6-4 汚名
× × ×
密談は続く。
ヨハンは「海賊船」の汚名によって、他家との交渉ができなくなることを危惧していた。
すでに北部連盟の結成に前向きな反応を示してくれている領主たちも、ルドルフ大公の告発を受けて態度を変える可能性がある。
誰でも犯罪者とは手を組みたがらない。まして、まともな人ならなおさらだ。
「ルートヴィヒは何があっても味方してくれる。他に信用できそうなのはオーバーシーダー公くらいだな。あの家にはオレの先祖に救われた恩があるし、エミリアを嫁がせている」
「フランツ様は信用できないのですか」
「言うまでもないことを言わせるな。あいつがオレに逆らうはずないだろ」
ヨハンは舌打ちしてきた。下品だな。それに実弟に謀反を起こされた例なんて古今東西に山ほどあるんだぞ。
お前はフランツをサンドバックのように扱ってきたから、絶対に内心では恨まれているだろうし。
「もしヨハン様が殺されても、フランツ様に動機を訊ねる必要はなさそうですね」
「ああ。お前が問答無用で仇を取ってくれるだろうしな。我が家の嫡流が絶えることになるが、その時までに跡継ぎがいれば何も問題あるない」
「フランツ様には子息がいらっしゃるそうですけれど、ヨハン様はまだ」
「……お前、めちゃくちゃ遠回しに誘っているつもりか?」
「冗談ですわ」
たしなめてやるつもりが、斜め上の方向に会話が進んでしまった。どさくさ紛れに公女の膝を触らないでほしい。
どうもヨハンと話していると
ともあれ、彼の口ぶりではルートヴィヒ伯(インネル=グルントヘルシャフト家)、オーバーシーダー公、マウルベーレ伯の三家だけは少なくとも味方になってくれそうだ。
もちろん戦力としては全くもって足りていない。彼らの兵力にヒューゲル兵とキーファー兵を加えても二万人足らず。虎の子の『魔法部隊』をもってしても困難な戦いになってしまう。
ルドルフ大公の南部連合に対抗するためには、やはり二周目のように北部諸侯の結束が肝要になる。
その上で西部や南部の領主たちを味方陣営に引き込むことができれば、北の大国に手を借りなくても光明が見えてくる。
汚名の件、今からでも隠蔽できないかな。
ここにエマがいたら「今夜中にルドルフ大公を暗殺するべき」と主張してそうだけど、あの人を殺したところで汚名自体は消えてくれない。
むしろ明らかに犯人だとバレバレなタイミングだけに、余計に自国の孤立を深めてしまいかねない。
そもそもヒンターラント大公家は郊外の古城を借り上げているという。ティーゲル少尉と少数の衛兵では大公の居所まで辿りつけそうにない。だから完全に却下。うーん。
「ルドルフ大公を殺せないとなりますと、どのように対応したものかしら」
「さっきから物騒な女だな」
「失礼しました」
「気をつけろ。女には血がつきものとはいえ」
下世話な発言。気に入らないドヤ顔。
あの武器を使う時が来たようだ。
「ヨハン様、持病の切れ痔は治りましたの?」
「ああっ!? なんでお前がそれを……まあ今はいい。対外的には海賊船の件を言いがかりだとして罪状を受け入れずに反論するしかあるまい。あとはお前の芋で釣るほかないだろう」
「やっぱりタルトゥッフェルですか」
「どこも食い物には困っているからな。すでにお前の家には何件も話が来ているはずだ。明日以降の会談の予定はどうなっている?」
「それについては……」
担当者のモーリッツ氏でないとわからない。
「もしもし、ドーラ女史を呼んできてもらえないかしら!」
「もう来ているぞ」
「うわっ!?」
いきなり本人が入ってきたものだからビックリした。
どうやら扉の向こうでこちらの会話をうかがっていたようだ。彼の傍らではティーゲル少尉が申し訳なさそうに両手を合わせている。少尉め。モーリッツ氏に説き伏せられたな。
赤茶毛の少女は顔色ひとつ変えることなく、公女の隣に座ってきた。
文句の一つでも言ってやらないと気が済まない。
「盗み聞きなんて下世話な趣味をしてらっしゃるのね、ドーラさんは」
「お前たちにとっては夫婦の会話でも
「あとでわたしから伝えたら済む話でしょうに」
「エマを経由すると手間だろうが」
「おい! 忘れたのか。オレは女同士の喧嘩を好かん。もっと仲良くしてくれ。ドーラはとっとと明日からの予定を教えろ。うちの予定とすりあわせる」
ヨハンに促される形でモーリッツ氏の説明が始まる。
大不作や反乱の被害が大きかった北部の領主たちの名前が続いていく中で、フラッハ宮中伯との交渉が予定されていることにはビックリさせられた。
あの名門が味方になれば、他の西部諸侯からも追随する家が出てくるはずだ。
もしかしたら宮中伯は我が家に恩を感じてくれているのかな。去年まで援兵を送っていたからね。
もっとも予定は予定であって、やはりルドルフ大公の告発次第では取り消されてしまうかもしれない。
どうにかしたいけど、
じれったい。
「……ところでパウルの子女よ。お前はひとつ大切なことを忘れていないか」
「何です?」
「海賊船の件、まだパウル公やカミルには明かしていないだろう」
そういえばそうだ。ヒューゲルではわずかな人間だけの秘密だった。
こうしてモーリッツ氏に教えてもらわなかったら、すっかり忘れていた。
「あいつらビックリするだけならいいものの、よからぬ方向に舵を切られると某も対応できん。公社を召し上げられる口実にされると不味いぞ」
「全部オレが命じたことにすればいい。お前らは手伝っただけ」
「いやヨハン様、さすがに某としては……」
「それで円滑に進むなら、話を合わせてやるといっている。感謝しろ」
ヨハンは干し肉をほおばる。
もぐもぐと噛み砕いていく彼の姿に、赤茶毛の少女は感服したように生温かい息を吐いた。
何となく勘のようなものが働き、少女の横顔を眺めていたら、不意に目が合った。
「なんだ、パウルの子女」
「いえ。他に気になる点がないものかと思いまして」
「あるにはあるぞ。現実的に海賊船をどう処分するか」
「へえ……ええと、なぜ船の処分を?」
たしかに海賊船の存在は全世界に知られてしまうけど、あの船にはまだまだ魔法使いを集めてもらいたい。
世界の「破滅」の原因が新大陸から移送されてくる魔法使いであるからには、対策の一つとして経路を抑えておくべきだ。
これはかつてモーリッツ氏自身が低地の遊戯台で語った話でもある。
当の彼は阿呆を見るような目をしていた。
「パウルの子女よ。ルドルフに素性を知られたからには、オエステ王国にも情報は伝わっているとみるべきだ。必ず対策を取ってくる。大きな被害が出る前にやめたほうがいい」
「でも海賊船は『そよ風』の能力で神出鬼没ではありませんか。どんな対策を取られても風上に逃げる船は捕まりませんよ」
「ゆえにヨハン様の連絡船が狙われる。海賊船は公的な港を使えず、キーファー船に
「送り狼……」
「相手はあのオエステ、浮世のポセイドンだぞ」
彼の言い分は的を得ていた。
オエステ王家の主力艦隊『眼福の
そうなれば、いずれ南北戦争が始まった時に陸戦隊の上陸を阻止できなくなる。
ここは素直に手を引いたほうが得策なのかな。
「それに近頃は財宝船団が海賊の被害を怖れて、荷物の魔法使いや家族を別の船に分乗させているという。海賊船は以前のように一度に多くの獲物を捕れなくなったと噂を耳にした」
「ドーラの言うとおりだ。実際、次の山分けは今のところ四人から選ぶ形になるだろう。その次はあるかないか」
初回のドラフトは六人だった。
なるほどね。状況を教えてもらえると納得できる。
だからモーリッツ氏はもっと
「ところでドーラ。船の処分だが、船員の希望者はオレの海軍で引き取らせてもらいたい。スネル商会と話をつけてくれ」
「わかりました。来月シャルロッテ女史と会った時に話してみます」
「よろしく頼む。船自体は返すつもりだ」
「妥当な判断だと思います」
目の前で外交交渉が進んでいく。
× × ×
一六六八年。七月某日。
ヘレノポリス大聖堂では大君議会の開会式典が終わろうとしていた。
大君陛下と約三百家の諸侯が列席する中で、何もかも先例をなぞるだけの式次第は滞りなく粛々と進んでいった。
終わり際。式典進行役の掌典長を強引に退けて、小太りの中年男性が演壇に立った。
名門ベッケン家の氏長者にしてヒンターラント大公。他多数の称号を持つ男。
ルドルフだ。
彼の行為を咎める声は、南部諸侯の拍手にかき消されていく。
彼は並み居る領主たちに向けて語りかけた。
『皆さんに告発せねばなりません。
キーファー公ヨハンと公妃マリー・フォン・ヒューゲルが犯した罪について。
同盟社会に着せられた汚名に対して。
内容は予想通りだった。
大聖堂の座席で「困惑」と「非難」が渦のように広がっていく。出身地の南北を問わず釈明を求める声が相次いだ。
やがてキーファー家のヴェストドルフ大臣が演壇に向かった。
『多数の魔法使いを戦力として恐れ多くも大君陛下を引きずり降ろさんと企む、ルドルフ大公の野望を打ち砕くために行ったこと!
賊をこらしめるのは陛下の臣として当然の行動でありましょう!
汚名をそそぐべきは奸臣ルドルフ大公であり、倒君運動のために南部諸侯を糾合せんとする日頃の言動に関して、恐れ多くも陛下の御前にて説明を求めたい!』
ヨハンの老臣はまるで余力の全てをぶつけるかのごとき鬼気迫った演説を繰り広げ、南部諸侯の罵声にも屈しない。全力で問題を逸らしてみせた。
ルドルフ派も座席から反論と告発の続きを始めたので、大聖堂は男たちの声が入り乱れる制御不能の状況に陥った。
もはや大君議会の開会式典など終えられそうになく、掌典長の老師は演壇の傍らでしおしおと涙を流していた。
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