8-1 踊り子


     × × ×     


 我が夫、ヨハン様へ。

 この度はヘレノポリス会戦における戦勝、誠におめでとうございます。我が家の将兵が活躍したとの報告をいただき、家中の者どもは涙を流すほどに喜んだり、機会に恵まれなかったと悔しがったりしております。


 一方で、わたしたちの周りには嵐が吹き始めています。

 我が家のユリアから先に報告を受けたかと思いますが、アウスターカップ辺境伯が同盟北部に攻め込んできました。

 ご存知のとおり彼らは総兵力八万人、予備役数万人の人的資源を抱えています。まずもって私たちとは比べものになりません。魔法使いも多数保有しています。

 現状、同盟北部の海岸沿いでは味方の将兵がアウスターカップ第二軍団の大攻勢を凌いでいるようですが、彼我の兵力差を鑑みれば、陥落は時間の問題でしょう。おそらくヨハン様の領地も攻め落とされてしまいます。


 またユリアから読み取った情報を精査したところ、一部の北部連盟の加盟国がアウスターカップ側に寝返ったようです。

 エマによると名門バンブス公を筆頭に、フリューリンク辺境伯・シルトクレーテ伯・ゼクスドルフ伯・ノイエバッハ伯の梯団旗が敵陣地に掲げられていたそうです。多いですね。

 ひょっとすると彼らが「対ルドルフ戦」のために供給してくれた兵士がヨハン様の駐屯地に今もいるかもしれませんが、兵士たちは当主の造反について何も知らないはずなので、軽率に処断するのはやめてください。

 ただし将校については殺さずに追い出したほうがいいとは思います。


 嵐が起きているのは北部だけではありません。

 わたしの城、ラミーヘルムにも敵兵が迫っています。ロート伯の兵団がヴィラバから北上し、ゲム=ストルチェク街道(我が家では『言い訳街道』と呼んでいます)まで到達しているようです。

 ラミーヘルム城には二千名の兵が残っておりますから、半年は持ちこたえられます。

 ただし包囲されてしまえば、これまでのようにヨハン様の元に芋を送り出せなくなります。

 公社の兵站基地は北門の外にありますよね。さすがに二千人では城外街まで守りきれませんから、敵兵が来る前に焼いてしまう予定です。将来的にロート伯を追い返せても兵站基地の復旧には時間がかかるとドーラが申しております。


 そこでヨハン様にオススメしたいのが、何も考えずにエーデルシュタットまで赴いて、ルドルフ大公を倒すことです。

 あの男を捕まえてしまえば、アウスターカップ以外に敵はいなくなります。五年後の「破滅」の件について多くの情報を持っているはずなので、ぜひとも殺さずに捕えることを検討してください。よろしくお願いします。


 ヨハン様としては故郷の危機に心休まらないかと存じますが、今ここで引き返してしまえば、ルドルフ派は息を吹き返してしまいます。まずは南の宿敵にトドメを刺しておくべきです。

 我が師アルフレッドは「各個撃破は戦術の基本」だと語っていました。歴史的に良い例はたくさんありますね。もっといえば、ヨハン様と将校たちがヘレノポリス会戦で見せた戦いぶりこそ、何よりの好例ではありませんか。


 エーデルシュタットにお進みください。敵地を進めば、今後足りなくなる穀物などは現地調達で工面できるはずです。

 わたしの城は大丈夫です。どうかわたしの想いがあなたに伝わりますように。



 あなたの妻 マリー・フォン・ヒューゲル(花押)

 ラミーヘルム城代 ドーラ・ボイトン(花押)

 エマ(花押)



     × × ×     



 先ほどしたためたばかりの手紙が空を飛んでいく。

 なぜかモーリッツ氏とエマの署名入りで。


「あれは手紙に公的な性格を持たせるためだ。私的な感情が先走った手紙では冷静な判断を促せないだろう」

「そんなに先走ってました?」


 君たちや将校たちと相談の末、かなり冷淡な文面に仕上げたつもりだ。

 赤茶毛の乙女は干し肉をかじってから答えてくれる。


「元のままだと死を覚悟した姫君からの健気けなげな手紙とも読めてしまう。王子様が感情のままに『オレの女を守らねばならん! すぐにヒューゲルへ!』と戻ってきたら元も子もないだろう」

「ヨハン様はそんな性格ではありませんよ」

「どうだか。それがしはあれほどロマンチストな男を他に知らんよ。なあエマ」

「興味ない」


 エマは歩きながら大きなあくびをする。


 公女おれたちは南門前の城外街に向かっていた。

 手紙にも記したとおり、新市街は守りきれないので焼き払う予定だ。敵兵に遮蔽物を残しておくつもりはない。

 幸いにして南の城外町には移住者向けの木造長屋が並んでおり、石やレンガより処分しやすい。

 問題は中身のほうだ。長屋の住民には城内町に一時的に入ってもらうとして、はたして空き家だけで収容できるのか。


「モーリッツ卿。南町には何名の方が住んでいるのですか」

「多くても二千人といったところだ。出征した分は引いてある」

「城内があふれてしまいますね」

「仕方あるまい。それより気にかかっているのが工房地区だ」


 三人は南門の衛兵隊から立礼を受けて、南街道沿いの商業地区に辿りつく。十字路を右折すると公社系列の工房が並んでいた。

 ここでは主に兵営と公社のために必要な道具類を生産している。

 平凡な長屋を改装しただけの貧相な店構えが目立つけど、一部の工房ではスネル商会から入手した大がかりな工作器具が使われているなど、設備面なら城内町の株仲間系工房と比べても引けを取らなかった。

 過去形なのは廃止されるからだ。


 職人たちが数人がかりで機材や工具類を搬出している。解体しないと運べない物もあるようだ。

 あれは活版印刷機だな。

 空っぽになった印刷工房には印刷物が散らばっていた。


「ねえ、エマに描いてもらった募兵のポスターがあるよ」

「こっちはハーフナー印のタルトゥッフェル栽培教本。挿絵はエマが描いた」


 エマが珍しく自慢げな表情を浮かべている。

 彼女には井納の記憶を出力してもらうために絵の練習をしてもらってきたからね。けっこう上手い。

 ちなみに挿絵の印刷に使われているのは専用の銅版画であり、エマの描いた原画と比べると若干ながら気の抜けた風味に仕上がっている。


「こっちの紙は……子供用の絵本かな」

「公社で拵えた教科書だ」


 モーリッツ氏が工房の奥から完成本を持ってきた。

 文字と数式の二冊。どちらも『ヒューゲル同盟語学校』と印字されている。

 公女としては初耳というより初見の話だった。


「モーリッツ卿は領内に学校を作るつもりなの?」

「逆にお前が作ろうとしなかったのが不思議でならない。あれだけ富国強兵を推し進めておきながら、土台に手を付けてこなかったのは理由があるのか?」

「別に「破滅」対策には役立たないでしょう」

「……まあ、たしかにそうか」


 赤茶毛の乙女は腑に落ちた様子で、二冊の本をその辺の箱に入れた。

 なるほどね。


「あなたは二十五年より後のヒューゲルにも目を向けているのね」

「当たり前だろう。某は役人だ」


 彼は自信たっぷりに答えてみせた。

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