6-6 恋の終わり(上)


     × × ×      


 イディ辺境伯、オーバーシーダー公、グリュンブレッター辺境伯。

 協力的な領主たちと顔を合わせる度に市街地が寂しくなっていく。

 我が家がヘレノポリスを出た時には、表通りには素性不明の若者たちの姿しか見えなくなっていた。領主たちはみんな領地に戻ってしまった。


 公女の御用馬車は山岳地方に向けて南下する。

 パウル公とカミルは「不忠者に会うわけにはいかない」として同行せず、ラミーヘルム城に戻っていった。

 二人には海賊船の件がバレてから何となく壁を作られていたので、自分としてはいないほうが気楽だった。ギスギスしたまま何週間も馬車に同乗するのは避けたいからね。


 もっともイングリッドおばさんはマリーに付いてきたので、車内には気まずい空気が流れた。

 おばさんはヨハン自身の弁明からヨハン主犯説を信じきっており、公女おれは何度も慰められた。


「可哀想なマリー。ろくでもない旦那に捕まったわね」

「おばさま。わたしは気にしていませんわ」

「あなたが抱え込むことはないのよ。ダメな旦那にはもっと強く当たらないと。いずれ尻に敷いてやりなさい」


 おばさんに肩を抱かれる。

 彼女なりに公女を思いやってくれているのは伝わってきた。公女が大人になるにつれて、彼女の姿勢は家庭教師から叔母に変わっていく。


 スカンジナビア生まれのイングリッド・ナウマンが初めてヒューゲル家を訪れたのは、公女が生まれるより数日前だったという。

 愛する夫を失った悲しみを癒すために各地を旅行していた折、せっかくだからと自分の本当の父──先代公に会ってみることにしたらしい。

 先代公はイングリッドの存在を知らなかったため、当初おばさんは冷淡な対応を取られた。ところが出征中に親密だったナウマン伯の次女が産んだ子供だとわかると、手の平を返したように歓迎してくれたそうだ。

 おばさんには縁戚としてラミーヘルム城内に部屋が与えられ、やがてマリーが生まれたことで公女付の家庭教師を引き受ける流れになった。

 引きこもりのエヴリナお母様に代わって近郊の社交界にも出入りした。グラスを交わしていく中で、社交界の中心にいた人々と親睦を深めた。

 例えばアルフレッド・フォン・タオンなど。


 早くに奥さんを亡くしたタオンさんと、未亡人のイングリッドおばさんの組み合わせは当時の社交界の好奇心を刺激したそうだ。半ば公然の関係として扱われることもあったらしい。

 もちろん彼らにそんな気持ちは毛頭なかった。二人とも死者に心を捧げていた。


 一方で、今となってはすっかりヒューゲルの女になったおばさんと、歴代当主に仕えてきた家臣でありながらヒューゲルを飛び出した「今回の」タオンさんは、捉え方によっては対照的な人生を歩んでいるともいえる。


 姪を慰めるうちに、こちらに身体を預けて、安らかな寝息を立て始めたイングリッドおばさんは、いったいどんな夢を見ているのだろうか。


「……山盛りのフライドポテトを口に含んでる。イングリッドは欲に弱い」

「別に本気で夢の内容を知りたかったわけじゃないからね、エマ」


 エマは対面の座席に座りながら、足をくっつけてきて脳内に探りを入れてくる。いつものように公女おれの膝枕で映画鑑賞できなかったのが不満なのだろう。


 彼女の隣では赤茶毛の少女が眠りについていた。

 彼もまたタオンさんと交流を持っていた人だ。半世紀前にはタオンさんを連れ回していたという。


「モーリッツは熟睡してる」

「だろうね」


 目をつぶっていると可憐な女の子にしか見えない。そんな彼をノンレム睡眠に辿りつかせた公社の汎用馬車を称えたい。すごいサスペンションだ、この点だけでも公社が生まれた『価値』はある。


 タオンさんは汎用馬車を使ってくれていたのかな。タオン邸には一台あった気がするけど。

 もし逃亡先に持ってきていないなら、この馬車を差し上げたい。


「は? 井納はバカなの? 帰りの山道でお尻をずたずたにしたいの?」

「それはそうだけどさ、あの人には本当に世話になったし……エマはタオンさんのことをどう思っているの?」

「別に何も」

「淡白だね」

三周目いまのエマにとっては赤の他人。過去のエマがどうなのか知らない」


 彼女は公女のふくらはぎにつま先をぶつけてきた。靴を脱いでいるらしく、別に痛くも何ともない。

 俺は心の中でタオンさんとの思い出を反芻することにした。おのずとエマにも伝わっていくはずだ。記憶に気持ちを添加していく。


 数々の因縁を乗せて、四人乗りの馬車は南部国境のボーデン湖を経由し……山岳地方に向かう。

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