4-5 新兵器
× × ×
一六六六年四月。破滅まであと九年。
子育てを終えて、お母様は窓際で物思いにふけることが多くなった。その姿は未だ若々しく、あまりに可憐で……まるで深窓の令嬢のようだと女中や使用人たちに評されている。
そんなお母様も寄る年波には敵わず、持ち前のプロポーションも相まって、ある悩みを抱えていた。
「あああ……ありがとう私の
エヴリナお母様はとろとろになって甘い声を漏らす。恍惚とした様子は衛兵のティーゲル少尉が目を背けるほどだった。
なぜストルチェク語を解せる者だけが入室を許される部屋に少尉がいるのかといえば、今、ヒューゲル公妃の肌に夫以外の男性が手を触れているからだ。
男性はお母様の両肩に逞しい指先を添えて、ぶつぶつと何かを念じている。あの指先がお母様の細首を絞めてしまう可能性は否定できない──この女の命が惜しければ、自分と家族を解放しろ! 新大陸に戻せ! そうした「暴発」を防ぐために少尉は騎兵用のフリントロック式拳銃を携えている。
「×××××」
「施術が終わったみたい」
男性の言葉をエマがストルチェク語で代弁してくれた。
すかさずティーゲル少尉が男性の身柄を拘束して、育児部屋から外に連れ出していく。さらば『揉みほぐしのドミニク』。またお世話になる日まで。後で焼菓子を送っておこう。
お母様は頬を紅く染めながら肩を回すと、例によって公女に抱きついてきた。
「ああっ。私の愛娘。本当にありがとう。いくつも若返った気分だわ」
「母様はいつまでも美しいです」
「あなたが大好きよ、いつまでも」
ゆるく抱きしめられる。かつてのように強引に抑え込まれることは少なくなった。理由は自分にはわからない。
何にせよ、お母様と良好な関係を築けているのは良いことだ。
今はまだ時期ではないと公女の愛すべき官房長から釘を刺されているけど、いずれお母様を通じて、ストルチェク人の大叔父・ひいてはシュラフタの不満分子たちと手を結ぶ時が来る。
次弟マクシミリアンをストルチェクに送り込み、国王の座を狙わせる。
そのためにもお母様との抱擁を
「おい! マリーはここにいるのか!」
若者がノックせずに母娘の聖域に足を踏み入れてきた。お母様に抱きしめられたままでは顔まで窺えないけど、たぶんヨハンだ。ラミーヘルム城内であんなことできるのはあいつしかいない。
お母様は途端に声を荒げる。
「なんだいお前は! 薄汚い
「……これは義母上。失礼しました。あなたの姫君、オレの嫁に至急の用件がございまして」
「消え失せな!」
「失敬、ドヴィゼーニャ」
ヨハンはストルチェク語で別れを告げる。
それでもお母様の怒りは収まらず、すでに閉じられた扉に調度品を投げつけ始めた。よほど他者の乱入が気にくわなかったらしい。
ちなみに公女の友人エマについては、相変わらず嫉妬の矛先ではあるけど、そもそも『同胞以外の使用人や奴隷は家具同然』として母から人間扱いされていない節がある。よって「他者」に含まれず基本的に気を払われない。色々と辛い。
それにしても、ヨハンの至急の用件とは何だったのだろう。あの男が不作を前にしてヒューゲルまで来ている理由を考えると、自然と足が進んでしまう。
「ねえ。どこに行こうというの、私の愛娘」
「母様に代わってあの男を懲らしめてきます。一発、二発ほど」
「放っておきなさい。もう二度と来なければいいの。あなたの旦那、本当にあんな粗雑な同盟男で良かったのかしら……なぜ出て行くの! マリー、行かないで!」
「すぐに戻りますわ」
こうなると後々お母様を宥めるために半日ほどかかる。酷い時には布団で仲良く惰眠をむさぼって一夜を明かすところまで想定される。ため息なんてついていられない。どれもこれもマリーの役目だから。
ヨハンは大広間で待っていた。
その傍らには赤茶毛の少女が立っていて、二人で和やかに会話を弾ませている。至急の用件とは彼女の件だったか。
あの人と会うのは約半年ぶりだ。
「お帰りなさい、モーリッ……ドーラさん」
「おお。パウルの子女。お前の管財人はたったいま城に戻ったぞ」
「ずいぶんと長旅でしたわね」
「
「別にそれはどうでもいいですわ」
「だといいが……その、そういうことは旦那の前で言うものではないぞ」
モーリッツ氏にたしなめられる。
ヨハンはかなり不機嫌そうにしていた。失言だったかな。傍らでエマが笑いをこらえている。
ひとまず話を変えよう。
「ええと。立ち話も何ですから、ジョフロア料理長に軽食を用意してもらいませんか」
「それには及ばん。実はお前とヨハン公に是非とも見せたいものがあってな。だから呼んできてもらったというわけだ」
「わたしたちに見せたいもの、ですか」
外形的には平民の娘にすぎないドーラ・ボイトン女史が『キーファー公』のヨハンを使いに出したというのも奇妙な話だけど、ヨハンとしては伝言にかこつけてマリーと会いたかったのかもしれない。
ヨハンが居城ではなくラミーヘルム城に居るのは、本人曰く「未回収のヒューゲルの回収を見届けるため」だ。
本来なら大国の領主として秋の大不作の対応・反乱対策を行うべきところを「一揆の鎮圧より正規戦争のほうが実戦を学べる」と称して無理やり付いてきやがった。本国でヴェストドルフ大臣が泣いているだろうに。あの人のほうが上手く対応できるかもしれないけど。
せっかく結婚したのに、お預けをくらってハイそうですかと我慢できるわけがない。
それに三周目のヨハンは……なぜか前回より公女に対する「執着心」が強い気がする。結婚式から今に至るまで、何かと接点を持とうとしてくる。ちょっとうっとうしいくらいだ。
以前そんな話をエマにしたら、めちゃくちゃバカにしたような顔をされた。的外れな予想なのかな。いくら訊ねても彼女は教えてくれない。この件だけでなく、近頃の彼女は秘密が多くなりつつある。気に入らない。
赤茶毛の少女は大広間から中庭に案内してくれた。
例の城壁の割れ目近くに、いつのまにか布を被った荷物が運び込まれていた。
「これだ。某が新大陸の昔話から発想を得て、スネル商会に開発・製造するように注文しておいた。中身を知りたいか。さながら北方神話のスルトのように敵兵を焼き尽くす道具といったところだな」
「くだらん例え話より布を取るほうが先だ」
「おっと。ヨハン公の仰るとおりでございますな。では、改めてご覧くだされ」
モーリッツ氏が箱の中身を見せてくれる。
現れたのは八つの銃身を持つ、回転式の機関砲──ガトリング砲だった。
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