5-3 人手不足


     × × ×     


 モーリッツ氏の用件はタルトゥッフェルの作付けについてだった。

 これから春植えの「種芋」を植えていかねばならず、百姓だけでは到底人手が足りないので城の兵士を借りたいらしい。

 なにせ「未回収のヒューゲル」を回収したぶんだけ領地が広くなったので、他国から流れてきた難民の男たち(約三千人)を投入してもとても間に合わないのだとか。おそらく彼らを適切に統制するためにも兵士は有用なのだろう。

 しかしながら、すでにヒューゲル兵の大多数は北に向かうことが決まっていた。当主の命令を受けて、武門のベルゲブーク卿の指揮により約二千名の兵団が進発の用意を始めている。


 モーリッツ氏は夕食の席で城の残存兵力だけでも貸してほしいと求めてきたけど、いくらなんでも城を空っぽにはできない。新領地の治安維持も大切な役目だ。

 そもそも兵営と関わりのない公女おれに言われても対応しかねる。


「モーリッツさん。その手の話はわたしではなくカミルに伝えてくださいな」

「それはいかん。お前の弟に借りを作りたくない」

「公社代表のあなたなら多少の意見具申だって認めてもらえますわ。ヒューゲル発展の立役者だもの」

「あいつはそれがしにメロメロだろう。些細な借りを口実に迫られ、挙げ句には愛妾にされてしまいかねん! ああ恐ろしい!」


 赤茶毛の少女は身震いしていた。

 彼にとっては現実的な懸念のようだ。赤キャベツのスープに突っ込んだスプーンも揺れている。


「今のカミルがそこまでするかしら。奥方のエリザベートが身ごもったばかりなのに」

「パウルの子女よ。お前は男というものをわかっていないな。まるで生娘のようだ」

「は、はあ……」

「男は性欲にまみれている。嫁が孕んだからには手を出せなくなるだろう。少年が持て余す、行く宛のない性欲の発散先としてドーラはもってこいだ。男に抱かれるなど身の毛がよだつ。ああ! みんな某が可愛すぎるのが悪いのか!」

「頭、大丈夫ですか?」


 公女おれはモーリッツ氏が心配になってきた。

 ほっぺのあたりが赤くなっているあたり、ワインの飲み過ぎかもしれない。あんまりアルコールに強くないみたいだからね。

 かつてのモーリッツ卿は『酒豪』で有名だったらしいけど。


 彼の妄想はさておいて、タルトゥッフェル栽培の人手不足に話を戻そう。


「種芋の件ですけれど、他に打つ手はないものかしら」

「あったらお前には頼んでいない」

「例えばヨハンから八百人ほど返してもらうとか」

「それはもっと駄目だ! 援軍を減らしたせいでヨハン公に死なれたら困る……対ルドルフのかなめ、キーファーとの攻守同盟が崩れてしまう。何よりお前の旦那だろうが。もっと大切にしたまえ」


 赤茶毛の少女に強くたしなめられてしまう。

 あいつの生死はともかく有力な同盟国を失うわけにはいかないか。

 だとすると、やはりラミーヘルム城の兵士を使うしかなさそうだ。他に人的資源は余っていない。


「やべえぞ! 今、三日月湖で小便してたら、ガチでやべえ話を聞いちゃったんだが!」

「なんだい、気になるね」


 廷臣や家臣たちのテーブルがうるさくなってくる。

 中心にいるのはベルゲブーク家のボンクラ跡継ぎとボルン家の陰気くさい嫡男だ。前者は父親が出征したために『兵営司令官代行』に任じられており、その祝いと称して先ほどから酒ばかり口にしていた。

 ボルン家のほうは「ボルンは城を守る」という家訓を堅守していて、息子の隣には泥酔中の父親の姿が見える。相変わらず父子ともに破裂寸前のコッペパンみたいな外見だ。

 ベルゲブークのボンクラは酔いに任せて机上に立とうとして上手くいかず、椅子から転げ落ちていた。阿呆すぎる。


「うははは! お前らもあの件を知ったら、ぶっ倒れるぞ!」

「何があったんだい」

「おう、三日月湖の茂みでたまたまパウル公と宰相殿の会話を耳にしたんだがな! 我が兵営は近くフラッハ宮中伯を助けに行くそうだ!」


 大広間がざわつく。


「フラッハってことは、ライム王国と刃を交えることになるんじゃ」

「そうだとも。あの歯抜けのアンリ五世や名将ケーヘンデ公を追い払おうというわけだ! なあ、指揮官はもちろん武門の家柄から出すべきとは思わないか。つまり待ちに待った……このヘルムート・フォン・ベルゲブークの初陣である!」

「おおっ」「おめでとう!」「やったな!」


 ボルン家の嫡男を始めとして若手の廷臣・騎士たちが拍手を送る。さながら祝宴ムードだ。

 どふろくのようなワインで酒杯が交わされ、しょっぱい肉やフライドポテトが食い散らかされる。


 彼らには申し訳ないけど、あの阿呆だけは指揮官に任命しないように工作しておこう。ろくなことにならない気がする。ブルネンやライスフェルト中尉に任せたほうがマシだ。


「不味いことになったものだ」


 対面のモーリッツ氏は頭を抱えていた。


「あの阿呆には城にいてもらいますわよ」

「あのバカのことはどうでもいい。もう某の話を忘れたのか。残り少ない城兵を送り出されてしまったら、ますますタルトゥッフェルを植えられないぞ」


 赤茶毛の少女はワイングラスをあおる。

 そこに家臣のテーブルから流れてきた若者たちが近づき、照れ隠しに軽口を叩きながら乾杯を求めてきた。

 少女は目もくれずに言葉だけを返す。


「某に人足を寄越したまえ。人足を寄越せば愛想よくしてやる。まるで……ええとだな、ただの少女のように」


 いつもの例え話が浮かばなかったらしい。ちょっと恥ずかしそうにしている。

 あれってやっぱり、自分には学がある、古典文芸に通じていると示すためのアピールなんだろうな。モーリッツ卿の可愛いところだ。


 公女の管財人から人手の提供を求められた若者たちは「父が」「お金が」と言い訳していた。

 お金か。

 お金があれば……。


「……ドーラさん。わたしたちで民間の傭兵団を使いましょう」

「待て待て。故郷に居られぬゴロツキどもに芋畑の作付けができるとでも? 三日と持たずに金だけ持って逃散してしまうぞ」

「いいえ。ゴロツキたちをヒューゲル兵としてフラッハに送り込むのです」

「そしてラミーヘルム城兵を作付けに回す……理屈だな。我々に金がないことを除けば、欠点がないようだ」


 モーリッツ氏は指先に垂らした赤ワインで、テーブルクロスに『ABC』の文字を染み込ませた。赤字と言いたいらしい。


「妙ですわね。タルトゥッフェルの売却益はどこに消えましたの?」

「ここ数ヶ月の出兵と作付けの段取りでとうに消えたわ。難民用長屋の薪代・飯代もバカにならない。いずれ取り戻せると部下は話しているが、今はない。公社の持ち主のくせに知らなかったのか?」

「初耳ですわよ。あなた、近頃まともに報告してこないもの」

「そんなつもりはなかったが」

「……だったら、もうシャルロッテにお金を借りるしかありませんわね」

「それだ」


 モーリッツ氏の指先が止まった。


「スネル商会なら交易路の自衛のために用心棒を使役しているはずだ。低地の傭兵団にも伝手があるとみていい。あの女に段取りまで任せよう。あらゆる手間が省けるぞ……この手の話は早いにかぎる。惜しまずに『飛行娘』を投入するべきだな。すまんパウルの子女。某は官房に戻らせてもらう」


 彼はめちゃくちゃ早口でまくし立ててきて、そのまま大広間を出ていこうとする。

 おいおい。約束を忘れているじゃないか。


「その前に。わたしに愛想良くしてくださる?」

「うん! マリーちゃん大好き!」


 赤茶毛の少女は満面の笑顔を浮かべ、少女というより子供みたいな台詞を吐いて、千鳥足で去っていった。

 女の子に大好きと言われたのは何年ぶり──下手したら人生初かもしれない。あれはおっさんだけど。何ならおっさんに大好きと告げられたのも初めてになる。


 いやあ。変な汗が出てきた。

 相手が何者だとわかっていても、ものすごい威力の笑顔だったから。さすがはかつて井納純一が『世界一の美少女』に選定した存在だ。とんでもない。一周回って、ある種の凶器だ。


 まだ近くにいた若者たちが顔を見合わせている。家臣団のテーブルではベルゲブークとボルンの息子たちがあっけに取られていた。

 彼らは日頃から『不遜な女』『公女の七光り』『例え話で公社代表に成り上がった女』『礼儀だけ知らず』『公女の愛人』とドーラもといモーリッツ氏の陰口を叩いてきただけに、あの美少女ぶりには強烈なギャップを感じたのだろう。


 もし井納おれがあれくらいの年だったら、あっけなく心を撃ち抜かれていたはずだ。自信がある。

 あれには誰も勝てない。


 ふと、脳内にある人物の顔が浮かんできたけど……公女おれは気にせずにワインで洗い流すことにした。美味しい。

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