8-3 血筋 我は誰の子


     × × ×     


 翌朝。

 部室のベッドから這い出て、日差しを浴びようと中庭まで出てきたら──城壁の割れ目の向こう、三日月湖の対岸に複数の人影が見えた。


 まさか総攻撃を仕掛けてくるつもりか、と思いきや、レンガの飛び石を渡ってきたのは幼い子供だった。

 それも明らかに近くの村に住んでそうな少年だ。何というかヒューゲルっぽい顔をしている。


 我が家の兵士たちは引き金を引くわけにもいかず、小隊長のカーキフルフト少尉を含めて対応に困っていた。

 やがて若手の兵士が少年に声をかける。


「どこの村から来た坊主だ?」

「カスターニエ」

「おれの友達と同じだな。どこの家だ?」

「母ちゃん家」


 少年は向こう岸から歩いてくる若い女性を指差した。

 彼女は赤ん坊と荷物を抱えていた。足を滑らせてしまわないか、見ていて不安になる。赤ちゃんが湖に落ちたら大変だ。


 全く。どうしてロート伯はあれほどに狭い道を作らせたのやら。


「──そういうことか!」


 公女おれは城の二階に向かう。廊下の窓から三日月湖の対岸に目を凝らす。


 案の定、湖畔には朝靄あさもやに紛れて、多数の村人が集められていた。

 彼らは白服の兵士に銃剣を向けられており、おそらくレンガの『橋』を渡るように迫られている。

 西方の平原では敵の騎兵隊が若者たちを追い立てていた。あんな追い込み漁のような手法で城の近くまで人々を連れてきたらしい。


 俺の予想が正しければ、敵の狙いはラミーヘルム城内の穀物不足に拍車をかけることだ。城内の人口が増えれば、それだけ消化される芋の数も多くなる。自然の摂理だ。

 昨日の時点で公社幹部のフンダートミリオン氏が「一ヶ月もたない」と話していた。そこに対岸の人々まで入ってきたら、いったい何日もつか。

 ただでさえ住居が足りなくて、路上生活者が出てきているというのに。


「くそっ」


 このままだと近いうちにヤケクソで外に打って出るしかなくなる。芋成金にも廷臣にも武器を持たせて、みんなで戦列を組んでもらう。

 ところが相手には『足まとい』がいるものだから、我々の戦列はすぐにも崩されてしまうだろう。

 後はロート伯の騎兵隊に美味しくいただかれてしまう。


 その隙に公女おれと身内だけ逃げ延びて、ヨハンと合流して「破滅」阻止に望みをつなげる……しかないのか。恥ずかしすぎて舌を噛みたくなる。


「敵将は我が民を武器として用いてくるか。用兵家としては尊敬に値するが、貴族としては唾棄すべき者だ」

「血まみれにされないだけマシと捉えましょう」


 廊下の向こうからパウル公とハイン宰相の会話が聞こえてきた。朝からせかせかと歩き回っているようだ。

 お父様たちはどうするつもりなのかな。仮に降伏を考えているなら、止めないと不味いことになる。

 公女おれは空き部屋に潜み、彼らの会話に耳を澄ませる。


「……対応はマリーと城代に任せるつもりだ。お前とボルン家の坊主で支えてやってくれ。もう私に付き従うことはない」

「しかしカミル様がおられない以上、パウル様をお支えするのが廷臣の務めです」

「すでに城代に『宝刀』を授けた。ハイン宰相。お前には前から言っているが、先代の跡を継いでからずっと、私は力不足を感じてならなかった。いずれ父祖の地ヒューゲルを私より相応しい者に任せたいと考えてきたのだ」


 お父様は立ち止まった。

 三周目なのに俺が知らない話だった。


「パウル様は先代と同じくヒューゲルの誇りでございます」

「むやみに主君を褒めるものではない。私は先代のように強くない。学者の本を読んでも頭に入らん。その点であの女城代はどうだ。すらすらと文字を吐いてみせる。兵学にも明るい。我が子カミルには先代公の名残が見えよう」

「はい」

「マリーはエヴリナに似ている。それに子供の頃から只者ではなかった……キーファー公とスネル商会を従えられるのはこの世界であいつぐらいだよ。私にはできん。お前や家臣たちでやっとだ」

「はい」


 ハイン宰相が「はい」しか答えられなくなっている。主君を持ち上げられず、主君の自己批判に同調するわけにもいかず。ただ悔しそうにするばかり。

 そうか。お父様が十四歳のカミルに当主の座を譲っていたのは、一周目で公女に『宝刀』を渡していたのは、そういう理由だったのか。まさか九十五年目の今になって知ることになるとは。


 男は弱みを見せたがらないからなあ。


「……パウル様は十五年戦争の後始末を任され、不遇な時代の当主であられました。それゆえに『強いヒューゲル』の主ではありませんでしたが、そのように卑下されることもないと存じます」

「そうか」

「はい」

「では、次代の『強いヒューゲル』をお前には支えてもらわんとな」

「仰せのままに」


 お父様とハイン宰相はまた歩き始める。


 彼らにヒューゲル家の対応を任された身としては安直な答えなど出せない。公女おれは城代の元に向かう。


 それはどういうわけか、エヴリナお母様の育児部屋だった。

 もちろん、お母様が余所者で「愛娘のお気に入り」でもあるドーラ・ボイトンを友好的に受け入れるはずがない。


 部屋の空気は八月なのに冷えきっていた。

 あの甘ったるい母の匂いがローズマリーの香りと打ち消しあっている。


「非礼な同盟人ニェメツはいつも非礼だね。あたいの花押だけ欲しいなんて」

「公妃様のお手を煩わせたくありませんでした。よろしければ手紙の文面に手を加えていただいても」

「うっさい。用が済んだら出ておいき。マクシミリアンがあんたに騙されるかしらね!」

「花押があれば公妃様の手紙でございますよ」

「けっ!」


 お母様は布団の中に戻ってしまった。

 ああなってしまうと機嫌が直るまで長くなる。経験上、関わりたくない。


 モーリッツ氏のほうはドレスがずぶ濡れになっていた。何があったんだ。


 公女おれは赤茶毛の乙女の端正な顔を布巾で拭いてあげながら、二人きりで廊下に出る。


「えらく水びたしですわね」

「花瓶の水をかけられた。あれはえげつない女だな。嫁に来る前に宰相を辞めておいてよかったぞ。容姿以外に褒める点が見当たらない」

「ストルチェクの同胞には友好的なんですよ」

「そのストルチェクだ。お前の弟マクシミリアンに手紙を送る。これがまさに起死回生の一手となる」


 彼はほんのり水気を含んだ紙面を見せてくれる。

 なになに。


「あなたの大叔父から郎党を借りて、母の居城を助けに来てください。エヴリナより……ですか」

「もはや他に助力を求められそうな相手はおらん。お前の弟なら断らないはずだ」

「モーリッツ卿、うちの大叔父は十数名の使用人しか抱えていませんよ。あとは小作人ですわ」

「なんだと!」


 モーリッツ氏はビックリしていた。大地主の大叔父に期待していたみたいだ。


 公女おれは二周目の途中でストルチェクに住んでいたので、向こうの状況は大まかにわかっている。大叔父に兵はいない。

 公女の弟マクシミリアンにしても大叔父や友人たちに協力してもらって国王選挙に立候補させているけど、現状では五大老マグナート同士の権力争いに喰い込めていないようだ。

 あいつがストルチェク国王になってくれたら王冠領の兵士を味方にできたのに……あの国の制度的に難しい話ではあるけれど。


 モーリッツ氏は濡れた髪を掻き分ける。


「そうだったか。この手紙は用済みだな。他に転用できない」

「せっかくですから送りましょう。あの子にも故郷の苦境を知る権利はありますわ」

「それはそうだな。あとでユリアに渡しておいてくれ」

「任されました」


 公女は手紙を預かった。


 大広間から中庭に出ると、当のユリアが子供たちに囲まれていた。しきりに空を飛ぶようにせがまれていて、かなりの人気者だ。

 子供だけでなく大人たちも飛行娘に喝采を送っている。


 彼らはみんなレンガの『道』を渡ってきた。後からどんどん増えてくる。

 カーキフルフト少尉が一人一人に念入りな身体検査を行っているようで、武器や危険物は兵営に回収されていた。


 赤茶毛の乙女は嘆息する。


「アントン……ロート伯もえらくなったものだな」

「何がです?」

「あれがもっと太い道なら、追い立てられた領民が津波のように押し寄せてきていた。我々は便衣兵・間諜の浸透を防ぐために咄嗟に『道』を閉鎖、もしくは破壊していたはずだ。あの幅だから敵の計略は成功している」

「わたしも同感ですわ」


 あのように穏やかに受け入れられる状況だと、なかなか領民たちを見捨てるような判断は下せない。

 城側に『道』破壊の動機を与えないという点、さらにはヒューゲルのそうした「甘さ」を読み取ったという点で、ロート伯の心理的な洞察力には敵ながら恐れ入る。


「何にせよ城内の兵糧を空っぽにしようとは、敵は強攻より包囲策を取ったとみて間違いなさそうだな。主君・ルドルフ大公の城が落とされるかもしれんのに呑気なものだ。どうせヘレノポリス会戦の報告が届いていないのだろう」

「報告が届けば、撤退してくれるかしら」

「……それは試したいな。ユリア、二つ手紙をくれてやるから、こっちはストルチェクのマクシミリアン、某の封筒は敵陣地に落としてくれたまえ!」


 モーリッツ氏はドレスの袖口から兵営作成の戦闘詳報を取り出すと、公女おれから手紙をひったくり、群衆を掻き分けてユリアの元に持っていった。


 久しぶりに任された役目がなくなってしまった。

 エマを起こしにいくか。



      × × ×     



 翌日。八月二十七日。

 城代の手紙は届いたはずだが、ロート伯の陣営は動きを見せなかった。

 ラミーヘルム城の包囲は続行される。

 モーリッツ氏は風邪を引いていた。



      × × ×     



 八月三十日。午前。

 ヒューゲル平原の東方から、いななきが伝わってきた。

 土埃と足音がラミーヘルム城に近づいてくる。まるで嵐のごとく強烈に、浜辺の砂を押し上げるように力強く。


 彼ら・・は城の北側に向けて進路を取った。

 白服の梯団は慌てて馬防柵と銃剣の戦列で守りを固めたが、彼らは気にすることなく縦隊を左右に広げていく。


 約四百騎の槍騎兵が突撃の準備を済ませた。

 彼らはそれぞれ甲冑の背中に巨大な羽根飾りを付けていた。ひとたび走れば風に当たって壮絶な音を立てるという。

 かつてストルチェク連合共和国の全盛期、時に彼らと敵対した同盟人ゲムにとって、それは死の音だった。


 有翼衝撃重騎兵フサリア

 彼らは突撃の前に叫ぶ。


「──やあやあ、我こそは! ヴィエルコ=ストルチェカのシュラフタ、太古より紅の血を伝えてきたコワルスキの子、スタニスワフなり!」

「──我こそは! 代議士の息子、無類の色男、泣く子も黙ったミコワイ・フリンスキなり!」

「──我こそは! かの英雄ボレスワフの血を継ぐ者、清貧なる大酒飲み、人呼んで文句吐きのブチョリスキ! および郎党七名!」

「──我こそは! 天地にその名を知られた料理人、偉大なシュラフタ・ミツキェヴィチの六男、癇癪熊の名代! タデウシュ・リシェツキなり!」

「──我こそは! ヒューゲル公爵家の次男にして国王候補、大パウルパヴェウの子、マクシミリアンなり!」

「やあやあ、我こそは!」

「我こそは!」

「我こそは!」


 彼らの咆哮なのりは尖塔の展望台まで伝わってきた。


 対する白服たちは怯えて逃げることなく、銃剣の列を保っている。

 馬は本能的に尖ったものを恐れる。

 歩兵の列が崩れなければ、騎兵の突撃には抗える。


「……放て!」


 マクシミリアンの号令で有翼騎兵たちが手持ちの短銃と短弓を放った。

 ロート伯の陣地とは三百メートル以上の距離があり、ほぼ当たるはずなかったが、白服たちには若干の動揺が見て取れた。


「行け行け! 行け!」


 呼応するように、我が家の北門衛兵が打って出て、必死で鉛弾を敵兵に撃ちかける。

 白服の梯団がわずかに崩れた。

 有翼騎兵はその間隙を突いた。


「全軍突撃!」


 伝統的な紅白の吹き流しを槍先で棚引かせ、背中の羽根飾りを揺らしながら、全身甲冑の重騎兵が密集横隊を維持したまま加速していく。

 白服の迎撃を省みず、剣先を恐れず。四百騎は先駆けの転倒を踏み越えて、襲歩で突っ込んでいった。


 壮観だった。


 北門前の敵包囲部隊が砕かれ、散り散りに追い散らされ、穂先で首を取られていく。

 緋色の旗が倒され、ヒンターラント兵営の白服が血に染まっていく。

 馬上から殺戮が繰り返される。

 短銃、刀剣類を巧みに持ち替え、人の死が作られていく。


「南門だ! 敵将ロート伯は南門にいる! 僕の先祖を殺した、野蛮で大嫌いな有翼騎兵! 早く南に回ってくれ!」


 北門から出てきたボルン卿が彼らに大声で指示を飛ばした。


 南門前では北の惨状から逃げてきた白服たちがロート伯の本隊と合流して、撤退の用意を始めていた。

 取り逃がす手はない。


 公女おれは尖塔の階段を降りて、衛兵の馬に乗せてもらい、大通りから兵営の南門守備隊の本部に向かう。


「諸君には城外に出てもらう! 敵将を捕らえ、一番手柄とするがいい! 滅多にない好機であるぞ!」


 すでにモーリッツ氏が『宝刀』の権威をもって兵士たちに命令を下していた。

 城兵のハーフナー隊、ブルネン隊が南門の堡塁から城外町に打って出る。


 対するロート伯は攻勢を読んでいたのか、土塁の外側から散兵隊で迎え撃ってきた。 

 たちまちハーフナー隊は前進できなくなったものの、味方砲兵が土塁を吹き飛ばしてくれてから再び追走を仕掛けた。

 ブルネン隊は河原の練兵場に向かい、逃げ遅れていた敵兵と御用商人を追い詰めた。


 ロート伯の本隊・約五千名は複数の方陣を組みながら南方に向かった。

 方陣は対騎兵用の陣形だ。四方向に銃剣を向けているので歩みは遅くなる。


 さすがは歴戦の名将、隙のない組み方をしており、北から旋回してきた有翼騎兵も突撃を控えるかと思いきや──彼らは街道上に敵が残していった野戦砲と道具類に縄を取りつけ、馬で牽き始めた。

 さらに彼らはハーフナー隊から砲兵を借り受け、馬の鞍に乗せて「前線」まで連れていく。

 ここでの「前線」とは、のろまな方陣を崩すための絶好の砲撃位置を指す。


「放て!」


 なだらかな丘陵の上から砲弾が放たれる。街道上で数名の歩兵が吹き飛ぶ。

 白服たちは突然のことに驚きを隠せず、またもや隙を晒した。


 二発目の後、三百五十騎の有翼騎兵フサリアは本日二度目の突撃を敢行した。

 二度目は名乗りを上げなかったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る