1-3 ミスターXになれなくて


     × × ×     


 現時点のシャルロッテ・スネルは低地有数の大商人だ。

 世界中を飛び回り、部下を送り込み、奥州大陸ヨーロッパではまだ一般的ではない新しい商品を探している。

 例えば新大陸のトマト。

 例えば新大陸のタルトゥッフェル。ピメント。トウモロコシ。

 例えば南方大陸の乳香。宝石。象牙。

 例えば香料諸島の新たなスパイス。

 彼女は商船団と交易路が世界の常識を塗り変えることに生きがいを感じている。


 そんな生粋の渡り鳥を片田舎の公領に何十年も縛りつけるなんて不可能だ。

 それこそ彼女が、世間から身を隠さなければならない状況に陥らないかぎり──例えば、強欲な借金取りに追われるとか。


 だからといって、スネル商会を失うのはあまりにも惜しい。

 あの財力をどうにかして「破滅」対策に活かしたい。あわよくば手に入れたい。何をするにも先立つものは欠かせないのだから。

 そこで俺は自分なりに一計を案じてみた。毎日のように頭を悩ませた。名案が浮かんだのは先代公が死んだ時だった。

 予言者を仕立てよう、と。


「シャルロッテ女史。ここだけの話になりますが、わたしは予知夢を見ることができます」

「……はい?」


 シャルロッテは険しい目していた。とっておきの儲け話があると言われてベッドから飛び起きたのに、拍子抜けだったのかもしれない。メガネを失くした近視の人みたいになっている。

 タオンさんも困った顔をしていた。子供のイタズラを咎めるような目つき。


 ええい。仕方ないじゃないか。

 当初の計画では七歳児の公女ではなく手紙上で『予言者ミスターX』を名乗るつもりだったんだ。

 正体不明のよく当たる予言者としてシャルロッテをコントロールする予定だった。タオンさんのふりをしたのは正体不明すぎるとかえって無視されてしまうから。せっかくの予言も手紙を捨てられてしまってはゴミにしかならない。タオンさんの文字ならシャルロッテには必ず刺さる。

 ところが公女が手紙の送り主だと早々にバレてしまった。

 こうなったらマリーが予言者を務めるほかない。


「子供の戯言だと思われてしまうのも当然です。当たらない予言なんて笑えない冗談ですものね。ご安心あそばせ。当たりますから」

「それは楽しみですねー」


 ホルガー氏だけが前向きな反応を見せてくれる。

 ちょっと心苦しいけど、彼にはあの件を伝えておこう。


「ホルガーさん。あなたが乗る予定だった船は今バルト海で沈んでいます」

「はははは! 本当に笑えませんね! ……マジですか!?」

「ホルガー、公女様とはいえ子供の話を真に受けてどうする」


 彼の伯父さんがいさめてくる。ため息と共に。このままだとタオンさんから嫌われてしまいそうで辛いな。

 ここはタオンさんに伝わりやすい話もしておくとしよう。


「タオン卿はウビオル大司教をご存知ですね」

「何度か話したことはあります。気の小さい方です」

「あの方、今年の十月にヒューゲルに来られますわ。来年五月の大君議会の召集令状をわざわざ届けに来てくださるのです」

「公女様は物知りでございますな。私は初耳ですが」

「来年の七月にはヒューゲルから南方に兵を出すことになります。異教徒の魔の手からヒンターラント大公を救うべしとの勅命が下りますの。その大公は同盟軍の到着前にストルチェク国王に助けられますけれど、せっかく国境まで来たのだからとみんなで南方に逆侵攻を行う流れになりますわ」

「ありえません! なぜ大君陛下がルドルフ大公を助けようとなさるのです。あの問題児を救いたがるのは神だけですぞ」

「なるものはなるのです。あとは……一六六九年一月二六日に彗星が来ます」

「残念ながら、それまで生きている自信がございません」


 タオンさんには否定されっぱなしだけど、どれも一周目・二周目で変わらなかった歴史だ。

 その時が訪れたら手の平をくるっと返してもらいたい。その手を取って楽しくダンスでも始めよう。きっと仲良くなれる。


 あとはシャルロッテか。ソファでふわふわヘアを掻きながら欠伸なんてしてくれちゃって。公女に対する敬愛の念を一切感じさせない。絶対に大儲けできる話があるのに。


「シャルロッテ女史。肝心の儲け話の件ですけれど……同盟軍が南方に逆侵攻する中でチューリップという美しい花が大君同盟に持ち込まれますわ。これが低地で大流行しますの。球根が茶器と同等の値で取引されますわよ」

「恐れながら、チューリップなら何度も見たことがあります。低地の教会では育てている方もおりますし、そこまで珍しいものではないですよ」

「流行るものは流行るのです。それにただの花ではなく、まだら模様の花を咲かせるチューリップならいかがかしら?」

「そんなものがトプラク帝国に?」

「ええ。わたしの予知夢では、あなたのスネル商会がただのチューリップにはあえて手を出さず……まだらチューリップを低地の取引所に持ち込んで大成功を収めていましたね」


 ここはあえて嘘をついておく。

 前回の歴史をなぞるとスネル商会が終わってしまう。まだらチューリップの存在を知っていれば、あんなことにはならないだろう。

 シャルロッテは少し目を閉じてから、手持ちのボロいメモ帳に何かを記してくれた。刺さった。


「……予言は他にもございますか、マリー様」

「もちろんありますわ。まだらチューリップで成功したあなたは、わたしの父にタルトゥッフェルの栽培を持ちかけますの」

「ほうほう。さすが自分、目の付け所が天才ですね」

「スネル商会はヒューゲルの荒れ地を芋畑に変えて、生産物の輸出を独占することで政府系の専売公社は急成長して、あなたはその功からヒューゲル政府の商工大臣に任じられて……お父様の提案でアルフレッドと結婚することになりますわ!」

「んなあ!?」


 公女おれの出まかせにタオンさんは持っていたワイン瓶を落としそうになっていた。ホルガー氏もビックリしている。

 ぶっちゃけ我ながら調子に乗ってしまい、未来予知を盛りすぎてしまったけど……これなら大商人シャルロッテも予言に身を任せてくれるはずだ。すなわち予言でコントロールできるようになる。


「…………へー」


 当の彼女は白らけた目をしていた。

 さすがは低地の大商人。都合が良すぎる系の胡散臭い話を見破るぶんには自信があるらしい。


「あら。信じられないようですわね。では、仮にわたしの予知夢が外れたら……もしチューリップ・バブルが起きなければ、我が家に伝わる『宝刀』をあなたに差し上げますわ」

「公女様、いい加減にしてくだされ! あれはカミル様が受け継ぐ形代ですぞ。他人に授与できるものではありませぬ! シャルロッテもまともに受け取ってくれるな!」

「タオン卿が慌てていますよね。『宝刀』にはそれほどの価値はあります。逆にもし予言が当たったら、わたしに他人の心を読める……すごく可愛い魔法使いをいただけないかしら?」


 あの子がスネル商会の船で奥州大陸にやってくるのは来年だ。

 こうやってあらかじめ予約しておけば、お母様や大叔父にお願いしなくても公女の手元に転がり込んでくるはず。

 賭けにシャルロッテが応じてくれたら、だけど。

 彼女はちょっと考えるそぶりを見せてから、眠たげな目をこすり、またメモ帳に文字を刻む。


「……恐れながら、そのプレゼントも未来予知に含まれていますか?」

「当然ですわ」

「私が『子供の冗談に付き合ってられません』とお断りするところまで?」

「それはどうかしら」

「どうかしら?」

「未来は予言を元に変えられますもの」

「左様でございますか」


 シャルロッテはソファから立ち上がると、公女とタオンさんを相手にありきたりな会釈だけ済ませて、また階段を降りていった。

 あれは応じてくれたのかな。「口約束です」とはぐらかされても文句を言えそうにない。

 あらかじめ誓約書でも作っておけばよかった。そういうところが井納のダメなところだね。脳内でエマが笑っている。


「公女様……あれは欲深き低地商人。子供の交渉でも冗談では済みませんぞ」

「タオン卿、わたしがお母様におねだりすれば手に入らないものはありませんわ」

「お戯れを!」


 タオンさんは付き合ってられないとばかりに階段を降りていく。途中で壁を殴っていた。

 今さらだけど、一周目・二周目で良好な関係を築けたからといって三周目でも仲良くなれるとは限らないのかもしれない。

 今のマリーは控えめにいってただのクソガキだし。

 ここから好感度を上げていく方法も考えておかないと。タオンさんもシャルロッテも大切な人だ。今さら嫌われたくない。

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