8-5 宿命が呼ぶ対決
× × ×
出征中のヨハンから新たな報告が送られてきたのは十二月中旬、聖誕祭を目前に控えた夕方だった。
伝令や早馬を介して兵営同士の情報交換は行われているけど、空路で手紙が届いたのは久しぶりだ。
「ご苦労様でした。もう遅いからベッドで休んでいくといいわ」
「そうさせていただきます、えへへ」
ユリアの飛行服はいつも以上にボロボロだった。
このところは戦場の空中偵察で引っ張りだこだったらしい。冬の冷たい空に当たり続けた乙女の頬には霜焼けが出来ていた。
朗報が並んでいた。
彼の兵団は四ヶ月かけて、ルドルフ大公の居城・エーデルシュタット城まであと少しの地点まで辿りついていた。
当然ながら相手方も無抵抗ではなかった。ヘレノポリスからヒンターラント街道を突き進んだヨハンたちに対し、三度にわたり会戦を挑んできた。
そのたびにルドルフの兵士たちは半減していったという。
『ヒンターラント兵営にまともな将兵はおらん』
ヨハンの辛辣な指摘が笑いを誘う。
ルドルフの宮廷にはロート伯のほかに三名の元帥がいたが、彼らの元帥杖は今や三本ともヨハンの手中にあるそうだ。
手紙にはわざわざ「オプスドルフ元帥、ミッテルベルク元帥、ヴルカン元帥」と名前まで記されていた。全く知らない名前だ。たぶん前々回・前回も活躍できなかったのだろう。
『オレはルドルフを倒す。来週にも城を取り囲む』
ヨハンの筆致は力強い。鼻息の荒れっぷりが思い浮かぶ。
とはいえ、油断は禁物だ。
ルドルフはまだ強力な兵器を抱えている。
──かつて亡きアルフレッド・フォン・タオンは隠居の身でありながら持ち前の顔の広さから公女たちの「秘密」を知り、正義感をもって世間に密告した。一方で彼は亡命先の山岳地方においてもルドルフ派の領主や廷臣たちと良好な交友関係を築いており、酒席で彼らの「秘密」を入手できる状況にあった。
タオンさんが生前、シャルロッテに伝えた話によれば、ルドルフ大公は八名以上の魔法使いを保有していた。
そのうちの一人『迅雷のクリスティン』は先日ヘレノポリス会戦に現れ、以降の消息は不明となっている。ヨハンの手紙に落雷の話は出てこない。
例の三元帥との会戦でも敵方の魔法使いは現れなかったようだ。
ひょっとしたら手紙に記されていないだけなのかもしれないけど、ヨハンの性格からしてマリーに魔法使いの話を伏せるとは思えない。絶対に自慢してくる。
ちなみに彼の手紙にはヨハンの家臣フルスベルク中将の礼状も添えられていた。
『公女様と友人方の手紙のおかげで、ラミーヘルム城まで助けに戻ると言ってきかなかったヨハン様とカミル様を説得できました。兵営を代表して御礼申し上げます』
彼らの役に立てたようで少し嬉しい。
否。かなり嬉しい。
もっといえば、あのヨハンがマリーの……あっ。
そういえば八月末にロート伯を倒した件、向こうには早馬で伝わっているとは思うけど、公女からヨハンにはきちんと伝えていなかったな。
返信の末尾に付け加えておこう。
× × ×
一難去ってまた一難が続く。
今度の訪客は西から攻めてきた。南北の主要街道を使用せず、地平線の彼方に連なるハルツ山地を越えてきたようだ。
風雪の吹きすさぶ、凍りついた年末に。
「どう思われます?」
「ハンニバルごっこなら一人でやるべきだろう」
ボルン卿から報告を受けたモーリッツ氏はドン引きしていた。
兵隊が冬の山越えなんて正気の沙汰ではないからね。雪道が険しい、穀物を現地調達できない、凍死しかねない。兵が逃げる。
しかし山を越えてきた敵部隊が『一剣二鍵』の紋章を掲げていたと知ると、彼はたちまち納得の面持ちに変わる。
「ははあ。トーア侯か。たしかにあの家ならやりかねない。トチ狂ってうちだけを狙ってきてもおかしくないな」
「狂気の血筋なのですか?」
「あそこはヒューゲルを恨んでいる。半世紀前の因縁があるだろう……ひょっとしてボルン家の家庭教師は歴史を教えずに飯ばかり与えているのか」
「はあ、先代公と先代宰相の
「ん、そういうことだ」
赤茶毛の乙女は澄ました顔で答えた。まるで反省していない。
トーア侯マティアスとは
一周目では家族を人質に取られた上に居城を囲まれた。カミルの指を切られた。二周目では舞踏会で娘さんと仲良くなろうとしたらブチギレられてしまった。
足元にワイングラスを落とされた日が懐かしい。
あの憎しみのこもった目つき。まだ幼女だった公女相手にあれだけ凄みを利かせられる、衝撃的な大人げのなさ。肉体が感じた恐怖。
あの男には一泡吹かせてやりたいな。三周目の彼とは因縁がないから、ほぼ八つ当たりになってしまうけど。
自分が思い出にひたっているうちに、モーリッツ氏とボルン卿は兵営の対応を決めていた。
「城から打って出る。二個梯団と『足まとい』で会戦を仕掛けるぞ」
「ではブルネンあたりに指揮を任せますか」
「お前がやれ。ボルンの太っちょ。あの老人をこき使うな。たまには先方三家の役目を果たしてくれたまえ」
「そんなあ。うちは守りの家ですよ。無茶を言わないでくださいよ、
「やめんか! なれなれしい。とにかくお前が行け! 手柄を立てさせてやるから!」
赤茶毛の乙女はボルン卿の背中を叩く。
妙に距離感が近い。考えてみれば、彼らは成人前から共にヒューゲル家に仕えてきた。いわば幼馴染の間柄にあたる。一応。
同年代の
そのへんはさておき。
モーリッツ氏は城外で戦いを挑むつもりらしい。
自分としては悩ましい。
ラミーヘルム城に立てこもっていたほうが安全だからね。
トーア侯の総兵力は約四千名とされており、その程度の人数で力攻めを仕掛けてくるとは考えづらい。もし彼らが兵糧攻めを仕掛けてきても、今の城内には秋の収穫物が詰まっているから十分に冬を越せる。
包囲戦なら十中八九負けない。
そのかわり、またもや敵の徴発隊にヒューゲル領内を荒らされてしまうだろう。
冬場に食料品だけでなく薪や毛布まで取り上げられてしまう村人たちを思うと、公女の胸がきりきりと痛くなる。
彼らの恨みの矛先が「戦争を呼び寄せた」ヒューゲル公爵家に向かわないとも限らない。
今後の戦争遂行を考えれば、民心の安定は肝要だ。
その点で城外に決戦地を求めるのは安全な考え方といえた。
モーリッツ氏が話していたようにロート伯から手に入れた『足まといのヴォイチェフ』の能力を活かしてやれば、約二倍の敵兵団に対しても十分に勝ち目を見出せる。敵の戦列歩兵を七転八倒させたら、あとは銃剣突撃を仕掛けるだけ。
ケチを付ける点があるとするなら──。
「ドーラ女史。肝心のヴォイチェフ氏は命令に従ってくれそうですか」
「幽閉先の食料保管室でエマに説得させている」
モーリッツ氏は決まりが悪そうに頬を掻いていた。
大丈夫かな。
ヴォイチェフには人質という安全装置が付いていない。ロート伯がヒンターラント本国から連れてきていた彼の子供は行方不明になっている。
おそらく先日の戦いに巻き込まれて死んだ。
少なくともヴォイチェフはそのように捉えているようだ。エマでも説得できるのだろうか。
「……パウルの子女。まるで使徒トーマスのように訝しんでいるようだが、なにも
「説得の目処が立ったのですか」
「やらざるをえないのだ。もうすぐ年が明ける。三月の雪解けに合わせてアウスターカップは必ず仕掛けてくる。トーアなんぞにかまっていられない」
だから早めにケリをつけたいと。
妥当な言い分ではあった。両者が手を結ぶ危険性も否定できない。
「それと、これはあくまで仮定の話だが……」
赤茶毛の乙女は
こそばゆい。
「……アウスターカップに城を占領されても住民は紳士的に扱ってもらえるだろうが、トーア兵に占領されたら皆殺しにされかねない」
「ふふふ」
「笑うところではないが」
「いえね。あなたの吐息がこそばゆいのと、何となくデジャヴを感じてしまって」
あれは一周目の末期だったか。あの時もトーアにやられるよりオエステ兵のほうがマシだと判断した。
歴史は繰り返すものらしい。
「わかりました。今回は打って出ましょう。わたしは女中や使用人に命じて、ヴォイチェフの子供を探してもらいます」
「たしかにまだ死んだと決まったわけではないからな。某も公社・官房に再び捜索を指示しておこう」
「では僕も衛兵たちに伝えておきますね。明後日までに見つければいいんだっけ、ドーラちゃん」
「今は城代と呼ばんか」
トーア侯の兵団はラミーヘルム城まで五日の地点にいるらしい。
ヒューゲルが城外の平原で戦うなら明後日には出発して、なるべく有利な地形で迎え撃つ態勢を整えておきたい。
つまり、あと二日間が勝負の分かれ目となる。
それまでにヴォイチェフの子供を発見できれば──勝てる。
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