6-2 マリーとシャルロッテ


     × × ×     


 五月某日。

 スネル商会のシャルロッテはふわふわのブラウンヘアを紫色の紐で束ねて、ラミーヘルム城の尖塔に登っていた。

 彼女の眼下には数十台に及ぶ荷馬車が並んでいる。どれも低地から持ち込まれた商品だという。

 発注者のモーリッツ氏とコーレイン氏が、荷馬車の木箱をこじ開けるたびに飛び跳ねている。肥料や書籍類に混じって、初歩的な工作機械や印刷機が納入されていた。あれを難民の子弟・子女に扱わせるつもりらしい。


 公社では南門前の難民長屋を『工房地区』に作り替える計画が(俺が知らないところで)立ち上がっていた。

 モーリッツ氏によれば、数年後の南北戦争に備えて、生活必需品や軍用品を可能なかぎり城内生産できるようにするという。

 方向性は正しい。南北の強敵を打ち倒すためには外征部隊を支える「土台」が必要になる。何でも輸入品に頼っていたら、敵に交易路を抑えられた時点で詰んでしまう。なるべく「土台」は国内に作るべきだ。


 ただ公女には内緒で進められていた点だけが納得いかない。いつもながら、どうして全てを教えてくれないのかな。

 ちなみに『工房地区』計画の発案者はエマだという。あの子も井納に対して秘密を増やしてきている。


 ひょっとしたら彼女たちなりに、こちらにはよくわからない理屈で……なんか気をつかってくれているのかもしれないけど、自分としては仲間外れにされているようで辛い。

 こちとら「破滅」を阻止するために人生を何度も繰り返している存在なんだぞ。なんで破滅対策の外に追いやられてしまうのやら。


 尖塔の風がドレスの中に入り込んでくる。ぷかぷかと空気を含んで、せっかく老女中に整えてもらったのに崩れ気味だ。

 シャルロッテのローブなんて、もはや何もかもはだけそうになっている。彼女の肉体は相変わらず紫色の装飾に包まれていて、両手には紫水晶アメジストの指輪が並んでいた。

 けれども、その表情は全く満たされていない。


 彼女の固く結ばれていた唇が、風を取り込む。


「ヒューゲル公領は変わりました。ものすごく右肩上がりに。別の国のようです」

「あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ、シャロ」

「だからアルフレッドは出ていってしまったのでしょうね」

「ええ、おそらく」


 公女の答えにシャルロッテは目を伏せた。

 彼女にはあの人の行き先をすでに伝えてある。タオン家の騎兵隊が突き止めたのは山岳地方の田舎町。

 タオンさんは旧友の伝手で別荘を借りていたようだ。今はわずかな従卒と共に、穏やかに過ごしているとのこと。

 彼をそそのかした奴らは未だ一人も出奔しておらず、のうのうと務めを果たしている。


「マリー様の予知夢、あの件は外れそうですね」

「うっ」


 唐突に苦しいところを突かれてしまった。

 その件の言い訳は用意してある。


「わたしの予言は当事者に伝えてしまうと未来が揺れますの。言わずにいたら当たりましたのに、申し訳ないわ」

「失礼ながら、あれはマリー様の冗談だったのではありませんか」

「そんなことはありませんわ」

「チューリップのバブルや大不作は『前回』の歴史から予知できましょうけど、人間同士の色恋などは多大に不確定性を帯びて、とても予測できない事象のはず。不肖シャロが思うに、マリー様が人生を繰り返すたびにカップルの組み合わせが変わっていてもおかしくありません。いかがです」


 前回。人生を繰り返す。

 絶妙に気に入らない訳知り顔。


「……シャロ、あなた誰に教えてもらったの」

「マリー様の可愛いお友達から。かなり前にお手紙で」

「どっちです」

「商売人は口を割らないものです」

「どうしてわたしの知らないところであれこれ話が進んでいくの……!」

「きっとみんな、マリー様にお手数かけまい、ご心配かけまいと頑張っているのです。自ら汗をかいてくれる部下は放っておくべきかと」

「放っておいたから、あなたの商会は一周目や二周目で吹き飛んだのよ」

「これは手厳しいお言葉でありますれば」


 シャルロッテはふわふわブラウンヘアをまとめ直して、尖塔の窓際から戻ってくる。

 香水の匂いは風だけでは吹き飛ばせず、あの独特の空気が周りにまとわりついてきた。心地よいけど、なぜか長居したくない。

 おのずと階段を降りることになる。そろそろ夕餉の頃合いだ。お互いの顔にも夕陽が差し込んでいる。


「マリー様の予知の件ですけど……本当のところ心の奥底で期待しておりました。当たってくれないかなと。ひょっとしたら、ほんの少しでもくっつく可能性があるのかなと」

「つくづく申し訳ないわ」

「でもアルフレッドったら、手紙を送っても『なしのつぶて』で反応なくて」

「あの恋の詩を送ったのかしら」

「さすがは人生三周目、よく不肖シャロの趣味をご存知でございますれば……低地の詩壇では名の知れた詩人なのですよ、これでも」

「そうでしたか」

「マリー様も旦那様に手紙を送っていらっしゃるので?」

「いいえ。別に。もはや知りたいこともありませんから。たまに返事を出してやるくらいです」


 今回は情報隠匿のために南北戦争が始まるまでユリアをなるべく使わない方針なので、かつてのように毎日手紙をやり取りしなくて済んでいる。

 どこかの業者に発注したらしき『愛の手紙』や、箇条書きの業務連絡が届く程度だ。


「もっと旦那様を大切されたほうがよろしいかと存じますよ」


 シャルロッテにたしなめられる。

 どうせ大切にしなくても、あれはマリーにベタ惚れしているから……と言い返しかけて、あまりにも申し訳ないのでやめておいた。

 いわずもがな公女おれはシャルロッテにも恩がある。いつも彼女のお金や手腕には世話になってきた。

 恋が叶わずとも、せめて別れの時は用意してあげたい。

 タオンさんの死期は近いのだから。


「……大君議会が終わったら、わたしたちでタオン卿の別荘を訪問しましょうか」

「相手してくれますかねえ」

「行かないと、もう会えませんわよ」

「それは」

「予知ではなく歴史ですわ」


 ちょっと力強く言いすぎたかもしれない。

 シャルロッテは階段の途中でうずくまってしまった。両手で顔を抑えて、何かを堪えている。

 彼女の肩を叩こうとしたら、そのまま抱きつかれた。


「マリー様! いつですか、前回のアルフレッドはいつ頃に……!」

「今年の年末だったわ」

「あと半年……原因は……」

「長旅で風邪をこじらせたの」

「その程度でしたら……いくらでも長生き可能ではありませんか! もうっ! むやみに心配させないでくださいませ!」


 シャルロッテはあろうことか公女おれを放り投げると、バタバタと階段を降りていった。

 埃を払ってから追いかけてみたら、大広間で待たせていたらしい部下たちに医師と薬草の手配をさせていた。

 めげずに商売人の底力で困難に立ち向かう。

 何とも彼女らしい姿だった。

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