3-1 女優


     × × ×     


 交易路の結節点は常に出会いと別れを繰り返している。

 バルト海から運ばれてきた蝋や琥珀が翌週には奥州各地に出回っていくように、この街はいつも流れの中にある。流れは絶え間なく波を起こす。寄せる波に負けず、気高く咲き誇る花でありたい──港町ブルーム(花)ホルフ(波)の発祥にまつわる伝説は存外にロマンチックだった。


 酒問屋の女の子はヒューゲル公爵家の娘と出会い、彼女の家庭教師(歴史担当)に任じられた代わりに、実家の両親と別れることになった。


「ボイトン伍長。ずいぶんと迷惑をかけてしまったな」

「モーリッツ中佐……」

「奥方にも世話になった。胎内を含めると十一年になるのか。絵本の世界にいるような日々で楽しかった。ありがとう」


 赤茶毛の少女は同じ毛色の女性と握手を交わす。

 親子であることが傍目からでもわかる。

 当の母親は涙を流すばかりで言葉を発せないらしく、代わりに少女を抱き寄せていた。少女もまた泣きそうになっている。


「……すまない。お前たちから子供を奪う形になってしまった。こんな機会でもなければ、せめて死ぬまで娘を演じてやるつもりだったが」

「恐れながら、我々もドーラを望んでおりました」 


 父の台詞に少女は目を閉じる。


「そうだろうな」

「いつか中佐が中佐であることを忘れる日が来る……と心の奥底で願っておりました。上官の死を望むなど恥でしかありません。申し訳ございません」

「気にしないでいい。それがしもいつかそうなるだろうと感じていた。己は消えるべきものとな」

「ドーラ……」


 母娘の抱擁に父が加わる。さらに奥に控えていた弟妹たちも。

 何となく気まずくて、公女おれだけボイトンの店を出ると、外ではエマが近所の子供たちと遊んでいた。

 あれは『ダルマさんが転んだ』だな。五人もいると楽しそうだ。別に入りたいわけではないけど。


 公女おれに気づいたエマは、周りの子供たちに「あの人がエマの友達。マリー・フォン・ヒューゲル公女」と紹介してくれる。

 おいおい。もしかして遊びに誘ってきているのか。

 仕方ないなあ。一回だけだよ。


「公女様!」「マリー様!」「お願いです!」「どうかドーラを田舎に連れていかないで!」「お願いー!」


 彼らは要求を突きつけてきた。

 多数の対応が面倒くさいので、公女おれは固まったふりをさせてもらう。


 ちびっこデモ隊の子供たちの中には男子もいて、ひょっとすると一周目や二周目のあの子は彼と結ばれていたのかもしれない……などと考えさせられる。

 二人は低地商家の夫婦めおととして幸せになっていたかもしれず、だからモーリッツ氏は成長してからもヒューゲルに戻ってこなかった?

 やめよう。全ては過ぎ去ったことだ。


 やがて赤茶毛の少女がボイトン商会から出てくると、子供たちはお目当ての彼女のほうに流れていった。

 うってかわって、エマがこちらに近づいてくる。イタズラっぽい笑み。


「井納はみんなの悪者ね」

「けしかけないでよ。今回のエマって前回より性格が尖ってない? 絶対に尖ってるよね?」

「そんなことない。気のせい」

「そうかな……ところでブッシュクリー中尉は」

「ヒューゲルの修学旅行生ばかむすこたちと国境まで殺しあいを見に行くとか言い出して、どっかに消えた」

「いきなり物騒な話だね」


 エマの説明によると、低地南部の国境地帯で新教派と旧教派が小競り合いを起こしているとの報告が入ったらしい。

 低地の南部・通称『白地区ブランシュ十郷』は元々低地地方の一部だったものの、歴史的な経緯からオエステ王家が飛び地として継承している。白地区には旧教派の住民が多いため、低地七郷の新教派とは紛争が絶えない。

 ちなみに白地区は南側の国境にもライム王国という火薬庫を抱えている。

 歯抜けの欲ボケおじさん・ライム国王アンリ五世は当然のように白地区の併合を企んでいて、その治世でこれまでに二回も出兵を行ってきたという。現在は次の侵攻作戦の拠点とするために寵臣の建築家に命じて「長城」と呼ばれる国境要塞群を築かせているそうだ。


 低地付近は起伏がなくて守りづらいので、戦争になると泥沼の築城合戦になりやすい。地元民のシャルロッテなどに言わせれば「低地は星形要塞の見本市でございます」とのことだ。

 ブッシュクリー中尉とイングリッドおばさんが修学旅行生たちを低地まで連れてきたのも、主に見本市を見て回るためだった。そこでいきなり「本番」が始まったとなれば、急いで向かってしまうのも仕方ないか。


 とはいえ、主君の娘を放置するのは家臣として心得がなっていない気がする。別にいいけどさ。


「どうしようエマ。スネル商会に迎えを寄越してもらおうか」

「もう来てる」


 公女おれの問いに、エマはケルク大通りの方向を指差した。

 見れば、四頭立ての馬車の窓から男性が手を振っている。あれはタオンさんの甥・ホルガー氏だな。

 身内の中尉ならまだしも、スネル商会の人をあまり待たせたくないところだ。

 かといってドーラと子供たちの別れに水を差したくないし……うおお。よってたかって「行かないで」の大合唱でみんな泣きじゃくっている。あんなの見せられたら罪悪感で薄っぺらい胸がいっぱいになってしまう!


 居たたまれなくなり、公女おれはエマに残ってもらって、比較的駆け足でホルガー氏の馬車に逃げ込んだ。

 彼は相変わらず日焼けしていた。


「いやあ、お久しぶりですねえ。公女様におかれましては元気そうで何よりです」

「ありがとう。少し待たせてしまいそうですわ」

「女の子は男を待たせるぐらいがちょうど良いってもんでしょう。ああ、自分は来月の船出までヒマヒマのヒマですから、お構いなく」

「助かりますわ」


 公女おれはホルガー氏の対面に座らせてもらう。正面から見ると、やはりタオンさんに似ている人だ。


「公女様、例の尋ね人は見つかりましたか。シャルロッテから話は聞いていますよー」

「ええ。どうにか。ところでホルガーさん、スネル商会に海賊上がりの荒くれ者はいませんか?」

「おやおや、その年で火遊びですか。外国の私掠船しりゃくせんに務めていた奴なら、けっこう心当たりがありますねえ」

「でしょうね。いずれ紹介していただくことになりますわ」

「わはは。その予知は外れてほしいなあ。また伯父さんに怒られちまう」


 ホルガー氏は苦笑する。その笑い方もタオンさんによく似ている。


 そうして二人で話しているうちに、モーリッツ氏とエマが馬車に乗り込んできた。ようやく別れを終えたらしい。

 モーリッツ氏は窓の外に向けて名残惜しそうに手を振ってから、自分の隣に座っている男性の顔に目を丸くする。


「お前、アルフレッドなのか……いくらなんでも若すぎるだろう!?」

「申し訳ないけど、ホルガー・フォン・タオンだよ」

「ああ。息子だったか」

「甥なんだよねえ。こうやって間違えられるたびに伯父さんの顔の広さに感心するんだけど、さすがにお嬢さんのような子供に勘違いされたのは初めてだなー。ねえ、名前は何ていうの?」

「……ドーラ・ボイトン」

「ドーラちゃんか。よろしくねえ」


 ホルガー氏に赤茶毛の頭をポンポンと叩かれて、モーリッツ氏はとても悔しそうな表情をしていた。

 その様子を何となく眺めていたら、いきなり足で小突かれてしまう。脛が地味に痛い。

 以前から気になっていたけど、どうしてモーリッツ氏は公女に対して畏まらないのだろう。主君として扱ってほしいわけではないものの、わりと謎だった。


 にわかに馬車が走り出す。

 大通りの流れに巻き込まれながら、どんどん目的地へ向かっていく。

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