8-6 理由


     × × ×


 一六七一年。正月。

 ヴォイチェフは自殺を図った。

 食器のナイフで喉元を刺そうとしたが、彼の思惑はあらかじめエマに読まれていた。

 衛兵たちに寸前で取り押さえられた彼は、部族語で息子の名前を叫んでいたという。


 彼の息子は見つからなかった。

 戦いに巻き込まれて死んだのか、他の敗残兵と共にヒンターラントまで逃げていったのか、どこかに隠れているのか……いずれにせよ期日には間に合わなかった。


 そこでエマは一計を案じた。

 子供を作ろう。

 彼女はヴォイチェフの過去を辿り、彼の子供とよく似た声色の少年を城内町で探し出した。

 そして少年に部族語の芝居を仕込んだ。時間が足りなかったから二・三言だけ。


「××××、××××」

「×××!」


 似ても似つかぬ容姿は『食料保管室』の鉄扉で隠してしまえ。

 ヴォイチェフに子供の存在を知らしめたら十分だ。


 彼は兵営に協力してくれた。存分に能力を示してくれた。

 その結果が自殺未遂だった。

 戦いを終えて城に戻ってきた後、必死に「子供に会わせてくれ」と懇願した末の行動だったという。

 おそらく応対したエマの態度から何となく悟ったのだろう。あの子はあれで不器用だから。


 ヴォイチェフのおかげで、トーア侯マティアスとの会戦には勝利できた。

 彼が居なかったら今頃ラミーヘルム城は包囲されていたはずだ。


 マティアスは『同盟武鑑』の記述の二倍以上、約八千名の兵団を率いていた。

 西部有数の大領主とはいえアウスターカップやヒューゲルのようにジャガイモの栽培を進めているわけでもなく、税収以外にさしたる収入源を持たない彼らがなぜ経済力以上の兵力を保有できたのか。

 答えは思想だった。

 ヒューゲルに捕らえられたトーア兵営の将校たちはしきりに「大先生に申し訳なくて泣きそう」「大先生ごめんなさい」「大先生助けて」と口走っていた。

 トーアにはかつて有名な教育者がおり、時に過激な言動で若者の支持を集めていたらしい。

 旧教絶対主義者の大君を立て、教皇戴冠の伝統を復活させなければ『神聖大君同盟』の正統性は回復できない。大君独裁による新教徒追放勅令で国内の調和を取り戻し、挙国一致体制で列強に対抗すべし──「大先生」の主張は当時のトーア侯には受け入れられなかったが、嫡男マティアスは彼の信奉者だった。マティアスの即位後、前述の思想は国是となった。


 なお「大先生」は十五年戦争後に海外亡命を図って新大陸に密航、そのまま行方をくらましたという。

 しかし彼の教え子たちは今やトーア政府の中枢を担う人材となり、過激な思想は貴族階級だけでなく住民の隅々まで行き渡っている。

 ヘレノポリス大君議会の周辺で政治活動を行っていたルドルフ派の「志士」たちもトーア出身者が多かったらしい。


 そんなわけでマティアスは自主的な志願兵を多数引き連れていた。士気の高い兵隊は手ごわい。

 ヴォイチェフの協力がなければ、敵を追い返すことは困難だったはずだ。きっと。


「……エマには辛い役回りをさせてしまったね」


 祝勝会の夜。

 俺たちは勉強部屋で夕食を取っていた。

 大広間の酒宴は厨房の奥、食料保管室に近すぎる。耳を澄ませたら彼のすすり泣く声が聴こえてきそうで……ぶっちゃけ怖かった。

 どうにかして本物の息子さんを見つけてあげたいところだ。腹の底に溜まった罪悪感がしんどくて何を食べても味わえない。


 対面のエマは温かいビールスープを平らげている。


「別に気にしてない」

「そうなの?」

「詐欺にあったヴォイチェフより射殺されたトーア兵のほうが可哀想」


 それはそうかもしれないけど。

 自分としては関わりがあるだけにやはり申し訳ない気持ちが強い。あの人の境遇を踏まえると尚のこと。


 対面から彼女の右手が伸びてくる。

 咄嗟に大麦パンを差し出したら、彼女は身を乗り出して手首を掴んできた。

 心を読まれる。


「……その程度の理解であの人を憐れまないで」

「エマ」

「エマは全部わかってる。子供の件も望郷の想いも。わかった上でヴォイチェフをだました。何のため?」

「世界を救うためだよ」

「生きていたいから」


 彼女はこちらの手からパンの欠片を引き抜いて、そのまま食べた。

 俺は答える言葉を紡ぎ出せない。

 その先も生きていくために「破滅」を止める、世界のためではなく自分の人生のために戦うという考え方は……もはや三周目(あと四年)の自分にはあまりにも縁遠い。だから彼女に「そうだね」と頷いてあげられない。嘘になってしまう。


「別に井納に同意を求めてない。エマはエマのためにも「破滅」を止めたい。井納に憐れまれる筋合いはないってこと」

「いやエマのことはそんな風には」

「可哀想とは思ってる。せっかくの人生を自由に生きられてないって。そんなの井納も同じ。むしろ七〇年以上も他人のふりを強いられてる人のほうが可哀想。本当なら……本当は……」


 彼女は少し黙ってから、パンを噛んで飲み込んだ。

 自分としては公女になっていなければあの世に送られていたので、自分自身を可哀想だと感じたことはないつもりだ。

 紆余曲折はあれど、マリーの役を演じながらそれなりに幸せな日々を送ってこれたし。

 管理者の理不尽には時折怒りを覚えてきたけどね。


「……みんな管理者が悪いんだよ」

「違う。一六七五年に毎回「破滅」を引き起こす奴が悪い。そいつを見つけたら、エマは心を読んで何もかも論破する」


 エマは珍しく力強い宣言をした。


 そいつ。

 もし仮に「破滅」が偶発的な事象ではなく特定の人物の思惑による結果ならば、なぜそいつは世界を滅ぼしたいと願ったのか。

 長年の謎の一つだ。

 個人的には戦争指導者が敵を滅ぼすために数人がかりで強力な魔法を発現させた結果が「破滅」につながったと考えるほうが納得できるけど──実際、一周目・二周目では戦場付近で五芒星が空に浮かび上がったわけで──もしもルドルフ大公やアウスターカップ辺境伯の関係者が下手人ではなく、別の人物が引き起こしていたとするなら。

 ひょっとするとそいつは使用者ではなく使われる側、他ならぬ魔法使い自身なのかもしれない。


 現状に絶望しているのはヴォイチェフだけではあるまい。エマのように奥州大陸ヨーロッパに根付いている奴は少数派だ。みんな故郷に帰りたい、自分と家族の自由を取り戻したいと考えている。自分ならそう考える。

 彼らの絶望が毎回「破滅」を呼ぶのなら、制止できるのは「相手を理解できる」「言語の壁が存在しない」エマだけ──なのかな。仮定の話だから断言しづらい。未だに「破滅」の原因となる魔法が明らかになっていないし。


 何にせよ、やはり南北の超大国から魔法使いを取り上げてしまう以外に根本的な解決策は見当たらないだろう。

 今後の戦争が全てを決めることになる。

 世界のためにも、エマの人生のためにも……ここまでやってきた井納純一のためにも。

 今度こそ成し遂げたい。



     × × ×     



 三月。

 濁流は決壊を迎えた。

 北部戦線を突破できない造反組の体たらくに、アウスターカップ兵営がしびれを切らしたらしい。

 彼らは無能な味方を押しのけて、北部連盟の拠点に大攻勢を仕掛けてきた。

 それまで厳冬の戦場で造反組を相手に連戦連勝を重ねてきた連盟軍も、圧倒的な物量には敵わず総崩れに陥った。

 降伏、脱出、転進が続出する。


 同時に北部各地では慢性的な戦乱と略奪に我慢の限界を迎えた民衆が相次いで一揆を起こした。中には落ち武者同然の領主を殺して独自の共同体を設ける例まで出てきた。

 彼らは故ヤーコブ牧師の後継者『新生・慈悲救済軍』を称したという。

 もっとも数千名の烏合の衆が超大国の侵攻に抗えるはずもなかった。


 北部は反乱者も敵対者も関係なく一様に辺境伯の『鷲菱ロンブスアドラー』の紋章に塗りつぶされていった。


 この圧倒的な敗勢に、ヨハンの妹エミリアの嫁ぎ先だったオーバーシーダー公は全面降伏を決意したらしい。

 彼は周辺の諸侯や留守城代に降伏を勧めてまわり、結果として一部を除いて大半の北部諸侯がアウスターカップの軍門に下ることになった。

 一部とはキーファー公領とマウルベーレ伯、そしてルートヴィヒ伯など数家を指している。こちらは徹底抗戦で家論を統一していた。


「南からヨハン様さえ戻ってきたら、状況は逆転できる。少なくとも対等には持ち込める!」


 ヨハンの忠臣・ヴェストドルフ大臣は自ら前線に出て兵士たちに語りかけたらしい。

 遥か彼方の援軍に望みを託し、各家の家臣団は凄惨な戦いに身を投じた。


 ヒューゲル周辺でも友邦の離反が相次いだ。

 三人衆やシュバッテン伯の旧臣があちこちで一揆を起こし、独立系の小領主連中もラミーヘルム城に連絡を寄越さなくなった。

 同盟東部の街道には街道守公認の野盗が出没するようになり、公社の交易路を阻害してきた。


 いよいよ末期的な状況になってきた中──五月上旬。

 スネル商会のホルガー・フォン・タオンが各街道の検問をくぐり抜けて、あるものをヒューゲルまで持ち込んできた。

 それは新開発の金属薬莢を採用した……彼曰く「完全版」のガトリング砲だった。

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