4-1 ジャガイモでもいっしょに


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 一六六五年・三月某日。

 低地地方の漁村から木造の中型帆船が出航した。低地七郷の三色旗を掲げて大西洋に向かう船の名前は『空飛ぶ低地人号』という。

 船長・航海士と約百名余の船員たちには出資元のスネル商会から密命が下されていた──人生の成功を約束する。代わりにオエステ王国の財宝船団から「魔法使い」と「家族」を盗んでこい。

 財宝船団とは新大陸各地の宝物や商品が積み込まれた民間の商船団を指す。オエステ王国海軍の分艦隊の護衛を受けており、軍民合わせて約五〇隻の大船団を形成しているらしい。

 たった一隻で挑むなんて自殺行為だ。

 しかしながら『空飛ぶ低地人号』の船員はスネル商会が選りすぐってきた訳ありのベテランばかりで、この密命に加わらなければ明日にもブルームホルフ湾に沈められかねないような連中だった。

 さらに船長のカンフフイス氏にはキーファー公から託された「風使い」という秘密兵器があった。


 四月下旬。昼過ぎ。

 大西洋航路の中継基地・アゾレス島の沖合に潜んでいた『空飛ぶ低地人号』は、ついに財宝船団と出くわした。



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 一六六五年・五月。

 同盟全土に深刻な穀物不足をもたらす大不作の前年。

 ラミーヘルム城内では盛んに建設工事が行われていた。


 今後周辺国から飢えた難民が流れ込んでくる状況を見据えて、城の南側に粗末な長屋が建てられていく。粗末といっても暖炉があるから凍死の心配はない。冬の寒さを十分にしのげる。

 工務方の説明によると、現場では建材の寸法を規格化し、長屋の施工図も統一。あらかじめ木材を製材所で加工してから船で運んでくる方法で工期を短縮しているらしい。

 年内に五百世帯分の住居を提供できるとの話だった。


 有名な墨俣城の一夜城伝説みたいだな……と思っていたら、ある時に施主のモーリッツ氏から「それがし墨俣城スノマタブルクだ」と言われたのでビックリした。


「どうしてあなたが秀吉の伝説をご存知なのです?」

「エマの地元に伝わる『昔話』なのだろう。いつぞやの帰り道に教えてもらったが」

「わたしも同じ馬車に居ましたわ」

「お前が眠っている時、某どもは暇だったからな。おかげで工務方の手間が省けた。城内の倉庫作りも極めて順調だ」


 城内町では空き家を備蓄倉庫に改築している。タルトゥッフェルだけでなく様々な保存食を保管する予定だ。

 ここでもエマの『昔話』が役立っていた。

 空き家の一角ではワインのガラス瓶の技術を応用して、生鮮食品の瓶詰を作らせていた。

 この世界に来てから漬物の瓶詰は見たことがあったけど……きっちり湯煎してからコルクとろうで密封する形式の瓶詰には初めて出会った。あれなら来年まで長持ちしそうだ。


 モーリッツ氏は瓶詰の一つを手に取り、公女に見せてくれた。グリーンアスパラが入っている。


「パウルの子女よ。エマの地元では太古の時代にこのようにして野菜を保存していたらしい。知恵神メーティスに神託を吹き込まれたのだろうか」

「太古の時代にガラス瓶ですか」

「新大陸の部族、恐るべしといったところだな。聞けば、英傑ボナパートの指示で長期保存法を探すことになった男が苦心の末に編み出したそうだ。何年も保存できるというから模倣させたが……来年を楽しみとしよう」

「ドーラ代表、上手くいけば言い値で売れますぞ!」


 赤茶気の少女の元に怪しげな中年男が近づいてくる。スネル商会から出向してきた商人・コーレイン氏だ。

 パステルカラーの衣服が灰暗い加工場の中では浮いている。薄汚い目は血走っていて、年下の少女相手にシャルロッテ仕込みの作り笑いをぶつけていた。


「各地の領主どもにふっかけてやりましょう。公女様の不作の予言が当たれば、新鮮な野菜は黄金より珍重されること疑いありませぬ。交渉はワレにお任せくださいませ!」


 前回、大叔父にエマを売ってくれた時のストルチェク語はカタコトだったけど、低地商人だけに同盟語ならまともに話せるらしい。

 そのコーレイン氏にモーリッツ氏は冷たい目を向ける。


「バカモノ。すでにタルトゥッフェルの販路があるのだから、交渉など各地の支社に任せたらよかろうに。お前の加工食品部は品質向上に努めよ」

「ですがですが、支社を束ねる販売部長のフンダートミリオンは商売の素人です。初めにワレが話をつけた後を引き継いだから上手く回っているだけ。あやつにやらせるよりワレが交渉したほうが」

「前向きに検討できるよう努力しよう」

「ありがたき幸せ!」


 モーリッツ氏の明言とは程遠い答弁にも関わらず、中年男は手を叩いて感謝を示した。


「代表、お願いついでにもう一点……今さらですが、来年中の出兵は取り止めませんか。兵士にタダで食わせるより余所に売ったほうが利益になります」

「出兵の是非はカミル公の専権事項だ。某どもの公社・官房が口を挟むべきではなかろう。不躾というものだぞ、コーレイン」

「左様ですか。全く君侯という生き物は名分ばかりで御しがたい……おっと公女様もいらっしゃいましたな。非常に忙しいので、礼の類いは割愛させていただきたく存じます。ではまた!」


 コーレイン氏はシャルロッテゆずり(?)の失礼ぶりを発揮しながら、そそくさと仕事場に戻っていった。別に気にしないけどさ。


 来年の出兵はすでに決定済みとされていた。

 モーリッツ氏はカミルが決めたような口ぶりだったけど、正しくは兵営の一部がそのつもりになっているだけだ。

 この城で誰よりも現実主義者リアリストな将校は公女の不作予言を完全には信じておらず、一方で公社の上納金を元手に千五百人から約三千人まで膨れあがった『我が軍』の能力を活かす道を探っていた。

 そのうち「未回収のヒューゲル」の回収は実現可能な選択肢だった。

 何より先代公が終生果たせなかった悲願でもある。


 南門付近の河原では実弾を用いた訓練が日々行われていた。領内や周辺国から募兵に応じてきた男たちが、数十人で戦列を組んでいる。

 彼らの寝床となる兵舎の増設も進んでいて、難民用の長屋に似た平屋が河原に並んでいた。

 建設工事の騒音に混じって、甲高い銃声が野原を駆け抜ける。続けてブルネン教官による「遅い!」の怒号。

 今回も老人には兵士たちの教育を任せている。


 そんな彼の熱血指導ぶりを土手から眺めているのは、いずれ彼らを戦地に送り込むつもりの兵営幹部──白髪の大尉殿だ。


「これはドーラ・フォン・ボイトン卿。初年兵の泥臭い訓練を見たいかね」

「ドーラでいい。まだ某は叙任を受けていない」

「時間の問題だろう。なにせ君はカミル様のお気に入り。いずれは側室に……という噂も城内にはある」

「勘弁してくれたまえ」


 ブッシュクリー大尉の礼を受けながら、モーリッツ氏は辟易した様子でため息をつく。


 今回も公女の弟カミルには年上好きの傾向がある。

 正室のエリザベートは年上だし、前回のシャルロッテも年上だった。

 当然、姉と同い年の赤茶毛の少女もストライクゾーンに入る。

 ドーラが並み外れて可愛いこともあって、すでにカミルはメロメロだ。しかもヒューゲルにタルトゥッフェルの恵みをもたらす専売公社代表となれば、側室にする『価値』も『資格』も申し分もない。


 もっといえば、法的には姉マリーの私有財産にすぎない公社をヒューゲル政府が手中に収めたいなら、管財人のドーラを引き込むのは戦略的に正しいといえる。

 残念ながら『男性』のモーリッツ氏にその気はないけどね。


 ブッシュクリー大尉は赤茶毛の少女が常に羽織っている、古い軍服の外套に目を向けつつ、


「ドーラ君、くれぐれも来年の出兵の件はよろしくお願いする」

「大尉こそ来年の作戦案を作り込んでくれたまえ。古代帝国の英雄のごとく、なるべく短期で敵を追い詰めてもらえると助かる。部隊に芋を与えすぎると公社の売り物が減るからな」

「部隊で余った芋は返却せずに兵営の拡張に使わせてもらいたい」

「冗談を抜かせ」


 二人は時に笑いあっていた。

 五年前に初めて低地までモーリッツ氏を迎えに行った時とは空気感が変わっている。モーリッツ氏が猫を被ることをやめたのもあるだろうし、おそらく大尉のほうがドーラの手腕を認めている部分も原因なのだろう。

 どちらにしろ前回・前々回と大尉から内心でバカにされていた公女おれとしては不満を否めない。けっこう悔しい。


 今のタルトゥッフェル専売公社の成功はあくまで前回まで自分がやってきたことの改良版であって、決して何もかもモーリッツ氏のおかげというわけではないのに。

 まあ以前は主にシャルロッテの努力で上手く回っていたわけだから、「井納もすごいんだぞ!」とは言いづらい部分があるけれど。


 ちなみにモーリッツ氏とシャルロッテを比べると、前者は能吏らしく組織の運営に長ける半面、自発的な創造性には乏しいきらいがある。

 逆にシャルロッテは商売人に求められる大半の才能を持っているし、好奇心と創造力にあふれるものの……組織の経営は部下に放り投げることが多くて、チューリップ・バブルの件であっけなくスネル商会の崩壊を招いていた。

 もしモーリッツ氏がスネル商会の代表だったなら、あれだけの借金を抱えても傘下の商会から金を供出させるくらいの対応は可能だったはずだ。もっとも彼の商才では商会をあそこまで拡大できなかっただろう。だから仮定として成り立たない。


 ふふふ。この二名と井納純一を並べるのはいささか酷かもしれないな。

 自分にアドバンテージがあるとするなら、やはり彼らより多くの未来を知っている点だけだ。


「おっと。公女様もいらっしゃいましたか。失礼致しました」

「……ブッシュクリー大尉、わたしってそんなに存在感がありませんか?」

「とんでもございません。小官の目が節穴だったのです。僭越ながらお手を拝借致します」


 大尉はしっかりとした礼を見せてくれた。

 どうせ内心では忠誠心など持ち合わせていないだろうに、作法だけはきっちり守っているのが少し苛立たしい。


「そういえば公女様、先ほど銃砲の改良案をあなたの魔法使いから伺いました。あれを作成できれば防衛戦で使えそうですな。ともすれば戦争の形を変えてしまいかねない」

「え、何の話ですか」

「ガトリング砲とやらです。新大陸の部族では古代に小銃弾を連射できる大砲を用いていたとの話。公女様は聞いておられませんか?」

「知っていますけど……いくらなんでもその説明は雑すぎる……」


 エマの奴。井納の存在を明るみにできないからって、近代技術をみんな昔話で教えるのは無茶があるだろうに。


「そのような技術を持っていた人々がなぜ奥州ヨーロッパ人の植民地主義者に征服されてしまったのだ?」


 案の定、モーリッツ氏が訝しんでいた。



     × × ×     



 一六六五年・六月某日。

 キーファー公領の港町ヨハネスハーフェンに三隻の船が戻ってきた。

 三本マストの大型軍船。どんぶりのような船体で大西洋の波を裂き、澄ました顔で白袖エルメル海峡を抜けてきた「三姉妹」は、母港に錨を下ろしても、日没まで短艇を降ろさなかった。


 月明かりが粗末な縄梯子を照らしだす。老若男女が海兵に銃口を突きつけられて、怖々と梯子を降りていく。

 甲板から海面の短艇まで相当な高低差があり、中には足を踏み外して海に落ちてしまった者もいたらしい。笑えない。

 彼らは大西洋の岩礁でスネル商会の海賊船『空飛ぶ低地人号』から移送された新大陸の人々だった。すなわち魔法使いと家族、新兵器と安全装置。


「ようこそ旧大陸へ」


 ヨハンの忠臣・フルスベルク中将は海軍将校から彼らの身柄を受け取り、すぐさま馬車に詰め込んだ。

 旅はまだ終わらない。


 それは「三姉妹」も同じだった。また三ヶ月もしないうちに海賊船に会いに行くことになるからだ。海賊たちが海上生活するための食料品と水を補給してやり、成果があれば受け取るために。


 以上はヨハンから送られてきた手紙に記されていた内容を大まかにまとめたものだ。

 本文における妙に細やかな情景描写や、時折挟まれてくる『愛の言葉』は力強く省かせてもらった。

 なおヨハンからは別の手紙も届いており、こちらはいつもどおり「魔法使いが手に入った」「山分けできるぞ」と箇条書きだった。


 何故に代筆版と直筆版を両方とも送りつけてくるのか、俺にはよくわからない。

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