけど、俺たちはそもそも問題を起こそうとしている。


 今回はこちらからあの男に喧嘩を売ってやる。

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