9-1 初恋


     × × ×     


 一台の快速馬車が北街道を駆け抜けてくる。

 高価な四頭立て馬車だ。細身の車体に九つの星が描かれ、庇の部分には屋形号を示す装飾が付けられている。

 騎兵数名が随伴していたが、ラミーヘルム城を目前にしてきびすを返すように去っていった。


 馬車だけが北門前に停車する。

 北門衛兵の隊長は手持ちの『同盟武鑑』から搭乗者の家柄を割り出し、大広間に指示を仰いできた。


「公女様、いかが致しましょう」

「城に入れて差し上げなさい」

「先日よりオーバーシーダー公爵家は裏切り者ですが、よろしいのですか」

「……下手に待たせるとうるさいのよ、あの子」


 来訪者の予想はついていた。

 案の定、彼女は不遜な足取りで大広間にやってくる。


「ずいぶんと待たせてくれたじゃない! さすが田舎者は対応がトロいわね。抜群にありえないわ!」


 城内の女中や使用人たちに悪態を吐きながら、エミリア・フォン・キーファーは公女おれの前に現れた。

 大人になった彼女と会うのは初めてだ。

 いつかお会いした彼女の母君と似ている。あの方から慈愛や母性を引っこ抜き、「キーファーの血」とやらを注入したらエミリアの形になる。

 往年の愛らしさは気品に変わり、苛烈な性格は目つきの鋭さに反映されている。視力が低いのかもしれない。


「お久しぶりね、エミリアちゃん。会いたかったわ」

「あたしは会いたくなかったわ! こんなくそったれ無様な形で……どうせバカにしているんでしょう! 旦那を支配できない低能女だって!」

「いや、そんなことは……」

「あたしだって悔しいわよ! 旦那を尻に敷いて、いずれはお兄様とあんたの子供を婿養子に迎えてオーバーシーダー家を乗っ取るつもりだったもの! 去年までは超絶上手くいってたのに!」


 エミリアは地団駄を踏む。

 相変わらずキーファー家の教育方針を問いただしたくなる出来映えだ。もっと道徳を教えたほうがいいと思う。


 ともあれ彼女の目論見は失敗に終わった。

 夫のオーバーシーダー公はアウスターカップ辺境伯の陣営に加わり、周辺の諸侯にも造反するように取り計らっているという。

 ヨハンが知ったら「殺してやる!」と叫び出しそうな所業だ。たぶんその辺の樹を蹴っているだろうな。

 オーバーシーダー公には彼なりの言い分があるにしろ、公女おれたちにしてみれば背信行為に他ならない。


「……で、エミリアさんは逃げてきたの?」

「そうよ! もうノルベルトとは一緒にいられないわ! あいつはほとぼりが冷めたら戻ってきてほしいとかほざいていたけど、極度にありえないわね!」


 彼女は苦い顔をする。

 逃げてきたというより向こうから送り出されたみたいだ。家紋入りの馬車と衛兵付きで。

 きっと愛されていたんだろうな。


「いずれお兄様が皆殺しにしてくれるわ。あいつも! バンブス家のクズも! アウスターカップの病人だってビリビリに切腹させてやるんだから!」


 彼女の目元から涙がこぼれ落ち、頬をつたっていく。

 柔らかそうなほっぺは変わらずモチモチしている。

 触ろうとしたら手を弾かれた。


「触らないで! あんた、何のつもりよ!」

「慰めようかと思って」

「慰めるなら頭でしょ!? あたしのほっぺたはおっぱいと同等なの! むやみに激安売りしないんだから!」


 エミリアは両手でほっぺを隠そうとする。発言はめちゃくちゃだけど反応が可愛い。

 お求めに応じて、彼女の綺麗な髪を撫でてあげよう。


「だ・か・ら! あたしに触らないでって言ってるでしょ! 片田舎の匂いがうつるじゃない!」

「…………」

「田舎者の安い脳みそでは反論できないようね。あーあ。究極的に情けない身内だわ!」

「廷臣の話だと、近頃はシュバルツァー・フルスブルクよりラミーヘルム市内のほうが人口が多いそうよ」

「んなっ!?」


 彼女はわかりやすくビックリしていた。


 旧城外町の人口や兵舎の兵士を含めるとラミーヘルム市民は約一万五千人まで膨れ上がっており、キーファー公領の城下町より多い。

 もう田舎者なんて言わせない。


「うぐぐ……デ……」

「デブって言ったら追い出すから。言わずにいたら可愛い『義妹』として来客室のベッドを貸してあげるわ」

「……さっさと案内しなさいよ! グズのケチケチ女!」


 狂犬はあくまで狂犬のまま。この様子だと百年かけても手懐けられそうにない。エミリアを従えているヨハンはすごいと思う。

 あるいはブラコンをこじらせて、自分より目立ちそう=兄の目を引きそうな女たちに噛みついているのかな。ありえる。

 ちょうど読心術の使い手が近づいてきたから調べてもらおうか。


「エマ、ちょっと君に依頼したいことがあって……」

「スパイかもしれない。エマが調べる。そういうことでしょ」

「そうそう。そういうこと」


 そんなことは毛頭考えてなかったけど、都合が良いので話を合わせておく。あとで「バカなの」とツッコミを入れられてしまいそうだ。


 当のエミリアはものすごく嫌がっていた。


「はぁ!? 汚らしい野蛮人をあたしに近づけるつもり? とんでもなくありえないわ……やめて近づかないで!」

「拒否したらスパイ扱いさせてもらう。スパイは地下の牢獄行き。おしっこは床に垂れ流し」

「身内のあたしが間諜なんてありえないでしょ! ちょっと誰か止めなさいよ! あんたも!」

「だから証明してあげる。アンネ、モニカ。この女を抑えて」


 エマから指示を受けた女中たちがエミリアを羽交い締めにする。あらかじめ背後に潜んでいたらしい。

 当然キャンキャンと吠え出した狂犬の唇に、エマの指先が延びた。

 おいおい。噛まれたら痛いぞ。

 そんな心配は杞憂に終わった。エマに触れられたエミリアはガクンと気絶してしまう……思い出した。いつぞやの『気絶させる術』だ。三周目でも使えたのか。


 女中たちに安楽椅子を持ってきてもらい、狂犬には眠っていてもらう。喋らなければ本当に魅力的な女の子だな。人形みたいだ。


 エマは彼女のおでこから抽出した話を公女おれに教えてくれる。


「……エミリアはスパイじゃない」

「それはわかってるよ」

「でもエマたちにとっては便利なスパイみたいなもの」

「ん? どういうことさ」

「オーバーシーダー公の居城にはアウスターカップ兵営の幹部たちが駐屯してた。エミリアは彼らの会話を聞いてる。宴席では連中の『魔法部隊』を見てる」

「それは……すごい情報だね」


 おそらくエミリア自身は有用性を理解していないだろうけど、公女おれたちにとっては情報だ。

 彼を知り己を知れば百戦あやうからず。強力な魔法使いが投入されても能力を知っていれば対策は立てられる。

 四年後の「破滅」の原因解明にも繋がる。


 公女おれはエミリアを抱きしめた。彼女のほっぺはたしかに安売りするべきではなかった。指に吸いつく。


「アウスターカップ第一軍団の魔法使いは五名。第二軍団にも同数いるみたい」

「おお。多いね」

「……シベリアから来た? おかしい。新大陸出身じゃない。数百年前から伝わる村の神託を受けて……シベリアの言語はわからない! 腹立つ!」

「エマ!?」


 彼女は苛立ちをつのらせた挙句にエミリアのおでこを叩いてしまった。何やってんだ。

 当然ながら狂犬は目を覚ましてしまう。


「……んなっ、なあっ!? なんであんたが抱きついてるのよ! おっさんみたくイヤらしい手つきでほっぺたに触らないで! あと、なんかおでこが超絶に痛いんだけど!」

「エマ、もう一回!」

「もうカロリーがないからムリ」


 エマは大広間の床に倒れ込む。連続使用で限界が来ていたらしい。

 狂犬のほうは散々に喚き散らした末に、近くにいた使用人を恐喝して来客室まで案内させ、中に引きこもってしまった。


 後からやってきたモーリッツ氏は公女の説明にひとしきり笑ってから、ぽそっと「兵糧攻めだな」と呟いた。

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