3-3 既視感
× × ×
この世界の冬は何度目でも厳しい。
石造りの城を当たり所次第では叩き割ってしまいそうな吹雪は、石より弱い住民たちを引きこもりにさせる。
俺は手のひらを暖炉に向ける。薪が割れた。じんわりとした温もりが肉体に伝わってくる。未だ水気を帯びた肌と布が、少しずつ乾いていく。心地良い。水浴びの後には焚火が欠かせない。
薪の割れる音と水滴の音が、炎に照らされた勉強部屋を満たしている。
「エマ、なんで見ちゃダメなのさ」
「スケベ。バカなの」
「マリーの脳ではいやらしい気持ちは沸かないよ。ただエマの成長ぶりを見守りたいだけで」
「心底キモい」
水滴が飛んでくる。断固拒否されてしまった。
仕方ないか。誰にでも思春期は訪れる。一周目や二周目の時は多感な時期を別々に過ごしたから、少し違和感があるけど、エマだって肉体や気持ちの変化に悩んだり……いや。以前からエマは肌を見せようとしなかったな。
まさか目立つ
ベッドの傍らにいる老女中・フィリーネに目を向けてみる。今日は起きているようだ。あとであの人に訊ねてみよう。
そしてエマには気にしなくていいよ、と言ってあげよう。
「公女様! いらっしゃいますか!」
扉の向こうから話しかけられる。青年の声。たぶんティーゲル少尉だな。
「わたしは沐浴中です。用件があるなら後にしてもらえるかしら」
「こ、これは失礼致しました! 当主様がお呼びです。ご支度をお願い致します! あとエマちゃんも!」
少尉は廊下を走り去っていった。
お父様から呼び出しとは珍しい。何かあったみたいだ。
「ありがとう、フィリーネ」
「滅相もありません」
彼女は馴れた手つきで公女の着付けを始めてくれる。
白い乳房がアンダードレスに収められていく。胴に巻かれた緩めのコルセットが双丘の膨らみをより強調させる。今の流行だから仕方ないとはいえ、やはり恥ずかしい。ワンピースは谷間を見せつけない子供服を改造してもらった。
公女は十三歳になっていた。来年の四月には十四歳になる。
残された時間はあと十二年ほど。タイムリミットが迫るにつれてマリーの肉体は大人びていく。鏡を見るたびに気持ちが急かされる。
両手を広げて、シャルロッテにもらった舶来品のガウンに袖を通す。
出来栄えを褒めてくれる老女中に会釈を返しつつ、エマに目を向けると……すでに略式のドレス姿だった。早いな。
そうだ。フィリーネからエマのことを訊かないと。
「フィリーネ。エマの肉体に変なところはなかったかしら」
「変なところ……いいえ。いたって平凡でございます。可憐さにおいてマリー様とは比べものにもなりません」
「お世辞はいいわ。ありがとう」
外見に変わったところがないとすると、どういう訳なのだろう。
問いかける前にエマに手首を掴まれた。
「……別に痣なんてない」
「そうなの? てっきり何か隠しているのかと」
「井納に裸を見られたくないだけ。井納だってボルンやベルゲブークのアホガキどもに見られたくないでしょ」
「そりゃそうだけど」
エマの中では自分はあのボンクラたちと同列なのか……あいつらとの共通点なんて『男性』という点だけだ。
ああ、なるほど。そうかそうか。
やっぱりエマは思春期だね。
「井納には言われたくない。たまに情緒不安定になってるくせに」
「それは仕方ないよ」
「エストロゲンに弱すぎ。二周目よりマリーの肉体に呑まれかけてる。井納は自覚を持つべき。内心では褒められたことに浮かれててバカみたい」
「そんなことは……ああ。もしかしてマリーと比べて、エマの成長ぶりがあまり芳しくないから。大丈夫だよ大人になったら」
「ヨハン、こんな時に優しくしないで」
「その話は禁句にしようって決めたよね!?」
二人でやぁやぁと言い合いながら、パウル公のところに向かうべく勉強部屋を出ると──えげつないほどに寒かった。
× × ×
大広間のテーブルにはジャガイモが並べられていた。
イングリッドおばさんと使用人たちが『ハーフナー印』の木箱から芋を取り出して、見栄えの良いものだけを箱に戻している。お父様と家族の料理に提供する分を選別しているみたいだ。
当のパウル公は大広間の中央で外套姿の将校と話し込んでいた。
「……キーファー公が亡くなったとなると、そちらとしては我が娘との婚姻を早めたいだろう」
「いかにも! ヴェストドルフ大臣は血の断絶を心配しておられました!」
「我々としても何かある前に同盟関係を固めたい。マリーには早く子供を産ませるべきだな。身体のほうはもう大丈夫だろう」
下世話な会話は盗み聞きだから許してさしあげるとして。
なるほど。そういうことか。
さっきから少しだけ感じていたデジャブの正体が読めてきた。
これは前々回、一周目と同じ流れだ。
ちょうど公女が十三歳の時にキーファー公が死んでいた。
あの大柄な将校はシュバルツァー・フルスブルクから飛んできた使者だろう。
正面から近づいてみれば、やはりあの時の人だった。さすがに名前は忘れてしまったけど。装甲板のような胸板の中年男。礼が仰々しい。
「これはマリー様! お初にお目にかかります。自分はキーファー兵営のアダム・ブロクラット大尉であります!」
「初めまして大尉。初対面でよくわたしだとわかりましたわね。お母様かもしれないのに」
「若君の部屋にあなたの肖像画がありますからな! 特段、努力せずとも覚えられるというものです!」
「そうですか」
わりとどうでもいい。
ヨハンがマリーに一目惚れしているなんて当然の話だ。
その点で彼が当主の座に就くことは俺たちの利益になる。キーファーの力を借りやすくなるからね。
「マリー。話は聞いていたか。キーファー公が亡くなった」
パウル公が小柄な身体を大尉と公女の間に割り込ませてきた。
ほんのり酒の匂いがする。
「私の代わりにキーファーに向かい、旦那を慰めてやれ。明日にも
やはり前々回と同様だ。公女は生まれて初めてヨハンの祖国を訪れることになる。
所要時間は半年。ラミーヘルム城からシュバルツァー・フルスブルクに出向いて、また城に戻ってくるまで四ヶ月ほどかかる。現地滞在時間を含めて六ヶ月だ。
対して、井納純一の命数はあと十二年しか残されていない。
どう考えても馬車の中で無為な時間を過ごすことは避けるべきだけど……仮にも義理の父にあたる方の死だ。下手に断ったら世間から『冷酷公女』呼ばわりされそうな気がする。
上流階級のコミュニティなんて狭いものだから、噂が広まるのはあっという間だ。そして往々にして悪評は訂正されない。
どうしたものか。仮病という手もあるけど。
「行くべき」
エマがこちらの手に触れながら、日本語で話しかけてくる。
でも行ったところで何も得るものがないよ。
「どうせ井納は暇人。ラミーヘルムにいてもやることない。ぜんぶモーリッツがやってくれてるから」
彼女の弁は正しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます