6-3 夜の密談
× × ×
マリーにとって二度目(合計六度目)のヘレノポリス大君議会には非常に大きな『意義』がある。
約三百家の同盟諸侯が一堂に会して、大不作によって引き起こされた社会不安を収拾するために話し合う。
周辺国の内乱にも対応せねばならないから、総会・大小委員会を問わず話題には事欠かないだろう。
一方で、交渉のテーブルの下では早くも「南北戦争」の前哨戦が始まる。
今の大君ハインツ二世を支持するヨハンたち北部諸侯と、大君即位の野望を燃やすルドルフ大公の子飼い連中が、盛んに引き抜き合戦を行うはずだ。
ヘレノポリスの夜は密談の代名詞となり、流言と金銭が飛び交う──今回はそこに俺たちも加わる。
大君議会の開会式典を翌日に控えた夜。
ライム王国の占領期に破壊され尽くされた市街地にも両手で数えられるほどには宿が残っており、我が家はヨハンの計らいでたった三部屋とはいえベッドを確保できている。そのうち一部屋が公女の主従に割り当てられた。ありがたい。
マリーは名目上は大君議会に参加する当主カミルの付き添いということになっているけど、いよいよ数年後に迫ってきた「戦争」と「破滅」の日に向けて、タルトゥッフェル専売公社の持ち主として各地の有力者と秘密交渉を行う予定だ。
もっとも実際の話し合いはモーリッツ氏とエマに任せることになる。
大君同盟の諸侯が一同に会する、またとない好機だ。今のうちにどれだけヒューゲルの味方を作っておけるか。
ここでの成果が今後の
幸いにして、マリー・フォン・ヒューゲルは早くも引っ張りだこらしい。
モーリッツ氏は宿屋の毛布に包まりながら、いくつか聞き覚えのある家名を列挙してくれた。
「すでに粉をかけてきておる。まるで神話のアフロディテのようにモテモテだぞ。人妻のくせに男どもを泣かせよって」
「タルトゥッフェル目的でしょう」
「まあ、それ以外にあるまい。どこも大不作以来の穀物不足に悩んでいるからな。領民を食わせられなくなった君主は不安で眠れなくなるものだ」
「芋を売ってあげたら簡単に味方になってくれそうですね」
「売るだけではいかん。公社の支店を設けてやり、専売契約を結び、奴らの領地でもタルトゥッフェルを栽培させてやる。我々に依存してもらう」
さすが相手から搾り取ることにかけて役人に敵う者はいないらしい。
赤茶毛の少女はベッドから立ち上がると、私物のグラスに赤ワインを注ぎ始めた。もう眠るつもりなのかな。
自分もおこぼれをいただきたくなり、女中のモニカさんにグラスを持ってきてもらおうと右手を挙げたら──カミルの部屋に出向いていたはずのイングリッドおばさんが慌てた様子で戻ってきた。
彼女の傍らには当のカミルの姿もある。眠そうに目をこすっている。もう良い時間だからね。
おばさんのほうは両目が完全に見開いていた。
「マリー。あなたに客人が来ました」
「こんな時間に誰です。追い返してくださいませ」
「あなたに大切な話があるそうです。ヨハン様が」
ベッドから床に転がり落ちる音がした。たぶんエマだ。
「……追い返すわけには参りませんわね。わたしは旅行服のままで大丈夫かしら、おばさま」
「もっと可愛い服がありますよ」
「変にお待たせしたくないもの。一階でお待ちいただくように伝えてもらえますか」
「そうさせてもらうわ」
おばさんはカミルの手を引いて、宿の階段を降りていった。
部屋の中に視線を戻せば、赤茶毛の少女がグラスの赤ワインを瓶に戻していた。飲まないのか。
× × ×
ヨハンと会うのは大不作の年以来だった。
どうせ北街道から来ているのだから、ヘレノポリスに来るまでに何度も合流のタイミングはあったはずなのに、どうも避けられていたみたいだ。
彼の性格から察するに、たぶんベルゲブーク卿を戦死させてしまった件で「会わせる顔がない」と恥じ入っていたのだろう。
そんなヨハンが大切な話とやらを携えてきた。
夜間の食堂には彼の他に誰もいない。木製の机がロウソクの灯りに照らされている。
彼は脚底が削れてしまってバランスの取れていない椅子に座っていた。公女も隣に座らせてもらう。
「こんばんは。ヴェストドルフ大臣は一緒ではないのですね」
「ああ。二人だけで話したかったからな」
ヨハンの目は公女ではなく傍らの友人たちに向けられる。
モーリッツ氏とエマは挨拶だけ交わして、上の部屋に戻っていった。おばさんも含み笑いで去っていく。
二人きりになってしまった。
マリーの肉体の若さが、二年前の気の迷い(?)を記憶の底から浮かび上げてくる。
さすがに公共の空間では何も起きないだろうけど、何となく不安なので……アイコンタクトを送り、従卒のティーゲル少尉には食堂の外で立っていてもらうことにした。
ヨハンのほうは持参したらしい豚肉の干し肉を摘まんでいる。ひと口もらったら死ぬほど塩辛かった。
「お前に伝えておきたいことがある」
彼はさだまさしのような台詞を吐いてきた。
「明日の朝から大君議会が始まるだろ」
「はい」
「お前の父は宿泊代を浮かすために前日の夜に来るほどのケチだが、オレたちはかなり前から前乗りしていてな。各地の領主と交流を持たせてもらった」
「わたしのお父様は苦労人ですから」
「もっと苦労させることになるかもしれん」
「何かあったのですか?」
「お前とオレは明日から全世界で犯罪者扱いされる」
彼の目が険しくなる。
詳細を説明されずとも思い当たる節はあった。海賊船の件だ。
両家とスネル商会の共同私掠船『空飛ぶ低地人号』は今も財宝船団の大西洋航路を虎視眈々と狙っている。
あれが明るみになれば、当然の帰結として俺たちは犯罪者扱いされるだろう。やっていることは国ぐるみの泥棒だからね。
被害者のオエステ王国と奴隷ギルドには「魔法使いの返還」と賠償金を求められるだろうし、他家から白い目で見られても仕方ない。
だからこそ自分たちは情報の隠匿に努めてきた。
なるべくエマ以外の魔法使いを城の外に出さないようにしてきたし、彼らの存在を伝えているのはヒューゲルではごく一部の家臣だけだ。
キーファーでも同様の対策を行っていたという。
「どこから話が漏れたのかしら。私掠船を降りた船乗りが酒場で喋ってしまったとか、スネル商会とか……」
「お前の家臣だよ」
「うちの? ありえませんわ」
「これだから女には家長が務まらんというのだ。お前の家臣のアルフレッド・フォン・タオンとやらが、ヒンターラントの役人にたれ込んだせいで──」
「そんな馬鹿な」
「ルドルフ大公が明日にも大君議会で公表するだろうとの報告を受けている。旦那の話を疑ってくれるのは気に入らんが、答えは明日にも出るからな」
ヨハンは干し肉を
しょっぱい。
めちゃくちゃしょっぱい。
タオンさん。あの人なら知らないはずがない。城内の内緒話も彼の耳には入ってしまう。なにせ誰よりも友達が多い人だから。本当に素敵な老臣だったから。
あまりにも辛い。
「おい……女は泣いてもいいとイングリッドの奴から教わったのか? 男は泣けないのに卑怯だと以前から思っていたが、その大丈夫か」
「慰め方が下手くそすぎませんか、ヨハン様は」
「悪かったな」
「大切な人に殴られたら、悲しくなりますよ」
「……なんだ、そのタオンとかいう不忠の徒はお前の友人だったのか」
「ラミーヘルム攻防戦の英雄、十五年戦争の猛将、先代公の懐刀、頼りがいのある、わたしの大好きな先生でした」
「ああ、あのタオン……父上が語ってくれたな……」
「どうしてタオン卿はわたしたちを貶めようとしたのでしょう。あの人にそれほどまで憎まれていたなんて、どうにも信じられません」
公女の問いに、ヨハンは考え込むように目をつぶった。
ロウソクの灯りがお互いの表情に深い影を作り出している。チロチロと隙間風に揺られるたび、彼の輪郭が余計にぼやける。
「貶めるというより正そうとしているのかもしれないな」
「正す」
「どのような理由があろうとオレたちのやったことは家名を辱める行為だろ。オレは
「でしたら尚更、汚名を世間に晒すようなことを」
「誠意をもって主君に
「……そのほうがタオン卿らしい気がします」
まだ口の中がしょっぱい。
ヨハンに元気づけられてしまった。ヨハンのくせにやるじゃないか。ふふふ。
何となく顔を背けていたら、指先であごを引き寄せられてしまった。
互いの目が合う。
「あの、ヨハン様、まだ口の中に干し肉が残っているので……そういうことは……」
「会話中は相手の顔を見て話せ。イングリッドはマナーの教え方がなっていないな。我が家から礼儀作法の家庭教師を送ってやろうか」
「結構ですわ」
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