2-1 かざぐるまの街


     × × ×     


 三周目ともなると公女のスケジュールは完全に読めている。

 ヘレノポリスのイベント『大君議会』『舞踏会』を終えたら五日後に往路の馬車に乗り込む。公女がヒューゲルに戻った頃には六月になっているので、早めに南方出兵に対する手を打っておく。自分にはいまいち良い手が思いつかなかったから、とりあえず「ヒューゲル三人衆」のヒューゲル=コモーレン伯にケンカを売っておいた。どうせ滅ぼす予定だから今のうちから険悪になっても大丈夫だろうと思った。

 パウル公が戻ってきた時には城内はパニックになっていた。

 ヒューゲル兵営に古くから保管されてきたコモーレン城の縄張図が、いつのまにか何者かの手によって──あろうことかコモーレン伯に送りつけられていたからだ。

 これは「お前の居城を知り尽くしている」「いつでも攻め滅ぼせる」という外交的圧力だと受け止められかねない。

 当のコモーレン伯ユリアンからは説明を求める手紙が送られてきた。ヒューゲル政府の返答次第では大君評定所に行状を訴えるとあった。さらに他の三人衆から兵を借りることを示唆していた。このままでは紛争になりかねない。


 この時はパウル公がコモーレンまで出向いて釈明を行ったことで、どうにか刃を交えるところまで至らなかったものの……おかげで南方出兵は取り止めになった。お金も兵も失わずに済んだわけだ。大成功といえる。

 でも、もう二度と安直な発想で外交問題に手出しをしないと自分の中で決めた。まさかここまで大きな話になるとは思わなかったからね。三人衆とは昔から対立しているだけに子供の火遊びでも引火してしまうらしい。


 そうしているうちにマリーは十歳になっていた。

 あと十五年だ。

 あと十五年しかない。



     × × ×     



 大君同盟には「地方」と呼ばれる地域区分が存在する。

 同盟南部の「山岳地方」はその名のとおり山岳と盆地が織り成す美しい土地柄で、古くから天然の城塞として知られているらしい。上から目線で言えば、土地が貧しくて支配しづらい。

 北西部の「低地地方」は北海沿いの湿地帯にあり、沖合の砂丘に守られた天然の良港を抱えている。麦作に向かないので綿など商品作物の栽培が進んでいる。上から目線で言えば、実力派の商人がうるさい。

 両地方は反乱と紛争を経て、近年は辺境の半独立地域扱いとなっている。

 あえて半独立としたのは彼らが中央政府を持たないからだ。

 山岳地方はフッケンと呼ばれる地方自治体のまとまりに過ぎない。

 低地地方もまた低地七郷の名で知られているように狭小地が七州に分かれてしまっている。州の代表にあたる総督職スタットハウダーは州議会の任命を受ける立場なので、平時にはほとんど主体的な力を持たないらしい。

 だから彼らの財力を借りる時は「下」から話をつけることになる。


 一六六〇年。六月。

 公女おれは初めて低地地方を訪れていた。

 今回は単純な馬車旅ではなく、同盟西部のウビオル大司教領に出向いてから客船でライン川を下ってきた。

 ライン川は河口に近づくにつれて田畑より民家が多くなっていき、やがて街になる。

 低地地方の中心地・ブルームホルフは大都会だった。

 港には巨大な商船が並び、市内には商館が軒を連ねている。行き交う人々の会話は少し訛っていて賑やかだ。

 街中に張り巡らされている運河に目を向ければ、若い男たちが小船を操り、世界中から集めてきた特産品を売り回っていた。


「すごいところに来ちまったな!」

「ほんとだね」


 ベルゲブークとボルンのクソガキが上京したての「おのぼりさん」のようになってしまっている。

 公女の傍らには、彼らの他にもヒューゲルの次世代を担う予定の若者たちがついてきていた。

 マリー様が低地に行くならついでに……と彼らの父親たちが押しつけてきたのだ。名目上は公女の護衛ということになっているけど、実態は上流階級が就職前に世界を旅する「修学旅行グランドツアー」の代わりだ。

 遊び半分だからか、行く先々でうるさくて、公女おれはなるべく関わらないようにしていた。もう学生のノリにはついていけない。


「イングリッドおばさま。わたしは予定通りスネル商会に向かいますわ」

「わかりました。皆さん、行きますよ!」

「はーい」


 ツアーコンダクターと化したおばさんの指示を受けて、若者たちがぞろぞろとついてくる。

 歩くたびにはしゃぐ声が聞こえてきて、主君の娘としてストレスがすごい。お願いだから道行く女性にいちいち声をかけないでほしい。穴があったら入りたい。無関係を装いたい。

 もっとも、彼らが女性に手を出すところまでいくと、後ろからゲンコツが飛んでくる仕組みにはなっている。


「やめなさい」

「ぐえっ」「んぎゃっ」


 ヒューゲル兵営の現役将校はベルゲブークのボンクラを叩きのめすと、ついでにボルンのほうも殴ってくれた。

 その上で彼らに絡まれていた女性にはしっかり頭を下げていた。

 ちょっと意外な姿だった。戦争以外には興味がない人だと思っていたから。女性なんて机上演習ではゴミ扱いしそうなのに。


「……ブッシュクリー中尉、ご苦労様です」

「小官にはもったいなきお言葉。ティーゲルの奴にもっと監督させておきます」


 メガネの中尉(二周目だと五年後に大尉になっていたかな)は形だけは丁寧な礼を見せてくれた。

 ちなみに修学旅行生の中にはティーゲルの姿もあり、まだ若いのにすでに品行方正だ。

 彼には早く少尉に任官してほしい。伝令やボディガードを任せたい。彼の良いところはマリーの胸をそんなに見つめてこないところだ。今はまだ何もないけど。


 未来のヒューゲル家臣団に対する文句を脳内で並べているうちに、一行はスネル商会に辿りついていた。

 低地でもっとも勢いのある大商会の本部は、街角にありながら宮殿のよう。

 どうやらチューリップ・バブルの破裂に巻き込まれたライバルから巻き上げたみたいだ。石工が玄関口の刻印を削って、新たに「シャルロッテ・スネル家・姉」の略称CSZを刻んでいる。


 ここに来たのはもちろん、彼女に会うためだ。

 玄関口で待ってくれていたコーレインさん──二周目では大叔父の家に来ていた、あの怪しげな男に案内してもらい、公女おれたちはシャルロッテの執務室に向かう。


「シャルロッテ代表、ヒューゲル公領の客人が来てはりますわ」


 コーレインさんは低地方言だとカタコトじゃなかった。

 ちなみに彼の方言が年寄りの大阪弁みたいな表記になっているのは、俺にはそんな風に聞こえるからだ。ルートヴィヒ伯の方言もまた然り。


「あらら」


 部屋の中央でキメ顔ポーズを取っていたシャルロッテは、公女おれの姿を視界に収めると、慌てた様子で画家を部屋から追い出した。

 絵自体は残されていたので見せてもらう。なぜか半裸の絵だった。後ろで若者たちが口笛を吹いている。しばきたい。


 シャルロッテ本人はいつもの紫色のドレスだ。

 指や首元に飾り物が増えているあたりに羽振りの良さをうかがわせる。

 そんな彼女が、公女の足元に滑り込むようにして跪いてきた。


「マリー様、お久しぶりでございます! 先日はとてつもなくお世話になりました! チューリップでは大変に稼がせていただきまして! もう笑いが止まらなくて困ってしまうほどに!」

「わたしの予知夢は当たったでしょう?」

「不肖シャロ、マリー様の話を疑ったことは一度もありません!」


 堂々と言ってのけるあたりはさすがシャルロッテだ。

 彼女の傍らではホルガー・フォン・タオンが笑っている。相変わらず伯父ゆずりの美男子だ。日焼けの跡が眩しい。


「ははは。本当はトプラク商人からモザイク柄のチューリップを受けとるまで、ずっと悩んでいたのにな。シャルロッテの舌先は自由自在だ」

「マリー様の前でいわれなき中傷はやめてもらえるかしら?」

「もちろん俺は公女様をずっと信じていましたよ。低地に戻って、あの船が行方不明になったと耳にしてから……その節は命を救っていただき、心よりお礼申し上げます」


 ホルガー氏は改めて礼を見せてくれる。

 シャルロッテも負けじと頭を下げてくる。


 これで二人を味方にできた。あのスネル商会を予言で操縦できるようになった。我ながら大成果だ。すごい。誰でもいいから褒めてほしい。

 後ろを振り向いてみると、ボンクラ息子たちが声を潜めていた。


「マリー様に予知能力があるんだって……」

「どうせ怪しい本の受け売りだろ。なにせヒューゲル公爵家で歴代三位の変人様だからな。本好きのマリー様だぞ」


 若者たちの笑い声。

 あいつらに……せめてベルゲブークのボンクラにドロップキックを喰らわせてやりたい。でもパンツが見えてしまうからやめておく。はしたない。


 そんなことより彼女に会おう。


「ところでシャルロッテ女史……」

「恐れながら、わたくしのことはシャロと呼び捨てていただけますと幸いです」

「それは失礼というものでしょう」

「むしろ我々が礼を逸している形になりますれば。なにとぞシャロと」


 シャルロッテは慈悲を乞うように手を合わせてくる。

 過去にも似たようなことを求めてきたな。自分の答えは……。


「……シャロ。わたしの魔法使いに会わせてくれる?」

「仰せのままに。コーレイン、あれを連れてきて! なるはやで!」


 シャルロッテの指示を受けたコーレインさんが早足で廊下に出ていく。

 もうすぐあの子に会える。

 なのに、あまり気分が上がらないのは……この世界に来た時から守ってきた、自分の掟を破ってしまったからだな。身分を問わず年上の人には丁寧な対応を心がけるという鉄の掟。

 公爵令嬢えらいひとに染まりきらないための安全弁のつもりだったのに、何となく今回は変えたほうがいいように思えてしまった。

 気の迷いではない。気の迷いなら今からでも改めればいいだけの話だ。

 つまるところ、上流階級の傲慢な「ふるまい」にしっくりきてしまっている自分自身が怖い。


 こういうことは独りで考えすぎるより相談したい。誰よりも親身になってくれるあの子に。

 生きているあの子に。


「マリー様! こちらが例の新大陸から船で密航してきた娘でございます!」

「わかっているわ。みんな夢に出てきたから」

「さすがです」


 シャルロッテがわざとらしく拍手をする。ホルガー氏も合わせている。

 コーレインさんは若干訝しげにしながらも、何も言わずに連れてきた少女をこちらに引き渡してくれた。


 目の前にあの子が立っていた。


 その容貌は在りし日の思い出のまま。

 その眠たげな目が……すっと恋しかった。

 抱き寄せてみると、少し痩せていた。シャルロッテめ。きちんとご飯を与えていないな。この子はグルメなんだぞ。


「????」


 少女はマリーと触れあうたびに首をかしげていく。

 あまりにも傾くものだから、ふとした時に頭が落ちてしまいそうで怖かった。

 彼女の頭を抱えるようにして抱きしめる。


「会いたかったよ!」

「…………」


 彼女は反応を示さない。いきなり現れた「マリー」「井納純一」「三周目」に理解が追いつかないみたいだ。この調子だとインストールには時間がかかりそうだなあ。


 別にいいけどさ。

 それだけ彼女と触れあっていられるから。

 彼女の温度を感じられるから。

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