2-3 格子なき牢獄



     × × ×     


 ブルームホルフの市街地は格子状に組まれている。

 日本だと京都の街に近いのかな。

 奥州大陸ヨーロッパの街は教会や広場を中心として放射状に広がっていることが多いから、他に例がないわけではないものの、わりと珍しい作りだ。

 市街地に裂け目をもたらす数々の運河まで直交方向に掘られているあたり、低地には生真面目な先人がいたのだろう。


「こちらでお待ちください」


 ブッシュクリー中尉の案内で、公女おれとエマは市内の乗合馬車を乗り継いでいく。

 かつてバイト先まで通勤バスに揺られていた日々を思い出したくて利用してみたけど、お世辞にも快適とは言えない。定員超過で狭苦しい。隣の客が臭かったせいでエマが吐きそうになっているし。素直にシャルロッテから馬車を借りるべきだった。


 停留所で乗合馬車を降りる。踏み板が外れていて、エマと共に転び落ちそうになったところをブッシュクリー中尉が受け止めてくれた。ありがたいけど、やはり公女の身体は強張ってしまう。中尉に殺されそうになったのは前々回の話なのに忘れられない。


 ケルク大通り沿いの路地に、目的地の商家は佇んでいた。

 あれがモーリッツ・フォン・ハーヴェストが先代公に送った「最期の手紙」に記されていた『宿代わりの店』なのか。いたって平凡な建物だ。


「井納」

「なんだいエマ、まだ吐きそうなの?」

「エマたちは何のためにこんなところに来たの?」


 彼女は普段より眠そうな目をしている。あまり気乗りしないらしい。

 何のためにって白々しいなあ。そっちはマリーの肌に触れば読めるんだから、あえて訊くまでもないだろうに。


公女マリーの駒を増やすためだよ」

「死人が力になってくれたらいいね」

「いや、決めつけちゃうのは早いからね」


 ヒューゲルでは音信不通で死んだ扱いになっているけど、別にラミーヘルム城まで弔文が届いたわけではない。

 つまりモーリッツ氏は生きている可能性がある。

 タオンさんより少し年上だから、存命なら六十代になるのか。まだまだ元気な人は多い。便りがないのは元気な証拠ともいうし。

 仮に低地で客死していたとしても、俺が三周目を戦い抜くための手掛かりは得られるはずだ。なにせ彼は先代公の戦争を支えた宰相だからね。日記帳や自伝が残っていたら、後学のために読んでおきたい。

 自分が公女である以上、どうしても一六五〇年以前の話には疎いので、歴史的な知識を補完したいという思惑もある。


「井納は生き字引のタオンが城に来てくれないから困ってる」

「否定しないけどさ、今回なんか当たりが強くない?」

「公女様、何卒こちらへ」


 エマと話していたらメガネの中尉に急かされてしまった。

 俺は不遜な魔法使いをにらみつけてから、ふと自分の傍らに彼女が立っていることに改めて充足感を覚えつつ、ようやく商店の中に入ると──なぜか灰色のジュストコールが玄関で跪いていた。

 ヒューゲル兵営の制服をこんな遠方で目にすることになるとは。よく見ると、あちこちに布地を継ぎ足した形跡がある。かなり古い服だな。今の制服より丁寧に仕立てられているので長持ちするらしい。

 私服の中尉は白髪交じりの頭を掻きながら、足元の男性を紹介してくれる。


「公女様。こちらはシュテファン・ボイトン氏。かつてヒューゲル兵営で衛兵を務めていました。先の戦争にも従軍しています」

「今は低地で酒問屋をやらせていただいております。先代公のお孫様に拝謁させていただき、光栄の至りでございます」


 ボイトン氏は改めて深々と頭を下げてくれた。

 元ヒューゲル兵だったのか。


「そうでしたか……では、わたしのためにわざわざ昔の制服を用意してくださったのですね」

「はい。故郷では『ボイトン家は主君を見捨てた家』と誹謗されているでしょうが、このシュテファンは今も忠誠を捨てておりません。その証でございます」

「よくわかりました。ヒューゲル家の娘として、とても嬉しく思います。もしあなたが追憶の旅を望まれた時には、あなたの帰郷をわたしの名前で許しましょう」

「ありがたき幸せ!」


 ボイトン氏はブッシュクリー中尉にも「ありがとうグレゴ」と礼を言っていた。どうやら中尉とはあらかじめ打ち合わせを済ませていたらしい。

 そうなると、中尉はすでにモーリッツ氏の行方あるいは生死を知っているはずで……ここに来るまでに訊いておけばよかったな。

 例えば馬車から転げ落ちた時とか。


「……エマ、もしかして」

「モーリッツは一六四九年に死んでる。この家で突然死」


 公女おれの耳元で彼女は楽しそうに笑う。くそったれ。知ったなら教えてよ。なんでそんなにイジワルするかな。

 モーリッツ氏がマリーが生まれる前に死んだとなると、仮に『四周目』があったとしても救いようがないし、先代公は来るはずのない手紙をずっと待っていたことになる。辛い。

 せっかくタオンさんの代わりを仲間にできるかもしれないと期待していたのに。


 こうなったら、せめて遺産レガシーだけでも手に入れたい。でなければ、休日をつぶした甲斐がない。


「ところでボイトン氏。中尉の話によると、この店には生前のハーヴェスト卿が来られていたそうですね」

「お話はうかがっております。宰相殿は自分の元上司でした。お恥ずかしい話、自分はあの方に『終戦後は低地で商人になれ』と吹き込まれたのです」

「あら。ずいぶんと慧眼な方だったのですね」

「いやはや……それもあって、あの方が低地に来られた時には必ず我が家の寝床を提供させていただきました。十年以上前、今となっては昔話でございます」

「そうですか。わたしの祖父を支えてくれた方だと訊いておりますから、生前にお会いしたかったものです。なにか卿の形見などは残っていませんか?」

「ございますとも……ドーラ、公女様を部屋にご案内して差し上げなさい」


 商店の奥から少女が出てくる。

 マリーとほとんど変わらない年頃の子だ。赤みがかった茶色のロングヘアが眩しい。所作の美しさは箱入り娘の証だけど、シンプルなワンピースにエプロンを付けているあたりは丁稚のようでもある。家のお手伝いをしているのかもしれない。


 彼女は公女おれと中尉の姿をまじまじと見つめてから、異民族エマの存在に目を丸くする。それでいて独特の空気感が乱れることはなく、慎ましやかに礼を見せて「こちらへ」と階段を上っていった。

 公女おれとエマがついていく。


 案内されたのは簡素な来客室だった。大きめのベッドが窓際で目立っている。

 ささくれだらけの机には『ミュレイマー』とタイトルが付けられた革の手帳が山積みされていた。


「ドーラ女史、これはハーヴェスト卿の日記ですか」

「はい」

「読ませてもらってもいいかしら?」

「どうぞ」


 少女はロボットのように平坦に答えてくれる。まるで感情を読み取れない……こうして見ると、ものすごく可愛い子だな。キーファーの狂犬娘なら速攻で殴りかかっているかもしれないレベルだ。

 この容姿でもっと愛嬌があったら、ルートヴィヒ伯を抜いて世界一の美少女に選定されていたところだ。なお選定侯は井納純一が独りで務める。


 彼女に向けて笑みをふりまきつつ、さっそく俺は『ミュレイマー』を一巻から読ませてもらうことにした。

 パラパラとめくってみると、どうやら旅日記のようだ。

 日付と本文にかなり細かく字が刻まれている。こんな本がたくさんあるなら一日では読み切れそうにない。是が非でも持って帰りたい。

 元家臣のボイトン氏なら快く貸してくれるだろうし、子供らしくおねだりしちゃおうかな。

 しばらく久々に楽しい読書ができそうだ。三周目ともなると未読の本が少なくて困る。


「……井納」

「なんだいエマ。この日記を読み終わるまでは好きにしてていいよ」

「その必要なくなった」


 エマはドーラの二の腕を掴んでいた。

 いきなり余所者に触れられたというのに商家の娘は特段の反応を示しておらず、ただ突っ立っているだけ。あくまでの己のペースで生きている子らしい。本当にロボットみたいだな。

 逆にエマのほうはいつもの気だるげな目から、ちょっとだけ生き生きとしている(ように見える)。

 その必要がなくなった……つまり。


「ドーラさんから日記の記憶を読み取ったから、もう井納おれが読まなくても大丈夫ってことだね。いいよ別に。自分でも読みたいからさ」

「そういうことじゃない」

「違うの?」


 公女おれのストルチェク語での問いかけに、エマはあえて同盟語で返してくる。


「この女の子がモーリッツだから」

「は?」「え?」


 マリーとドーラの反応が被った。そりゃそうだ。ありえない。

 今までのこともあってエマの話は条件反射で信じてしまいそうになるけど、目の前にはいくらでも否定材料がある。


 改めてドーラの姿を眺めよう。公女と同い年の女の子だ。仮に中高年の男性が変装しているとしたら、彼の一族は我が家よりもチビの家系になってしまう。また彼女の肌は還暦を過ぎたおじさんみたく乾いておらず、指先で突いてみるとモチモチしている。タオンさんの岩盤みたいな肌質とは程遠い。


 彼女は近づいても加齢臭が漂ってこないし、むしろ甘い匂いがする。少しラベンダーが混ざっているな。

 以上。どう考えても、彼女からモーリッツ氏との共通項をあぶり出せない。


「いや。おかしいよ。モーリッツ・フォン・ハーヴェストは十年以上前に死んだ──これはエマの弁じゃないか」

「井納が信じなくても、この子はモーリッツ」

「エマの冗談かもしれないし」

「なら証明する」


 エマはドーラのほうに向き直る。


「……エマはあなたが待ち望んでいた新大陸の魔法使い。他人の心を読める」

「!」


 ドーラはわかりやすくビックリしていた。

 そういえば、さっきエマを見かけた時も目を丸くしていたな……。


「こうして肌に触れるだけで全部わかる。エマにごまかしなんて効かない。でも残念だったね。エマにはその『交換のユーリ』の能力は使えない」

「あっ……」

「ね。あなたはモーリッツ・フォン・ハーヴェスト」


 エマは自信たっぷりに言いきった。


 すると相手の少女は……ずっとエマに掴まれたままだった二の腕に、自らの手を添える。

 そして常に全身にまとっていた、あの独特の張り詰めた空気から──いや、まるで水底から抜け出したかのように、呼吸を荒くさせ、おもむろに足元を崩した。

 彼女に手を引かれたせいでエマまで転んでしまっている。


「いきなり転ばないで」

「……出会えた、それがしはわかってくれる人に出会えたようだ! やっと出会えたらしい!」

「耳元でうるさいのやめて」

「ありがとう! ありがとう! 今日は吉日であろう!」


 ドーラは感激した様子でエマに抱きついていた。

 未だに信じがたいし、どうにも信じたくないけど、本当だったらしい。

 この女の子が初老のおっさんだなんて。

 ちょっと受け入れがたい。


 床に倒れたままのエマを両手で引っ張りあげると、彼女から「井納がそれを言うの」と突っ込まれた。

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