7-4 自分にしかできないこと


     × × ×     


 北部連盟の将校団がまとめた『南進作戦案』は諸侯会議による修正を経て、大君・ハインツ二世の裁可を得た。

 将校団の原案ではコンセント市の防衛を治安部隊に任せるとしていたけど、そのままでは大君の同意を期待できないため、諸侯による修正案では現地に「シャッハ隊」という守備隊を設けることになったらしい。

 シャッハとは同盟語でチェスのことだ。捨て駒の暗示ではないかとラミーヘルム城内では噂になったけど、ヨハンの話では「毎日チェスばかりしている大君直臣の次男坊以下を遊び人から兵士に衣替えしてやる」とのこと。曰くヴィラバには役立たずのボンクラがたくさんいるらしい。

 さっそく大君からコンセント城代に向けて詔勅・勅使が出された。当然ながら早馬だと時間がかかるので、あの子に任せることになる。


「ええっ! 今からヴィラバに行って、またヒューゲルに戻ってこなきゃダメなんですか!? もう夜になりそうなのに!?」

「急ぎの指示なの。ユリア、お願いね」

「そんなあ! 奥様ぁ! あたしはもうヘトヘトですよぉ!」

「頑張って。あなたにしか出来ないことよ」

「ううっ……わかりました。頑張ります。ご飯を食べ終えてから行きます……」


 空中偵察から戻ってきたばかりのユリアは、来客室のテーブルに並んだマッシュポテトを次々と口に入れていく。

 いくら食べても彼女の腹部は決して満たされない。本来なら妊婦のようになってもおかしくない数を喫食しているのに細いままだ。


「井納とは大違い」

「しばくぞ」


 公女おれは傍らのエマを黙らせるためにマッシュポテトのスプーンを口元に押し込んでやる。

 彼女は抵抗することなくペロリと飲み込んでみせた。この子もまた何年たっても細いまま。別に羨ましくない。


 魔法使いは質量保存の法則を無視している。無視された分だけ「魔力」に変換されて、空を飛んだり、他人の心を読んだりできる。

 どんな魔法使いでもカロリー抜きでは何もできない。エマが『揉みほぐしのドミニク』や『虚像のメルセデス』から読み取った話によると、カロリーあたりの効率などは個人の才能や技能に由来するらしいけど、まずは何かを食べないことには始まらないそうだ。

 そう考えると、五年後の「破滅」を引き起こした奴は、いったい何人前のパンを食べていたのだろうか。全宇宙を消滅可能なエネルギーが地球に存在するとは考えづらく、謎は深まるばかりだ。

 そもそも彼女たちの胃袋はどんな構造になっているのやら。十五年戦争期の解剖記録とか残っていないのかな。


「井納、エマの近くでグロいこと考えないで」

「くっつかなきゃいいだけでしょ……」

「うふふ。奥様とエマちゃんはいつも仲良しです! あたしはいつも空の上、寂しいです……!」


 ユリアが来客室のベランダから飛び立っていく。

 彼女の飛行帽と作業服は毎日のように使い込んでいるせいか、ボロボロになっていた。城内町の業者に新しい服を作らせよう。防水メガネも。

 近いうちに北部連盟軍の南進が始まる。彼女も偵察要員として同行することになる。兵営で恥ずかしい思いはさせてやりたくない。女の子だからね。


 南進といえば『山崩しのカスパー』も峠に向けて馬車で出発したらしい。予定では一ヶ月後に峠道に土砂崩れを起こすという。

 ロート伯の兵士や行商人が脇道を使い始めたら、そちらも順次破壊していく。完全に遮断されたと空中偵察で確認次第、北部連盟の主力部隊はヘレノポリスに向かう予定だ。それまで兵士たちにはヒューゲルで英気を養ってもらう。


 あと一ヶ月か。

 公女おれにできることはないかな。公社や官房は何も言わなくても出来ることは全てやってくれているだろうし、モーリッツ氏の手の届かない部分で味方を支援しておきたい。

 公女にしかできないこと。

 ありそうでない。


 井納の「記憶」のうち利用できそうな部分はエマによって回収され、おそらく様々な形でモーリッツ氏が活用している。

 例のガトリング砲のみならず武器や日用品の生産も、なぜか公女には具体的に明かされないまま……こっそりと公社内部で話を進めているみたいだ。

 どうもモーリッツ氏は根っこが役人なせいか、何ごとも秘密主義的な部分が目立つ。挙句の果てには「全部任せて公女は穏やかに余生を過ごせ」とか言ってくる始末。

 あの人なりの温情なのかもしれないけど、何だかなあ。


「別に「破滅」さえ止められたらいいでしょ」

「それはそうでも、何もやることがないと逆に不安になるというか。任せっきりだとさ」

「大将は待つのも役目。あと少し、待って」


 エマの慰め(?)に何となく救われた気がしてくる。別に自分を大将だと思ってないし、城内の誰にも思われていないけれど。


 来客室のテーブルには食べ残されたマッシュポテトがあった。ジョフロア料理長が作った料理ではないので、あまり美味しくない。城内では魔法使い用の燃料という扱いになっている。

 お皿に残った分は城内の収容所に運ばれ、ユリアや魔法使いたちの家族に与えられる。


「……魔法関係者に出陣祝いの料理を出してあげようか」

「それが井納にしかできないこと?」

「きっとそうだよ」


 ひとまずジョフロア料理長に会いに行こう。もうすぐ夕食の時間だし。

 なんて考えていたら、来客室のドアのあたりでヨハンとばったり出くわした。ビックリした。


「おお、マリー。そろそろ夕餉の時間だぞ。なんだ待ちきれなくて芋をつまみ食いしてたのか」

「いえ。エマと少しお話しておりました」

「何の話だ。まさか作戦の件じゃないだろうな。不用意に話して外部に漏らしてくれるなよ」

「漏らすも何も……城内の使用人たちの噂になっていますよ」

「なに……まあ向こうの内通者が伝えても、早馬ではルドルフ大公の耳に入るまで時間を要する。まだ心配することはないか」

「ヨハン様は北部連盟に内通者がいるとお考えなのですか?」

「女は浅はかだな。必ずいる」


 ヨハンは断言した。

 たしかに加盟国が多いだけに少なからずルドルフ派が紛れ込んでいてもおかしくないか。

 例えば、周りの領邦がみんな北部側についたから、仕方なく同調しているだけの領主もいるだろうし。


「全く当主だけでなく兵士や使用人、城内の乞食に至るまで、エマに調べさせてやりたいくらいだ」

「勘弁して」


 エマがめちゃくちゃ嫌そうな顔をしている。

 ヨハンのほうはひとしきり笑ってから、目の前の公女おれの肩を掴んできた。


「冗談だ。ただ以前よりエマの能力を知る者が多くなってきた。あからさまな思想検査をしようものなら、味方を信じていないのかと怒られてしまう。それが原因で同志を失っては元も子もないだろ」

「ヨハン様も色々と考えておられるのですね」

「当たり前だ。それに内通者でなくても日和見の当主は多い。だからこそ初戦で勝たねばならん」


 初戦とは例の『南進作戦』のことだ。

 おそらくヘレノポリス近郊で南部連合の主力部隊とぶつかる流れになる。

 ひょっとしたら南部側が北進してくるかもしれないけど、ブッシュクリー大尉たちは「北進の可能性は低い」と判断していた。

 曰くルドルフ大公がロート伯を例の峠に展開させているのは、ヘレノポリス付近で北部連盟の主力部隊を引きつけて、ロート伯にそのお尻を叩かせるためだと。大尉たちの脳内では古典的な挟撃作戦・鉄床戦術が想定されていた。


「ところでマリー。結局エマと何の話をしていたんだ」

「それは……公社、兵営、皆さんが頑張ってくれていますから、わたしも力添えしたくて。わたしにしかできないことはないものかと、相談しておりました」

「お前にしかできないこと……」


 ヨハンはこちらの立ち姿を見やってから、丸太のような腕を組み、目をつぶって思案を始める。

 どうやら彼なりに真剣に考えてくれているみたいだ。ありがたい。彼の腹筋でも突っつきながら待っていよう。

 やがて彼は目を見開くと、傍らの眠たげな少女に声をかけた。


「おい、エマ……お前の持ち主は遠まわしにオレを誘っているようだが、どうなんだ?」

「知らない」

「なんでそんな理解になるのですか!」


 以前より立派になったと感心していたけど、所詮はまだまだ二十代の若者だった。性欲の塊じゃないか。

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