3-4 仕組み


     × × ×     


 俺にはできないことが多い。

 だから他のできる人にやってもらう。任せる。アウトソーシングする。依頼する。丸投げする。示唆する。お願いする。

 これは井納純一が二周目の頃からとってきた「非常に明確な方針」だ。


 その流れでいくと、今の公女おれが暇を持て余しているのはむしろ状況が上手く回っている証といえる。

 かつて二周目の折りにイングリッドおばさんから「仕組みを作りなさい」と諭されたことがあった。

 自分が介在しなくても、その方向に進んでいく仕組みを作ればいいと。根っからの上流階級・他者を使役する側で生きてきた彼女の意見には一定の説得力があった。


 そして三周目こんかい、俺はその仕組みすら作り出してくれる存在を手に入れてしまった。


「当代のキーファー公、あの偉丈夫が死んだか……たしか前々回に例があったな。往時のお前は結婚の延期を取り付けたようだが、今回は何をおねだりするとしよう」


 城内某所。赤茶毛の少女は唇に指を添えて、楽しげに思案を始める。

 少女もまた十三歳を迎えており、公女同様に花盛りの季節に入りつつある。灰色の外套が以前より小さく見えた。


 公女おれは問いかける。


「モーリッツさん。わたしがラミーヘルム城を離れても大丈夫なのですか」

「心配いらない。コーレインやハーフナー、スネル商会からの出向組はよくやってくれている。公社のことは彼らに任せておけばいい」

「でも、わたしがいない間に専売契約の件で家臣たちと揉めたら面倒ですわよ。交渉の席で不利になりかねませんわ」

「前例のある案件にはあらかじめ手を打ってある。何ならそれがしが不在でも官房カンマーの面子で対応できようて」

「では安心してシュバルツァー・フルスブルクに行けますわね!」

「そのとおりだ。良かったな。花のような笑顔を見せてくれてもいいのだぞ」


 モーリッツ氏はこちらの心配をことごとく粉砕してくれた。

 なのに、ちっともありがたく思えないのは何故だろう。

 あれか。思春期特有の根拠なき全能感が、他者からないがしろにされていると脳内で訴えているのかな。むむむ。毎度のことながら第二次性徴は御しがたい。


 ちなみに三周目ではスネル商会がつぶれていないため、公社の経営はシャルロッテの部下・コーレイン氏に任されている。二周目でエマを大叔父に売ってくれた男だ。今回も少しうさんくさい。

 ハーフナー氏は前回と同じく公社の栽培技術指南役を務める。今日のヒューゲルでは、あの貧相な顔を見ない日はないだろう。あちこちの木箱に似顔絵が刻印されているからね。


 モーリッツ氏の台詞にあった「官房カンマー」は公女マリーの私有財産を管理運用するための部局だ。財産の中には公社も含まれる。官房長は彼自身が務める。もちろんドーラ・ボイトンの名前で。

 つまり公社がもたらす利益を用いて、彼と官房部員が「破滅」対策を進める図式となる……さすが元官僚だけあってモーリッツ氏の手法は役割分担・組織化されていた。


 そんな赤茶毛の少女はこちらの旅行ルックを上から下まで熱心に見やると、一つ二つと手を叩く。


「そうだ。いっそキーファー公の息子に嫁いでもらってもかまわないぞ」

「お断りしますわ」

「なぜだ? あの強烈な母君が心配なのか」

「いずれ、わたしの記憶が必要になる時が来ますもの」

「……お前の過去のうち「破滅」に関わる部分はエマに抽出させている。もはや某や官房がお前の役割を務められる状況だ。今まではともかく、今回は些事を気にせず幸せになってくれていい。結婚こそ女の幸せだろう?」


 モーリッツ氏は本来の年相応の保守的な意見を述べながら、極めて真剣な眼差しで公女おれの手を握ってきた。

 あざとい行為を可愛い子にされてしまうと変な汗が出そうになる。

 もっとも、その後ろに控える打算に気づかないほど、俺だって阿呆ではないつもりだ。


「あなた……結婚の条件に、ヨハンから『そよ風のマックス』を求めるつもりでしょう」

「数ある選択肢の一つではあるが、まだ検討中の話だ」

「ぶふふっ」


 公女おれは思わず吹き出してしまった。

 あまりにも役人じみた、とぼけた答弁だったものだから我慢できなかった。

 当然、この世界では好ましくないとされるふるまいだ。


「パウルの子女。これは忠告だが、淑女でありたいなら控えたほうがいい。ヨハンとやらに好かれないぞ」

「あの人はわたしに一目惚れしていますから平気ですわ。目の前で鼻くそをほじっても幻滅されないでしょうね」

「えらい自信だな……」


 モーリッツ氏がナルシストを見るかのような目をしてくる。

 ヨハンの件は本当のことだから仕方ない。


「だから結婚しなくてもマックスは借りられます。きっと」

「ううむ」 

「もし本当に結婚させたいなら、あなたが先に旦那を見つけて結ばれなさい。その時はわたしも考えてあげますわ」

「古代詩のモントフランメ姫のごとき理不尽な要求を。某は男ではないか……」


 赤茶毛の少女は大きなため息をついた。

 公女おれだって元男性だけど、モーリッツ氏にはまだ教えていない。



     × × ×     



 お母様やパウル公、弟たちにしばしの別れを告げて、馬車は北街道を進んでいく。

 冬の旅は見るべきものが少ないから余計に退屈だ。なにせ窓の外には一面の純白が広がっている。他には何もない。


 なぜかついてきたモーリッツ氏は外套にくるまって眠ろうと努力していた。宿で夜更かしするつもりらしい。

 イングリッドおばさんは雪溶けのぬかるみに揺られてすでにグロッキー。嘔吐公の妹の面目を保っていた。

 エマに至っては公女おれを膝枕してくれながら、自分だけ過去の映画を楽しんでいる。


「スナックのママにだまされて……ツバ入りのビールを飲まされて……殺しを持ちかけられた……かわいそう……すぐ忘れちゃうから利用される……」

「エマ、『メメント』なら台詞だけでも暗唱してよ」

「映画館で話しかけないで!」

「ひゃあっ!」


 彼女は公女おれの耳に息を吹きかけてきた。もう二度と話しかけないと誓った。

 おかげで自分は四人乗り馬車なのに寂しい旅をするはめになった。膝枕だと普段より酔いやすいのも辛かった。


 そんな旅にも一つくらいは特筆すべき場面がある。

 キーファー公領の国境地帯。

 かつて一周目で住民に殺されそうになった村のあたりに差しかかると、俺は馬車の周りの衛兵たちにマスケットの用意をさせた。

 今回はタオンさんから兵を借りていない。代わりに城の衛兵を多めに連れてきていた。官房の若手随行員を合わせて二十人は下らない。


 それでも慎重に馬車を進めさせると……やがて例の村が見えてきた。

 民家の暖炉から、煙が登っていた。

 薪や炭すら残されていなかったはずの村には農具が溢れていた。打ち壊された家は一つも見えず、道行く百姓たちは笑っている。まるで別世界だった。


 何があったのか。

 村の教会前にはタルトゥッフェル専売公社の倉庫が建っていた。


「……キーファー公とは二年前からタルトゥッフェルの専売契約を行っている」

「そうでしたわね……」

「このムッターパス村は街道沿いの村。北方面の販路の拠点だ」


 モーリッツ氏が説明してくれた。

 公社は早くから、スネル商会の支援金を元手に投資してきたらしい。

 その結果としてあの地獄が消えた。

 もう死体を食べる子供たちはいない。土をかじったまま凍死している老婆など存在しない。

 少しだけ、何か救われた気がした。

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