2-5 茶会Ⅱ


     × × ×     


 井納がマリーであるように、モーリッツ氏もドーラとして生きてきた。

 お互いに似たような状況だけに相手の悩む気持ちは十分わかる。その十年間は決して軽くない。毎日朝から晩まで鏡に映るのは「少女」なのだから。

 ゆえに公女おれは彼に考える時間を三日ほど差し上げて、改めて説得するつもりでお茶会に誘わせてもらった。


「こちらの部屋ですわ、ハーヴェスト卿」

「モーリッツでいい」

「ではモーリッツさん。どうぞソファへ」


 赤茶毛の少女をスネル商会の来客室まで案内する。

 シャルロッテに段取りを任せておいたので、すでにテーブルには茶菓子が並べられていた。

 モーリッツ氏はスネル家の使用人に持たせていた大きなカバンを床に転がして、余所行きのドレスの裾を整えてから、おずおずとソファに腰を据える。

 女の子が中央にちんまりと座っていて可愛らしい。そんな彼女とは不釣り合いなサイズのカバンが気になった。


「あのカバンはどうされました?」

「某の日記だ。土産に持ってきた。うちに来た時に欲しがっていただろう」

「あの数を持ってきてくださいましたの。その細腕では大変でしょうに……」


 ドーラの体格は公女とほとんど変わらない。

 家業の手伝いをしているぶんだけ相手のほうが力強いかもしれないけど、それでもあれを持って来るのは気合がいるだろう。


 モーリッツ氏は「平気だ」と述べてから、公女おれの傍らにいるエマをちらりと見やる。


「某が帰ってから読むといい。日記を目の前で読まれるのは恥ずかしいからな。頭の中をのぞかれているような気分になる」

「……わかりました。わたしの夜の楽しみにさせていただきますわ。どうもありがとう」


 公女として皮肉には触れずに、礼を述べておく。

 あの日記、三日前はエマの意見を取り入れてあえて残してきたからね。後でじっくり読ませてもらいたいところだ。


 さて、公女もエマも立ったままではお茶会を始められない。俺たちはモーリッツ氏を囲むような形でゆったりと座った。


「失礼致します」


 それを見計らったかのように、女中たちが茶道具を携えて来客室にぞろぞろと入ってくる。茶釜が台車で搬入されてきた。すでに湯気が立っている。

 ローテーブルに茶器が並べられ、惚れ惚れする手さばきでお茶が用意されていく。

 彼女たちの主人はわざわざオリエントの名産品を提供してくれたらしく、いつもより芳しい匂いがした。

 女中たちが呼び出しのベルを残して部屋の外に出ていってくれたのも、シャルロッテの指示だろう。我ながら恥ずかしがらずに『女の子だけの秘密の茶会』だと伝えておいてよかった。本当はおっさん(二名)と耳年増の寄合だけど。


「うまい」


 エマはさっそく紅茶と茶菓子に舌鼓を打っていた。

 公女おれも好物が消えないうちに楽しませてもらう。甘くてたまらない。

 モーリッツ氏のほうはカップに少し口をつけるだけで、なぜか公女おれをじっと見つめていた。お気に召さなかったのかな。


「どうされました。ここの料理人のフラーイは絶品ですよ」

「猿芝居はもういいだろう」


 彼はカップをテーブルに戻す。その目は力強かった。


「──パウルの子女よ。お前はモーリッツ・フライヘル・フォン・ハーヴェスト=ディアマントに何を求める。楽器や茶道を教えてくれるような教師を望むのか?」

「それはもう間に合っておりますわ」

「では古典文学か。耽美な古代詩を教えてほしいのだな」

「もう十分に学ばせてもらいました。もちろん馬術や作法も」

「あとは嫁入りを待つだけではないか……そんな娘にモーリッツがしてやれることは何もないだろうに。なぜ、あえて某なのだ。とても話し相手に困るようには見えないが」

「ですから、あなたにはヒューゲルのためにまた力を尽くしていただきたいのです」

「ヒューゲルのために……お前のためではなく……」


 こちらの返答に、赤茶毛の少女は下唇を噛む。人差し指を添えており、いかにも脳内で思案してそうな姿勢だ。

 そういえば二周目の時にハイン宰相が酒宴の余興で似たようなポーズをしていたな。全くウケてなかったけど、あれってモーリッツ氏のモノマネだったのか。どうでもいいことに気づいてしまった。忘れよう。

 やがてモーリッツ氏の指先が弾ける。


「わかった。当ててやる。お前は父親の命令で低地に来たのだな。モーリッツを探せと。パウルは後任のハインが役立たずで困っているとみた。どうだ」

「お父様はモーリッツさんを過去の人扱いしていましたわ。ハイン宰相は頑張っています」

「ではアルフレッドか。兵営の指揮系統に不安があると。あいつはいくつになっても某に甘えたいようだな……」

「タオン卿は引退されています」

「……まさか先代公が生きているのか? もはや他にいないだろう。目ぼしい奴はみんな死んだはずだ」

「で・す・か・ら! わたしがあなたを探しに来たのです! アウスターカップとヒンターラントを倒してもらうために!」

「は? アウスターカップ? ヒンターラント?」

「エマ、代わりにやって!」


 いい加減まどろっこしいからエマに説明してもらうことにした。

 よくわかっていない様子のモーリッツ氏をソファ上で組み伏せたエマは、彼の脳内から湧き出てくる「問い」をどんどん口頭で処理していく。

 彼らのおでことおでこがくっついている。


「……ウソじゃない。あと十五年後に世界が滅ぶ。マリー公女は破滅を止めるために何度も人生を繰り返してる」

「そんな大衆小説のような話があるものか!」

「ある。あるから低地まで来た。証拠は出せる。六年後に大凶作。九年後に彗星。先すぎるなんてゼイタクを言わないで」

「いちいち他人の心を読まないでくれないか!」

「だったら早く信じて」


 二人の吐息がかかりあう。

 傍目には少女と少女がじゃれあっているように見える。ほんのり胸がざわつく。


 しばらくして、ようやくモーリッツ氏が降伏してくれた。かなり不満そうにしているけど、ひとまず『二十五年契約公女』説を受け入れることにしたみたいだ。その証拠に「大変だったな」と公女に声をかけてくれた。あなたもね。

 ちなみにエマが井納純一の存在を明かしていないのは、たぶん余計に話がややこしくなるからだ。


 モーリッツ氏は彼女を別のソファに押し出してから、手元の冷めたお茶をすすった。


「……不味いな。まるで川の水だ」

「また淹れてもらいましょうか」

「そうしてもらおう」

「では」


 公女おれは女中さんを呼び出すためのベルを鳴らす。

 ひとまず『秘密のお茶会』は仕切りなおしとなった。

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