7-2 食前酒


     × × ×     


 大広間のテーブルに料理の皿が並べられていく。

 今朝ヒューゲルに来たばかりの客人たちを盛り付けの見映えで圧倒する。なおかつ数日前から前乗りしていた面々の舌を飽きさせないように味覚の面でも工夫を凝らされた品々は、まさにジョフロアという料理人の魂を切り分けたものだった。


「ややあ、マダム。私は『名前を呼んではいけないあの人』ではございませんよ」


 料理長に賛辞を告げたら、そんな言葉が返ってきた。

 エマの奴。井納の記憶からインストールした映画版『ハリー・ポッター』を同盟語の小説に再変換して小銭を稼いでいやがる。しかも終盤まで出している。知ってたけど。

 二周目の時は公女おれのためだけに日本語の読本を作ってくれたのに、一体どこの何リッツさんにそそのかされたのやら。


 おのおの牛肉と果物の皿を平らげて、徐々に大広間の雰囲気が晩餐会から酒宴に変わり始める。

 我が家の秘蔵ワイン群が食料保管室から引っ張り出され、来月にも戦地に向かう男たちに次々と供された。


「大君陛下と大君同盟の未来に!」

「子供たちの健やかな成長に!」


 公女の弟カミルと奥さんのエリザベートが乾杯の音頭を取る。

 彼らの周りでは三人の子供たちが無邪気にグラスを掲げていた。エリザベートのお腹には四人目がいるらしい。

 ヒューゲル公爵家の未来は安泰だ。世界が五年後に「破滅」しないかぎり。


 公女おれは酸っぱい白ワインを飲み干してから大広間を出た。

 外の空気が吸いたい。


 北部諸侯と関係者を全て座らせるには座席が足りないため、使用人たちは中庭にもテーブルを並べていた。

 こちらでは小領主や家来衆が芋料理をツマミにビール等を呑んでいる。彼らも戦地に向かうのに秘蔵の白ワインは供されない。前線で銃口を向け合う城外の兵士たちにはまともなビールも渡らない。世の中そんなものだ。


 見上げれば夕空が映えており、どことなくデパートのビアガーデンのよう。

 公女おれは女中さんに席を設けてもらい、ハーフナー印の折りたたみ椅子に腰を据える。

 城壁の割れ目から吹き込む風が心地良い。すでに相当呑んでしまったけど、一杯だけビールをもらおうかな。フライドポテトも。


「これは公女様、お近づきになれて光栄でございます」

「噂通りの美貌であられる」


 独りで気楽に涼んでいたら、周りの騎士たちが気を効かせてくれたのか、ぞろぞろと挨拶に来た。

 失敗したな。せっかくみんな楽しそうに談笑していたのにジャマした形だ。


 ひとまず椅子から立ち上がって礼を断ろうとしたら、その前に芝生を踏み荒らしながらカミルが早足で近づいてきた。

 自然と周りの目は『ヒューゲル公』に向かう。


「お姉様! 次はどう対応すれば良いのですか! 二周目では他家の当主たちをどのようにもてなしていたのですか! 一体どんな話をするのが正解なのですか? カミルを見捨てないでくださいまし!」

「落ちつきなさい!」


 みんなの目があるところで一族の当主から甘えられても困る。

 公女おれは女中さんからビールを受け取り、カミルと湖畔に向かった。

 城壁の割れ目を抜けると急に人気がなくなる。


「別に悩むことなんてないでしょう。みんなと楽しくお酒を呑んでいればいいの」

「ですがお姉様。二周目の前例を学んでおかねば、何ごとも失敗しかねません。僕に教えてください。子供たちのためにも失敗したくありません!」

「ラミーヘルム城に諸侯が来たのは初めての例なのよ。だからあなたは作法通りに饗応きょうおうしていなさい。おじいさんたちには先の戦争の話を訊いてやるといいわ」

「……わかりました。もし何かあれば指示をください!」


 カミルは来た時と同じように早足で去っていった。

 公女が井納純一であること以外の全てを伝えてから、弟は指示待ちの傾向を強めている。日本企業では好まれない態度だ。

 自分としては操りやすくなったのはいいけど、ちょっと面倒くさい。


 やはり「破滅」を知ると誰でも不安になるのだろう。所帯持ちなら尚更だ。

 あとはパウル公と老臣たちが隠居してしまい、カミルにとって頼れる相手が少なくなったのも大きそうだな。

 せいぜい公女とハイン宰相、それと――。


「おい。断りもなしに席を離れるな」

「ヨハン様」


 緑色の制服が湖畔に近づいてくる。

 相変わらず胸板が鍛え上げられていた。彼と正面から向き合うと身長差でどうしても目が行ってしまう。

 当然、足腰も筋肉をまとっている。スポーツマン体型だ。


「カミルとすれ違ったが、身内で話をしていたのか」

「大した話ではありませんわ」

「判断するのはオレだ」


 ヨハンは公女からビールをひったくると、湖畔の芝生に座り込んだ。この感じは相当に酔っているな。

 仕方ない。先ほどのカミルとの会話を教えてやる。


「……なるほど。そういえばお前はババアだったな」

「ババア」

「人生三周目なのだろう。例の予知能力とやらも前例を知っていたがゆえと。今朝のカミルの話で色々と得心がいった。オレは七十代のババアと結婚していたわけだ」


 実際には九十五年目のおじいさん(?)だけど、あえて訂正することはしない。

 それよりカミルの奴。なんで身内以外に前例の件を話してしまうかな。絶対に外部には明かさないように釘を差しておいたはずなのに……ああ、一応身内扱いになってしまうのか。マリーの旦那だから。


「もっとお前の話を聞かせろ」


 ヨハンはぐびぐびとビールを喉に入れていく。

 ヒューゲルのビールは公社が品質管理の技術研究に力を入れているため、外部の人たちから評判がいい。


「何も話すことなんてありませんわ」

「判断するのはオレだと言っている。女ならオレを楽しませてみせろ」

「傲慢ですわね」

「お互い様だろう?」


 彼と目が合う。何が言いたいのか、若干ながら伝わってくる。

 公女おれはスカートの裾を下から持ち上げて、なるべく汚さないように湖畔に座った。


 適当にぼちぼちと過去の話をさせてもらう。

 内容と言葉を選びつつ、相手に明かしてもいい範囲を探りながら。

 とても今の時間だけでは語りきれないし、エマがいないと思い出せない話も多いと断ったうえで。


 そうしているうちに、ふと先ほどの疑問が思考に浮かび上がってきた。


「……ところでヨハン様。一つ質問してもよろしいですか」

「なんだ」

「先ほど、北部諸侯に向けて南部連合領を『誰でも切り取り次第』と宣言されていましたけれど、前回までヨハン様は敵領地を大君陛下の天領にしたがっていましたわ。なぜ今回は譲歩されたのです」

「前回のオレが何を考えていたのか知らんが、今回は陛下の判断だ。君位の安定継承のためには家畜に『餌』を欠かすな、との仰せでな」


 ヨハンは誇らしげだった。


 大君ハインツ二世はラミーヘルム城には来られていない。近郊の邸宅を本陣としている。

 どうも人前に出ることを好まない方らしく、その点はうちのお母様と似ている。お母様も城内の部屋から出てこない。

 公女おれはお母様とはいつでも触れ合えるけれど、ハインツ二世とは一度も会ったことがなかった。


 ヨハンはビールを飲み干す。


「だが『餌』を与えすぎれば家畜は肥える。豚に喉元を喰いちぎられては元も子もない。それでいて家畜抜きに家は成り立たん。悩ましいところだ」

「ヨハン様のお考えは?」

「同盟南部を天領に出来れば好都合だが、次の大君指名選挙を見据えた時、諸侯に分配しておく必要はある。つまり陛下と同じ考えだ、ゲエッ」

「下品なゲップですわね」

「男らしいと言え」


 彼の歪んだ男女観はさておき。

 次の大君指名選挙か。

 三周目ではハインツ二世がヴィラバ人に殺害されていないため、おそらく相当に先の話になる。

 なぜヨハンたちは今からそんな心配をしているのだろう。

 ルドルフを倒してしまえば、トゥーゲント家門に対して有力なライバルなんて出てこない気がする。


「……ここだけの話だが、お前には特別に教えてやろう」


 ヨハンは公女に上半身を寄せてきた。こちらも髪を掻き分けて、右耳を出してやる。

 耳打ち。


「実は陛下より後継を任された」

「えっ……嫡男のハインツ三世はどうされたのですか」

「三世? 陛下の子息は皆、早世されただろ」


 三周目ではそうなったのか。公女が生まれてからの出生は自然任せだから、ありえない話ではない。


「大君陛下は甥のオレに玉座を託してくださった。オレの支配者としての手腕を認めてくださったのかもしれん」


 違う。たぶん大君は熱心な旧教徒のヨハンが旧教派優越主義の南部連合に近づかないように布石を打ったんだ。

 トゥーゲントの血脈を守るために。


 ヨハンは酒気を帯びた吐息と共に、耳打ちを続けてくる。


「マリー。お前は未来の大君御台所みだいどころだ。女の頂点だぞ。ふはは。どうだ喜べ」

「……まずはルドルフ大公を倒してからです」

「ルドルフを殺せば、お前を抱いていいのだな!」

「ずいぶん酔ってますわね」

「ああ。そうだ『粉雪のオラフ』を陣地から呼んできたぞ。あいつに氷菓子を作らせよう!」


 ヨハンはビールのジョッキを三日月湖に投げ込むと、千鳥足で城壁の割れ目に向かおうとする。


「マリー、行くぞ!」


 その姿があまりに幸せそうで、自分はマリーがあと五年で死ぬことを伝えられなかった。

 あるいはすでにカミルやエマから知らされていたのかもしれないけど。



     × × ×     



 一六七〇年。四月上旬。

 ルドルフ大公は教皇より「征夷大将軍」「神祇伯」「太政大臣」の称号を贈られたと宣言した。

 その上で『神聖大君ルドルフ二世』として、大君同盟の全諸侯に対して「北の叛徒」の討伐を命じた。


 ハインツ二世も「南の僭主」討伐命令を全諸侯に下したため、これをもって本格的に南北戦争が始まることになる。


 兵営によると開戦時の推定兵力は南部連合五万名、北部連盟三万八千名。これはあくまで諸侯の家臣や陪臣・兵卒の申告人数であり、現実には臨時雇用の農兵や傭兵団が各陣営に加わる形になる。


 四月下旬。南部連合は諸侯の主力部隊をヘレノポリスに集結させつつ、名将ロート伯を先鋒として北上させる方針を取ってきた。

 彼の兵営には各地から流れの傭兵たちが集まり、あっというまに大軍が出来上がってしまう。


 対して北部連盟は対応を決めかねていた。

 誰もヒンターラントの『血まみれ伯爵』と刃を交えたいとは思わなかった。

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