8-2 使い道


     × × ×     


 工房地区の搬出状況を確かめてから南街道に戻ってくると、何やら住民たちと公社スタッフが揉めているようだった。

 すかさず公女の傍らにいたベーア伍長が走っていく。


「やめいやめい! 天下の往来で何をしておるか」

「伍長さん! くそったれ公社の連中が俺たちを追い出そうとするんだよ、いきなり長屋を燃やすとか言い出して!」

「ブルーノ、敵が来るから仕方ないと説明されただろう。公社の下っ端に当たるんじゃない」

「でも俺たちの家なんだ! 何とかしてくれよ! 敵が攻めてくるなら若い衆を集めて、俺らもあんたと一緒に戦うからさ!」


 住民たちの表情は悲壮だった。

 彼らの気持ちは痛いほどに理解できる。余所から移住してきて五年も経てば、ここだって立派な故郷だ。

 そんな彼らの前に赤茶毛の乙女が立った。


「諸君の想いは心強いが、今は耐えてもらいたい」

「ドーラ代表!」


 公社のスタッフがビックリしている。

 彼が「代表」と口走ったおかげで、住民たちの目がモーリッツ氏に向けられた。

 天下の公社代表が公女と同い年の女性だと知る者は多いが、可憐な容姿についてはあまり知られていない。

 住民の中年女性が、モーリッツ氏に詰め寄る。


「あんたがあたしらを追い出そうとしているのかい!」

それがしはラミーヘルム城代だからな。ヒューゲル家の居城と臣民を守るためにできることは何でもさせてもらう」

「なら、あたしらにも戦わせておくれよ。城外町は盛り土で囲まれてんだから、いくらでも守りようがあるじゃないの!」


 女性の主張に住民たちが「そうだそうだ」と賛同を示した。

 盛り土とは土塁のことだ。元々は城外町を星形の堡塁で取り囲む予定だったけど、お金が足りなくて未成のまま終わっている。

 そもそもラミーヘルム城が攻め込まれるような状況はあまり想定されていなかった。


 モーリッツ氏はみんなが黙るまで待ってから回答する。


「……あんなチャチな土塁ではロート伯の攻勢を止められない。相手は伝説の英雄ヒルデブラントの如き強者だ。しかも一万名以上の猛者を引き連れている」

「一万人だって」「ロート伯って『血まみれ』の……」

「血と肉と女に飢えた男どもが土塁を越えた時、某は想像したくもないぞ。皆で安全な城内町に避難したほうがいい」


 説明を受けた住民たちは顔を見合わせる。

 ある程度は納得してくれたかな。


 その中で先ほどの中年女性が両手を握りしめながら、再びモーリッツ氏に詰め寄ってくる。


「だとしても、せめて長屋は残しておくれよ。あたしらの家なんだよ」

「その認識は間違っている。あれは専売公社の所有物だ。諸君に低価で居住許可を与えているだけで、扱いを決められるのは我々だけだ」

「あたしたちが帰るところが無くなっちまう」

「御婦人、泣かないでくれたまえ。また公社が建ててやる。それでいいだろう。もし不安なら公社と住民の「約定」として公女様に保証してもらおう」


 なぜかモーリッツ氏から話を振られてしまう。

 長屋の陰から公女おれが姿を見せると、住民たちは殊更にビックリしていた。


「うわあ、新大陸の奴よ!」

「あれが例の魔法使いなのか!」


 どうやら傍らにいるエマのほうに注目が集まっているらしい。そりゃそうか。エマはめったに市街地には出ないし。

 公女おれは軽く咳をして、暇そうにしていたベーア伍長に目配せする。よし。気づいてくれた。


「お前たち、控えおろう! こちらはカミル公の姉君、キーファー公妃マリー様であらせられるぞ!」

「は、ははあ」


 伍長の仰々しい紹介を受けて、住民たちが跪いてくれる。

 それにつられてか、往来の行商人や担夫まで片膝を地面に突いてくれた。何やら大事になってしまって申し訳ない。


「はい。長屋の件で一筆書いておきましたわ」

「あ……ありがたき幸せ!」


 公女おれは印刷用紙の切れ端を住民代表者のブルーノ氏に手渡した。これで彼らの住処の再建は公女により保証された。

 もちろん、戦いの後にヒューゲル家と公社が生き残っていたら──との条件付きにはなる。

 ブルーノたちもその点は承知の上か、あるいは考えないようにしているのか、少なくとも見かけ上は納得した様子で城外町を去っていった。


 同様に他の住民グループに対しても公女の証書を渡していく流れになる。

 おかげでけっこうな枚数をしたためるはめになった。


 大多数の住民を疎開させた後、モーリッツ氏が労いの言葉をかけてくれた。


「お前に手間をかけさせてしまった。すまない」

「別に大したことではありませんわ。ところで、いつもはわたし抜きで話を進めていくのに、こんな時には公女の力を借りるのですね」

「必要な時だから仕方あるまい。前にも言ったが、お前には温泉地で余生を過ごしてもらいたいのだぞ」

「もう無理ですわ」

「まだわからんさ。アントンの奴を倒せば、状況も変わる」

「ロート伯……」

「もうすぐ来るぞ」


 公女おれたちは廃品の箱に座ったままウトウトしていたエマを叩き起こして、ラミーヘルム城内に戻る。

 一気に二千人も人口が増えてしまった城内町は完全に混雑しており、とても長期戦には耐えられそうにないと肌身で感じることができた。

 つまり敵方の包囲部隊を素早く撤退に追い込まなければ、俺たちに明日はない。



     × × ×     



 八月二十六日。

 ラミーヘルム城の尖塔から緋色の旗が見えた。

 ロート伯は定石どおりに部隊を分けている。北門と南門の前に包囲部隊を配して、徴発隊に近隣の村々から「価値ある品」を捲き上げさせる。

 前回の攻防戦と全く同じ流れだ。


「そんなことない。井納が気づいてないだけ」

「相手に『迅雷のクリスティン』がいないのはわかってるよ。でも、きっと別の奴を連れてきているはずだから」

「三日月湖の向こうに攻城砲を据えてる」


 エマが指差した方向に目をやると、たしかにヒンターラント兵営の白服たちが大がかりな青銅砲を持ち込んでいた。

 あれでラミーヘルム城の本丸の城壁を崩して、三日月湖の方面から渡河攻撃を仕掛けてくるつもりなのかな。

 そんなことしなくても、やり方次第では「例の割れ目」から攻め込めるだろうに……となると別の目的があるとみるべきか。

 ただ、あの辺りは城内の砲台の射程圏内だからなあ。


 さっそくヒューゲル砲兵の試射が始まった。

 白服たちは散々に追い散らされていく。何のつもりだったのやら。


「……井納。あれを見て」

「あれって?」

「三日月湖のあそこ、エマの指先の向こう!」


 尖塔の窓際に身体を引き寄せられる。下手したらエマと一緒に落ちそうで怖い。あと上半身がつっかえて狭苦しい。

 彼女の人差し指の先では──なぜか土色のレンガが湖面に浮き上がっていた。ひょっとするとレンガではなく、似た形の石かもしれない。

 それも一つではない。

 対面の湖畔から、城壁側の湖畔にかけて、続々とレンガが浮き上がってくる。

 まっすぐに線を描き、まるで人間が行き来するための「渡り」を作るかのように。


 ありえないことが起きていた。

 三日月湖の中央に「道」が出来てしまった。


 ──魔法使いの仕業だ。


「攻城砲は目くらましだったか! エマ、過去の記憶からあの魔法使いを割り出せる?」

「たぶん『足まといのヴォイチェフ』」

「ストルチェク語の名前……ああっ! 二周目で大叔父の家にいた時、スワフニの街で!」

「そう。五大老マグナートのコメダ侯の手下が、けしかけてきた奴」


 反乱分子のシュラフタたちの足元にブロック状の石を出現させ、彼らを思う存分に七転八倒させていた奴だ。

 あの時は姿まで視認できなかったけど……おそらく三日月湖の対岸で地面に木の枝を刺している巨漢、あれが『ヴォイチェフ』なのだろう。


 どうして今回はロート伯の陣営にいるんだ。


 仮説① コメダ侯が奴隷ギルドの入札に負けた。

 仮説② コメダ侯が同じ旧教派のよしみでルドルフ大公に供与した。

 仮説③ ロート伯がストルチェクを抜ける時に現地のコメダ兵と交戦した結果、戦利品として『ヴォイチェフ』を手に入れた。


 いずれにせよ、あの「転倒魔法」は戦列歩兵を倒すのに効果的すぎる。危険だ。

 挙句にあんな風に応用してくるなんて。


「……やっぱりロート伯は手強いな」

「褒めてる場合じゃない」

「そうだね」


 二人で危険な窓際から離れる。

 エマはなぜか公女の胸を小突いてきた。


「ずっとマリーのぶよぶよが背中に押しつけられて苦しかった」

「ぶよぶよって。せめて胸と呼びなよ」

「ヨハンがマリーの肉体で一番好きなところ」

「えっ……いやダウトだね。あいつがマリーに一目惚れしたのは常に子供の頃だろ。だからあいつが一番好きなのは、この顔だ」

「よく覚えてる」

「まあね」

「井納、顔が真っ赤」

「急に変なことを言うから、身体マリーのほうが反応したんだよ!」


 エマのせいで二周目の頃のあまり思い出したくない記憶を呼び出すはめになったじゃないか。

 たしかに序列は別としてもヨハンがぶよぶよを好んでいたのは正しい。あれはかなり執心していた。今回も会うたびにガン見される。バレバレだからやめてもらいたい。


「……ところで俺たち、状況的にはかなりヤバいはずなのにけっこう余裕だよね」

「正常性バイアス。何だかんだでヒューゲルは二周目以降、ほとんど負けてない。今回も大丈夫な気がしちゃう」

「そこは気をつけないとなあ……」


 二人で尖塔の階段を降りる。


 二階の廊下ではモーリッツ氏とパウル公が窓の外を眺めながら、あれこれと話し合っていた。

 他の廷臣の姿は見当たらない。

 パウル公は自分たちと同じくレンガの件を気にしているようだ。


「あのレンガをあのままにしておけば、いかなる時に白服が入り込んでくるか。私は不安でならん」

「心中お察し致しますが、すぐに攻めてくるような気配はありません。となれば、敵としては『とりあえず作ってみただけ』なのかもしれませんよ」


 モーリッツ氏は往年の主君に対して、きちんと敬意を払っていた。

 かつて若き日のパウル公や先代公と話し合っていた時も、あんな感じで敬語を話していたのかな。


 パウル公は赤茶毛の乙女に訝しげな目を向ける。


「城代。楽観的すぎないか」

「そうは仰いますが、もしロート伯があの『橋』を有効活用するつもりなら、夜中にこっそり作っていたはずです。そして兵たちを忍び足で渡らせる。かなり効果的な奇襲になります」

「先代公とアルフレッドの再演だな。あれは湖を泳いでいたが」

「ええ。ところが、ああして白昼堂々と作り上げてしまうと……当然ながら我々は気をつけますよね。肝心の奇襲効果が薄れてしまう」

「ふむ」


 お父様は小さく呟き、いつものように歩き始めた。赤茶毛の乙女はドレスの裾を摘まんで、いそいそと付き従う。

 エマと共に追いかけてみると、城壁の割れ目に辿りついた。

 湖の向こう岸までレンガ状の飛び石が続いている。こうして見ると狭いな。二列縦隊では進めそうにない。

 城側の湖畔に三十名ほど銃兵を忍ばせておけば、十分に守りきれそうだ。


 パウル公は水際に立ち、対岸を見つめている。


「──我々が『橋』を使ってみるのはどうだ、マリー」

「わたしに気づいておられましたか」

「お前は目立つ。香水の匂いでもわかる……とにかく『橋』の使い道を思いついたら、ドーラに話しておくといい。どうも私には浮かびそうにない」


 お父様は去り際に公女おれの髪を撫でると、湖畔から城内に戻っていった。いつもながら落ちつかない方だ。


 しかし「使い道」と言われてもなあ。

 それこそ何をしてもロート伯の術中にはまってしまう気がする。相手は名将だ。迂闊には使えない。

 一方で上手く活用できたら、彼の部隊を敗走に追い込めるかもしれない。


「パウルの子女。いっそのこと馬を借りて、城の外に逃げてみるか」


 モーリッツ氏のほうは湖のレンガに足をかけていた。彼が乗っても沈まない。一応、罠の可能性もあるのに平気なんだな。


「相手はそれを狙っているかもしれませんよ」

「ほほう。たしかにお前を捕まえたら、今回の戦争は終わる。ヨハン公がお前を見捨てるはずがない」

公女マリーは愛されていますからね」

「羨ましいものだ」


 モーリッツ氏はぼんやり呟いてから「はっ」と気づいたように口元を抑えた。髪の毛と同じくらい顔が赤くなっている。

 いや……まあ。別に気の持ちようは自由だと思うけどさ。


「おい! 勝手に勘違いしないでもらおうか! 某は他者から無条件に愛してもらえることが羨ましいだけであってだな!」

「モーリッツ・フォン・ハーヴェスト卿には家族がいなかったのですか」

「廷臣の娘と結婚していたが子宝には恵まれなかった! ……くだらん話はやめにして城に戻ろう。砲兵に指示を出さねば」


 彼は早足で去っていった。

 無条件で愛してもらえることが羨ましいとは。あの容姿ならいくらでも相手が出来るくせに。


 それにしても、この「橋」……本当に何のために作られたのだろう。

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