5-4 火薬


     × × ×     


 一六六七年・二月。

 フラッハ宮中伯ジギスムントはまだ死んでいなかった・・・・・・・・・・

 前回までは彼の病死が呼び水となって、ライム王国による同盟領の侵略『継承戦争』を引き起こしていたけど、今回は別の理由から戦争が始まった。


 ライン川流域の小さな教会の宗旨を巡って、新教派と旧教派の小競り合いが発生。旧教派の住民がなぜか『外国の旧教派君主』つまりライム国王に保護を求めたことから、あれよあれよと戦火が広がっていったらしい。


 ライム国王・アンリ五世はいつでも他国に攻め込めるように多数の『火種』を用意していることで知られる。おそらく全ては彼の差し金だったのだろう。大不作の混乱に乗じて、約二万六千名の兵力を同盟西部に送り込んできた。

 総司令官はケーヘンデ公。兄王の治世において、ありとあらゆる戦場に投入されてきた歴戦の名将だ。

 さらに弟子のスダン元帥も王室親衛隊『侍衛親軍』指揮官として参加していた。アンリ五世としては万全の体制で攻め込んできた形になる。


 これに対してフラッハ宮中伯は名門の誇りをかなぐり捨て、全兵力を率いて居城から逃走。近隣領主のボーデン侯やフロイデ侯に助けてもらい、トーア侯に借りた仮住まいの古城から、同盟各地に救援を求める手紙を幾度となく送り出した。


 六月。

 フラッハ家の当主ジギスムントの元には一万七千名の兵力が揃っていた。色とりどりの軍服が平原に並ぶ。その中には不作法なヒューゲル兵の姿もあったそうだ。

 下士官の号令に合わせて、二・三段の戦列が組まれていく。

 彼らの銃口は前方の敵兵に向けられていた。ライム王国軍の白制服は草原の中で明るく映えていたという。


「撃て!」

「撃て!」


 同盟西部の支配権を賭けた『古城郊外の戦い』は兵力差が決め手となってライム側の勝利に終わった。

 これまで一定の「蓋」になっていたフラッハの同盟軍を倒したことで、アンリ五世の兵士たちは一気に同盟領内に流れ込んでいった。


 さながら、かつて自分とエマが、スネル商会の球戯台で夢想していたとおりに……西部と南部の主だった領地がライム王国軍に侵されていく。

 ライム兵たちはただでさえ穀物不足の村々から軍税を取り立てた。何も出てこなければ村を燃やした。女子供の失踪者が相次いだ。この手のいつものことはいつもどおりに起きた。幸運があったとしたら単なる偶然だった。


 大不作で抵抗力をなくしていた中小領主たちは次々と降伏していった。

 大領主も先般の敗戦の痛手から立ち直れていなかった。


 ついには南部の要衝ヘレノポリスまで陥落するに至り、いよいよライム国王の大君即位が現実味を帯びてきた。

 初代大君ラウルマーニュの再来を称するアンリ五世にとっては、我が世の春だったはずだ。


 けれども季節は移り変わるもの。


 歯抜けの王様がヘレノポリスに地方政庁『都護府』を設けて、いよいよ同盟南部の実効支配に乗り出そうとしていた時。

 すなわち八月末。

 ライム本国で反乱分子が立ち上がった。

 スネル商会から密かに武器類を与えられた彼らは前回より大きく燃え上がった。王都では投石と銃弾が飛び交ったという。


 アンリ五世はすぐさまヘレノポリスを引き払い、全兵力を率いてライン川のほとり、フラッハ地方まで戻っていった。

 そして弟のケーヘンデ公を『首都節度使』に任じて、彼の部隊を単独で王都制圧に向かわせた。アンリ五世とスダン元帥はフラッハ城に留まった。

 どうしてもフラッハだけは手放したくなかったのだろう。

 もしアンリ五世が全兵力をもって王都を抑えにかかっていたら、ひょっとすると世界の歴史は変わっていたかもしれない。


 十一月。ケーヘンデ公は王室に反旗を翻し、王都イル=ド=トリスケルの反乱分子に加わった。

 一周目や二周目と同じ流れとはいえ、そうとは知らないアンリ五世にとっては「まさか」の反乱となった。


 さらにこの頃、フラッハ地方において同盟側のゲリラ活動が活発になりつつあった。宮中伯や諸侯の将兵が、アンリ五世の穀物庫や兵站線を攻撃していたらしい。

 ゲリラの中にはヒューゲル家の傭兵部隊もいた。彼らは独自に『雷神トール隊』と名乗り、各地を転戦していた。


 こうした内外の抵抗活動に、アンリ五世はついに屈した。

 彼は「聖誕祭を家族で迎えたい」と捨て台詞を残して、スダン元帥の侍衛親軍に守られながら王都に戻っていった。



     × × ×     



 戦争は北でも行われていた。

 大規模な市民反乱『慈悲救済軍』を討ち果たすために北部諸侯は連合軍を結成。ヨハンを中心に一進一退の攻防を繰り返していた。


 東方ではストルチェク国王が崩御し、以降は次期国王の座を巡ってシュラフタたちと五大老マグナートの抗争が続いている。

 俺たちとしては予定通りに介入したいところだけど、いかんせん公社の財布に余裕がない。

 シャルロッテのスネル商会も旧知の領主たちに借金を踏み倒されてしまったらしく「しばらくお手伝いは出来そうにありません」との手紙が送られてきた。


 そうこうしているうちに一六六八年を迎え、ようやく世相が落ちついてくる。

 兵士たちが出征先からラミーヘルム城まで戻ってくる度に、少しずつ本来の日常が取り戻されていくように感じた。

 彼らはみんな酷く疲れていた。

 カミルやパウル公からねぎらいの言葉を掛けられても、武功に応じた感状や短刀を与えられても、心から癒されているようには見えなかった。


 それはベルゲブーク卿の嫡男も同じだった。

 公女おれの度重なる妨害工作に抗い、ついにはカミルに号泣直訴したことでフラッハ救援部隊の司令官の座を勝ち取った彼は──例のゲリラ部隊の指揮官として半年以上も戦い続けてきた。

 実際の部隊指揮はカルステン・ズートオスト大尉という老練の傭兵団長が執っていたらしいけど、ずっと西部の山岳地帯や沼地の中で荒くれ者たちに揉まれてきたせいか、もはや彼から放蕩息子の面影は完全に失われている。


 実父が『慈悲救済軍』との交戦で討死したという報告を受けても、わめきちらしたり酒に逃げたりせず、ただ頷いただけだった。

 あれは子供から大人に成長したと扱うべきか、元の人格が壊れてしまったと見るべきか。自分にはわからない。

 ともあれ、今からはあの男がベルゲブーク卿となる。


 ついでとばかりにボルン卿も引退してしまったので、ヒューゲル家の有力家臣・先方三家は全員が代替わりを果たす形になった。

 当主もカミルだから全体的に若返ったな。平均年齢は二十歳くらいになるはずだ。ぶっちゃけ危うい気がしてならない。


 もっともこれから先を考えれば、危ない橋を渡ってもらいやすくなったともいえる。

 保守的な世代が去ったことは俺にとっては好都合だ。パウル公やハイン宰相の介入さえ退ければ、どうとでもなるだろう。


 いよいよ「破滅」まで七年を切った。


 モーリッツ氏は紆余曲折ありながらも対策を進めてくれている。公女おれの与り知らぬところで色々と手を回している点は気に入らないけど、あの人がヒューゲルにはもったいないほどの人材なのは疑いようがない。

 彼抜きにはここまで来れなかった。

 今でこそ過剰な戦略的投資で手持ちの金銭を欠いているけど、タルトゥッフェル公社の規模は二周目とは比較にならない。

 投資のリターンが返ってくる頃には、公女と官房に圧倒的な財力をもたらしてくれるはずだ。


 もちろん、シャルロッテの献身も忘れてはならない。

 あの人のおかげで早くも三名の『魔法部隊』を保有できている。

 彼女の手紙によると近いうちに二回目のドラフト会議も開催できそうだという。例の海賊船が当たりをつかんだらしい。


 そうなるとまたキーファーまで出向かないといけないな。面倒くさい。

 どうせならヨハンにラミーヘルム城まで来てもらいたいところだ。今年中にヘレノポリスで大君議会があるわけだし。ついでに寄ってもらおう。決まりだな。


「…………」


 エマが不在だから独り言が多くなる。

 あの子は兵営や廷臣たちに引っぱりだこだ。近頃は城の裁判にも呼び出されるらしい。完全に「嘘発見器」扱いされている。

 自分としては寂しいばかり。

 そんな時は楽器を弾かせてもらう。


 ピアノ。

 ピアノは好きだ。こちらの世界に来るまでズブの素人だったのに、何周も弾いてきたおかげで、ずいぶんと楽しく弾けるようになった。

 宮廷音楽家の課題曲を演奏するのも楽しいけど、いちばん楽しめるのは昔の曲を弾くこと。


 例えば、スピッツ『楓』。

 昔からずっと好きだったとか、よく聴いていたわけではない。三周目になってからエマが掘り出してくれた。

 このところ、そういうのが多い。

 エマのほうが遥かに過去にほんに詳しい。

 思えば、遠くに来てしまった。


「……失礼いたします。こ、公女様に報告せねばならないことがございます。少しだけお時間を」

「お入りなさいな」

「ははっ」


 タオン家の現当主、ヴィルヘルム・フォン・タオンがやけに畏まった様子で入ってくる。

 何かあったのかな。

 まさかタオンさんが死んでしまったとか。

 ありえない話じゃない。前例はある。どうしよう。仲直りする前に死なれたくない。


「あの……もしかしてタオン卿が……」

「すでに予知されておられましたか。はい。今朝方、我が父アルフレッドは……ヒューゲル家を捨て、出奔いたしました。もはや我が家の恥です」

「何ですって!?」


 出奔とは主君を捨てて出ていくこと。

 まさかの展開に公女おれはピアノの前からひっくり返ってしまった。もうベルゲブークを笑えない。

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