3-5 弔問
× × ×
一六六四年・二月末日(世界の破滅まであと十一年)。
キーファー公領の山間部。
公女と愉快な仲間たちは馬車の中で暗い色合いの服に袖を通していた。
頭には黒色のベールを被る。
イングリッドおばさんの話によると、このベールは先代公の奥さん・公女の祖母から受け継がれてきた家宝だという。
よく見ると透けた布のあちこちにごく小さな宝石が散りばめられていた。ともすれば弔問の席で変に目立ってしまいそうだけど、同じベールを被ったエマの姿からは気品が漂っている。落ちついた印象だ。
そういえば日本でも喪服の女性がネックレスを付けていたっけ。
「ドーラさん。あなたの綺麗な赤茶毛に映えていて、よく似合っているわよ」
「…………」
イングリッドおばさんとモーリッツ氏も同じデザインのベールを被っている。
たくさん在庫があるのは十五年戦争の頃に祖母の身内で葬儀が相次いだからだという。世知辛い。
モーリッツ氏は返事もせずに窓を眺めている。この近辺の川面は独特の黒色を帯びているから、珍しく感じるのかもしれない。
もしくはわずかに映る
「……宝石が付いていたとは。戦時中に売るべきだった。マスケットに換えてやれば、鶏のようにうるさい先代公も黙っただろうに……ってモーリッツ、いやドーラは思ってる」
「また勝手に代弁をしてくれたな……まあいい。次に代弁したら某の命令に何でも従ってくれる約束だったが、さて何とするか」
「約束は破るもの」
「何だとお前! このモーリッツをおちょくるか!」
どうやら彼が見ていたのは宝石と過去だったらしい。
エマとモーリッツ氏が狭い馬車の中で掴み合いのケンカを始めたのに対して、イングリッドおばさんはひたすら首をかしげていた。おばさんはドーラの正体や「カラクリ」を知らないからね。
そうしているうちに馬車は雪原を抜けて、シュバルツァー・フルスブルクの近郊部に入っていく。
この街に来るのは約半世紀ぶりになる。
味気ない街並みに変わりなく、変化があるとすれば、せいぜいハーフナー印の木箱が道端に転がっているくらい。
城門前の四叉路から前方の中心街ではなく郊外に向かう。城壁沿いの道路はなだらかなカーブを描いている。どことなく見覚えがあるような・ないような車窓が続く。
されど旅の目的地にあたる山裾の寺院だけは、自分の魂にしっかりと刻まれていた。
かつて低地の大商人が数千タイクンマルクの値札を付けてみせた、ステンドグラスや彫刻の数々が出迎えてくれる。
キーファーの少年兵の手を借りる形で馬車を降りると、ヴェストドルフ大臣が待っていた。
ヨハン父子の忠臣は全身から極度の疲労感をにじませており、老いた目元にはクマができている。立っているだけでやっと……という血色だな。
「お久しぶりです。マリー様。よくぞいらしてくださいました」
「こちらこそお久しぶりです。ご主人の件は心よりお悔やみ申し上げますわ。生前はわたしの父がお世話になりました」
「ヨハン様は教会の地下墓所におられます。許嫁のあなたを待ちかねていらっしゃることでしょう」
「そうかしら。ところで大臣はやけに疲れておられるようですけれど」
「このところ眠らせてもらえないもので……お気づかい、かたじけのうございます」
ヴェストドルフ大臣は
今にも朽ちてしまいそうな老人だけど、二周目では一応「破滅」まで生き残っていたから大丈夫だろう。多分。
馬車の中を
× × ×
教会の地下には歴代キーファー公の棺が並んでいた。
かつてエミリアが話していたように、彼らの家祖は初代大君の異母弟シュテルンビルトとされる。
シュテルンビルトは初代大君から子供として認知されなかったため「親藩」ではなく「譜代」の家柄ではあるものの、二代目・三代目の大君からは同じトゥーゲント家門の血族として信頼を寄せられたそうだ。ライム王国との分裂抗争の折には大君同盟の大宰相となり、国政を任されていたという。
そんなシュテルンビルトが晩年に拝領した「シュバルツァー・フルスブルク辺境伯領」が現在のキーファー公領の原点となっている。
中世から近世にかけて同盟北部の所領を支配してきた彼らの血脈は、あの十五年戦争で断絶の危機に晒された。戦争と身内の殺し合いで一族の成人男子が全滅してしまったらしい。
サリカ法典では女性の家督相続が認められていない。
そこでキーファー政府は本家にあたるトゥーゲント家から当代大君の弟を入り婿にいただくことにした。これがヨハンの父・ヨハン二世だった。
彼の棺の前では子供たちの姿が見える。
ロウソクの仄暗い灯りが彼らの足元を照らし、柱梁には
「来たか、マリー」
ヨハンがこちらの来訪に気づいた。
十六歳になった彼は一流のアスリートのように鍛え上げられている。緑色の軍服が膨らんでいた。端正な顔立ちにはロウソク由来の影が見える。
「げっ」
「…………」
彼の傍らには妹エミリアと弟フランツがおり、フランツのほうはすでに何発か殴られているようだった。お腹を右手でさすっている。
エミリアのほうは公女を見るなり、早歩きで地上に逃げ出してしまった。往時の褒め殺しが効いているみたいだ。後でからかってやろう。
「久しいな。オレの親父が会いたがっていたぞ。あれは美人になるはずだと。オレとしてはまだ努力が足りないように見えるがな」
ヨハンは床に落ちていた弟の仮面を踏みつぶすと、公女の手にお手本のようなキスをしてくる。
フランツもまた兄に促される形で礼を見せてくれた。
この人は毎度ながら苦労されているなあ。たしか去年にはマウルベーレ伯の家督を継いでいるはずなのに、未だにヨハンから足蹴にされている。
「お久しぶりです。ヨハン様にフランツ様」
「こいつのことは放っておけ。遊びの席でもないのに仮面を付けるなど無様な。親父に叱られるぞ」
「すみません……失礼いたします」
マウルベーレ伯フランツも地上に去っていく。
ヨハンは追いかけない。ただ仮面の欠片を蹴飛ばして、どうにか弟の尻に当てようとしていた。なんて奴だ。
「ヨハン様、おやめください。あなたの大切な弟ではありませんか」
「女が指図するとは何様のつもりだ。出来損ないは出来損ないらしく扱うべきだろう。どうせオレの役には立たん。奴の兵士はいずれ役に立つかもしれんがな」
「次にフランツ様を苛めた時には専売公社のキーファー支店を引き上げさせますよ」
「ほう。怖いことを言ってくれるな。ではオレも低地からタルトゥッフェルの専門家を呼んでくるとするか」
「引き上げる時にはキーファー領内のタルトゥッフェル畑を焼いていきますわ」
「おいおい。ムキになるなよ。女はすぐにヒステリーを起こす。オレと生きていくつもりなら改めてくれ」
ヨハンはわかりやすくため息をついた。
もう純度百パーセントのヨハンだったものだから、我ながらガックリきてしまう。こんな奴と前回は……やめておこう。思い出すと死にたくなる。
まあ、もうちょっと大人になってからは、多少なりとも丸くなっていた気がするけどね。
ヨハン二世。あの偉丈夫と会うことはもう二度とない。そう考えると、両手の指を合わせる力が強くなる。
「ふん。新教徒にしては良い心がけだな。オレの親父はあの世で喜んでいるだろう。次に来る時は改宗を済ませておけ。いずれ結婚式を執り行うことになる」
「その件ですけれど、ヨハン様にお願いしたいことがありますの」
「なんだ?」
「結納金の代わりに二つほど約束をいただけないかしら」
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