7-3 峠
× × ×
六月上旬。
ロート伯の兵力は約一万三千名まで膨れ上がっていた。
彼らは南北街道の途中でヴィラバ街道に入り、往来の難所として有名なアイスミュラー峠に陣地を構えた。
峠の向こうには天領のヴィラバ王冠領が広がっている。
飛行娘ユリアから報告を受け、ラミーヘルム城の作戦会議は大騒ぎになった。敵はそのままヒューゲルまで北上してくると予想されていたからだ。
「奴らは我々とヴィラバ盆地の連絡線を遮断するつもりなのだ!」
「大君陛下の領地を占領されては、世間に示しがつきませんな。困った困った」
「ロート伯は元々ヴィラバ出身だろう。反抗的なヴィラバ人たちが緋色の梯団旗に従えば、敵兵力は何倍にもなるぞ……!」
城内の会議室。当主たちから作戦案の作成を任された各国の将校団が、互いに口角泡を飛ばしあう。
彼らは発言の度に心配事を増やすばかりで、誰も具体的な対応策を提案してこない。なぜなら「言い出しっぺの法則」を恐れているからだ。
こういう時、往々にして人間は権威に答えを求めてくる。
「マリー様はいかが思われますか。予知能力をお持ちだと窺いましたが」
案の定ジューデン公領の騎兵将校が傍聴席の公女に話を振ってきた。
そう言われても矢面に立ちたくないのはウチも同じだからなあ。別に胸を張って主張できるほどの名案があるわけでもない。
中央のテーブルからヒューゲル兵営の将校たちが「余計なことは言わないで」と懇願するかのように目配せしてくる。
仕方ないので、
「ルートヴィヒ伯の妹さん」
「弟です! ゲルハルトとお呼びください!」
「あなたの発言を許します」
「はい! 自分は速攻をもってロート伯を叩きつぶすべきと考えます! 全力で先手を打つべきです! 我が兵、我が北斗七星の梯団旗が旧世代の老将を血祭りに上げましょう!」
彼は可憐な少女のような
そんな少年に冷ややかな目を向ける者が一人。グリュンブレッター兵営のシュテルン砲兵中佐だ。紅色の制服が格好いい。
「君ね、仮に全力で峠を攻めたとして、相手は名将だろう。ほとんど山城も同然だという敵陣を落とすのに何日かかるか。わかっているのかね。戦争は子供の遊びではないぞ」
「半日です!」
「そうだ。何ヶ月も包囲する必要がある。その間に後方からルドルフ大公の主力が近づいてきたら我々は逃げようがない。袋のネズミとなり……半日? 半年の聞き間違いかね?」
「ヨハン
少年の提案に会議室がどよめいた。
その中で『山崩しのカスパー』は非常に実戦向きの魔法使いと見なされていた。なにせ山を崩せる。
もちろんロート伯が陣地を設けた峠道も破壊できるはずだ。
ただし山崩しの発動には条件がある。
「大変興味深い提案ですな。問題があるとするならば、カスパー君を敵陣の三十メートル以内まで連れていかねばならない点です」
公女の代わりに若タオンが説明してくれた。
一般的なマスケット銃の有効射程は五十メートルだ。
シュテルン中佐が不満そうに眉をひそめる。
「敵兵に射殺されてしまうではないか」
ごもっともです。
「ならば夜襲を仕掛けましょう! 新月の夜にこっそり近づいて崩すのです! いざという時は我が梯団が守ります!」
「お言葉ですがゲルハルト卿、土地勘のない我々が、むやみに何も見えないまま山を崩せば共倒れとなりかねません。やめておきましょう」
ルートヴィヒ伯の弟が振り上げた拳を、若タオンが柔らかな手つきで抑えていく。
イケメンと美少年の触れ合い、刺さる人には刺さるかもしれない。
彼らとは対照的に素朴な面持ちのシュテルン中佐は、歯ぎしりしながら真剣な表情で地図を眺めていた。
中佐の後ろでは兵站担当者として作戦会議の答弁者に加わっている、公社幹部のギュンター・フンダートミリオンが手を挙げている。
相変わらず人並み外れて背が高い若者だ。
「ギュンター卿の発言を許しますわ」
「アイスミュラー峠を完全に崩壊させたら復旧には何年もかかりますよ。ヴィラバ方面の交易路と行軍路が制限されて、いずれ我々自身が困ることになりますね」
「でもロート伯の兵力は見過ごせないわよ」
「んなもん、嫌な相手は遠ざけてやればいいんです」
「敵部隊を遠方に移動させるというの?」
「思いっきり迂回させてやれば、同じことでしょ」
ギュンターは峠近辺の地図を手元に引き寄せてみせる。
「どういうことかしら」
「峠の地形を完全には壊さず、峠に至るまでの登山道に土砂崩れを発生させます。敵が土砂を取り除くまで足止めできますし、何より敵兵が疲れてくれます。また何度も繰り返せば、敵将は『山崩し』を悟り、峠からヴィラバ側に逃げていくでしょう」
「名案じゃないの」
思わず声が出てしまった。
ギュンターの案なら、カスパーを敵陣に接近させずに済む。
ロート伯は峠を使えなくなり、かなり迂回する形で主戦場に戻ってくる。まさしく遠ざけてしまえる。
タイミング次第では有効な作戦だ。
他の将校たちも「敵戦力を分断できる」と、おおむね納得してくれている。
まあ
一方で、こちらに向けて手を挙げる者もいた。
いつから作戦会議は挙手制になったのやら。
「どうぞ」
「たしかに名案ですが、道義的に気になる点が散見されます」
キーファー兵営の壮年将校、アダム・ブロクラット少佐が、ペン先で机上の駒を叩く。
こちらは熊のような大男だ。
「峠から逃れた相手は一万三千の胃袋を保つためにコンセント市まで徴発隊を向けてくるかもしれません。周知のように血まみれ伯爵はその手のクロウト。大君陛下の城下町が略奪されては、やはり世間に示しがつかなくなる」
「……それは敵が峠の上にいても同じことではなくて? あの辺りは集落が少ないでしょう」
こちらの問いにアダム少佐は
「マリー様の仰るとおりですな。我々は陛下の御親兵。今すぐにもコンセント市を守らねばなりません」
「無茶だわ」
「無茶であっても! ならんものはならんのです!」
ただでさえ北部連盟は兵力で劣るというのに、あっちに兵を送るなんて無謀だ。
アダム少佐と公女の問答を受けて、他の将校たちがまた
「陛下の盾、
「──諸君の話は聞かせてもらった」
会議室に白髪の壮年男性が入ってくる。
我が兵営のブッシュクリー大尉だ。
彼は年長ということもあり、また十五年戦争の従軍経験を見込まれて、今回の作戦会議の議長を任されていた。
「議長が遅刻とは何ごとかね!」
「申し訳ない、シュテルン卿。大切な打ち合わせがありましてね」
「作戦会議より重要な打ち合わせがあるか」
「あるのですよ」
あるらしい。カミルやパウル公と会ってきたのだろうか。
大尉はなぜか
シュテルン中佐はなおもプンプンとお怒りの様子だ。
「お前の公女様が代わりに議長役を務めてくださっている。お前の席はもはや無い!」
いつの間にか公女が議長になっていた。
ブッシュクリー大尉は悪びれることなく、若手将校たちと中央のテーブルに近づいてくる。
「同僚諸君。ヴィラバの公社支店から早馬で報告が上がってきた。ロート伯の兵営はあの地で年貢半減を布告しているようだ」
「それがどうした。民草を味方につけたい時の常套手段ではないか」
「そうまでしなければヴィラバ人から支持されないと考えておるのです、相手は。今のルドルフは『自称大君』で正統性に欠ける。かつてのヤン師の本拠地で新教徒の多いヴィラバでは、なおさらウケない……シュテルン卿、説明を続けても?」
「勝手にしたまえ」
「そこで小官は公女様のユリアを使わせていただき、ドーラ代表の名前で公社支店に指示を出しました。ロート伯の布告に『軍税を取らない』『略奪しない』を付け加えて、どんどん宣伝してやれと」
「……敵を嘘つきにするのですね!」
大尉の説明にルートヴィヒ伯の弟が反応する。
この時代の兵隊は基本的に現地調達で成り立っている。出先では他人のものを「拾い食い」しなければ生きていけない。
名将ロート伯は兵站商人を抱えることで強固な補給部門を実現しているけど、穀物の対価として支払っているのは現地の村から収奪してきた物品や、自由都市の市長をカツアゲして手に入れた金銭(軍税)だ。
白髪の大尉はメガネを光らせる。
「ゲルハルト様の仰るとおりです。ロート伯は選択を迫られましょう。嘘つきになりヴィラバ人の支持を失うか、餓死するか、ヴィラバ王冠領から退去するか。どれもルドルフ大公の期待には沿えません。目的未達、作戦失敗、ふはははは!」
「ずいぶん楽しそうね、大尉」
「そりゃもう。小官が尊敬してやまない名将に一泡吹かせられるのですから」
「肝心のコンセント防衛はどうされるつもりなのかしら」
仮に大尉の計略が上手く行ったとして、もしロート伯が「嘘つき」になる選択をしたらコンセント市は敵兵の略奪を受けてしまう。
それは大君ハインツ二世の権威失墜を世間に示すことになり、ひいてはルドルフ大公の即位の正統性を補強するだろう。ついでにヨハンが激怒する。
どう答える、大尉。
「……小官は政治家ではありませんから、発言は控えておきます」
「なんだそれは!」
代わりにシュテルン中佐が突っ込んでくれた。
大尉は反応を示さず、ジロリと
彼としては『ルドルフを倒すためにはコンセント市の防衛は必要条件ではない』という判断なのだろう。
つまりあの街がどうなろうが、どうでもいいと。
そのあたりは大尉の限界でもあった。ヒューゲルという泥くさい田舎においては珍しい『君主論』の信奉者・現実主義者であっても、それ以上の存在ではない。別に稀有な戦略眼の持ち主ではないし、何かしらの天才でもない。
古代の英雄やアニメのキャラクターたちのようにあらゆる問題を解き明かし、解決できるわけではない。
だから敵を打ちのめしつつ、同時に街を守ったりできない。
二周目で彼が「先祖代々の領地があるからロート伯の兵営には行かない」と答えたのも、彼自身が『それほどの人材ではない』と自覚しているからだろう。たぶん。
ヒューゲルに伝説の
タオンさんもベルゲブーク卿も、イングリッドおばさんも両親も、みんなどこにでもいるような普通の人ばかりだ(シャルロッテは低地人なので除外する。モーリッツ氏についてはまだ判定を控えておく)。
他の北部領邦にもずば抜けた人材はいないように思える。
それでも我々は英雄的な偉業を成し遂げなければならない。
「皆さん」
公女の発言に、ざわついていた会議室が静かになる。
俺は彼らの目を見てから、しっかりと頭を下げた。
「万事よろしくお願いしますね」
自分もまた英雄ではないから。
「それはつまり……公女様は帝都防衛に
大尉が眼鏡を光らせてくる。目ざとい奴だ。
「ええ。兵略の委細については専門家の大尉たちに任せますわ。わたしは公社の力で支援させてもらいます」
「公社の力。そいつはまあ何とも……」
「大尉の考えには口出しを控えると言っているの。それともあなたはバカな当主にあれこれ指示されたいの?」
「お答えしかねます」
彼は含み笑いを浮かべて、将校たちの話し合いに戻っていった。
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